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第三部 王都の社交

75.王都の邸宅

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「いらっしゃいませ~……って、あらやだ、お帰りなさいませになるのかしら? でも、あたしは使用人じゃないし。ま、いいわ。このナタン、ご到着をいまかいまかとお待ち申し上げておりました。ささっ、すでに準備万端整えてございます。早速、参りましょう!」

 え、いや、あの、一体なにっ!?
 なんなのっ!

「仕立屋……我々はたったいま、東部の辺境から遥々この王都の邸宅に到着したところなのですが?」

 怒って咎める気力も出ないといった様子で、ルイが額を押さえてため息を吐いたのに同意を示すように、背を押しているナタンさんにわたしはこくこくと頷いて見せる。
 邸宅に入ったすぐさまわたし達を出迎えた、荘厳かつがらんとした空間に一人立つ、中性的な細身の男性の賑々しさと以前と明らかに異なる邸宅の様子についていけない。

 そう、ここは王都がフォート家邸宅の玄関ホール。
 ルイが王宮でわたしに求婚し、王都にしばらく滞在することになるまで、必要最低限の手入れだけ人に任せて長らく放置されたままでいたはずのお屋敷の玄関ホールは、以前わたしが父様と滞在した時と比べようもなく整えられていた。

 明かり取りの窓から入る、昼を過ぎたばかりの光に明るい吹き抜けの玄関ホールは、床に敷かれた絨毯は色鮮やかに、花瓶や水盤には溢れんばかりの香りの良い花々が生けられ、壁に嵌め込まれているレリーフも、掛けられいる絵画や置いてある調度も、要所に施されている装飾の金彩も、埃や曇りを払われて華やかかつ優雅にまばゆく煌めいているような錯覚すら起きる。

 そして何故かそんな玄関ホールの中心に立って、到着したわたし達を出迎えたのは王宮御用達一流服飾職人のナタンさんで。
 挨拶もそこそこに呆気に取られていたわたしの背に素早く回って手で押しながら、応接間がある方へと促している現在に至る。
   
「あら、ルイ様ともあろう方が、大事な奥方様が疲れ果る旅をなさるなど有り得ませんでしょう。それにこの奥方様は、そこいらのひ弱なご夫人方とは鍛え方が違いますもの」

 若干、野太い裏声を玄関ホールに響かせるナタンさんに思わず、ははっと、乾いた笑みが漏れてしまう。
 鍛え方って……ええまあ、そうかもしれませんけれど。

「半日くらいの仮縫いなんて、農地の見回りや一日中王宮をくるくるとお仕事なさっていたのと比べたらなんでもないわ。長旅と思えないほどお肌も髪もつるつるじゃない」

 はい。とりあえず、ナタンさんが待ち構えていた理由はわかった。
 わたしの身の回りの荷物が少ない気がしてリュシーに尋ねて、王都にも用意されていると聞いてはいる。
 けれど、何故、何ヶ月も留守にしていたこの屋敷にナタンさんが当然のようにいるのか、その理由にはならない。
 それに肌と髪は、わたしが普通のご夫人よりたくましい生まれ育ちであるせいではなくて、リュシーに教わった通りに道中もしっかりお手入れしてくれていたマルテのお陰だ。

「……仕立屋」
「ああ、ルイ様はお暇でしたら各部屋を回ってこのナタンの仕事ぶりをお確かめでもしていてくださいな。ただし――応接間に邪魔しに来んじねぇぞ、えろ公爵」

 ――えっ!? いま……?

「……なにせ、ルイ様がいると針子達が魂抜かれちゃって仕事になりゃしませんから。ねぇ、マリーベル様あらためフォート公爵夫人?」

 わたしに同意を求めないで。
 そして、先程聞こえた……賊の親玉みたいな迫力あるだみ声と言葉は気のせい? 
 気のせい……よね?
 
