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第二部 公爵家と新生活

40.互いの違い

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「えっと、わたしが王妃様のために少し手のかかる仕事で人を動かすとしたら、こういった結果を出して欲しい指示はもちろん、各々の得手不得手も見て仕事を采配します……」

 それにと、わたしに不可解そうにしているルイを見ながら思う。
 そういった少し手のかかる仕事は、わたし一人では到底全部見られない。
 だからそれぞれの仕事を行うまとまり同士を連絡がつくように、誰がどの仕事を取りまとめて誰の指示の下で管理する。
 
「それで全体で見てきちんと仕事ができていればよし、でもうまくいっていないならどこがうまくいっていないか確認して対処しないといけないでしょ。場合によっては人を変えることも……それに似たものかなって」

 はあっ、と上から降ってきたため息に、あれ違った、と首を傾げれば……あなたは王妃の侍女だったのではと尋ねられた。

「そうですが?」
「どうして貴女がそのような……王妃の身の回りのことをするのが仕事でしょう」
「ええ」
「貴女がすることではないのでは?」 
「一つ、お聞きしたいのですけど」

 ふと、尋ねるのにいい機会かもと思った。
 この人の行動を見ていて、特に今回のこのユニ領行の諸々でもしやと思ったことを。

「……王の誕生祭への出席をかなり直前になって返答したのでは?」
「たしかに返答期限後に王に直接、それがなにか?」
「やっぱりっ!」
「なんです、いきなり脈絡もない。いまの話とどんな関係が……」

 大有りですっ、とわたしは彼のガウンの合わせ目を掴んで引っ張った。
 王に直接? 
 そんなことをされたら招待客をとりまとめて準備する側は大迷惑だ。

「おかげでこちらが再三催促しても、なかなか出席者リストが来なかったんだからっ」
「っ!?」
「あなたみたいな王のご友人、しかも無駄に家格が高い人っ」

 王の側近かそのお使いから、賓客中の賓客の飛び入り参加のお知らせが入るなんて……下手をすれば、それまでの準備がひっくり返る。
 
 ああ、わたしとの連絡係だった文官の人、結構きついこと言ってごめんなさい。
 出席者も満足に整理できない無能なんて思ってごめんなさい。
 あなた達ちっとも悪くなかった。
  
「わたしだってそうですっ。その場に大きな影響を与えそうな方がいらしたら、王妃様の周囲でなにが起きても対応できるように準備しておくのが務めなのに、そのためにあれこれ考えてどれだけ人を動かさないといけないと思うの!?」
「マ、マリーベルっ……!」

 彼のガウンの合わせ目を握った手で力任せに彼を揺さぶって詰め寄るわたしに、きらきらと光を撒き散らすような銀髪を乱しながら、狼狽の声を上げてルイがわたしの二の腕を軽く掴む。
 
「そりゃ、あなた方が我儘仰っても、それに対応するのがこちらの仕事ですけれど……」

 じっと彼の青みがかった灰色の瞳を覗き込めば、多くの者達の働きで成り立っていることくらいはわかっていますと言った彼に、ならいいけどとわたしは彼を揺さぶるのを止めた。
 まったくと、わたしの二の腕を押さえたまま、彼がわたしの頭の上に額をつける近さで項垂れる。
 わたしが彼のガウンの襟元を握っていて、彼がわたしの二の腕に触れていることもあって、なんだか彼がわたしを抱き込むように覆いかぶさっている形になっていた。

「貴女も多くの者たちの一人で、魔術でいえば神の部分ですか……成程、まさか魔術の技法をそのように置き換えて考えるとは……私にはない発想です。フォート家の祝福で精霊について話をした時も独自の解釈をされていましたが」
「わたしは魔術のことなんて知りませんから、似たようなところを手掛かりに考えるしか」
「たしかに、お互いなにかとすり合わせは必要そうです……」

 話を魔術に戻しても、と囁くように尋ねられてわたしは慌てて彼から手を離す。
 彼もわたしの二の腕をから手を離したけれど、少し開いてしまった襟元を直すこともせず顔だけをあげて、隣り合って並んで斜めに向き合っているわたしとの間で、わたしの両手を取った。

