上 下
106 / 180
第三部 王都の社交

106.収穫祭の唄

しおりを挟む
 司祭長様が、ルイのお父様であるアントワーヌ様から託された、アントワーヌ様の手跡で一つの詩篇が書かれた紙を受け取って、ルイは困惑していた。
 それはたぶん。
 司祭長様がルイに話した“最後に戦地に出向かれる際に託された”といった言葉と、司祭長様がルイが頼ることがあれば渡して欲しいとアントワーヌ様から頼まれていたからだと思う。

 やはりここには、ルイのお父様の隠し部屋があるのだろう。
 どう考えても、隠し部屋の魔術にいずれ綻びが出ると見越してのアントワーヌ様から司祭長様への頼み事だもの。
 でも、なんだかそれって……。
 まるで、戦地から戻れないとわかっていたみたい……? 

「あの、どんな詩ですか?」

 なにか複雑な思いをアントワーヌ様に対して抱えているようなルイを前に、不確実なことは簡単に口にできない。
 わたしはひとまず古語で記されている詩の内容へと意識を向けた。
 ルイなら読めるはずだ。

「ん? 知りたいですか。聖典の文句にまでは詳しくないため、多少選ぶ言葉が違っているかもしれませんが――そこに満ちる、ああ幸いかな……」 
 
 あれ?
 なにか、聞き覚えがあるような……?

「清らな水は……」
「……水は巡り、いのちを与え……?」
「マリーべル様?」

 ルイの言葉を追うように思い浮かんだその続きを口にすれば、彼も司祭長様も驚いた表情をわたしに向けたのに、反対にこちらが驚いてしまった。

 二人とも、どうしてそんなびっくりしているの?
 ごく身近な、ありふれた詩……というか唄なのに。
 
「マリーベル、どうして」
「え? だって収穫祭で歌う唄みたいでしたから」
「収穫祭の、唄……?」
「マリーベル様、収穫祭の儀式に歌唱はありません」
「司祭長様、儀式ではなく。んー、どうしてお二人共……って、ああ!」
「……マリーベル?」
 
 そうか!  
 そうね、ルイは貴族だもの。
 身分のない聖職者とはいえ、王家の儀式を執り行う司祭長様も、たぶん。
 聖堂の祝いの儀式には出ても、町や村でご馳走やお酒を大いに楽しみ、輪になって踊り、組み上げた枝や藁に火を灯し、祈りの唄を捧げるような。
 平民のお祭りとは縁がない。
 
「聖堂で祝いの儀式の後、平民のお祭りで皆で歌う唄です。ええと、このような」

 収穫祭かあ……懐かしい。
 王都も下町ではお祭りをやっているけれど、王宮でお勤めでは行けなかったものね。そんなことを思いながら、わたしはルイと司祭長様に収穫祭の祈りの唄を歌って聞かせる。


『そこに満ちる    ああ、幸いかな
 清らな水は巡り   いのちを与え
 光は照り輝き    その葉はそだつ

 そこに満ちる    ああ、幸いかな
 み恵みは望むまま  豊かに実り
 すべては地に守られ 麦の穂は教えるよ

 祝福の日      忘ることなかれ
 われらは祈る――』


 賑やかな祭りの中でなく、音や声が反響する大聖堂で歌うと少し雰囲気が違って聞こえて、なんだか面映く感じるけれど。
 そういえば、お祭りには行ってないけれど王宮の裏庭でも歌ったことがある。 
 新入り虐めにあっていた下働きの子に声をかけた時。
 地方から王都に出てきた子で季節が秋も深まった頃で、故郷の収穫祭の話になって、一緒に。

「この唄でしょ?」
「成程。四季の女神と仕える四大精霊を讃え、豊穣に感謝を捧げ祈る唄ですか……」

 平民だった頃は、神様や精霊の話はなんとなくしか知らなかった。
 収穫祭で歌う唄もただそういった唄だったけれど、貴族の教養として一通り勉強した後で歌詞について考えれば、たしかにルイの言う通りだ。

「詩篇に限らず、聖典の句のいくつかは広く親しまれる歌や物語になってはいますが、お祭りの唄としてマリーベル様が覚えていらっしゃるとは」
「元田舎の平民領主の娘ですから……いまはそうでなくなってしまいましたけれど」

 ユニ領はいまや中領地規模の子爵領になってしまったものと、頬に手を当てて言えば、くすりと司祭長様は笑んだ。

「それにしても貴女の歌声は愛らしいですねえ。このような歌が聞けるのなら混雑した祭りに出向くのも悪くない」
「公爵がお忍びで平民の祭りになんて皆の迷惑です。お世辞はいいですから」
「お世辞では……ん? 申し訳ありませんが、マリーベル」
「はい」
「もう一度、後ろ半分を歌ってもらえませんか?」
「え?」

 紙に書かれた詩に目を落としたまま、“その葉は育つ”のあとからと指示したルイに、本当に後ろ半分ねと思いながら、言われた通りに繰り返す。

「どうやら貴女の歌った唄の歌詞とここに書かれている詩は、少し異なるもののようです」
「え? でも……」
 
 わたしの知っている収穫祭の唄は、いま歌った通りだ。
 王宮の下女の子も同じように歌っていたから、地域で違うこともないと思うけれど。

「収穫祭の唄は、どこでも一緒だと思います。古い時代は違っていたのかしら?」
「それは考えられます。聖典の祈り文句が、聖職者や吟遊詩人によって平民に親しみ易い言葉に置き換えられ、広められるのはままあることです」