「本当に相変わらずですね、貴方は……」
「あたしから毒気を抜いちゃ、おしまいですよ」

 細身の気取った立ち姿勢で、緩やかにうねる亜麻色の垂れ下がる前髪を払って、ふふんと中性的な顔にふてぶてしい笑みを浮かべたナタンさんに、ルイは毒気を抜かれたように肩をすくめた。

「まあいいでしょう……その人格とはかけ離れた美意識と腕については、確かめるまでもなく信頼しています」
「そうでしょうとも。お二人のお陰で夏向けの新作はすでに大人気、工房は嬉しい悲鳴です」
「まったく。マリーベル、無理して付き合う必要はありませんよ」
「ええ……わかっております……」

 仮縫い。
 衣装部屋じゃなく、あの広い応接間なんだ……半日って、一体何着待ち構えているのかしら……少ないといったってそれなりに過ごせるものは持ってきているはずなのに。
 それに。
 
「……いまから仕上げるの?」
「ナタン工房をなめてもらっちゃ困ります。社交開始の王宮の夜宴までに間に合わせるべく、すでに万全の体制を組んでおりますのでご安心を」
「わたくしのために、あまり無茶なことはしてもらいたくないのですけれど……」

 ああ、それ絶対またお弟子さんやお針子さんが何人か辞めてしまうやつだ。
 ナタン工房といえば。
 工房に見習いでも入れただけで箔が付き、半年続けばお針子でも王国中どこでも引く手数多になると言われるくらい、求められる技術とその労働環境の厳しさで有名だった。
 なにせ王家をはじめ、国中の貴族の方々が彼に服を仕立てて欲しいと願って止まない。
 殺到する注文の大半はお弟子さんの手によって片付けられていて、それでもナタン工房で作った衣装となれば羨望の眼差しを受ける。
 
「あら、すっかり貴族の奥方様ねえ……公爵夫人・・・・
「茶化さないでください。以前通りで結構ですから」

 玄関ホールから一部屋挟んである応接間へと向かいながら、なにもかもが見違えるようになっている部屋の様子に感心してしまう。
 どの部屋もだとしたら、大変なことだ。
 応接間に辿りつけば、呆れるほどの布と半ばまで作られた衣装がそこかしこに並べられているのに唖然とした。
 頬を引き攣らせたわたしに、緊張した面持ちで待ち構えていた数人のお弟子さんとお針子さんが次々と礼と挨拶して、さあ始めるわよあんた達っとナタンさんの掛け声で仮縫いが始まる。
 わたしは人形さながら、衣装を着せられてなすがままじっとしているだけだ。
 自然、とりとめのないお喋りとなっていく。
 
「この邸宅全部を、ナタンさんが整えたの?」
「ええ、冬のうちから職人や人足をかき集めて掃除やらなんやら。ま、フェリシアンさんの伝手が大半で、あたしの苦労じゃないですけど」

 夜会用のドレスの腰回りを調整しながら、ちょっと肉ついたわねとぼやかれて、うっと唸ってしまう。
 
「すみません……」
「職人に公爵夫人が簡単に謝んじゃないわよ、大体、胴は細いけどドレス着るには元の肉もうっすいし」
「うっすい……」
「ようやく苦労せずに済みそう。女性らしい丸みも出てきたし、流石はルイ様」
「どうして、ルイ?」

 わたしが首を傾げれば、身を屈めてドレープの襞を針で留めたナタンさんがわたしを見上げて顔をしかめる。

「人妻になっても残念さはそのままなんて……嘆かわしいったら、マリーベル様」

 な、なんですっ!?
 その哀れみに満ちた眼差しは、なんですっ。

「ま、面白いからいいわ。お好きなスミレの砂糖漬けご用意してますけど摘みます?」
「いただきます」

 お針子さんの一人が綺麗な箱に入ったスミレの砂糖漬けを一つ摘んで口に入れてくれて、うーんと目を閉じた。

 はあ、いい香り。
 旅の疲れがある身に、お砂糖の甘みがしみる……。

「……調度の修繕は職人の伝手でできるだけは。どうにもならないのはあたしが意匠を起こして特急で作らせたり商会を通して探したり」

 何事もなかったように、元のわたしの質問への答えに戻ったナタンさんになにかはぐらかされたような気がしないでもないけれど。

「まったくいいものが多いのに埃まみれで朽ちるままに……憤って仕方ないったら」
「わかります。とてもわかります」
「ああ、本邸あっちもそうですものね」
「フォート家を知っているの?」
「二度程ですけどお伺いしたことが。マリーベル様じゃ耐えがたいでしょ、あれは」
「ええ、気になって仕方がなかったです。一応の、解決のめどはついたのですけど」
「あら、へえ……。――ちょっと、あんたどこ引っ張んてんのっ!」

