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第三部 王都の社交

119.魔術の適性

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 ――はじまりの地 忘ることなかれ……。

 邸宅の階段を降りていた途中で、吹き抜けの空間をごくわずかに震わせたような気配と、微かに聞こえた気がした声に足を止めて、わたしは無人の玄関ホールを見下ろす。
 飴色の木の艶を見せる手すりに軽く手を置いて、少しばかり頭を乗り出し、階段の影へと目を向ければ、視界の端に濃紺の布の裾が見えた。

「……ルイ?」

 少しばかり足を早めて、玄関ホールまで階段を降りきる。
 本当は二階に用があったのだけれど、別に急ぐことではないしルイが魔術研究の手を止めているのなら好都合だった。
 階段裏に回れば、大広間に続く途中の大柱の前にローブ姿のルイが立っていて、ヴァンサン王の話を刻んだレリーフを見上げている。
 声を掛ければ、はっとしたようにルイはわたしを振り向いた。

「マリーベル、休息のお茶ですか?」

 その時間感覚の狂った言葉に思わずため息を吐いてしまう。
 いま一体、何時のつもりでいるのだろう。

「もう昼食も済みました。オドレイがお食事を届けたはずです」

 いくらか間を置いて、あれは昼食か……といった言葉が聞こえて思わず眉を顰めてしまう。
 昼食か、じゃない。
 わたしの心の声が聞こえたかのように、若干会話するのが煩わしい様子でルイはわたしから視線をわずかに外す。

「……私室は古書や素材の劣化を防ぐため薄暗くしているので、長くいると少しばかり時間の経過が曖昧になるというだけです」
「長くいすぎです。もう四日目ですよ」
「だからいまこうして出てきています。食事や睡眠も取っている。なんの問題もありません」
「嘘」
「私は魔術師です、嘘は吐けませんね」

 絶対、嘘だ。
 近づいてその顔を見れば、明らかに寝不足な顔色の悪さで、青がかった灰色の瞳の目は妙に力強い。強壮薬かなにか使って疲労を誤魔化しているのは明らかだった。

 書類をここかしこに広げているから、水気のあるもの、両手が塞がる食事は運ぶなといったルイの指示で、彼の食事はパンに肉やチーズや蒸した野菜を挟んだものばかりになっている。
 きっと部屋に運んだものを食べているだけで、いつの食事か、もしかするとなにを食べているのかすら意識していないかもしれない。
 睡眠だって怪しいものだ。
 一刻ばかり仮眠して、寝たとしている可能性大ありである。

「明日、隠し部屋の清めも終わる予定ですから、大聖堂へ行くのでしょう?」
「ええ、ですから目録だけは今日のうちに片付けてしまいたいところですね」

 空になった隠し部屋は、聖職者達がいまお掃除中だ。
 古い部屋だから崩れる危険はないか一応確認し、埃や砂塵を払って、さまざまな文字や紋様が刻まれている箇所を調べやすくしている。
 資料を運び出した翌日の夕方に、五日で終わると知らせがあった。

 目録は、表向きは大聖堂の資料を預かるとしているため、運び出した資料の一覧を作って司祭長様にお渡しすることになっている。
 ずっと引き籠っているのは目録作りをさっさと片付け、魔術の研究に注力するためらしい。
 運び出すのに結局三日かかった量の資料を、無茶がすぎる。
 魔術研究に関しては、お父様のアントワーヌ様のことは言えない。

「ほどほどにしてください。レリーフがどうかしたの?」

 あまり言うと意固地になるのは、以前、精霊の衝突を収めるために出て、ほとんど寝ずに帰ってきたのを諫めた時に言い争いなったことで知っている。
 こうと決めたら必ずそうすると、王妃様も王様も言っている通り、ルイは結構頑固だ。
 
「“はじまりの地”が気になりまして、あの詩篇にもあった」
「ああ、そういえばアントワーヌ様の言葉でも」
「ええ」

 わたしが声をかける前に見ていた場所へと再び向き直るルイの視線を追うように、わたしも大柱を見上げる。
 冠を戴くヴァンサン王、向き合う男女一対の姿で描かれている地の精霊と、少し離れて赤い帽子を被った老人のいる場面。 