「脇道にそれましたが、いまの魔術の組み方ならもう少しなんとかなると思うのですが」

 昔はそうではなかったために難しい。
 補強作業にあたって屋敷から持ち出した記録を参考に魔術の改変を試みたけれど、想定外な影響が見て取れたために厄介と呟いたらしい。

「ただ説明するだけのはずが、何故こんなことに」

 そう彼はぼやいたが、それを言いたいのはこちらの側だ。
 それにその手は、いつ離してくれるのだろう。
 不意に、部屋の明かりが揺れ、部屋のあちこちに置いてある燭台の蝋燭へ目を向ければ、その長さはずいぶんと短くなっていた。

 フェリシアンさんの資料、もう少し読み進めたかったのに。
 彼が教えてくれた魔術の基本もいずれ覚えないといけもの。
 まったくの無駄ではないけれど、優先順位で考えたらいまでなくてもいいことではある。

「それにしても、貴女は少々変わっています」
「……解釈がですか? だからそれは魔術のことなんて知りませんし、あなたに変わっていると言われたくは……」
「そうではなく。壊れた魔術の陣が私や周囲に影響しないか、真っ先に尋ねたでしょう」
「そりゃ、わたしの加護の術が暴発? した際にあなた血相変えていたし」
「普通、真っ先に心配し影響しないと安堵するなら、ご自分の身だと思いますが?」

 やけにきっぱりと断言する口調のルイの言葉で、言われてみたらそうかもしれないけれどと彼の顔を見る。
 悪徳魔術師だけど、すぐそばでわたしに危険が及ぶようなことするとも思えないし。
 もしあっても、なんとかしてくれそうだし。
 それにどう考えても、わたしよりこの人になにかある方が影響は大きいだろうし。 
 
「うーん、あまり考えていなかったかも。あなたが無事なら近くにいるわたしも大丈夫だろうし。むしろそちらのが重要では?」
「……一定の信頼を得られたと考えれば喜ばしいですが……それは、少々……」
「少々、なに?」
「いえ、少々驚いただけです」

 驚く、どうして?
 ふいっと、彼はわたしから視線も手も外して座り直し、ガウンの襟元を直す。
 まるでわたしが問いかけようとしたのから逃れるみたいにも思えたけれど、まあいいかとわたしも座り直した。

「まあ、あれでなにか起こすような迂闊なことはしませんよ」

 たしかに。
 この、いつも澄ました顔で人をはぐらかしては丸め込む悪徳魔術師が、そんな失態をするところなどあまり想像はできない。 
 彼の言葉に大いに納得していると、緩く髪を結い上げた後頭部になにか触れる気配がした。
 わたしに近い、彼の右腕がわたしの頭の後ろに回っている。
 頭や髪を撫でるというよりは、結い纏めてある表面を指先で辿るような微妙な触り方。
 なんだか虫が留まった時みたいにぞわぞわする。
 
「少し難しい魔術を自分で組む時は、いくらなんでもいきなり本当に実行するのは危険ですから組んだものが破綻しないかああして仮に動かし検証します」

 しかしそのことを知らない貴女を前に試すのは、いたずらに怖がらせるものでしたねと説明する間も、彼の指は髪の表面を辿っている。
 ルイの説明も一段落ついて、少し眠気を感じた。
 蝋燭も短くなっているし、もう夜も更けた。
 虫が留まった時にみたいにぞわぞわする、髪に触れる彼の指にも慣れてあまりなにも感じなくなっていて。
 むしろ眠気を助長するような……ルイがわたしに変に構い出す前に、さっさと就寝を促すのがいいかもしれない。
 フェリシアンさんの資料に未練はあるけれど、寝不足が見て取れる顔でお客様の応対をするわけにもだし、明日の朝に……と、考えながら段々うつらうつらしてきた意識は、不意に耳に聞こえた彼の言葉に一瞬で覚めた。

