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挿話

40.5.フォート家の家令(1)

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 私は、フェリシアン・フーシェと申します。
 エクサ王国東部大領地ロタール公爵領領主・防衛地区バラン辺境伯であり、王国の魔術の歴史を担う魔術師の家系でもあるフォート家に、家令として先代当主から四十九年お仕えしている者です。

 私の遠い先祖は魚の精霊と交わったそうで、私はその先祖返り。
 なんとなく平べったいと評される顔の左頬には鱗のような痣を、手の指と指の間にはごく小さなひれもございます。見た目は六十代そこそこに見えるそうですが、八十を越えております。
 長命の傾向を持つ先祖返りは、普通の人より緩やかに老いまた長生きするのだそうです。
 ですから私の実年齢を知って働き過ぎを気遣う者の心配はありがたいものではあるものの、私はまだまだ現役使用人として当面元気に働けると存じます。
 むしろ下手に日課が狂えば変調をきたしてしまいかねません。
 思うに私の御先祖の魚の精霊とは、泳ぎ続けないと死んでしまう類の魚だったのではないでしょうか。
 それほどに、わたしはこの屋敷での家令という仕事を愛しているのです。
 二代に渡り私を召抱えてくださっている、怖ろしく、お優しく、ひどく不器用な旦那様にお仕えしご満足いただくこの仕事が――。

 さて、お屋敷に関する全権を、当主である旦那様よりお預かりしている家令の朝は早うございます。
 まだ暗いうちに身支度を済ませ、夜明けの頃には仕事にかかります。
 まずはその日の仕事の確認です。
 私の執務室を兼ねた、屋敷と各地を繋いでいる旦那様のお作りになった魔術具によって届く手紙や荷物の受け取り部屋の鍵を開け、執務机について昨晩書いた日誌を見直しや旦那様や奥様のご予定を確認しながら、行わねばならない仕事を整理します。

 仕事の確認している間に朝のお茶を運んでくれるのは、夜番の小間使いであるヴェルレーヌです。
 彼女の入れてくれたお茶を飲みつつ、私は夜の間の屋敷の状況や彼女の仕事の報告を聞きます。
 
「昨晩も特に問題ございませんでした」

 金髪碧眼で色白の儚げな美人であるヴェルレーヌは、公爵領のお隣の他領を治めていた元男爵家令嬢。
 その物腰も言葉遣いも大変優雅ですが、なかなかに癖のある人物です。
 彼女の特徴についていくつか挙げるとすれば、まずは彼女が夜番である理由のその体質でしょう。
 陽の光に大変弱く、その青白い肌は短時間で火傷のようになってしまうため、日中はカーテンを閉め切った自室で眠っているか大人しくしています。
 基本的に彼女は勤務時間以外は引き篭りです。
 とにかく屋敷の人間ともろくに会うこともなく、眠るか読書やなにか彼女の趣味を満喫するのが至上といった女性です。
 与えられている仕事に対しては真面目に勤めるのも、そのための対価といった節があります。

 この屋敷にいらっしゃる前の彼女の話です。
 ヴェルレーヌは、ご両親を馬車の事故で亡くしました。
 彼女しか子供のいなかった男爵家において、家を存続させるためには家督を継ぐ婿を探すのが本来なところです。
 ですが彼女は驚くべき行動に出ました。
 彼女は早々に王家に、爵位と領地の返上と受け継いだ財産の半分といった多額の寄進を願い出て、その代わりに一旦王領となる地にある男爵家の屋敷に、たとえ王家が家臣のどなたかに領地を割譲しようとも、引き続き住まい隠居生活を送る許しを得る交渉をしたのです。
 自分のような体質の女など相手に対して申し訳ない。
 ただただ静かに社交などからも離れて暮らしたいのです、と切々と訴えた彼女の要望を王家は認めました。
 なんという能動的な引き篭り……ここまでくると筋金入りです。

