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第二部 公爵家と新生活

43.ご挨拶と春の祝い

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 東部大領地ロタール公爵領は五つの地域に分けられて統括組織に管理されている。
 共和国との国境に接した東の防衛地区バラン。
 トゥルーズより北、王都へ向かう街道を含み東部他領と一部王領とも接するトロワ地区。
 バランの下敷きになるように南に細く伸びその先端が小領地と接するソニエ地区。
 王国南北を流れる運河に沿いトロワとソニエの間で細く縦に伸びる西のラングレ地区。
 これらの地区に囲まれた中央のフィルト地区。
 
 五人の統括官はなんだろう……よく言えば個性的?
 とりあえず、誰がどこの地区の統括官かすぐ覚えられたのは助かるかも?
 そんな感想しか思い浮かばなかった。
 
 東のバランの統括官ムルト様は、焦茶色の髪と目の強面で体格のいい三十半ば位の男性で、元騎士団員。
 東部騎士団支部で後方任務の士長だったらしく、書類仕事が早いのと騎士団支部との折衝役に丁度よいとルイが引き抜いた、とても揉めたとフェリシアンさんの資料に説明書きがされていた。

 北のトロワの統括官クリスティーヌ様は、きっちり結い上げた黒髪に深緑色の眼光鋭い王宮の女官長を思わせる規律正しい雰囲気の年配女性。資料によれば、わたしも知っている王宮勤めのそこそこ偉い貴族の、その……庶子、だそうできっとそこは深く追求してはいけない。

 南のソニエの統括官クロード様は、五人の中で一番年配と一目でわかる白髪。細目で瞳の色はよくわからない。なんだかもう見た目からして只者ではないおじ様な雰囲気を漂わせる、五十も半ばを過ぎたくらいの男性。前歴不明の謎紳士ってどういうことですか。

 西のラングレの統括官シャルル様は、どう見てもわたしより年下に見える金髪の巻き毛と空色の目をした美少年。フェリシアンさんの資料によると二十二らしいのだけど、本当に下手するとシモンより年下に見える。そしてにこにこと愛想のいい微笑みに心洗われそうになる。
 しかし資料には一言、“黒い”とあった。
 これは……あれかしら、微笑みながら人を運河に突き落とす系統の方でしょうか。

 中央のフィルトの統括官ティエリー様は、中肉中背できっちりと淡い褐色の髪を撫でつけた、赤褐色の瞳をしたまったくなにを考えているのかわからないお面のような無表情の三十代男性だった。資料には下働きから統括官に登りつめた男、猫好きとあった。
 
 フェリシアンさん……この領地の資料ちょっと楽しんで作っていますよね?
 お会いする前から内容が色々気になって、頭に入るのはありがたいけれど……本人を目の前に平常心を保つのがちょっと苦しい。
 
「このトゥルーズまでようこそお越しいただきました、マリーベル様。バラン統括の任に就いておりますムルトと申します。統括組織を代表しご挨拶申し上げます。こちらは北のトロアのクリスティーヌ、南のソニエのクロード……」


 場所が宿の食堂で、わたしの前に一人ずつ進み出てといったことがやりにくいからだろう。
 お茶の時間になって、食堂に入ってテーブルの中央付近まで進み、彼等に向き直ったわたしに、バランの統括官であるムルト様が代表して集まった人達をわたしに紹介し、彼に紹介された方がわたしに頭を下げていく。
 各地の統括官の間に序列はなさそうで、おそらくはここがトゥルーズだから、ムルト様が代表してなのだろう。
 東部式なのか、あるいは儀礼を廃しているらしい統括組織の礼なのか……右手で左の胸元を押さえ軽く頭を下げる礼であった。

 各統括官の方々にわたしは心の中では敬称を付けているけれど、実際に話しかける時には呼び捨てになる。 
 彼等は領主であるルイに仕える人達で、わたしはその領主の妻。
 敬称つきで呼ばれるのはこちらの側だ。

 なのだけれど……。
 なんだろう。
 この、悪徳魔術師の配下な重臣感……この人達を倒さないと悪徳魔術師は倒せないみたいな。
 領主様が変り者だとその下で働く幹部も変わり者になるのかしら。
 いえ、よく知らないうちに人を判断しては。一人ずつ秘書官連れでいる皆様全員、只者ではないのは一目でわかりましたけれど。
 
 また、これはトゥルーズ以外の集落でもそうだったけれど、余所者であってもわたしは立場上、彼等の挨拶を受ける側だ。
 つい最近まで王宮で人にお仕えする身であった側としては、とても……慣れない。

