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第二部 公爵家と新生活

32.防御の魔術と補強作業

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 八つ目の町を出る頃には日は沈みかけ、空は赤紫から夜の青へと滲んでいた。
 日が長くなってきたとはいえ、また距離もそれほど遠くなかったとはいえ、本当に回ってしまうなんて。

 立ち寄った町や村の規模はまちまちだったけれど、その形は基本的にすべて同じだった。
 円形の壁に囲まれて北と南と西に門があり、中央は広場、街の中心に鐘楼を備える聖堂が建てられている。
 共和国との境に向けて形成される防御壁を作り上げる陣を仕込んだ敷石は、鐘楼の足元にあった。一見、周囲と変わらないなんの変哲もない砂のような色をしているのも共通していた。

 最初に昼食を取った町よりも、さらにずっと簡単な手順で、訪問はさくさくと進んでいった。
 連絡はしているようで町や村を訪れれば広場に集まっている人々に迎えられ、世間話もなにもかもすっとばして出会いの挨拶を交わし、なんの前置きもなく魔術師が敷石の魔力を注ぎ込んで魔術を補強し、作業が終わればその旨を報告して終了、次の町か村へと向かう。

 本当に、これでいいのかしら……?

 略式の応対にすらなっていないようなやりとりを、魔術師が貴族らしい丁寧さと物腰柔らかな態度は維持しつつもとりつくしまのない愛想の無さで、淡々と事務的にこなしていくのを眺めながら首を傾げたくなる。
 言葉にするなら「無駄口叩くつもりはない」といった圧が彼の全身から滲み出ていて、余計な話はしづらく、彼以外のその場に立ちあった全員がなにか物言いたげな顔をしていた。
 魔術師に紹介されては、名前と挨拶の言葉を口にしてお辞儀するを繰り返しているわたしも、たぶん。
 正直、初対面で余分な会話一切無しでその場にいるのは辛い。
 王宮にいた頃、間も無く適齢期を迎えるけれどまだお相手が定まっていない王女様を巡る貴族達の情報戦に巻き込まれた時のように、女神のような微笑の維持を意識してやり過ごしてはいるけれど。

 しかし、ほんの一時だけそんな必要がない時もある。
 魔術師が、防御の陣に魔力を足して補強を施している時で、彼が手掛ける大掛かりな魔術を見る機会は、わたしの中に仕込まれた加護の術とこれで二つ目であるけれどやはり綺麗だった。

 八つ目の町は、丁度、日が落ちる時で、広場も建物もわたし達も行き交う人々もなにもかもが薔薇色に染まってしまうような頃合だった。
 町長夫妻とその側近、そしてわたしが立って見守る中、魔術師が敷石の前に跪く。
 敷石の上に両手をかざして目を伏せれば、ふわっと彼の髪が浮いて、かざした手から細い銀色の光の糸が空へと、彼が私に施した加護の術で現れた円の何倍もの大きさをした、成人した大人が三人は並んで寝転がれそうな広さを持つ銀色の円が暮れかけの空に描かれていく。
 空気までも色に染まったようなところに描かれた銀色の光の円は、まだ昼間の空だった他の町や村で立て続けに見てきたどれよりも神秘的な美しさが際立っていた。

「――――」

 低く耳に心地よい声音で、やはり遠い異国の詩のような響きに聞こえる意味はわからない言葉を詠唱する魔術師以外の誰もが、夕暮れの空をぽかんと立ち止まって見上げている。
 魔術師が送り込んでいる魔力で術の補強がされているのだろう。
 空に浮かぶ円と文様を描く光の線が、次第に力強く輝きを増してくる。
 やがて文様が円の中で歯車のように動き出し、魔術師が手をかざしている敷石にも空に浮かんでいるものと同じ、文様を描く円が浮かび上がって淡く銀色に光りはじめた。
 敷石の光に照らされて、魔術師の銀色の髪がきらきらと白銀の光の粉を散らすように輝き、目を伏せている整った白い顔の陰影は深く、本当に巨匠の彫った像のようだ。
 深い青に惜しみなく金糸を使って刺繍をされた領主然とした装いも手伝って、ちょっと平伏したくなるような威厳に満ちた姿で、ひたすら補強を行っている彼にわたしの目は釘付けになる。

 なんだか……話に聞く通りの魔術師!
 とてもじゃないけど、馬車の中で人を揶揄からかって鬱陶しく絡んでくる人と同一人物には思えない!
 
