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第四部 魔術院と精霊博士

130.武装と眼福

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 目の前に、昨日届けられたばかりのドレスがある。
 とても素晴らしい……。
 ドレスを囲むように集まって、わたしと三人の女性使用人はほぼ同時に感嘆のため息を漏らした。
 再び使えるようになった“扉”で、ロタールの屋敷から来てくれたリュシー。
 王都の邸宅付の侍女見習いマルテと家政婦長のテレーズ。
 部屋の隅には、わたしの護衛にオドレイもいるけれど、彼女は相変わらずの人形めいた麗人ぶりで直立不動で控えている。

「オドレイもこちらに来たら?」
「奥様の身辺の警戒を怠らぬよう、旦那様の命令です」
「私室だけど……」
「人ならざるものにそのようなことは関係ないかと」

 まったくもって正論ではあるので、それ以上誘うことは止した。
 オドレイはルイの従者兼護衛だけれど、ロタールへ戻るまでわたしに付くことになった。
 臨時雇いでわたしの護衛騎士を請け負ってくれていた、モンフォールの坊っちゃまことベルトランが辞めてしまったからだ。
 ベルトランは無事にエンヌボン男爵領を相続して分家として独立した。王家によるモンフォール家に対する制裁のこともあり、捜査協力したにも関わらず実質謹慎扱いで保留だった騎士団本部での配属先も決まった。
 精鋭揃いの近衛騎士団の班長になったらしいと、ルイから聞かされた時は驚いたけれど。

「流石に気合が入っていますね」

 かつて商家に嫁いだ文官の娘らしくドレスを値踏みするように眺めて、しみじみ感心するテレーズの言葉にわたしも頷く。
 滑らかな艶に、織り込まれた金糸の淡い煌めきを乗せた絹は、光の加減で深みのある緑に赤みを帯びた樹木の色を見せている。
 木の葉と伸びる蔓、秋の実と小花のブーケの緻密な地紋が全面に織り出された布地は、それだけでも美しい。

「精霊がロタールの秋の森を衣装に仕立ててくれたみたい……」

 うっとり呟いたマルテの言葉にそうねと再び頷くと同時に、貴族女性達がこぞって装いを競う場ではあるけれど、気合いを入れすぎではないかしらと思う。
 ドレスのローブの前開きの縁、袖ぐり、裾周りには金銀の糸で蔓紋様を絡めた縁飾りの刺繍が華やかさを添えている。スカート全体にも同じモチーフで金糸の刺繍が施されている。

「春よりゆったり優雅な線っ。ゔぅ、ナタンさん、旦那様の財力と奥様で色々楽しみ過ぎぃ……っ」

 王宮御用達の服飾職人ナタンさんと“美を愛する同志”であるリュシーは、他の二人とはなにやら別の視点で色々と思うところがあるようだ。

「いつから用意していたのかしら?」

 布地からなら王都に来るより前になるはず、後から養父様おとうさまも便乗したに違いない。養父様おとうさまの領地の特産、最高級のリンシャールレースを寄せたフリルがドレスの胸の部分を可憐に飾っていた。
 大きく開いた襟周りには象牙色の幅広リボンがあしらわれている。
 このリボンも小さな水晶ビーズと極細の金糸で星にも雪にも見える刺繍がされていて、職人の労力を思うと気が遠くなる。
 袖口から重ねられたレースももちろんリンシャールのもの。
 こちらに至っては外側へ向かって輝きを滲ませるように、銀糸が編み込まれている。
 
「いつもの事ながらこういうの、本当に気後れしちゃうけれど……」

 この、ロタールが抱える絹織物、養父様おとうさまの領地のレース、王都の職人技の粋を集めたようなドレスを着るのは、ごくごく平凡なわたしなのだからなんだか申し訳なさすら覚えてしまう。
 とはいえ、ナタンさんが手掛けた衣装で着る人を蔑ろにするものはないし、わたしの支度をしてくれるのはナタンさんと同志のリュシーだ。