「マリーベルと申します。冬の女神の手から春の女神の手へと移る季節に、こうして皆様とご挨拶できる機会を持てたこと感謝いたします」

 挨拶の言葉を述べて、にっこり王宮での儀式用の微笑と振る舞いを総動員させて、わたし達が立って挨拶している間も、テーブル中央の席に一人座ってわたしに背を向けたままでいるルイの側へ近づく。
 
 四季の女神はそれぞれ守護する方角がある。
 冬の女神の方角は北、春の女神の方角は東。
 そして春の女神は芽生えや芽吹きを司る女神だ。
 言葉とルイに寄り添うまでがひと繋ぎ。

 “北の王都から、こうして東部にまいりました。右も左もわからない新参者を、ルイ共々皆様何卒よろしくお願いしますね”

 といったご挨拶……になったはず、なっていて。
 一人どきどきと内心動揺しつつも、平静に平静にと唱えながら挨拶を終えて、ルイの促しで空席になっている彼の向かい側の席へゆっくりと回って座れば、他の方々も着席した。
 領地に関する会議は一通り終わった後のようで、挨拶が終わればなんとなくお疲れ会的な雰囲気にくだけたので少しほっとする。
 王宮で年若い第一侍女として値踏みされるみたいなことが度々あったから、そういった目を向けられたら嫌だなあと思っていたのだ。
 お出ししたお茶や、ご用意したお菓子や軽食についての説明をテレーズが行い、今回各地から引き連れている護衛の交代部屋を応接間を区切って設けたため、次回も宿にそうしてもらえるとありがたい、などと当たり障りない会話がしばらく続いて、そういえば……と、クリスティーヌ様がふといま気がついたように呟いてわたしを見た。
 
 これは、本当は真っ先に言及したかったけどいきなりそれは不躾ですから、失礼にならない程度の間を十分空けましたわよ、ほほほといった気配――っ!

「マリーベル様がお召しのドレス、あまり目にした覚えのない型ですが王都の流行でしょうか」

 え、テレーズさんやマルテに続いてまたこの話?
 これでは支度部屋の会話は予行練習のようなものだわと、身構えただけにちょっと拍子抜けしてしまった。
 今度はすらりとリュシーの助言通りの説明を行う。
 ついでにテレーズさんの商人目線の意見も、ちょっと付け加えてみたり。

「……とはいえ試作ですので、まだこちらは王都にも出ておりません」

 言い終えた瞬間、統括官の皆さん全員の目がキラーンと光ったような錯覚と共に、食堂内の空気が一変した。
 
「まあ、そうですか」
「ほう、成程」
「ふうん」
「それはまた」

 あ……あの、なに!?
 なんですか、東を除く地区の方々。
 一体、なんなのリュシー! このドレスはっ!

「ルイ様……もしや本題はこちらですか?」

 元軍人らしい生真面目な口調で、ムルト様がルイに尋ねれば彼はまさかと微笑んで、わたしが持ってきたロザリーさんの焼菓子を手に取る。

「うちの侍女と出資している服飾職人の工房が、彼女のために尽力はしたようですけどね」

 んん?
 なんですかそのお話し。
 わたし二人になにも言ってもさせてもいませんけれど?

「そうは仰っても、その首元の。マリーベル様のレースと同じですよねえ」

 金髪巻き毛の腹黒美少年のシャルル様が、お茶のカップを傾けながら若干絡むような雰囲気でルイに言えば、おや私達はこれでも新婚なんですよと彼は微笑み、さらに胸元に垂らしたレースを掬い上げる様にしてうっとりとした眼差しで周囲を見回す。

「これくらいの惚気は許していただきたいですね。そうでしょう、マリーベル?」

 わたしに見えない話を振らないで――っ!

 胸の内で叫んで、はっと気がついた。
 あれ、あのレースって……もしやリンシャール産レースでは?
 わたしのと同じということはわたしの服のレースも?
 まさか自分が身に着けると思ってなくて、いまのいままでただただ繊細なレースだわと思っていたけれど当たり前だ、王族御用達の高級レース生地じゃない。
 それもわたしを養女として迎えた王妃様のご一族、南部大領地を治めるトゥール家の領内にある街の。

 あれ?
 ちょっと待って……この絹服地ってトゥルーズよね?
 でもって、レースの下に重ねた薄絹の刺繍スカートも。

 ルイを見れば、それはそれはもう胡散臭い悪徳魔術師な微笑みを返されて、確信した。
 間違いない。
 このドレスは彼の仕込み、それもすごく臆面もない感じの。
 あとで、あとで覚えてなさいよと思いながら、にっこりと彼に微笑み返してわたしはお腹に力を込めた。
  
