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第二部 公爵家と新生活

47.旧市街

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 貴族と富裕層の区画も上下があるように、下町の区画にも上下がある。
 下町でも中央広場に近く北寄りは、東側の南寄りにある富裕層の区画とほとんど変わらない。
 基本的にここに住むのは下町でもそこそこ裕福で使用人も雇えるような家の人達だ。
 下手すると東側の富裕層より裕福なくらいの家もある。
 反対に、中央広場から離れて南へ向かうほど荒れた場所になっていく。

 貴族側は街でも新しく作られた部分だから、白っぽい灰色の石を多用した建物が整然と並んでいたけれど、下町は装飾的な建物や橋、そして石畳も少し荒くすり減ってはいるが趣がある。
 元々のトゥルーズは下町側だけだったところを押し広げて区画整理しなおした街。
 だから下町の中央北寄りの場所は以前のお屋敷街で、そのあたりは旧市街と呼ばれトゥルーズの街の見所でもあるという。
 大きな声では言えないが、かつてのシモンの主な仕事場だったらしい。

「つまりスリにはお気をつけてください。この辺りはお貴族様もいらっしゃるくらい街の中ではまあまあ良い場所ですが、同時に油断しているお方狙いの悪い奴もいますので」

 シモンだけにとても説得力があるけれど、王都の下町だって人混みでぼやぼやしてたらお財布を狙われることだってあるし、怪しい案内人や商売人もいる。
 ちょっと荒っぽい人達の宿や飲食店も多くなるから、市場より西の下町にはあまり行ったことはないけれど、それよりも落ち着いたところのようだし大丈夫だ。
 それにお金はシモンが持っている。

「平気よ。元からのお貴族様ではないもの」

 服も、嫁入り支度で自分が用意した外出着に着替えてきている。
 ルイが整えたものは室内着でも一目で上位の貴族とわかってしまうから、下町を歩くにはちょっと悪目立ちしてしまう。
 わたしの服も嫁入り支度で奮発して整えたものだから服としては新品で、これだって下位の貴族くらいには見える。でないと護衛と侍女を連れていることと今度は釣り合わない。
 そもそも新品の服を着られるというだけで、そこそこ裕福なのだから。

「そういやそうでしたね。けど、お嬢様には変わりないんで一応気をつけてくださいよ。装身具だって掠めようと思えば出来るんですから」
「そうですよ。王宮なんて貴族街のお嬢様だってそう簡単に上がれる場所ではないはずです」
「ん……まあ」

 ちょっと前まで平民だったのだから、そんなにうかうか歩くつもりはないけれど。
 装身具も髪飾りと小さな耳飾りくらい、結婚指輪もしているけれど手袋の下だ。
 ユニ家がもしトゥルーズに住んでいたとしたらどうだろう、丁度これから行くところあたりか、もうちょっと下がるくらいの場所の家じゃないかと思うけれど、二人からそう言われてしまうと、王宮勤めの箔というものをあらためて感じてしまう。

 たしかに地方の中位貴族以下の家では、その地方で上位な貴族のお屋敷に行儀見習いにお世話になるのが普通だ。  
 わたしは貴族でもないのに、父様が法務大臣様とご友人だったのと西部大領地のモンフォールの当主様の紹介があってかなり異例に王宮に上がっている。
 西部は王国の穀物庫といわれていて、古い貴族も多いこともあって王宮の派閥としてはまあまあ発言力がある。西部が意図的に結託して小麦などの供給を渋ったり、間接的に値を吊り上げるようなことをしたらちょっと困ることになるからだ。
 王様が王妃様を娶ったのは、西部に次ぐ穀倉地帯を持つ南部の大貴族の娘との結婚で、西部系貴族を牽制するためといった噂もあるくらいで……だから法務大臣様だけでなく、西部大領地のモンフォール家の紹介の合わせ技では王宮も無視できなかったんだろう。

 たしかにそれを考えたら、ルイの言う通り、父様はやり手の面があるのかも。
 だってモンフォール家の直系にお嬢様はいないけれど、ご一族にはわたしより若くてそれこそ王宮に向かわせるにふさわしいお嬢様はいらっしゃったのだから。
 それを差し置いて、父様がお願いしたのを聞き入れてわたしの紹介状を書いてくださるなんて。
 いくら母様の生家のドルー家が、モンフォール家と繋がりがあるといってもすごく遠いのに。