 ヴァンサン王は、それぞれの種族の主張に耳を傾け、その間に立った。
 人と精霊と魔物、それぞれの世界を棲み分けて互いに脅かさない決め事を示した。
  
「たしか……地の精霊は、精霊達をまとめる四大精霊を代表し、ヴァンサン王が示した決め事の仲介者として最後まで地に残ったのでしたっけ?」
「そうです。決め事を地に記し人々に伝えた。それが“はじまりの地”で、おそらくはバランの地なのでしょうが」
「バラン……?」
「先日、あの守護精霊が現れて、私……というよりフォート家の魔力のことから、ヴァンサン王の話になった時に言っていたでしょう? “ヴァンサンの子”があの地を護っているは“ヴァンサンの子”だからだと」

 そういえば、そんなことを言っていた。
 最初、ルイもなんのことかわからない様子だったけれど、守護精霊の彼女の、人が精霊のことを忘れて久しく、力を奪って汚しているといった言葉を聞いて、バランかと呟いていたのを思い出す。

「思い当たる地といえばそれぐらいですからね。あの防御壁の魔術も、あの地の持つ力も借りる古いものですから」

 口元に指を当ててルイは沈黙した。
 彼がなにか考えを巡らせている時の癖で、わたしはレリーフを眺めてルイの言葉を待つ。
 眺めていてやはりなんだろうと思えるのは、ヴァンサン王と地の精霊から少し離れて刻まれている帽子を被ったお爺さんに見える人の姿だ。
 ルイはそれは精霊の類ではないかと考え、何故かジャンお爺さんと重ねたのだけど。

 昔は領民といえば農夫だから似たような感じになっただけでは思い、ルイにもそう言ったけれど、その前に彼が話したように、ただの人ならもう二、三人いても絵としてはいいような気がする。
 その前の場面では、ヴァンサン王を取り囲んで、動物達や様々な姿をしたたぶん精霊達、人々や竜のような魔物の姿もあるのだから。
 人だけの世界になっても、もっと大勢いてもいい。
 
「他国からの侵略を防ぐために施されたものと思っていましたが、本当はなにか別の魔術なのだとしたら……あの魔術の補強作業も、地の力が組み込まれていることも、まったく意味が異なるものになってくる」
「ルイ?」
「少なくとも、父がバランの防御壁の魔術をなんとかしようとし、国境の戦地に向かったこと。なんらかの方法でそれを果たした直後に命を落としたことは、あの白い箱に残されていた父の言葉やロベール王の話で間違いない」

 ルイの言葉にどういった返事をすべきかわからず、わたしは黙ったまま聞くだけに留めた。
 アントワーヌ様の資料の検証が進めば明らかになってくるのかもしれないけれど、資料は大変な量だ。屋敷に残されていた手稿や資料もあわせて、それを読み解いていくことが出来るのはルイだけで、きっと時間がかかる。

「ところで、サロンでお茶でもないのならどうしてこちらに?」

 ルイに尋ねられて、本当は二階に用があったことをわたしは思い出した。

「エドガーの絵が大分出来上がってきたようで、少し様子を見に行こうと思って」
「エドガー……絵……」
「え……?」

 わたしと一度目を合わせ、ふいとわずかに顔をそむけて口元を手で覆って、なにか考え込むように沈黙したルイにまさかと思う。
 もう二十日も滞在しているエドガーのことをすっかり忘れている!?

「……そういえば、あの冠なき女王に半ば押し付けられるように紹介されて、そんな人を迎え入れていましたね」
「ルイ……」

 覚えてはいたみたいだけれど、ほとんど忘れていたに等しい。
 たしかにここのところ、アントワーヌ様の隠し部屋のことで慌ただしかったけれど。
 流石にそれはこの邸宅の、フォート家の主としてどうなのと思う。

「一度顔を見て、それきりまったく姿を見かけなかったのですから仕方がないでしょう。本当に滞在して絵を描いているのですか?」

 まあ、たしかに。
 魔術研究で引き籠ったルイと同じくらい、二階廊下ギャラリーの一画に設けたアトリエから動かず絵を描いていて、用意した客間もろくに使っていない。
 テレーズから報告されていることをルイに伝えれば、かなり変わった人のようですねと、ご自分のことはまったく棚上げにして眉根を寄せているから呆れてしまう。

「食事などきちんと取っているのですか?」
「その点は大丈夫です。テレーズに彼の世話をお願いしましたから。食事はきちんと食べさせ、夜は明かりを取り上げて客間で休ませていると聞いていますよ」