「ナタンさんとリュシーの腕を信じるわ」
「お任せください!」
 
 それに今回は特別だもの。

「強い感じで、お願い」

 強い、ですか……と、マルテが困惑気味に首を傾げて、リュシーは心得たとばかりににんまり不敵な笑みを見せる。

「そろそろ、湯浴みと肌のお手入れをいたしましょうか」

 夜会の支度は色々と手間がかかるので、テレーズも手伝ってくれる。
 彼女に促されて、そうねとわたしは午前のドレスに羽織っていたストールをマルテに渡した。

 この国で、生まれた日を祝うのは王だけだ。
 それは建国話に語られる、王の恩寵が与えられた日を寿ぐ祝祭でもあるから。
 今日は、“王の誕生祭”。
 王都の社交の締めくくりの日でもあり、わたしとルイの結婚の白紙について正式に発表される日でもある。


 *****


「あら、エドガーどこかへ出かけるの?」
「え……その……」

 階下に降りる途中の二階の踊り場で、廊下を横切った人影に気がついてわたしは声をかけた。
 二階廊下ギャラリーの一画に設けたアトリエか、用意した客間にしかほぼいない。そんな彼と邸宅の中で出くわすのは珍しいことで、あまり身だしなみに構わない彼が乱れなく服をきちんと着ている姿も珍しかった。
 赤茶けたもじゃもじゃの髪はもじゃもじゃなままで整えずにいるけれど。手には絵の具のついた布にまとめた荷物を持っている。

「恐縮しなくていいのよ」
「はあ。じゃあ……今日はまた凄いようなお姿で……あっちょっと止まって」

 煤けた空色の毛織物の上着の隠しから木炭を、手荷物から小さな紙を取り出し、さらさらとなにか描きだしたエドガーにわたしはもちろん、側についていたリュシーとマルテも呆気に取られている。

「……もういいです……」
「もういいって……なんなんですっ、あなたっ!」

 声を張り上げたリュシーに、だって契約で……とぼそぼそ言いながらエドガーは、取り出したものをまた仕舞い込んでいる。
 そういえばこの二人って、顔を合わせるの初めだわとわたしは気がついた。

「無視……っ!」
「リュシー、いいのよ彼は」
「奥様!?」

 恐縮しなくてもいいけれど、これはどうしたものかしら。
 らしいといえばらしいけれど。
                                                  
「ええと、彼はエドガー。フォート家と専属を結んだ画家です。ロタールのお屋敷の美術品も管理してもらうことになっているのだけど、フェリシアンから聞いていない?」
「このぼさっとした失礼な人が!?」

 リュシーとたしなめれば、渋々彼女は黙った。
 審美眼においては確かなセンスを持つリュシーだから、彼の絵を見れば変わるかもしれないけれど、いまのところ第一印象は最悪のようだ。
 エドガーを睨みつけて噛みつきそうな顔をしている。

「エドガー、彼女はリュシー。わたくしの侍女で普段はロタールの屋敷にいます」
「お屋敷……ああ、そうだ。東部行きの乗合馬車の時間が……」
「え? まさかこれからロタールに向かうつもりなの?」
「はい。ここでの仕事は、終えたので」

 手に持った包みは画材をまとめたものだったようだ。
 たぶん客間へ運んで荷造りしようとしていたところだったのだろう。 

「皆で一緒に“扉”で移動すればいいわ。ここは年明けまで一時的に閉めるだけで、人だけあちらに戻る予定だもの」
「人と一緒の移動はちょっと……」
「え?」

 もしかして、誰も“扉”の説明をしていない?

「マルテ……テレーズを呼んできてくれる?」
「はい、奥様」

 いまのところ邸内で一番彼が打ち解けているのは、依頼した肖像画が完成するまでなにかと彼の面倒を見てくれていたテレーズだ。
 その次がルイというのが意外なのだけれど、ある意味ご同類・・・だから、当然といえば当然かもしれない。
 マルテが連れてきたテレーズに一通り状況を伝えて、彼に細かなことを教えてあげてとお願いする。

「申し訳ありません。てっきり旦那様がお話ししているものと思っておりました」
「専属の話をしているのはルイですもの。普通はそう思って仕方ないわ」

 雇用する話は早々に済ませて、なにか別の話をしていたに違いない。
 たとえば古い文様についてとか……。

「エドガーさん、旦那様の魔術具で、隣の部屋に移るのと同じようにロタールへは移動できます。一人で慌てて向かわなくても大丈夫ですよ」
「はあ、魔術具。便利なものですねえ」