 わたしとルイのやりとりを聞いていた司祭長様の言葉に、なるほどと思う。
 聖典のしかつめらしい言葉は、平民には馴染みくいものかもしれない。
 
「どこがどう違うの?」
「例えば、貴女は“豊かに実り”と歌っていましたが、こちらでは“種は実れり”と。その後も異なります。最初から読み上げましょうか――“そこに満ちる……”」

 ルイが詩を読み上げ始める。
 うーん、流石、言葉はすべてを定義するものな魔術師。
 言葉が美しい像を結び、目の前に現れるような朗読で。

 
『そこに満ちる    ああ、幸いかな
 清らな水は巡り   いのちを与え
 光は照り輝き    その葉はそだつ

 そこに満ちる    ああ、幸いかな
 み恵みは望むまま  種は
 すべては地に守られ 

     
 われらは――』


 よく通る、低く滑らかなどこかしっとりと艶のある美声が吟じる詩は、収穫祭の唄と後ろ半分が違っているどころではなく、わたしの歌とはまるで別物。
 ルイの美貌と魔術師のローブ姿もあって、なにか厳かな儀式か魔術の言葉に聞こえる。場所が大聖堂の主祭壇だけに、詩に込められた四季の女神と精霊が降臨しそうだ。

 もしもいまこの場にカトリーヌ様やイザベル様といった、ルイを恋愛物語に出てくる公爵と重ねて楽しんでいる方々がいらしたら、興奮して大変なことになりそう。
 なにしろ王宮茶会の演奏でも……暑さもあってのことと思うけれど、王様とルイの組み合わせに気持ちが昂り過ぎて、目眩で倒れたご令嬢やご婦人がいたらしいもの。
 王様は齢五十を迎えても雄々しい美丈夫だし、ルイは国を滅ぼしそうな美中年だし。そのお二人が、正装でうっとりするような演奏をご一緒に披露すれば、まあ。
 わからないでもないのだけれど。
 王妃様も苦笑していたし。

 それはさておき。
 たしかに。
 後ろ半分が、ほぼ違っている。

「聖典にあるということは、かなり古い詩のはず」
「蔓バラがどうしたら麦の穂になっちゃうの?」
「私に聞かれても……」
「いくら親しみ易い言葉にといっても……元のそれ、なんだか収穫祭の雰囲気じゃ」
「収穫というより……父は、何故この詩篇を?」
「さて。貴方ならわかるはずと。ああ、そういえば」

 アントワーヌ様に、司祭長様もルイと同じように尋ねたらしい。
 この詩篇を渡せばわかるはずとはどういったことか、と。
 
「“単なるなぞなぞ”、とアントワーヌ殿は笑って」
「は?」
「まるで悪戯を仕掛けた後の少年のような顔をなさって。貴方を前にしてですが、あの方は少々人の悪いところがありましたから」

 親子だ。
 ルイの性格の悪さって、幼少期のあれこれでと思っていたけれど、魔術研究馬鹿なところといい半分くらいはお父様から引き継いだ気質なのじゃないかしら。

「あの男……」
「なんだかお茶目な方ですね?」
「どこがです! 冗談じゃない……大体、屋敷のあの部屋で見つけた手稿の隠し箱も魔力に反応する妙な仕掛けになっていて。今度は大聖堂と聖典を使っての謎かけ? 死してなお試しているのですよ、私を」

 ルイの話だと、なんだか厳格で偉大な父、君主たる当主様だけれど。
 その隠し部屋にあった箱の話といい、司祭長様にこの詩篇を託した時の話といい。
 やっぱり、結構お茶目な人なのでは?
 
「フォート家の当主として、まるで亡霊のごとく――」
「……ルイ?」
「とにかく、あの男……父がそのつもりだったのならば、解きましょう。少なくともこの詩篇になぞらえなにかをし、またこの詩篇もなにか意味を持つのでしょう」
「むきになってない?」
「まさか。司祭長、あらためて話をする機会をいただけますか」
「わかりました。後ほど使いを目立たぬよう公爵邸へやりましょう」
「結構」

 詩篇の記された紙を司祭長様から貰い受け、面会の申し込みをして、ルイとわたしは大聖堂を後にした。
 馬車の中で、ずっとルイは無言でいた。
 ローブのポケットに収めた紙のことを考えているのは、尋ねなくてもわかる。

「……祝福回避に関わる大聖堂についてと思っていたが」
「え?」

 フォート家の邸宅の建物が馬車の窓から見えた頃に、ぼそりと呟いたルイについ反応したら、なんでもありませんとかぶりを振って、彼は停まった馬車から降りるべくわたしに手を差し出した。

 夕食前に、司祭長様のお使いと下働きの少年が邸宅を訪ねてきた。
 四日後の午後の打診に、その場でルイは承諾の返事を書いたメモと使者の少年へ駄賃を渡すようシモンに指示をして、心ここに在らずな様子で夕食だけはかろうじてわたしと一緒に取った。
 そうなるだろうなと思った通りに、その後、司祭長様とお会いする日まで、ルイは彼の私室に篭りきりになった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

処理中です...