 申し訳ありませんっと、ナタンさんを手伝っていたお弟子さんの情けない声が聞こえて、本当、相変わらずだとわたしは苦笑した。
 
「そういえば、リュシーと随分と懇意にしているとか」
「あのとは、美を愛する同志なの」

 美を愛する同志……。

「あのが王都に出てこられないなんて、残念よねぇ。本当。こっちの流行りを色々送ってあげてるけれど、ちょっと髪や目の色が変わってるったって、王都じゃ大したことじゃないってのに」
「少し体も弱いから」
「あのきゃんきゃん吠える仔犬並に元気な娘が!?」

 きゃんきゃん吠える仔犬って……。
 まあエンゾと一緒の時はちょっとだけそう見えなくもないけれど。

「元気は元気なのだけど人が住むような所・・・・・・・・は、ちょっと」
「あら、もしかして気管支とかなの、あの子……かわいそうに。じゃあ仕方ないわね。あの山奥と比べたら王都は空気が悪いでしょうし」

 どうやらナタンさんは、リュシーの事情を知らないらしい。
 まさか半分精霊に変容している影響で、フォート家の屋敷以外の人間の世界では五年と保たず弱ってしまうなどとは言えない。
 わたしの言葉に空気の悪い都会では呼吸が苦しくなる病気と、勝手に誤解したナタンさんの言葉を肯定も否定もせず曖昧な苦い笑みでやり過ごす。
 ルイじゃないけど、嘘は吐いていない。

 ああ、なんだかわたし魔術師や精霊に毒されてきていない?
 口は悪いけれど、王妃様の侍女になりたての頃からなにかと気遣ってくれたナタンさんに、こんな姑息な。

「ま、それはそうと……ちょっとの間で随分お綺麗になられたわね」
「本当?」
「ええ、相変わらず地味にしちゃいるけど、あのきゃんきゃん娘のお陰か随分垢抜けちゃいるし……肌や髪だけじゃなく、姿勢や手の動き足の運びなんかも使用人ぽさがなくなって悪くないわ」
「それは、どうも……」

 たぶんすごくほめてはくれているのだろうけど、あまりほめられた気がしない。
 うぅ、なんだかなあと釈然としない思いで天井を仰ぐ。
 半ば閉じた目に若干ぼけて映るのは、見事な天井画。
 胸元の丸盾と剣を護り包むように両腕で囲っている乙女と、その左右に美しい男女が従っている。

 これって、冬の女神と地の精霊の絵だわ。
 前にここに滞在した時は、無駄に広くて豪華な造りの邸宅に圧倒されて、でもってどうやってルイとの婚約を穏便に破棄するかで気に留めてもいなかったけれど。
 そういえば、地の精霊って叡智を司どるとかで、魔術師には特別視される精霊だっけ。
 
「美は総合力っ!」
「えっ?」

 天井画に気を取られていたら、ナタンさんの言葉が耳を打ってわたしは蹲るようにして裾の襞を調整している彼の頭を見下ろした。 

「いくら美女でも、不似合いなものを身につけていたり、姿勢や所作がなっちゃいなかったり、頭空っぽだったりじゃあ、美貌の威力も台無しよ」
「……はあ」
「このあたしの衣装を着て輝かない女なんていないし、あのすかした大貴族様に愛されてるみたいだし、もうちょっと自信持って装ってみせなさいな」
「でも」
「あたしの目と腕にいちゃもんつけようっていうんですか? はいっ、次! はぁっ!? 作業の進み見て動けって何回言わせたら……どんだけ鳥頭なのあんた達はっ!」
「あ、あの……ナタンさん。そんなにきつく叱らなくても」
「マリーベル様が夜中までお付き合いくださるってなら、別にいいですけど?」
「ほどほどで、お願いします……」

 夜会のドレス、昼のドレス……数着すべての仮縫いを終わらせ、応接間に迎えにきてくれたマルテに案内されて、わたしの寝室として整えられた三階の部屋に落ちついた時にはもう大聖堂の夕刻の鐘も聞こえた後だった。

「疲れた……」

 皺くちゃでぼろぼろの古布になった気分でくたくたにくたびれて、部屋に入って扉脇に真っ先に目に入った寝台へ、お行儀もなにもなく横から上半身を投げ入れるように突っ伏す。

「ですから、無理して付き合う必要はないと言ったでしょう」
   
 部屋の奥からのルイの呆れ声に、そうは言ってもと声の方へ顔だけを向ければ、彼は服を着替えて長椅子ソファに寛ぎ優雅にお茶を飲んでいた。
 わたしの寝室だけれど、実質、夫婦の寝室でもある。

