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挿話

97.5. ヴェルレーヌの特別授業・後編

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 音楽室に、クラヴィサンの音色が緩やかに淀みなく流れている。
 格調高い響きと音色。
 同じ楽器でどうしてこうも違ってくるのかしらと思う。
 弾いているのは、勿論、わたしではなくヴェルレーヌ。
 黒檀の鍵盤の上を、雪花石膏の指が滑るように動いている。

 わたしは彼女がこうして楽器を弾いたり、わたしが彼女から与えられた課題に取り組む傍らで刺繍仕事などしている姿が好きで、うっとりするような美しさ。
 本当に、こんなに教養高い美女なのに表に出られない、たとえ表に出られたとしても昼間に外を出歩けない体質であるのがもったいない。
 
 まあ。
 本人は、いまの境遇をこれ以上ない最高の環境だなんていうけれど。
 それも、こちらを気遣ってといったこともなさそうな様子で。
 
 などと。
 美と音楽の女神がいるのなら、その加護を受けているのではないかしらといったヴェルレーヌの姿を横目に考えながら、ゆっくりと左右の腕を動かしていたら、彼女の注意の声が飛んできた。

「膝が疎かになっておりますよ、マリーベル様」
「えっ!?」
「爪先は床を滑るが如く優雅に、柔らかな膝と踵の上げ下ろしを意識してくださいませ」
「はいっ」

 いまは舞踏ダンスの時間。
 優雅に優雅に、柔らかく――と、ヴェルレーヌの注意を受けて、赤と褐色の床材で真四角の入れ子の箱のような模様を連ねる、音楽室の床を広く空けた場所で、曲の拍子に合わせてじぐざぐの線を描くように運ぶ足に気を取られていたら……。

「指先への注意も怠りませんよう」
「っ、はいっっ!!」

 う~、体を動かすのは苦手ではないはずなのにっ。

 常に足先でちょこちょこと動きながら、優雅にゆるやかに床を滑るように見せなければいけないのが、なかなか難しい。
 おまけに音楽が鳴っている間中、休みなしな動きは結構きつい。
 公爵夫人である以上、夜会のダンスは避けられない。

「……貴族のお嬢様が体力ないって、嘘よ」 
「お顔が引き攣っております」

 澄まし顔で曲を弾きながらの、容赦ないヴェルレーヌの注意に、若干情けない声で返事する。

 弾きながらどうしてそこまで、細かく人の動きを観察できるの!?

「お稽古、あまりされておりませんでしたね……マリーベル様」

 鍵盤に向かって低く呟くようなヴェルレーヌの言葉に、忙しくてと、言い訳にもならない言い訳をつい口にしてしまう。
 正直、クラヴィサンを続けるのが精一杯で。
 というか、ルイがいるとそういった日課の時間があまり取れない……などというのは、さらに最悪の言い訳だった。
 わたしが彼に翻弄されてしまっているだけと、告白してしまうようなものである。

「基本が弱くては、格好をつけようにもどうにもなりません」
「うっ、ええと……」
「セギュール侯爵夫人といえば、お若い頃はダンスの名手で、踊る姿で魅了した数多の殿方の中、最もご自分に傅いた侯爵を生涯の下僕……いえ、伴侶に選ばれたと。まさに女王に相応しい逸話をお持ちの方でしたかと。その夜会など推して知るべし……」

 うっすらと淑女の微笑みを浮かべたまま、淡々と話し、歯車仕掛けの自動人形の如き正確さで音楽を奏で続けるヴェルレーヌが、怖い。

「仮面をおつけになる趣向とのことですから、序列もなにもなく踊りたい方だけ楽しめばいいですけれど」
「……え、本当?」
「公爵様にエスコートされてきて、壁の花に徹するおつもりですか? それとも話術でご参加の方々を惹きけられます? 男爵令嬢如きで勿論招かれたことはございませんが、上級者・・・のお集まりなはずです」

 “上級者”が、具体的になにを指すのかはわからないけれど、名品珍品から財政が困った時の宝石処分や資金の融通まで、上位貴族達の裏のお抱えだったらしい元リモンヌ家の令嬢だったヴェルレーヌがそう言うのだから間違いない。
 先日、邸宅にいらしたカトリーヌ様から、例の王立劇場の亡霊がヴェルレーヌに似ていると心臓の悪い噂話になった時に、かつて豪商と呼ばれたリモンヌ家のことをちらりと聞いている。
 男爵家としては断絶しても、リモンヌ家の商い自体は外戚方々が引き継いでいるらしい。
 ただの商会に成り下がってまるでだめねと、心底つまらなそうに仰っていた。