「私の落ち度です。そういったことは……久しかったので忘れていました」
「ちょっと心臓に悪いとは思ったけれど……別に怖くはないでしょう……?」
「いえ……加護の術でも……貴女を怒らせている……」

 なんだか、すぐ隣のルイの顔を仰ぎ見るのは躊躇われた。
 それくらいわたしを明らかに気遣う声音と口調。
 どうしてそんならしくもない……そう思いかけて、昨日聞いたばかりの話が脳裏を過る。

 そうだ……。
 フォート家は魔術の家系。
 魔術の歴史そのものと言えば聞こえはいいけれど、実際は祝福の影響で代々の魔術の知識と力を生まれながらにして持って生まれる子供が引き起こす災をいかに防ぎ、封じるかの積み重ね。
 その話をいまのいままで、ルイ自身ときちんと繋げて考えていなかったことにわたしは気がついた。
 
 そばで世話するものが一番災難を被りやすい。
 ある者は直接被害を受けて、ある者は犠牲になった使用人に心を痛めて、ある者は我が子に怯えて……いずれにしても心身のどちらかあるいは両方が傷つき疲弊していく――どうしてそんな平然と話せるのと彼に思ったけれど。
 それは彼自身というよりフォート家の悲劇のように捉えてしまっていて。
 だって常に飄々ひょうひょうと穏やかに優雅な様子でいる、存在自体が伝説めいた現実味のない魔術師な、いま現在の彼の印象があまりに強くて。
 
「……もう、そろそろ寝ましょう」

 手を頭の後ろへ回して、彼の手を捕まえ前に持ってきってわたしはそう言った。
 ルイのお母様は、彼が物心がついた頃には我が子であるルイに対する抑えられない恐れと、そう感じてしまう罪悪感で彼を見ることが出来なくなった。
 それでも手紙で母親としてのつながりを絶えさせることはなく、疎まれていたわけではないと手紙のことを懐かしい思い出のようにルイは話していたけれど……。
 
 当時の彼自身は、どう受け止めていたんだろう。

 それにお父様のことは、お母様を溺愛していたというくらいでほとんどなにも話さなかった。
 生まれてすぐの彼が受け継ぐ魔術の知識と力への対応策は、いまはある程度確立されていると言っていたけれど警戒はされていたはずだ。
 同じ魔術師である父親に。
 
「平気そうにしてるけど、朝はそれこそ大掛かりな魔術をやっているし。それにお互い、日中結構忙しくしていたし……少し眠くなってきたし」

 もう片方の手も重ねて促せば、ルイの視線を感じた。
 目だけを動かして彼を見れば、呆然とわたしというよりわたしが捕まえている彼の手を見下ろしている。
 
「なに?」
「いえ……」

 わたしの問いかけに彼は一度顔をしかめ、次に、考えの読み取りにくい表情になってなにか考えるように黙りこむ。
 立ち上がろうかどうしようか迷いながら、わたしも黙っていたら、しばらくして彼の閉じていた口元が僅かに動いた。

「それは、貴女からのお誘いと受け取っても?」
「違います。正真正銘、言葉通りにただ就寝を促しています」
「そんな真顔になって、全力で否定せずとも……」

 人を揶揄からかうようないつも調子でルイは残念がって見せたけれど、わたしの言葉に従う気のようで、わたしたちの後ろの暖炉の飾り棚の上にある燭台の蝋燭に灯る火が一つずつ消えていく。
 それ以外の、部屋のそこかしこを照らしていた蝋燭の灯も。
 薄明かりから段々と暗くなっていく中で、寝ましょうとわたしは彼にもう一度囁いた。

 もしも昔のことを思いだしてなにか思うところがあるのなら、こんな夜更けにあれこれ思い巡らせてもろくな気分にならないだろうし、きっとそれがいい。
 ルイの手を引くように立ち上がり、彼の手を離して背を向ければ暗くて危ないですからと抱え上げられる。