「服を多少変えたところでなんですからね……」

 シモンが呟いたのに、マルテがうんうんと頷いている。
 本当にこうしてわだかまりなさそうな様子で一緒にいると、仲の良い兄妹みたいだ。

「お前も……こっち側にはあまり来ないだろ。知ってるからってあまりぼやっとすんなよ。子供ガキの頃とは違う」

 ルイの出資する孤児院は貴族街側にある。
 孤児院の子供達は、なにか手伝うにしても孤児院の中のことだけだし、教育も孤児院の中で行われているはずだから外にはあまり出ないだろう。
 それに、マルテにとってもあまり進んで行くような場所でもないはずだ。

「連れてきちゃったけど、マルテこそ大丈夫?」
「え? あ、はい。私がいたのはもっと南門に近い場所ですから」

 南門に近いのは、貧民街。
 街の感じや、他の小集落が寂れていないところを見ると、ルイは結構いい領主みたいだからたぶん王都の貧民街より酷くはなさそうだけど……それでも悪い大人が子供を暴力で縛って稼がせたりするのがたぶん当たり前なのだ。

「大丈夫ですよ、ここいらであそこにいる大人はそううろうろできませんから」
「そうなの」
「貴族様がいるような場所ではすぐお役人に目をつけられますからね。まあでも……」
「でも?」
「いーえ、なんでも。奴らも貴族様のご不興をすすんで買うほど馬鹿じゃないってことです。ぼちぼち旧聖堂ですよ」

 一瞬、なにか考えたような表情を見せたシモンが気にかかったけれど、ほら、あそこですとシモンが示した方向を見て、思わずわあっと声が出た。
 中央広場からの大通りから短い脇道を抜けると、蜂蜜色の石を使って建てられた聖堂が建っていた。
 淡く黄色な午後の光を受ける聖堂は、中央広場の聖堂とほぼ同じくらいの一回り小さくずっと古い様式で尖った細い塔が束になったような外観をしていて、蜂の巣を思わせる窓が開いている。
 屋根の色褪せた薄緑の色がなんとなく可愛らしい。
 中央広場の聖堂は、白っぽい石造りで大きく開いた薔薇窓などが優美で荘厳な雰囲気だから随分と違う。

「こっから旧市街です」
「周囲も、聖堂と同じ色の石で出来てるのね」
「まーそれが特徴といいますか、古い建物が多いんでここらはともかく南に行くほど老朽化が激しいというか、ぼろくはなるんですけどね」

 シモンの説明通り、街が蜂蜜色だ。
 なだらかな角度の煉瓦色の屋根を乗せた、四角く細長い蜂蜜色の石で出来た建物がぎゅっと詰まった壁のように道の左右に立ち並んでいるので思わず見上げてしまう。 
 細い線を刻んだ柱、細く上部は丸い窓の形をしている建物が多くて、補強のためかまるで帯飾りのように黒っぽく細い木の板が、ぐるりと外壁に打ち付けられている。

 聖堂に入って、久しぶりに聖堂の祭壇に向かってお祈りをした。
 本当に王都の大聖堂以来だ。
 このあたりはやはり四季の女神や四大精霊への信仰が深いようで、聖堂内の柱には女神と精霊の姿が彫られていた。どうやらこの聖堂は冬の女神と地の精霊を主体に敬っているようで、丸盾と剣を合体させた聖具が祭壇に祀ってあった。
 意識してみれば、冬の女神が彫られた柱が一番祭壇に近い。
 
 ――どうかバランの地に少しでも力が戻りますように。

 なんとなくそんなことを思ってお祈りを済ませ、冬の女神が彫られた柱を見る。
 他の季節の女神が従えている精霊は乙女の姿をしているけれど、冬の女神だけ男性とも女性ともつかない精霊を従えている。
 冬の女神ケイモーヌが従える、地の精霊グノーンは両性具有の存在と伝えられている。
 大聖堂は全ての神と精霊に祈りを捧げるし、西部の聖堂もそうだったからやっぱり東部特有なのかしら。
 
「信心深いんですね、奥様って」
「別にそういったわけじゃないけど、こっちに来てからお祈り出来るような機会もなかったし。四季の女神と四大精霊の姿がある聖堂って、王都や西部では見ないから珍しい」
「らしいですね。オレらはこれが普通なんで珍しいって聞いてもそうかって感じですけど」
「ああ、じゃあやっぱり東部がそうなのね」
「他の地域はわかりませんけれど、トゥルーズはそうです。冬支度の頃に地の精霊のお祭りもあってええっと広場で大きなお肉を焼いたりして……」
「そういやあったなそんなの、切り分けた肉もらえるから行ったな」
「二回並んじゃだめなのに、並びにいって怒られたね」