 ただの商会……って、どういうことなのかは怖くて聞けなかった。
 カトリーヌ様は、貴族社会の醜聞や争いごとに目を輝かせるような少々物騒なところがおありなようなので。
 そういえば親友である、王妃様もにこにこしながら結構辛辣なこと仰る時があるし……いまお付き合いするのが、お若い頃のお二人でなくてよかったのかもしれない。

「そういえば……ルイも出席の返事を出してから詳細を確認して、できれば顔を出すだけにしたいとか言っていたわ」
「公式な夜会と違って、殿方と腕を組んでくるくると気儘に楽しく踊れる場でもありますから。ですからきっと、公爵様がうまくやってくださ……」
「なんですって!?」

 それは大変!
 公式な夜会では向かいあっても、せいぜい少し踊る相手に手を取られて回ったりするくらいだからなんとかなってきたけれど。
 ルイに誤魔化してもらってなんとか踊れている、と彼もいる場で揶揄されるなんてことになったら、たしかにヴェルレーヌの言う通りに格好がつかない。

「始まりの夜会はなんとかできました! やってやれないことはありません!」

 いくら仮面をつけて表向き誰と言わないお約束でも、絶対誰かわかっているというものだし。
 大体、そんな夜会なら、ルイだってわたし以外の人と踊らざるを得なくなるだろう。
 公爵夫人として、いいえっ、妻として!
 
「他の方とのが断然よろしいわね、なんて言わせてなるものですか!」
「ええ、その通りでございますね」
 
 わたしに顔を向けたヴェルレーヌがにっこりと笑みを深め、それからわたしは気合いを入れ直して三曲立て続けに踊り、ようやく毎日練習していた頃の勘を取り戻した。

 器楽も舞踊も継続が大事。
 なんとかなったからといっても、所詮は付け焼き刃。
 さぼっていてはやはり駄目なのだ。

「……本当に、仕込み甲斐がございます」
「え? なにか言いました、ヴェルレーヌ?」
「いいえ。とても自然な動きになりました。大変結構です」

 ようやく及第点をもらった頃には、たぶん十曲は踊っていた。
 肩で息をしながら、カトリーヌ様の夜会まで、ルイに頼んで腕を組んで踊るダンスも形にしようと心に決める。 
 
「さて、補講も今宵で二夜目となりましたが、マリーベル様」

 器楽の時間、いつもルイが座っていた窓辺の長椅子ソファに腰掛け、用意されていた果実水を飲みながら休憩するわたしに、クラヴィサンの蓋を閉めて椅子から降り、しずしずとやってきてわたしの前に恭しい仕草を見せて控え、おもむろにそう尋ねてきたヴェルレーヌに彼女を見る。

「苦手とされる器楽やダンス以外に、わたくしを必要をされていらしたのではないですか?」

 なにも王宮主催のお茶会のためばかりでは、ありませんよね?
 考えの読み取れない淑女の微笑みだけれど、だから却ってそう問いかけられたように思える。
 
 怒ったルイの追及をのらりくらりとやり過ごし、軽く言い負かしもしてしまうくらい抜け目のないヴェルレーヌのことだから、いまを狙って・・・・・・わたしがこうしてお願いした、奥方教育に含まれることにも気がついてくれると思っていた。

「それに王都に出られる前は、本当にずっと張り付かれていましたもの」

 誰が、なにが、はなくルイのことだ。
 ヴェルレーヌの講義を受けている間、ずっとルイが近くにいた。
 わたしの理解が追いつかない時や、上手く出来ない時にそっと助けてもくれるのだけれど、きっとそのためだけじゃない。
  
「わたくしが余計なことを教えてはと考えていたのでしょうけれど。信用がないものです」
「心配性なだけで、そこまでではないと思いますよ」
「元王妃の侍女である時点で、中枢を気にするなと仰っても手遅れなのは公爵様もおわかりでしょうに、愛が重いですわね」
「中途半端に知らないことが多くて困ります。そのうち獣の尾を踏むようなことをしてしまいそうで……」