 挙げ句の果てに夜の散歩に出歩いていた日課を人攫いに利用され、人を攫って生き血を啜る魔物に食われ、屋敷に住むのは魔物のなり変わりなどと噂を広められ、どうしてそのようなことになるのか私にはさっぱりわかりません。
 おまけにこちらとしては大変迷惑なことに、噂に合致するように実際に人攫いが起き、現場らしき場所には血痕があると軍部の調査に基づく対処要請が、同じ東部で場所が近いといった理由で宮廷魔術師ではなく、旦那様のところへ回ってきました。
 紆余曲折末、最終的に旦那様が彼女の要望を聞き入れる形で、軍部を立てて彼女は死亡したと人が思うような偽装が施され、王家には残る彼女の財産の寄進をもって裏で話を通し、このフォート家の使用人として彼女の身柄を引き受けることになったのです。

 そのような経緯もあり、ヴェルレーヌは他の訳ありの使用人達とは少々毛色の異なる使用人で、屋敷を監督する私としてもなかなかに一筋縄ではいかぬ使用人なのです。
 彼女の祖父は、共和国との多額の戦争費用寄進した功で男爵位を得た豪商で、その強かさは彼女にも引き継がれているといえましょう。
 男爵令嬢だった頃は、商人上がりと他のご令嬢方から意地悪をされていたようで、優雅でおっとりした立ち居振る舞いとその様子も、意地の悪いご令嬢方の間でうまく立ち回るためのものというのだから驚きます。
  
「旦那様もマリーベル様もいらっしゃらないと、なんだかお屋敷が寂しいですね」

 そしてヴェルレーヌは、奥様の要望にそって奥様のことをマリーベル様と呼ぶ、この屋敷では数少ない使用人でもあります。
 なにしろそのように奥様を呼ぶのは、彼女と私の二人だけなのですから。

 この年明けに旦那様と結婚したばかりのマリーベル様は、春の祝いには正式に三十九となる旦那様の歳の半分に近い、同じく春の祝いにて正式に二十となられる若く可憐な魅力をお持ちのお嬢様なのです。
 結婚前は王宮で王妃の第一侍女を務めていた方だけあり、その可憐さとは相反するような芯の強さと貫禄と懐の深さのようなものを時折ですが人に感じさせます。
 そのため屋敷の若い使用人達は、マリーベル様を彼女がいくら名前で呼んでほしいと願っても「奥様」と呼んでしまうらしいのです。

 そもそもこのフォート家の当主で、巨匠の彫像のごとき美貌とそれに見合う美声の持ち主でもある旦那様に対して、その地位も名誉も財力も美貌もてんで関心の内にも入らず、むしろ旦那様の手によって一方的に押し進められた結婚に憤慨し、離婚を望んでまでいらっしゃるといった方ですから驚きます。

 おまけに離婚を望まれているにもかかわらず、妻である内は妻の役目を果たしますとなんの疑問もない様子で仰って、大変働き者なうえに、なにかと警戒心の強い旦那様に対しどんどん距離を詰めていくのですから、随分と変わったお嬢様だといえましょう。

 ちなみにマリーベル様と同い年であるヴェルレーヌの評価は、「マリーベル様は磨けば光り輝く原石です。さすが旦那様、わかっていらっしゃる」だそうで、なんのことか私にはわかりませんがかなりの高評価ではあるようです。
 まあでなければ、ヴェルレーヌがあのような副業をすることもなかったでしょう。

「マリーベル様の故郷であるユニ領へ行ってらっしゃるのですよね。どのくらいで戻っていらっしゃるのかしら?」
「春の祝いの前にはお戻りになると思いますよ」 
「旅は互いの違いを浮き彫りにすると申しますでしょう? わたくし少々心配で……」
「ヴェルレーヌ」
「はい」
「あなたが心配しているのはお二人というより、あなたの副業の糧であるお二人の仲睦まじさではないですか?」
「あら、どちらもです」
「そういえば、近くまた新刊を出すのだとか……」
「春の女神タロエイアの加護の下、水の精霊オンディーンのお導きで」

 にっこりと微笑むヴェルレーヌは、彼女自身が絵物語の姫のようです。
 その言葉から、どうやら春の祝いの時期に水の精霊が司るところの“恋の芽生”の章が刊行されるようだと私は読み取って、同時に彼女に注意しなければと私は彼女に対する口調を少し堅くします。