「寝台に入ってから、明かりを落とせばよかったのに」
「それだとこうできないでしょう?」
「……なにそれ、姑息」

 苦笑する声を聞きながら寝台の上に横座りに降ろされる。
 髪を解いてガウンを足元に脱ぎ、寝具の中へと移動して落ち着けば、ガウンは脱いではいるもののまだ脇に腰掛けているルイの手が頬に触れた。

「ルイ?」
「本当に、貴女という人は……」
「なんですか」
「いいえ。そういえば貴女が明日なにをどう用意しているかについて、宿の支配人から報告を受けました。特に問題はなくむしろ行き届き過ぎなくらいです」
 
 お昼に宿に戻ってから、明日の午後の準備をテレーズさんと相談し、宿の料理人に用意するものを指示した内容について、この宿の支配人である宿に着いた際に部屋に案内してくれた男性を経由してルイに書面で連絡が届けられたのだろう。
 ルイは午後は書物机に向かって書類仕事らしきものをしていて、時折、支配人が部屋を訪ねてきては、ルイ宛の手紙や伝言を届けていた。
 
「その……日中同じ部屋にいたにもかかわらず、テレーズさんを経由して宿の支配人から書面であなたに明日のお茶の準備内容が届いて伝わるの……すごく王宮を思い出す」

 そういうものですから、と言って頬から手が離れて彼も寝具の中に入った。
 おやすみを挨拶を交わし、休息につく。
 やはり疲れていたのだろう、そう間も置かずにすぐ隣から規則的な呼吸の音が聞こえてきてわたしは体ごと、彼の方向へとそっと身動ぎした。
 暗闇の中でもほんのりと浮かぶ銀色の髪が散る、彼の寝顔を眺める。
 眠っていると、本当に彫像みたいだ。

 もしかして……彼があまり自分の身を顧みないのって、自分の身を先に心配されるってことがあまりなくて、彼の中で心配するものの中に自分のことが入っていないか、優先順位がものすごく低いのかも。

 生まれながらの魔術師で、魔術師としてしか生きられないフォート家の子供。
 理性より本能が勝る頃からある程度落ち着くまで、愛情の有る無しに関係なく警戒対象。
 彼が周囲に危険を及ぼす魔術の発信源だもの、彼よりも周囲の無事が優先されるのはある面では仕方ない。 
 あまり人の事を勝手にあれこれ想像するのはよくないけれど、むしろ大切だからこそ本人のために厳しい接し方になることはある。
 父様は優しい人だけれど、五歳の時に母様を亡くしたわたしを甘やかすことはしなかったもの。
 それにフォート家は貴族だから平民の家庭とはまた違うだろうし、そんな環境のなかでお母様とはいくら手紙は届くにしても直接顔を合わせてはいないのだもの。

 それに十二歳で家督を継いだって言っていたし――。

 よく考えたら、まだ王宮に上がれる歳ですらない。
 貴族の子弟の教育の期限より一年も早い内から、ルイは、ロタール公および防衛地区バラン辺境伯にして古七小国王族末裔であるフォート家の当主として、戦地と貴族社会に放り込まれている。

「きっと、いまのわたしなんかとは比べようもなかったはず……」

 だってわたしは王宮勤めの経験も一応あるし、いまや地位も名誉も財力も揺るぎないルイによるお膳立てがある。
 けれど、子供の頃のルイにそんなのあったのかしら。
 独自の地位を貫いている大領地を治める公爵家であるフォート家の若すぎる当主に、周囲の大人がどんなだったかなんてわたしでも想像できる。
 きっとなにも後ろ盾がないほうがましと思えるくらい、誰を信用していいのかわからない状況が待っていたはず。

 そっとため息を吐いて、ごろりと正面を向くように寝返りを打つ。
 あれこれ考えたところで所詮は想像だし、仮に想像通りだったとしてもわたしが過去に立ち入れるわけもない。
 本当に寝よう……これで寝不足になったら目も当てられないわ。
 目を閉じれば、視覚が閉ざされ鋭敏になった耳に彼の呼吸の音が鮮明に聞こえて。
 いつしかその呼吸の音に誘われるように、わたしも眠ってしまった。
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