 最近では、ルイは聞けば話してはくれるけれど、私が預かり知らないことは尋ねようがない。 
 それに話してくれることは彼側のことで、軍部も魔術院も色々あったなどといった言葉で彼等側にとってルイがどういった存在なのかについては、折り合いが悪いということだけではぐらかされてしまう。

 それさえわかっていれば十分。
 あとは知る必要はないことと言わんばかりに。

 とはいえ、いまさら無邪気に人に聞くことは出来ない。
 ヴェルレーヌにさっき言った通り、思わぬ獣の尻尾を踏んでしまっても困るからだ。

「なんだか矛盾していると思うの」
「矛盾ですか?」
「各所と色々あったのは知っています。王国の脅威と見做されていることも。けれど王国随一の魔術師で公爵としても、本人が疎遠にしているというだけで別に貴族社会から爪弾きにされているわけではないのに……」
「あまりに人が寄ってこない」
「ええ。これでも覚悟はしていたのです。ルイは無理でも元平民で女性のわたしなら御し易い、そう考えて、取り入ろうとしてくる人がきっと頻繁に現れるだろうって」
「まあそれは、そんなことがあれば即座に……」
「即座に、なに?」
「わたくしもその辺りはあまりよく知りませんから、なにせ引き篭っておりますので」

 長椅子に座っているわたしに合わせて屈めていた身を伸ばし、真っ直ぐに立つとにっこりとヴェルレーヌは笑みを浮かべた。

「あの……なにか知っているのなら」
「いいえ、そちらについてわたくしはなにも存じあげません」

 きっぱり、はっきり、断固とした口調でそう言い切ったヴェルレーヌに多少気圧される形で、そう……、と返事をする。

「ですが、そうですね……王宮、軍部、魔術院、法科院との関わりでしたら……」
「そこっ、詳しくっ!!」
「言葉遣いが乱れております」

 淑女たる者、そう簡単に感情を乱してはなりませんと、もう何十回と聞いた注意にあっと口を手で塞げば、くすりとヴェルレーヌは苦笑してですがと言い添えた。

「完璧な淑女でなくても、マリーベル様は最高ですもの」
「ヴェルレーヌ?」
「そもそも、元小国王家なフォート家の公爵夫人ですから」
「はあ……」


*****


「王宮……王国王家とフォート家は正直、微妙な間柄です。正式にはロタール公爵であるのに、ほとんどどなたもそうは仰らないのがその現れですわね」
「ロタールって、王国建国時に、王家に一旦明け渡したはずの小国の名が堂々と残っては、君臨する側には都合が悪くて与えられた領地名なのですよね」
「ええ、仰る通り。そう伝えられています」

 けれど、フォート家は現存する三つの元小国王家の中で直系が唯一続いていることでの公爵家。その上、伝説の偉大なるヴァンサン王の子孫と見做される魔術の祖の家系で、正式に王国王家に家臣としては仕えることはしていない。
 王国王家側から見たら、全然、与していないのだ。
 かといって敵対するわけでもなく、歴史の中で一度もう一つの王家として持ち上げられかけた際にあらゆる貴族の家との関係を断ち、中立というより孤高の立場を取って、公にはむしろ王国王家に一歩下がる姿勢を見せている。

「なんだか……扱いに困りますね」

 王家というより、周囲が。

「正式な場や挨拶以外でロタール公と呼ぶのは、慣例的によろしくないといった暗黙の了解みたいなものになっています」

 つまり、ロタール公は事実としてはそうだけど、呼び方としては元小国王家のフォート家に対して不敬ってことだ。

「ですが、それでは王国王家を尊重していないことになってしまうのでは?」
「ええですから。なんとなく昔から慣例的に魔術師様とか公爵様とか曖昧なことに、そこから閣下とか。奥方は、“公爵のフォート家の夫人”という意味でフォート公爵夫人と」
「あまり気に留めていませんでしたけれど。なんて面倒くさい!」
「基本的には、“深く考えてはいけないこと”となっています。王国の脅威と公爵様を目の仇にするのは王党派とされる方々で、まあ平たく言えば主に王宮の上層の方々です」

 けれど、実際彼等が敬っているのは、王家ではなく王家から与えられている上位の貴族としての特権。

「ようは特権あるなしに関わらず、元小国そのまま広大な領地を治め、それに付随する富を持ち、魔術の祖といった権威と伝説の王の子孫といった格を持つフォート家が妬ましくて仕方がない人達ですわね」
「……とってもわかりやすい説明です。ヴェルレーヌ」
「恐れ入ります」