「ヴェルレーヌ、この屋敷で不用意に神や精霊の名を口するのは、旦那様以外は厳禁です」
「あっ、そうでした」

 この屋敷は何重にも歴代当主による護りがかけられております。
 まるで高級食事処秘伝のスープのようですが、その護りは厚く、悪意や邪気を跳ね除ける効力だけなら地方の小聖堂よりもずっと強い護りなのです。
 崩れかけではありますが、元七小国の王の王城であった屋敷には小さい祠のようなものもあるため、この屋敷に住む者の生まれ季節ごとの祝いなど、年中の儀式は旦那様が司祭の真似事と言いながら執り行ってくださいます。
 正直、私が幼少期に聖堂で経験した祝いの儀式より、フォート家のそれははるかに荘厳です。
 なにしろ旦那様は、聖職者ではなく魔術師。
 聖職者が唱える祝い事の祝詞はそのまま、魔術の詠唱となり祝福の光をもたらすのですから。
 先代の旦那様など、いまの旦那様より厳しい容貌の方でしたので、それはそれは威厳に満ちた情景が年四回繰り返されたものです。

 場が場なのですよ、と旦那様はややうんざりしたように仰います。
 この屋敷自体、歴代当主による護りによって魔術的に感度の高い場となっているそうで、だからこそ魔術師でない者であっても、神や精霊の名を口にするのは厳禁と旦那様は仰います。 
 たしかに、なにも屋敷でなくても神や精霊の名はそう安易に口にするものではないとされております。
 しかしながら、先代の旦那様の頃はそのように厳格に禁じられてはおりませんでした。

 いまの旦那様、ルイ様が家督を継いでからフォート家は随分と変わりました。
 なにより変わったのは、使用人の人数です。 
 昔は、いまよりずっと沢山の使用人がおり、賑やかな屋敷でした。
 急に変わったわけではございません。
 共和国との争いの影響で人が減っていたこともあるのですが、少しずつ、ルイ様は良い条件の他家を紹介したり、嫁ぎ先や各々の技能にあった仕事先と縁付けたりなどして、領地の管理と必要最低限屋敷の運営に必要な者だけに減らしていったのです。
 私室には滅多なことでは使用人を立ち入らせず、ご自分の身の回りの世話については幼少期からほとんどご自分でされていました。
 それが少し変化したのは、オドレイがやってきた頃でしょうか。
 あの頃から、通常の人とは異なるものを持ち、世の中で厳しい扱いを受けがちな者を使用人として雇うようになりました。
 まるで、彼らに居場所を与えるかのように――。
 いまではオドレイが来るより以前から屋敷にいた者は、私と料理長のロザリーだけです。
 いえ、ロザリーを慕ってついてきている台所女中のアンもおりますが、人ではないなにかが実体化しているらしい彼女を果たして人員として含めたものかは、少々疑問を覚えます。
 
「そういえば……今年はマリーベル様がいらっしゃいますから、夏の社交にはお出になられるのでしょうか」
「おそらくは出向かれるでしょう。王の名入りの招待状が早くも届いていましたから」
「それは……マリーベル様が少しお気の毒ですね」

 なにかと悪目立ちもしているでしょうから……と元男爵令嬢だけに気遣わしげに頬に片手を添えてヴェルレーヌは呟いていますが、私もそれについては同感です。
 西部の少領主の一人娘で上流相当とはいえ、マリーベル様は元平民。
 公爵家である旦那様との身分差解消のため、王妃のご一族との養子縁組を経てフォート家に嫁いでいるものの、貴族のご令嬢なら当然受けているはずの貴族の奥方として振る舞いや常識は知らないはずなのです。
 
「王妃様の侍女を務めていらした方ですから、まったくというわけではないでしょうが」
「そう仰いまいしても、使う側と使われる側では違いますもの。トゥール家のご養女ですから、わたくしのようなわかりやすい意地悪はないと思いますけれど」