 とりあえずわかってはくれたようだ。
 王都から、フォート家の屋敷まで大変な距離であるし、屋敷の周りは人避けがされているから、危なく森で遭難させるところだった。
 テレーズに促されて、二階廊下ギャラリーへと一緒に向かう後ろ姿を見ながらほっと息を吐く。
 しかしあの小さい子の髪の色は素敵な色だと、たぶんリュシーのことを話しているらしい彼の声が聞こえる。
 彼に怒鳴ったリュシーの印象は悪くないみたい? 
 フォート家は使用人の数が少ないから仲間同士でぎすぎすされると困るけれど、彼の側は大丈夫そうだ。
 
「小さい子ってなんですかぁっ、リュシーはもうすぐ人妻ですよっ!」
「まあまあ……ちょっと変わってるけど、画家としてはセギュール侯爵夫人お墨付きなのよ」
「本当ですかぁ?」
「それが本当なんですよ。エドガーさん、絵だけは本当に素敵なんです」
「マルテ……」
「あんなぼさっとした人が王国芸術団体アカデミーにいただなんて……フェリシアンさんから聞いてなかったら信じられませんっ」

 エドガーはルイが直接声を掛けた人でもなければ、フォート家やロタールとも繋がりもなにもない、王都出身の画家だ。
 いくらカトリーヌ様の紹介でも、専属で抱えるとなれば身辺は確認する。

「人は見かけに寄りませんよねえ」

 頬に手を当ててそう言ったマルテに、たしかにわたしも少し驚いたけれどと内心で思う。
 エドガーは平民だけど、貴族から手厚い支援を受ける所属工房の師匠が王国芸術団体アカデミーの会員で、その腕を見込まれ、団体併設の王立絵画彫刻学校で芸術の専門教育を受けた正真正銘の公認芸術家だった。
 ただし、現在は団体から除名され、それが元で工房からも追い出されている。
 理由は、彼が身だしなみに構わない、人付き合いの苦手な変わり者だったから。権威ある団体の会員たれと紳士たる振る舞いを求められる王国芸術団体アカデミーと、どうしても合わなかったようだ。
 カトリーヌ様が彼を連れてきたことも、それでようやく納得がいった。
 ロタールの屋敷で、彼についての調査報告をオドレイから聞いたルイは成程と頷いた。  

『なるほどって?』
『あの冠無き女王は、若い頃はかなり怪しい宴に出入りもしていた不良令嬢で、なかなかの好事家です。権威に睨まれた若者の才能を惜しんだのでしょう』
『だったらそう仰ってくださればいいのに……』
『言うわけがないでしょう。フォート家なら多少の変人でも大丈夫だろうって、押し付ける気で紹介したのでしょうから……癪ですが、たしかに惜しい腕です。それに彼の性格なら屋敷でも大丈夫でしょうし』

 むしろフォート家以外でやっていけるとは思えません、どうするつもりだったんでしょうねと顔を顰めてエドガーに呆れ返っているルイに思わず笑ってしまった。
 カトリーヌ様もルイも、わかりにくくお人好しなところがある。
 邸宅に戻ってすぐ、ルイはエドガーに専属の話をもちかけ、エドガーもこれを承知し彼はフォート家の一員となった。

「ぼさっとしていて腹の立つ人ですが、奥様を見てすぐ評価したのは認めてあげますっ」

 ふんっと鼻息荒く腕を組むリュシーの声が耳を打って、数日前のことからいまに頭を戻し、半歩後ろに立つリュシーを振り返った。

「まさかスケッチをされるとは思わなかったわ」 
「奥様なら当然です!」

 エドガーの目に留まったのなら上々かしら。
 衣装部屋の姿見で見た姿も、仕上げてくれたリュシー渾身の出来だと思ったし。

 強めにと頼んだ通りに、少し古風な形に髪を結い上げ、お化粧もいつもより目元の陰影を深めに落ち着いた公爵夫人の雰囲気で仕上げてもらっていた。
 首や耳を飾る宝石も、金剛石ダイヤに青みのある碧色の貴石を金の鎖で繋いだ、いつもより少し目立つものだ。碧色の石にはルイの魔術が付与されている。 
 一階のサロンに降りて、テレーズが前もって用意してくれていたお茶と指でつまめるようなお菓子を取っていたら支度を整えたルイが従僕のシモンを伴って現れる。