 そして、軍部。
 こちらはそもそも、わたしが組織そのものがよくわかっていない。
 なんとなく各地の騎士団や宮廷魔術師を統括していて、王国の軍事を担っているといったことくらい。

「軍部は、王国の歴史のなかではまだ新しいですから」
「そうなの?」
「ええ、共和国との争いの中で成立していった組織らしいので。ほら、昔は戦といえば騎兵で貴族出の騎士が領民を率いてでしたけれど、いまはそんな優雅で小規模なことではありませんでしょう?」
「なるほど」

 昔は争いといえば、領地や地域単位。
 元々、王宮独自の護衛や衛兵に王家や各地の領主家に仕える騎士達、魔術師達、お金で戦を引き受ける傭兵など、彼等はばらばらに存在し組織されていた。 
 けれど国同士の争いとなれば、彼等の戦略的な運用が必要不可欠となってくる。
 やがて王家の者を長官に、軍事に長けた者を身分よりも実力で登用し国の軍事を担う部門が組織された。
 それが軍部で、その指揮命令下に騎士や魔術師は置かれることになった。

「そして魔術院ですが。こちらは主に王国の魔術の発展と運用を担っています。ところで、先の共和国との戦争前までは、宮廷魔術師の方々は軍部ではなく魔術院に属していて、いまほど厳しい規律に縛られてはなかったそうです」
「そうなの? いまは違いますよね」
「ええ。それが公爵様の、軍部と魔術院との確執そのものといっても過言ではありません」

 宮廷魔術師は中級魔術以上を操れる、王国の貴重人材であり高位の存在。
 人々の畏怖と尊敬を集め、その魔術が悪用されぬよう厳しい規律に縛られる。
 
「高度な魔術を使える魔術師は、その使い方次第で強力な兵器たりえるとご自身をもって証明し、管理されるべき者達としたのは公爵様ですから」

 あっ、と声が出そうになった。
 戦場でまだ少年だったルイがなにをしたのか、彼の話を思い出す。
 なるべく傷つけず、広く戦意喪失させて、争を早く終わらせることを考えた当時まだ子供だったルイは、敵味方区別なく炎に焼かれる幻影を見せた。

 それを見せられた者にとっては本当の現実そのもの・・・・・・・・・な――。

「元々、大量に必要な飲料水の供給や絶え間ない怪我人の手当、打撃や防御を後方から支援するために駆り出されるだけ、宮廷魔術師といっても戦闘には直接関係ない人達といった認識だったのです」

 考えてみれば、一般に知られている魔術は汎用魔術やそれより少し便利な程度の魔術だ。
 ルイと知り合う前のわたしがそうだった。
 東部ならバランの防御壁のようなものも入ってくるかもしれないけれど、戦闘には直接関係ない。それでも十分に戦場では価値がある。
 他国では普段の飲み水にだって苦労するところがある。
 弱い魔術でも日常生活においては十分な恩恵だと。
 ルイも、そう言っていた。

「……ルイの魔術の後遺症で多く将兵を失った軍部が、魔術師を危険視したのは当然ですね」
「公爵様の魔力や魔術は規格外ですから。程なくしていくら宮廷魔術師でも、そこまでの脅威にはなりえないと判断されたようですけれど」

 それでも、厳しい規律が課せられ軍部の管理下には置かれた。
 
「ですから、軍部や魔術院の上層にいらしている年配の方々が公爵様を警戒し、折り合いが悪いのは仕方がないことなのです」

 法科院は直接、ルイとなにがあったわけではなさそうだった。
 だから父様を専属法務顧問として雇い、ユニ領を実質的にフォート家に庇護下に置いた時に、苦言は呈したけれど、それ以上のことは言ってこなかったのねと思った。
 きっと、若い頃から隙が見せられず、人によっては若輩者の癖に尊大で公爵家の権威を振りかざすような態度にも見えただろうルイを苦々しく思う人がいる程度なのだろう。

 それにしても。
 ヴェルレーヌの話の通りなら、ルイと魔術院の折り合いの悪さはかなり根が深い。
 爵位継承のための特別課程や、一定の支持を集めていたらしいジョフロワの生家であるもう一つの魔術の家系、ルーテル家が潰れた遠因であることを下敷きに、戦争後の宮廷魔術師の処遇で決定的になったといえる。