「そちらのレースはリンシャール産のレース生地です。王族の方々も好んで使っていらっしゃるレース生地で蜘蛛の糸と称される細い糸を幾本も絡めて編まれるものなんですよ」
「あら、でしたらそちらのドレスはまるでマリーベル様そのものですね」

 うーん、さすが女官長……じゃない、貴族のご息女でもあるらしい統括官。
 ええ、とわたしは自分のカップを静かに口元へ運んだ。
 ゆっくり、優雅に。
 これはルイがお膳立てしたもの、失敗したらきっと洒落にならない損失が出る。
 リュシーがものすごく普通に荷物の中に入れてくれていたから、本当にまったく頓着していなかったけれど、中のレースのスカート一つとってもこれなら、きっと高級特注素材しか使っていないはず。
 そもそもルイが勝手にナタンさんに頼んで用意してくれた服ってどれもこれも良い物揃いだから近頃感覚が麻痺しつつある。
 贅沢慣れしたくないけど、需要を作り仕事と報酬を与えるといった意味で贅沢しないといけない立場ではあり悩ましい。
 昨日これで街歩きもしてしまっているけれど……それはそれでいいのか。
 
「折角の機会でしたから、これから祝う春と夏をまとって皆さんにご挨拶できないかと考えたまでです」

 静かに穏やかに、王妃様ならこんなふうにきっと仰るわと想像して。
 夏の女神の方角は南。
 東と南に対して、この春夏で恩恵を……需要と利益を生み出すものとしてご紹介いえご提案に参りましたと言ったも同然の言葉を内心自棄やけ気味に言い切る。
 言い切るしかない。
 きっとこの服には婚礼衣装に匹敵するお金がかかっている。

 トゥルーズは公爵領内にある東部一の都。
 リンシャールは南部で最も有力なトゥール家の領内。
 このフォート家とトゥール家に縁のある地の素材を使ったドレスなんて、つい先日に養子縁組してルイと結婚したわたし、そう、それはわたしのためにわたしが作らせましたと激しく主張しているのも同じ。

 おまけに、これは春夏に向けた試作品のドレスで王都にはまだない。
 そんなものを、ルイの元にこうして集まった領内を運営させている統括官の前でのこのこ着てご挨拶するということはですよ。

 わたくし、こちらをこれから夏の社交にむけてこの東部ロタール公爵領から流行らせようと思っていましてよ。

 なんて。
 めちゃくちゃ意欲的に提言しているのも同じじゃないですかっ。
 折角、新参者として殊勝な奥方なご挨拶をしたつもりなのにこれでは。

 “嫁いできたからには東部と公爵家に役立つことをしますのでどうぞよろしく……ふふっ”

 とでもいった、お強い奥方な雰囲気にですね。
 こちらが思っているのとはほとんど真逆に捉えられかねないじゃないっ。
 わたし……泣きたい。

「まあ……王家にも利があるなら乗っからない手はないんじゃない?」
「では、北へはそれとなく噂の流れをつけましょう」
「なら、こちらは南との。どうせ同じ運河に乗せることになるというもの」
「絹糸の供給量は限りがある。品質維持を考えたら先に制限をかけておくのがよろしいのでは」

 西の腹黒美少年の腹黒い発言をきっかけに、北南中央の統括官が各々役割分担をはじめ、最後の最後にまったくと諦めたようなため息をついて、東のどうもルイに振り回されていそうな気がする元騎士様が重々しく口を開いた。

「量産の心算をしておきましょう」

 えっと、なんだか……ごめんなさい。
 わたしがルイの企みにまんまと乗せられたばっかりに。
 わたし、何度この人のこういった手に乗せられれば……。
 
 そう思いながら、自分を慰めるようにロザリーさんの焼菓子を手に取ろうとして、ふと自分の袖のきらきらした銀色に光る刺繍が目に入った。
 まるでルイの青味を増した瞳のような、少しくすんだ薄い青色に染められた絹地、細い縦線の地紋が入った……彼の髪と同じ銀糸の花刺繍。

 これ、春の祝いだ。
 春の女神は水の精霊を従える。花を象徴とする女神。
 生地全体に散らされた花、青と縦線の地紋で水を表現してる。
 
 ――ああ、ということは貴女も……。
 ――とうとう、二十です。
 ――倍ではなくなりますね。結構。

 婚礼の支度に忙しくて、生まれ月だったことも忘れてたわと王都の邸宅でぼやいて、おや貴女も冬でしたかとお互い冬生まれだと知ったのだけど。
 出来ることを、出来るだけ。
 わたしの挨拶。
 わたしの貴族の奥方としての実地訓練。
 夏の社交を前にしての領主の、公爵の妻としての実績作り。
 そしてわたしの……冬生まれの、春の祝い。
 そんなの。
 ひとつに色々、盛り込み過ぎる。
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