「普通、女性の方が身支度にかかると思うのだけれど」
「そのはずなんですけどねー、取り掛かるのが遅くっちゃどうにもなりませんて、奥様」

 シモンの言葉から察するに、どうやら大急ぎで支度したようだ。
 とてもそうは見えない、まさに眼福なお姿だけれど。

「ぎりぎりまでロワレ公の文書に目を通していて……ああ、やはり深い色も似合いますね」

 言いながら近づいて、長椅子ソファに座るわたしの隣に腰を下ろしたルイをなんとなく直視できず、一口大のタルトへ手を伸ばす。本当にこの人どうしてこう見た目が凶器なのかしら。
 
「今日は随分と大人びて見える……」

 軽く曲げた人差し指の背で頬を撫でながら、甘さを含む声音で囁かれて摘んだタルトを取り落としそうになる。
 
「旦那さまー、これから王宮ですからねー」

 一本調子でルイに注意するシモンの声に気を取り直して、タルトを食べてお茶を飲んだ。
 王宮で食事は供されるだろうけど、どうせろくに食べられない。
 お茶のカップをテーブルに置いて、わたしは両拳を握る。

「武装ですもの!」
「成程、それでこれも付けてくださっているというわけですか」

 頬を滑ったルイの指先が、耳元に垂れ下がる碧の石を揺らす。
 思い切って、わたしはルイへと顔を向けた。
 青みがかった灰色の瞳の目を見つめる。見つめ合った時間はほんのわずかなはずだけど、随分長く感じた。
 わたしのことが発表され、これまでとは一段下がって臣と扱われるはずのルイにどんな言葉が飛び交うかわからない。白紙になるその時までは公爵夫人だもの、毅然として振る舞い、煩わしい言葉は黙らせる。
 不意にルイが目を細め、嘆息の声にわたしはなにと首を傾げた。

「……まったく、貴女という人は」
「ルイ?」
「心配すべきは、私より貴女でしょう。なにを戦って守る気でいるのだか」
「え、でも。わたしは別に」
「それに――」

 手を差し出されて、ルイに引っ張られる形で彼と立ち上がる。
 ふぁさりと、厚みのある白絹が視界いっぱいに広がった。
 目に眩しささえ感じる白さと、緻密な刺繍の金色の輝きに思わず目を細める。

「私の務めを取らないでほしいですね」

 たっぷりした袖や裾などの縁を金糸の刺繍で縁取っているのは、婚儀の時にまとっていた贅沢仕様の宮廷用ローブに似ている。
 けれど前開きの、肩から肘下にケープを重ねるマントに近いローブで、中は金の刺繍で埋めた袖なしの白絹を上に重ねて、濃紺の絹で仕立てた立襟の長着を身につけていた。
 飾り紐でゆるく束ねた銀髪の落ちる肩がきらきらしていると思ったら、ケープ全面に銀糸で幾何学紋様を組み合わせた刺繍がされ、濃紺の襟元にも銀糸の刺繍が散らされている。
 魔術師と一言で片付けられない、人を畏怖させ従わせるような雰囲気の衣装は、貴族としてこれまで孤高の公爵の立場を貫いていたルイによく似合っていた。

「どうしました?」
「本当、眼福……」
「貴女が手放しで誉めてくれるのは初めてでは。ロベール王に仕えるにあたり作らせた甲斐はありましたね」
「お務め用なの、これ」
「ええ。大聖堂で司祭長の祝福を受けた婚儀の衣装や普段着ているものの仕立て直しです。常時気を張るのは流石に疲れますからね、仕立て直す前より色々と施しています」

 本当は、王都の社交用にナタンさんに頼んでいたものだったらしい。わたしの為のものを優先させているうちに仕上がるのが延びに延びていたそうな。

「なんですかそれ? どう考えてもわたくしのものより大事でしょう!」
「別になければないで、どうとでもなります」
「それを言うのは、こちらです!」

 ――はーい。そこまで!

 ぱんぱんと手を打つ音とサロン一杯に響くシモンの声に、ルイもわたしも扉のそばに控えているシモンを見た。

「式典時間に遅れたら、勝負する前から負けですからね!」

 たしかに、シモンの言う通り。
 行きましょうか、そうですねとルイと言い合い、シモンに急き立てられるようにサロンを出てわたし達は馬車に乗り込んだ。
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