 軍部だって、一部の人から見ればルイは敵も同然だ。
 
 そしてそんな組織を牛耳っている人々の大半は貴族なのだ。
 ルイがこれまでなるべく領地に引きこもって、社交も必要最低限、主に王や王家の要請でしか動かなかったのも無理もない。
 それでなくても広大なロタール領を有する元小国王家なフォート家の利権は大きく、そしてルイがいなくなればフォート家は滅びるから、彼の死を願う者も少なからずいるのだし。

「とても役に立つ特別授業です」
「ほとんどがお祖父様から聞いた話です。現在の王宮周りと合っているかはわかりません。いまの国王陛下が王位についてから、色々なことが変わったようですから」
「それでも、背景を知ることが出来てよかったです」
「マリーベル様やわたくしが生まれる前のことですから、ご令嬢の方々やご夫人達も詳しいことは知らない方が多いと思います。女性に限らずでしょうけれど、上位の方々とそのような確執があれば、なにも知らずとも下位の者達はその空気を読んで対応するものですから」

 だから、ルイが貴族社会であんな奇妙な感じに遠巻きに、政略相手としては魅力的だからあわよくばだけれど娘や夫人を近づけても、それ以外のところでは大ぴらに踏み込んではこないのだわ。
 ルイに友好的なのが、王様やお義父様とうさま、法務大臣様のような方々に限定されているのも納得だ。

 ルイは、味方が少な過ぎる。
 
「ヴェルレーヌのおかげで、わたくし、公爵夫人としての身の振り方が掴めた気がします」
「……はい?」

 ルイと仲良くとまではいかなくてもちょっとは彼を好意的に見る人を増やしてもいい、増やすべきだわ。
 だって、ルイ自身、王国の脅威になるつもりはまったくないのだし。
 
「とりあえず、王宮のお茶会での社交をがんばります!」
「あの……マリーベル様……?」
「ヴェルレーヌ、わたくし二日後の休息の鐘の頃までこちらにおります。お作法などもお願いしますねっ」
「え、ええ……はい、かしこまりました」
「貴女がいてくれて本当によかった。感謝します」

 これは、絶対に、ルイからは聞き出せなかった話だもの。
 ヴェルレーヌの手をとってぶんぶんと上下に振る勢いで感謝の意を伝える。

 それからわたしは、ルイの味方になってくれそうな人をどう増やそうかしらと、漠然とした考えを頭の中で漂わせながら、器楽と舞踊と立居振る舞いの作法の復習をして、フェリシアンを通して父様とユニ領の様子を聞いて、次の日を過ごした。

 父様はどうやら法科院の施設に部屋を持ったらしく、そこから王宮に通っているようだ。
 ルイは相変わらず王宮詰めのようで、邸宅に戻っていないらしい。
 それは、なんとなくそうだろうなと思っていた。
 司祭長様とのお約束があるから、明日、午前のうちには邸宅に戻らないといけないわと思いながら屋敷での日課を終えて、眠りにつく。
 
 ――ふと。
 気配を感じて、目を覚ました。
 身動ぎして、薄目に開いた瞼の隙間にほんのりと朧な明るさを感じる。
 夜が白み始め、とはいえまだ部屋は薄暗く夜明けには少し早い時間のようだった。

「起こしてしまいましたか?」

 夢現でぼんやり横臥でいるわたしの、頬にそっと指で触れて囁く声に、そうかもと寝起きたばかりのぼやけた声音で応じる。

言伝ことづて通りに迎えに来ました」

 柔らかな声音のする方向へと腕を突き出せば、まるでここに引っ掛けろとでもいうように寝台の中へ背を屈めてきたその肩へ触れれば、背中から引き上げるように起こされる。

「……寝惚けていますね?」
「どうして?」
「あまりない反応なので」

 若干戸惑っているような声音が、なんとなく面白くない。
 けれど寝台に腰を下ろして、わたしを引き寄せる腕の中でまあいいかと思う。
 どうやら夜遅くに王宮から戻って、湯を使って着替えてきたらしい。
 薄闇に濃い影法師のような宮廷用ローブの、さらさらした絹地に頬を預け、絹と馴染みきらない微かな香りを感じる。
 