「ナタンさんはともかく、お針子さん達が気の毒すぎますから……」
「最初の夜会用以外は徐々に納めてくれればいいと、言ってありますよもちろん」

 それだって無茶な話だ。
 そんなに早く仕上がるものでもないし、そもそもいくら以前に婚礼衣装を作っているからといって、着る本人がいないのにほとんど完成一歩手前まで仕立ててしまえるナタンさんもおかしい。
 そして彼は、一度乗り気になると一気にやってしまいたいたちのようで、それに付き合わされるお弟子さんやお針子さん達が本当に気の毒だ。
 いい人だけれど、口も悪いし……。

「……あれは絶対、全部まとめて納める気でいるわ。王妃様の時もそうだったもの」
「そういえば、貴女もあの仕立屋とは付き合いがあるのでしたね」

 頷いて、息を大きく吐き出し、ふかふかした寝具の上に脱力する。
 頬に触れるさらさらした絹の掛布のひんやりした感触が気持ちいい。
 
「他の皆は?」
「テレーズは夕食の準備を。オドレイとシモンは“扉”の設置にかかっています」
 
 ルイの言葉に、そうと答える。
 ユニ家同様、この邸宅もロタール領の屋敷と繋げることにしたのだ。
 わたしと婚約のために滞在していたのと違って、今回は社交のための滞在なためやはり屋敷と物資や人の行き来ができる方が便利だし助かる。
 けれど、“扉”を開けられるのは邸宅側はルイとオドレイとシモン、屋敷側はフェリシアンに限定だった。
 邸宅側は屋敷ほど強固な護りになっていない。
 人の出入りもしやすく、社交のための滞在だから人を招くことだって考えられる。
 なにかよからぬ考えを持つ侵入者に脅され、“扉”を開けさせられる可能性もある。
 少なくとも身を守れる力を持つ者に留めた方がいいでしょう、といったルイの考えだった。
 
「邸宅全体、整えたの?」
「ええ。社交のための滞在では仕方がありません」
「大丈夫?」 
「貴女がナタンの着せ替え人形になっている間、暇潰しがてら邸宅中を確認しました。各部屋はもちろん図書室の本や地階の食器棚や酒蔵に至るまで」

 フェリシアンも注意はし、内装全体を纏めさせたナタンも心得てはいますからまあ大丈夫だろうと思っていましたが、特に問題はなかったので安心ください――といったルイの説明に、ひとまずほっとする。

 図書室の本や地階の食器棚や酒蔵に至るまで……手に触れるものや口にするようなものに毒を仕込まれていることもなく、各部屋になにか仕掛けられてもいなかったということだ。

「ま、そこまで愚かなことはそうないですよ」
「そうでしょうけど」

 この手のことはそれなりに気を配っていれば、それほど怖がることでもない。
 王宮に勤めていた時は、わたしも王妃様の身の周りの物には気を配っていた。

 寝台から、ごろりと横向きに身動ぎして部屋の様子を見る。
 緻密な、まるでルイが魔術の時に描くような円に幾何学模様を重ねる繊細な漆喰細工も見事な天井。そこから吊り下がっている、蔓バラを絡めたような土台に無数の水晶を連ねたシャンデリアの、本当なら蝋燭を立てるはずのところに小さな光が瞬いている。
 どうやら、万一、外に流出しても問題ない程度の小粒や品質の劣る固形燃料を使うことにしたらしい。

「奥様、浴室の支度は出来ておりますから寛がれては?」
「ありがとう……マルテ……」

 寝室の出入口とは別に奥の左右に扉が見える。
 部屋に入って右側の扉をマルテが示したから、あちらにたぶん衣装部屋付の浴室があるのだろう。
 もう一方は私室兼居間のようだ。

 寝室の左右で続き間になっているのは、ロタール領の屋敷とほぼ同じ。
 けれど、ずっと近い時代に建てられている邸宅は空間を広々と寛げるように、使い勝手よく出来ているようだった。
 生成りに金をあしらった布の襞をたっぷりと取る天蓋付きの寝台。
 足元には金糸を織り込んだ淡い黄色の絹が張られた寝椅子カウチが置いてあったと思う。