 言外にルイよりはましと込めて話し、二階へ向かおうと彼に背をむける。
 わたしの意図を正確に読み取ったらしい。
 眉間に縦皺を深く刻み、迷惑そうに顔をしかめて、ルイは階段を登ろうとするわたしの隣に並んだ。

「そんなに動かないのなら、いっそ簡易ベッドか寝椅子カウチでも絵を描いている場所に置いてやればよかったのでは?」

 うーん、まったくもってご同類な発想だ。
 そんなことをすれば、寝食から着替やなにもかもそこで済ませてしまいかねない。

「絵を生業とし、それに没頭する人なのでしたら、それがなによりのもてなしになるでしょう。テレーズも余分な仕事に煩わされずに済む」
「余分な仕事なんて仰る時点で、それ、全然もてなしていないですから。それにルイもあまりにそんななら、わたしも同じようになるかもしれませんよ」
「同じとは?」
「あまりに私室に引き籠るようでしたら、いたかしらってなるかも」

 そう言えば、それきりルイがなにも言わなくなった。
 ちょっと嫌味が過ぎたかしらと思いながら二階の踊り場に足を乗せれば、すぐ側でやけに懊悩に満ちたため息が聞こえてきて、わたしは背後を振り返って仰ぎ見る。
 困惑したような表情でご自分の顎先を摘み、眉間の皺をさらに深めていたルイにぎょっとした。

「ど、どうしたのっ?」
「貴女がそこまで言うのなら……善処しましょう」
 
 黙っている間、ずっと考えていたらしい。
 いつものルイなら有り得ないような反応に、これはやはりかなり無理して疲労を溜めているのではないかしらと心配になる。

 絵の様子を見たら、ルイの目録作りを手伝った方がいいかも。

 王都の邸宅はロタールの屋敷と違い、人の出入りがある。
 危険な薬や開発中の魔術具などもあるルイの私室は、誰でも入れるようにはなっていない。
 魔術の鍵が施され、ルイの従者兼護衛のオドレイと従僕のシモンだけが扉を開けて入れるようになっている。
 いい機会だ。
 わたしも登録してもらおう、いえ、してもらわなければと心に決める。 

 
******

 
 二階廊下ギャラリーの片隅を衝立で仕切っただけの場所に、絵はあった。
 描いた人の姿はない。
 一区切りつけてというより、おそらくはテレーズに強制的に休憩させられて、客間で休んでいるようだ。
 昼食後のお茶を飲んでいるわたしに報告をしながら、絵は素晴らしいですが描いた本人がまったく素晴らしくない状態ですから休ませます、と言ってなにやら勇しい勢いで胸元で手を組み合わせていたテレーズの姿を思い出す。

「……あの人が押し付けてきただけあって、腕はいいですね」

 まだ完成してはいないらしいけれど、わたしの目からみたらなにが未完成なのかわからない。
 並んで立つルイとわたしの姿を、腰の辺りくらいまで描いた肖像画があった。

「王宮のお抱え向けではなさそうですが」

 王宮のお抱えになるには、少々私的な雰囲気が過ぎるということだった。
 言われてみればたしかに、公爵家当主夫妻の肖像画でありつつ、家族として寄り添っている絵にも見える。
 エドガーがわたし達のスケッチをした時、ルイもわたしも王宮で見かけるような肖像画を考えて応じていたはずなのに。
 
「画家の方の目や手は不思議ですね」
「そうですね」

 床に何枚も落ちていた紙の一枚を拾い上げて、ふむといってそれをローブの内に仕舞い込んでしまったルイの返事と様子に、これはエドガーを気に入ったということかしらと思った。

「あの……いくらルイでも勝手に持っていくのは……」
「絵とまとめて全て買取れば、文句はないでしょう」
「ええと……」

 そういうものなの?
 抱えているわけでもないし、エドガー本人に打診しなくていいのだろうか。
 わたしはあらかじめ決めた条件に基づいて行われていたユニ領での商取引か、依頼に応じた品の代金を払うナタンさんのような王宮御用達な職人との取引くらいしか知らない。
 芸術家も、出資者や支援者側も、双方の感覚がわからない。
 わたしの感覚では、お貴族様の勝手に思える。
 エドガーはカトリーヌ様に見出されたけれど、元々、貴族相手に絵を描いていたのではなさそうだもの。あとでテレーズに伝えた方がいいかもしれない。