 不意の昔話に、それまで二人の間にあった隔たりのようなものが急に消えてシモンとマルテが小さく笑い合う。
 少し間をおいて、いやいやとばかりにシモンが仏頂面を作ったのが少しだけ微笑ましかった。
 そういえば、ルイが昔は様々な祭だとか捧げ物とか自然を崇めるようなことをやっていたと言っていたからたぶんそのお祭りもそういったものの一環なんだろう。 
 聖堂を出て歩いていると、小さな橋が時々現れる。

「街中にこんなにいくつも川があるなんて」
「ああ……水路ですか。ここから南まで運河の支流の川から水を引いて、さらに細かくしたようなのがいくつも通ってるんですよ。小さな橋ながちょいちょいあって、舟も見られますよ」
「舟が、街の中に?」
「でかいやつじゃないですよ、小さい葉っぱみたいな形したボートみたいな。ちょっとした荷物運んだり、人も乗りますけど」

 あんなやつです、とシモンが指さした方向をみれば、細い水路を葉っぱみたいな形の木の船がすうーっと流れていくのが見えた。お酒かなにかの樽を乗せている。
  
「王都や奥様のいらっしゃったユニ領はないんですか? 水路」
「ええ。王都も大きな川はあるけれど、王宮の周りは庭園の水場や湖以外は、水道と井戸だもの。西部も大河はあるけれど、渓谷でいくつも古城と町があって農耕地が広がっているから随分違うわ」

 わたしがトゥルーズの旧市街のみたことのない景観に感激しながら説明すれば、マルテはマルテでこの街とは異なる街の様子を想像しているのか鳶色の目をきらきらさせている。
 そうよね、他の街なんて庶民の女性の身ではなかなか行って見る機会なんてないもの。
 わたしだって、ユニ領以外はモンフォール領と王都くらいしかよく知らない。
 
 わたしとマルテがお互いが知る街の話をしながら歩く後ろを、やれやれといった様子で歩くシモンを振り返って、なんだかありがたみがないのねと言えば、そりゃ住んでた人間はそんなもんでしょうと肩をすくめる。

「それより、道が狭いわりに人通りは多いですから気をつけてくださいよ」

 確かに、細い道が入り組んでいるところに、わたしのような街の散策を楽しんでいるような貴族や裕福そうな人だけでなく、このあたりに住んでいる商店を構えているような商人やそのお使いらしいきちんとした服をきている人、役人らしい人、出入りの職人や買い物や水汲みらしい女性やお手伝いの子供など様々な人が行き交っていて、時々、人にぶつかりそうになる。
 
「一度、そこの角を曲がりましょう、ちょっと開けた通りに出ます」

 そっと半歩下がって側につくマルテとわたしの間、すぐ後ろにシモンが入ってわたし達二人を庇うように誘導する。たしかに王都の市場のほどではないけれど、少し人が多い。
 ええ、と彼に従って歩き、言われた通りに少し開けた通りに出る。
 方向的には中央広場側へと戻っていく方向だ。
 カーン……カーンカーン……と、一度鳴って間を置いて二度立て続けに鳴る、昼下がりの午後の鐘が聞こえた。
 午後のお茶、夕方へ向かっていく時間。

「少し休まれますか?」

 休める場所を探そうかとマルテが尋ねてきたのに、そうねと答えながらどうしようかなと迷う。茶館などに入れば少し時間をとられる、中途半端な時間だった。
 昼下がりの午後の時間を過ぎれば、酒場などぽつぽつ夜向けのお店も開き出す。

「それほどお疲れでなく、迷うようなら戻る方向へ進んでは? もう少し先に行けば小さな広場に出て中央広場に出る道ともつながってますし、たしか茶館もあったと思いますよ」

 どうやらシモンもわたしと同じように考えているようで、結局戻る方向へ足を進めることにする。彼の言う通り道はさらに開けて小さな広場に出た。
 広場は人で賑わっている、これは休むにしても宿に戻って落ち着いて休むのがよさそうだ。