「奥様……?」

 わたしの足側から近づいてきたマルテを仰ぐように見れば、彼女越しの浴室側の壁に暖炉が見えた。
 両脇に椅子が二脚。手前に小さな楕円のテーブルセット。
 
 そしてルイの声が聞こえてきた部屋の奥へと視線を移せば、窓辺に向かう途中でルイが座る長椅子ソファと斜めに二つ並べた小さめのテーブル。周囲に椅子が三、四脚。
 寝台から長椅子ソファの途中に書物机と肘掛付きの椅子が、椅子の背を部屋の中央付近へ向いた形に横向きに置いてあった。

 マルテの言う通りにしたほうがいいとわかっているけれど……動きたくない。
 ううっ……と、再び寝台に顔を突っ伏す。
 頭の向こう、寝台の左脇にサイドテーブルと壁際に脚付の三段飾り箪笥コモードが見える。 

 わたしの側で気の毒そうに困惑して控えているマルテを意識しつつぐずぐずしていたら、やれやれとルイが立ち上がった気配と絨毯を踏む足音がした。

「あ……旦那様っ」

 不意に頭上から影が差し、胴から抱えるように僅かに持ち上げられる。

「ここで私が脱がせてあげてもいいのですよ? マリーベル?」
「いっ……言いながら、背のボタンを外すの止めてくださいっ!」

 慌ててマルテへ目をやれば、頬を染めて俯いていて、こちらが恥ずかしさに顔を覆いたくなる。
 わたしはルイを睨んで、寝台の上に膝立ちにようやく起き上がった。
 浴室へとマルテに声をかけて、苦笑しているルイをもう一度睨みつけながら外れた首の後ろのボタンの一番上だけ留め直す。
 
「夕食を終えたら、今日は早めに休むとよいでしょう。トゥール家の貴女の養父母の到着は明後日になるようです。王宮に使いを出して、明日の午後に挨拶の時間を取り付けてあります」

 王都に着いた早々、手回しのいい。
 もうすでに、明日の予定の段取りはついているようだった。

 王都の社交は、王と王妃に正式に挨拶する王宮主宰の夜会から始まる。
 夜会の日まで、あと十二日。
 地方から移動してくる者達は、夜会よりいくらか早めに王都に入って、王都の流行や最近の王宮の動向や各地域の噂話などそれとなく情報収集をし、派閥に属しているなら事前に交流して社交に臨む。

 フォート家は無駄に家格も高くて領地運営も上手くいっている公爵家だから、揚げ足取られるようなことにさえ気をつければさほど神経質になる必要もないけれど、下位の中級下級貴族にとっては王都の社交はそこそこ死活問題でもあるし、王宮の地位だけで領地は持たないような貴族にとっても地方で影響のある貴族との繋がりや付き合いを深める機会でもある。
 
「その後は……折角ですから劇場にお芝居でも見に行きますか? 王都の流行りの話題についていけないのもですから」
「見に行きますかもなにも、もう手配しているのでしょう?」

 寝台から床に下りながら尋ねれば、気が向かないなら取り止めますよと事もなげにいう。
 この人のことだ個室の一等席とか貴賓席とかに決まってる……。

「王都の流行りの話題ってそんなに評判なの?」
「そのようですよ」

 なんでも、王都の貴族女性の間で大変話題になっている、恋愛物の流行小説をお芝居にしたものであるらしい。
 伝承や伝説を元にした演目じゃないことに少し驚いた。

「珍しいでしょう?」
「そうですね」

 たしかにそれは珍しい。
 読書は平民にとっては少々高級な趣味ではあるものの、それでも印刷で本がたくさん刷ることができるようになってからは庶民でも手が届くような本も流通し年々増えている。
 それに伴って、伝承伝説や学術的な本だけじゃなく、流行作家の小説や礼儀作法の手引書など新しい本が毎年たくさん出版されるようになってきた。
 貴族の中では伝承伝説や詩のような文学と比べて、そういった流行小説は一段下に見られていて、王宮内で流行っていたり、愛好者はいても大抵内輪の楽しみに語られるだけ。大ぴらな流行にはあまりならないものなのに。

「ご夫人方のお茶会ではきっと話題に上るでしょうね、そういえば貴女お芝居は?」
「王妃様の侍女になってからほんの数回、お休み日に。遠い隅っこの席で仲の良い同僚とでしたけれど、劇場って華やかで楽しい雰囲気だから好きです」
「結構」

 こうして、王都到着一日目は慌ただしいままに過ぎていった。
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