「そろそろ私は私室に戻りますが、貴女はこれからなにを?」
「あっ、だったらわたしも一緒に行きます!」
「……マリーベル」

 資料整理を手伝えば、当然その中身に触れることになる。
 わたしが見たところで大半わからないと思うけれど、ルイの精査が入っていない魔術の知識に触れることに警戒しているのだろう。
 あからさまに渋る声音に、そんなに嫌そうにしなくてもと思いながらルイの顔を上目に見る。

「父様を手伝っていたから、書類仕事なら多少お役に立てるかも」
「貴女の事務能力の高さは知っています」
「一人では無茶だと思うの。資料は読みませんからっ」
「それでどうやって手伝うと?」
「ルイが軽く資料を見て、なにか教えてくれればその通りに記述します。書記官の代わりとでも思ってくれれば」
「貴女は私の妻です……」

 わたしのすることではないと言いたいのだろう。
 それに似たことを、昼食時にテレーズからも言われたばかりだ……とにかくフォート家の使用人の少なさも問題だと提案も受けたので、ルイに相談もしたい。
 なにより、ルイの状態が心配だった。
 明日からは、大聖堂の隠し部屋にかかりきりになるに違いないもの。

 その後、押し問答の末、結局ルイは折れた。
 わたしの説得を受けて、根負けしてというよりは、一日も早く大聖堂向けの用を片付けご自分の研究に勤しみたい欲には抗えずといった様子なのが呆れる。同時にルイがいかにアントワーヌ様の研究に対し、魔術師として情熱を傾けていたかを知る。
 第一、内容が不完全な手稿と仕組みのまったく不明なロタールの屋敷の隠し部屋を手掛かりに、ルイは自分の魔術に多少取り入れている。そこへ至る道のりを考えたら気が遠くなる。
 司祭長様が、聖職者のように詳しいとルイの知識をほめたのも、お世辞ではないのかもしれない。

 二階廊下ギャラリーから移動しながら、ルイの指示に従うこと、資料に許可なく触れないことをしつこいほど念押しされ、彼の私室にたどり着く。
 ロタールの屋敷と違い、個別認証が施された扉の彫り込まれた紋様の中心。植物の蔓が円を描いている箇所に、掌で触れてそこを意識するようルイに言われて扉に手を伸ばす。
 ルイがなにかするのだろうと、言われた通りにして待っていたけれど。
 黙ったままなにもしようとしないルイに、わたしは視線だけ扉から彼へと向けた。

 なんだろう。
 やっぱり止しましょうなんて言い出すのだろうか。

「……先日ロベール王にも仰っていましたが、貴女は魔術の適性がまったくない」
「そうですけど?」
「私としたことがうっかりしていました。頭では理解していたつもりでしたが、とてもそうは思えないことを何度もやっているので」

 資質は明らかにあると言わざるを得ないのに……と、呟いたルイに首を傾げれば、こんな場所で立って話していても仕方がないからと、扉に触れていたままでいたわたしの手を覆うように、ルイは彼の手を被せてきた。

「とにかく貴女は先程言った通りに、集中していてください」
「……はい」
 
 ルイの言葉に従い、彼から再び扉へと注意を向ける。
 すると、やや間を置いて、突然、内側から全身ぐらぐらっと揺さぶられるような感覚が生じ、目眩を起こしたように足元がよろけた。
 いつの間にかわたしの腰に片腕を回していたルイに支えられて、ふらつくまでにも至らなかったけれど、さっきのは一体と思ってすぐ、扉の紋様に赤い光が走っているのに気が付く。
 ルイがなにか口の中で呟いたのが聞こえ、赤い光は青白い光に変化して消えた。

「終わり?」
「ええ。貴女については少々魔術を書き換えました。入りたい時は扉に触れて名乗ってください。施した魔術が貴女の魔力を吸い出し、判別しますので」

 私室に入り、大きな作業台の片隅にわたしの作業する場所を指示して椅子に掛けさせ、ルイは作業台の丁度わたしの対角に位置する椅子に腰を下ろす。資料の本を手にしながら、適性がない私は識別のための魔力の登録が、通常の方法で出来ないと言った。
 “扉”は、偶々、わたし一人の移動は有り得ず、登録の必要がなかったけれどと。