 言外にわかりにくい意地悪はありそうだと私に伝えるヴェルレーヌに、あなたが教育係の役についてくれれば適任なのですけどねと打診すれば、昼間自由にならない身が心苦しいですと逃げられました。

「それにわたくしなど、刺繍やお裁縫くらいしか能がない令嬢でしたから」
「それは過小評価というものですよ、ヴェルレーヌ」

 むしろそのおっとりとしていながら、ご自分の引き篭り生活のためには手段を選ばずに我を通すような立ち回りと交渉能力、面倒を引き受けてくれた主とその奥方を題材にしいて本を書いて世に出す豪胆さは、今後のマリーベル様に必要なものでしょう。

「わたくしは旦那様にお裁縫の腕を見込まれた夜番小間使いですもの。もちろん旦那様や家政婦長代りのマリーベル様がお望みであれば誠心誠意尽くす所存ではございますよ」

 私はたしかに屋敷の全権をお預かりする使用人の長ではあるものの、彼女に関しては旦那様が王家に対して身柄を引き受ける形になっています。
 それに本来なら女性使用人に対して統括管理をおこなうのは家政婦長です。
 家政婦長がいなければ、それは女主人であるマリーベル様の管理するところとなります。
 主夫妻の権限下に例外的に置かれている彼女には、私もあまり強引なことは出来ないのです。
 そして残念ながら、そのことをヴェルレーヌは十二分に理解し、彼女の引き篭り生活を守るための盾と出来る人でもあります。

「旦那様に一度相談してみることにしましょう」
「わたくし、雇用条件は死守いたしますよ」
「……わかっています。あなたの自由時間、ヴァレリー・リシャールの執筆時間に支障がなければよろしいのでしょう」 
「ええ。定刻になりましたから、わたくしは失礼いたします」

 屋敷の窓から朝焼けが見え始め、ヴェルレーヌは使用人とは思えない優雅さで一礼すると、私の前から去り、やれやれと私は額に手をあてて首を横に振ったのでした。
 ヴァレリー・リシャールとは、主夫妻を題材にロマンス小説を書いているヴェルレーヌの作家名です。
 こちらのお屋敷では副業は許されるのでしょうかと、最初の一冊目の出版前にその原稿持参で相談された日のことを思い出しました。
 彼女が差し出した原稿に目を通してみれば、これがなかなか絶妙にご当人とはわからぬさじ加減で、世間が思うところの主夫妻の姿とその恋情を深めていく様が綴られていて……。
 あまりに物語がよくできていたため、却下するのもしのびないと献本を条件に許可したのは私自身なのですから仕方がありません。
 そもそもフォート家はその利益と品位を損なわないものなら、使用人個人の業務外での活動の自由については原則認めている、使用人に対して随分とゆるい家なのです。

 それに私自身、幸福そうな姿を綴ったものが一つくらいこの世にあってよいのではないかと思える……そんな旦那様ではありますので。

 旦那様、ルイ様が産まれた日は、鉛色の空から絶え間なく綿のような雪が降り落ちてくる冬の日でした。
 地面も庭の木々も厚く積もる雪に白く染めあげられたような様は、まるで生命と死、受容と忍耐、再生と豊穣を司り、象徴を雪とする冬の女神ケイモーヌが、地の精霊グノーンを従えてこの地に降り立ったようでした。

 冬の女神の守りは、魔術的にはとても強固なものなのだそうです。
 本来、守護を司るのは秋の女神ですが、冬の女神は秋の結実を守るためになにもかも閉じ込めて死の如く深い眠りにつかせます。
 そしてやがて来る次の季節には、死の淵から引き上げる再生をもって春の女神の癒しの手に守り抜いた結実を渡して芽吹かせるのです。
 冬は、秋を携え春含む季節なのだと、先代の旦那様は仰っていました。
 四季の女神に関するお話は様々なものがありますが、私は、そのような話は聞いたことがありませんでした。
 先代の旦那様は、洗練化する一方である魔術研究の時流に反し、建国以前の魔術や精霊博士に関する研究を、軍部での研究とはまた別のご自身の研究としてされていたので、私のような市井の者が知らない話を知っていらしてもなんら不思議はない方でした。
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