「奥様……?」
「十分楽しんだし、あまり遅くなってもだから戻りましょうか」

 わたしを気遣ったマルテにそう言って、広場の端へと足を進めかけた時だった。
 誰かとすれ違いざまにぶつかったか押されたのだろう。
 おい、とシモンがよろけた彼女を支えるより先に、小さく声を上げてマルテの肘がわたしにぶつかった。
 
「も、申し訳ありません……奥様っ」
「構わないけど、大丈夫?」
「はい」

 軽く身を屈めるようにして、受け止めたマルテが体勢を整えるのを待っていたら、斜め右に少し下がった後ろから、「あら、ごめんなさいねお嬢さん」と、やや嵩高な物言いの女性の声がしてわたしとマルテが振り返れば、赤茶けた髪を結い上げやや派手なドレスを着た、貴婦人にしてはちょっと険のある雰囲気の豊満な女性がわたしたちを見下ろすように立っていた。
 少し遅れて振り返ったシモンの眉の先がびくりと動いたのを疑問に思う間もなく、おやっとマルテとぶつかったらしき女性が、愉快そうな笑みを滲ませた声を出す。
 泣き黒子が艶っぽいが、ぎらりとした黒っぽい茶色の目の光がどことなく蛇を思わせる、その視線がマルテの顔に注がれていた。

「なにか見覚えがあると思えば……マルテじゃないか」
「え?」

 ねえちょっと、と女性は彼女の前方へと声を張り上げる。
 どうやら彼女と連れ立っていたらしい、大店の店主のような装いをしたがっしりとした体つきの背の高い男性がやってくる。
 なんだろう。
 二人とも三十くらいで、裕福そうな身なりではあるけれど、なんだか違和感がある。
 
「突然いなくなったと思っていたら……見違えたねえ」
「……え、あ」
「あらやだ、何度かお菓子をあげたのに忘れたの? 汚く痩せた子だと思ってたけど変わるものだねえ」

 こいつら……っ。
 口の中で毒づいたシモンに、マルテがはっとして明らかに怯えた表情になる。
 もしかして、この人達とわたしが思うより先に一方的にマルテに話しかけていた女性が彼女の腕を掴み上げる。

「あ……っ」
「随分、綺麗な格好してるけど、あんたいまどこにいるの?」 
「おいっ……!」
「なんですか、あなた達!」

 シモンがマルテの腕を掴む女性を引き離そうと動きかけたのを制し、あなたは控えなさいと彼の前に塞がってわたしは声を張り上げた。

「その子はわたくしの侍女見習いです。なにかご用があるのなら主のわたくしが伺います」
「奥様……」
「奥様?」

 マルテと腕を掴んでいる女性の間に進み出る。
 身なりのいい男女ではあるけれど、たぶん、二人が昔いた場所に関わりがある人達なのに違いないし、彼等がどういった人達かしらないけれど、こうして大手を振って広場にいるということは表向きなにも咎めを受けていない。
 シモンはまだ罪を償っている途中だ、もし彼等と揉めるようなことになれば厄介なことになりかねない。

「あら、それは失礼いたしました」

 ころりと口調を変えて女性はマルテの腕を離し、この近くで夫婦で宿を営んでいる者だと言った。

「マルグリットと申します、こちらは夫のトマ。どうぞお見知りおきを。この子とは夫共々昔からの顔馴染みなんですよ。数年前にぱたりとどこかへいなくなって心配しておりましたからつい」
「そうですか。彼女はこの通りご心配するようなことはなくおります。どうぞご安心ください」

 さあ参りましょうとマルテを促し、彼等に軽く会釈だけして背を向けようとすれば、あらそうでしょうかとマルグリットがやや甲高く声を張り上げた。
 近くにいた人々がざわりと、こちらに好奇の目を向けるのを感じる。
 自分の服を着てきて、ここが下町側でよかった。
 でないと、噂になる。
 東部でわたしのことを知っている人はほとんどどいないはずだし、いまのわたしはせいぜい下位の貴族にしか見えないはず。
 一昨日にルイと貴族街を歩いたわたしと、同じ人物と思う人はいないだろう。
 けれどこれ以上、騒ぎにはしたくない。
 傍目には、なにか付き合いのある裕福な商人とちょっとした諍いにでもなったくらいにしか見えていないのだろう。ざっと広場を見回したところ役人の姿はないし、来る気配もない。

「なんです?」
「奥様は、貴族の奥様とお見受けしましたが、その子のこと奥様はご存知なのですか?」

 くすりと、手袋をはめた手を口元に吊り上げた赤い唇。
 嫌な笑みだなと思った。
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