「どういうこと?」
「魔力は誰もが持っていることは知っていますね」
「ええ」

 魔力は誰もが持っている。
 その元は、生命活動を行う力であるから。
 根を詰めて考え事をしたり運動したりすれば、心身が疲れるのと本質的には同じもの。

「魔術の適性というのは、自分で自分の魔力を魔力として動かせるかです。魔力を登録したくても動かせないのですから」
「登録できない」
「そうです。王宮の検査で球形の道具を渡されて集中するよう言われたでしょう? あれと似たようなものです。適性があれば、動かせる魔力がわずかでも反応して光ったはず」
「まったく無反応でした」
「でしょうね。三割程の人は適性がないと聞きますから、それ自体珍しいわけではないですが」 

 魔術を行うには、自分の魔力を魔力として動かせることが大前提。
 加えて資質と概念の理解が必要。資質というのは、魔力の量やその質もだけれど、行いたい魔術にうまく魔力を乗せられるか操作の巧拙も含めてで、訓練次第な部分でもある。
 
「“加護の術”を維持し続けたことといい、私の魔力や魔術への親和性といい、どう考えても資質はありますからね。しかも魔術の概念に通じる農夫の知恵も」
「はあ」
「扉に施した鍵が無反応なのを、実際に目にすると正直……」
「……ですから、人をなにかの実験対象か素材のように見るの止めてくださいっ」
「仕方ないでしょう。適性はないのに、まるで魔術院の講師でも介して魔力操作の訓練はしているようなことを何度も見せられては……」
「知りません、そんなこと」

 ため息を吐いて、ルイから渡された資料の一覧を記した書面へと目を落とす。
 記載されている内容と、作業台や床も使って、確認済みとそうでないものとが分けて置かれているらしい資料を見て、あれっとわたしは首を傾げた。
 
「どうしました?」
「いえ……」
 
 丸三日やっていたにしては、あまり捗っていないような……と、出かかった言葉を飲み込む。
 たしかに量は多いけれど、整理して運び入れた形で見ると想像していたより少ない。
 本か書類かそれ以外の形状のものか、どんな資料か、ざっと見て記録していくだけならと思ったけれど、魔術の資料だから解読自体が難しいのかもしれない――と、考え直す。
 その考えが間違っていたことは、取り掛かってすぐにわかった。
 
「……ルイ」
「はい?」
「読み耽っているばかりでは、わたしはなんの手伝いも出来ませんけど? それから、この積んである資料の並びには意味があるの?」
「大まかな内容でざっと分けています」

 聞いて頭を抱えたくなった。
 だったらその分類と資料の形状を書いて、本の書名なり、書類の最初の一文なりを記していけばいいだけじゃないの。
 考えてみれば、この人、ロタールで一番上にいる人だ。手紙は書いても、事務的な書類なんてほぼ書かない。書く必要もない。むしろただ受け取って読む側。
 資料が魔術に関係するものだから、本人あまり気にしていないけれど、これがただの王宮の資料かなにかなら、絶対に王宮の文官かフェリシアンに全部任せているはずだ。

「ルイ」
「……なんです」

 もう資料に目を戻して、わたしの呼びかけにおざなりな調子で返事をするルイに、掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がった。
 
「今日の内に終わらせたいのですよね?」
「……ええまあ……出来れば」
「資料を運び入れてから、きちんと寝ていませんよね? 少なくとも就寝の時間に横になってはいないですよね?」
「……多少遅れがちなだけですよ」

 その、多少の範囲はかなり広いのでしょうとも。

「わかった、もう全部わかりました!」
「っ、なんですか急に。マリーベル?」
「閉門の鐘までに終わらせます!」

 そしてまともな時間にルイを休ませる。
 主寝室の寝台に、きちんと。
 もちろん食堂で夕食も取らせて。

「……なにを言い出すかと思えば。そんなこと」
  
 声を上げて宣言したわたしを一瞬呆気に取られたようにルイは見つめ、すぐさままともに取り合う時間が惜しいというように資料に戻る。

「出来ますから!」 

 もう一段、声を張り上げたわたしに流石になにか感じたのだろう。
 怪訝そうにルイは、わたしのことをこの私室に入ってはじめてまともに見た。
 
「あなたが、わたしの言う通りに動いてくださればっ!!」

 その後。
 ルイが資料を読み耽らないよう、声を掛け続けながらひたすらわたしはペンを動かし続けて。
 宣言通りに、わたしはわたしの作業を遂行した。
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