「寝ずに来たの?」
「もういい加減、ロベール王と王宮から解放されたかったので」

 七日も、あの五十越して中身少年と変わらない男に付き合うなど、ユニ家に関わることでなければ有り得ない……と、ぶつぶつぼやいたルイに、相当大変だったのねと少し申し訳なくなって彼を見上げる。

「中身少年って……」
「王ですからね。手加減なしの真剣勝負が出来る者が少なく、滅多なことでは日頃の重圧を発散出来ないのはわかりますが……」

 王宮で色々動いているのかと思ったら、大半、王様の相手をして振り回されていたようだ。
 そういえば。
 王妃様も以前、札遊びに夜遅くまで付き合わされて困ると零していたことがある。
 納得するまで勝負しないと終わらないらしく、しかも負けず嫌いで圧勝するまで続けようとするし、面倒がってわざと負けると拗ねるらしい。
 
「もしかして札遊び?」
「それもですが、盤上で駒を動かすものも。遠乗りしてここなら平気だと剣を構えて魔術有りで来いだとか、果ては器楽まで……」

 魔術有りって。
 王様、魔術は使えないはずだけど。

 とにかく、七日、あれこれと娯楽の相手をさせられていたようだ。
 思い出しては苛立つのか、その度にわたしをぎゅうぎゅうと抱き締めてくるのは、ちょっと勘弁してほしい。

「とりたいだけの言質はとったので早々に退散し、流石に疲れたので湯を使って着替えてから来ました」
「明日の朝でもよかったのに」
「とにかく王都から少しでも離れて、貴女を抱きしめたかったので」
「そ、そう……」

 ルイはロベール王の命には逆らえない。
 これは、相当、大変だったようだ。
 根回しというよりは、接待に近いような?
 
「でもそれだと」
「ロベール王さえそのつもりになってくれれば、あとはなんとでも周りがしてくれますよ。王ですから」
「そんな大雑把な」
「大事なのは、そうあるべきだと理由づけることなのですから。この国で最も偉い人がそれをやってくれるなら任せましょう。下手に私が出ても面倒になるだけです」

 さらっと口にしたルイの言葉だったけれど、わたしはもうそれが単に彼が言うところの色々あって嫌われているではないことを知っている。
 ルイはどこか、自分は恨まれても仕方のない存在とでも無意識に考えている節がある。
 それが彼が幼ない頃の家族や、もうこの屋敷からはいなくなっている大勢いたという使用人達から遠巻きに扱われたことに起因するのは知っている。
 そしてそれを補強するような出来事が、成長した彼の身に降りかかったことも。
 魔術院や戦争、そしてその後――。

「眠りますか?」

 わたしがルイの腕の中で黙ってじっとしていたからだろう。
 そう尋ねてきて、まるでそうさせる気がなさそうな口付けが降ってくる。
 受け止めた唇が熱い。
 彼の両頬を手で挟むように触れる。

「マリーベル?」
「……迎えに来てくれたの、うれしい」

 きっとルイはわたしがなんのために屋敷に戻ったかわかってる。
 だって流石に黙って邸宅を留守にして、こそこヴェルレーヌに聞くのは気が引けたから、テレーズに王宮へお使いを頼んだのだもの。
 奥方教育の間に、ずっと張り付いていたルイがそこへ気が回らないわけがない。

「ちょっと怒るかしらと思っていたから」
「私が、なにに怒ると?」

 あ、やっぱりちょっと怒ってるかも。
 青みが深まった灰色の眼差しがすっと細まったのに、藪を突いてしまったような自分の言葉に少しばかり後悔する。

「んー……、勝手に屋敷に帰っちゃったから?」
「貴女の家です、勝手もなにも……」

 たまにルイがわたしにそうするのを真似て塞いでみる、すぐに主導権は奪われた。
 そのまま深く深く溶け合って眠り、予定より少し遅れてルイと邸宅に戻ったわたしは、ルイが昼寝をしている間に王宮へ行って司祭長様から飾り紐を受け取った。

 明日は、王宮のお茶会。
 わたしのお友達を増やし、少しずつでもルイの味方も増やす。
 がんばろう。

 うんうんと、ルイに編んだ飾り紐の入った木箱を眺めながら頷いて、それをそっとわたしの部屋の机の引き出しにしまって、よしっとわたしは気合いを入れた。
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