 この人、本当にこの国の魔術のすべてをその身に宿したような魔術師なのだわと、謎の感激すら覚える彼の姿だけれど、圧倒的に人の目を引くのは空に輝く光の円ではあるため、どうやらそんなことを考えながら彼を見詰めているのはこの場でわたしくらいなようだ。
 
 すごい……。

 空を見上げたままでいる人々の姿を視界の端に捉えながら魔術師を見詰めるわたしの口から、なにに対してかもわからない感嘆の呟きが漏れ、不意に、カーンカーン……と、鐘楼の鐘が鳴りだして、六つ鳴る時を知らせる。
 人々がはっと我に返ったように目をしばたかせている間に、空に溶けるように銀色の光の陣は消えていった。

「終わりました。翌年の春が始まる頃までは国境の護りは効く。この町も同様に」
「訪れる春の祝福の如き、このバランの地の境の護りを授かり、公爵家に深い感謝の念と忠節を捧げます。公爵様並びに奥方様にも神と精霊の御加護を」

 優雅な動作で立ち上がった魔術師が、男爵位であるという初老の町長へと向きあって告げれば、町長が家臣の礼で応える。
 これまた初めて見る、主従なやりとりだった。
 胸の内の見えない表情でいる魔術師の眼差しが、町長の言葉に頷くようにわずかに細まり、本当にわずかなので多くの人にはなにも変わっていないように見えるだろうけれど、どうやら町長には伝わったようでほっとしたような空気が流れる。

「では、我々は先を急ぎますので。マリーベル」

 急に魔術師に呼ばれて、思わず返事しそうになったところを堪え、静かに控えめに町長他皆さんへ出来るだけ丁寧な動作で王宮儀礼に則った礼をすれば、町長の側に控えていた側近男性がため息を吐いたのに、えっなにかおかしかったと内心焦ったところで、「奥様」とオドレイさんがわたしを促した。

「日が暮れてしまう前に馬車へと旦那様が」
「あ、はい」

 小声で耳打ちしたオドレイさんに頷いて、少し先で待つ魔術師に近づき、差し出された手を取って馬車の中へ戻る。
 シモンがどうやらわたしの用意した手土産を渡しているらしきやりとりの声が聞こえてきたけれど、それもオドレイさんが馬車の扉を閉めて途切れた。
 かわりに魔術師の、はあっと呆れたようなため息の音が聞こえた。

「まったく貴女という人は……」
「え、なに? わたし、なにかおかしなことしてしまってました?」
「いいえ、なにも。流石は元王妃の侍女だけはあります。昼間も言いましたけれど、そんなに構えなくて結構ですから」

 これではまたなにかしら理由を付けて……と、なにか苦々しげに呟く魔術師の向かいに座って首を傾げれば、なんでもありませんと彼は首を横に振った。

「あの綺麗な銀色のはどんな魔術でも?」
「ん? ああ陣ですか。中級魔術より上だと大抵なにかしら描きますね、効率がいいので。文章、詠唱、陣、これらは基本的に用途としては同じです。どのような要素や力をどう使いどういった効力を発揮させるかを示すようなもので」

 魔術が絡むと、途端に饒舌かつ真面目で懇切丁寧な解説となる。
 こういった魔術師の話を聞くのは好きだし、妙に絡んでくることもなくて良い。

「あんな緻密な文様を描くの、絵心ないと大変そう」
「あれは絵ではなく構成要素を象徴化するというか……とにかく、なにか特定の絵が描けなければならないといったわけでなく術者によりますから絵心は不要です」

 おそらくは説明し辛いものなのだろう。
 途中で説明を切って、わたしの誤解を解くだけにとどめたらしい魔術師の言葉に、そういったものなのかと思いながら動き出した馬車の窓の外を見る。
 このあたりは町や村が点在しているせいか、道も街道といった雰囲気だ。
 けもの道やなんとなく人が通るようになって出来た道ではなくなっている。
 おそらくは東部の都市トゥルーズに近いせいもあるだろう。

 大きな街は王都を出てから久しぶりだわ、なんて考えていたら、魔術師がやや深く息を吐き出して斜めに姿勢を崩した。
 きっと疲れてきているのに違いない。
 たしかに人々への応対は、さっさと済ませるといった言葉通りにいくら公爵で領主といってもさすがにそれは横柄で失礼ではとひやひやするほど素っ気なく済ませるけれど、魔術の補強に関してはそうではない。
 それにどうやら彼の非礼もあの光の円を見てしまえば帳消になってしまうようで、皆さん心から魔術師に感謝を述べる。
 国境ひいてはそれに面している自分達をも守っているわけだから、当たり前だと言われればそれまでだけれど、そこには魔術師への信頼や尊敬の念のようなものが見て取れた。
 本人は、存在感のない領主なんて言っているけれど、地域によってはそうでもないんじゃないかしらと思う。
 なにより彼等に護りの補強について告げる魔術師の様子は、まぎれもなく魔術師で領主でもある公爵様だ。

「マリーベル、こちら側にきてもらえませんか」

 通常なら何故と断るところだけれど、少しうつらうつらしているのでなにかに寄りかかって休息出来る姿勢をとりたいのかもしれないと黙って彼の側に移る。
 国境の防壁なんて大掛かりなものの補強なんて、たぶん彼にしか出来ないだろう仕事をこなして疲れている時まで流石に反発する気はない。

「なにが補強程度ならですか?」

 移れば予想通りに寄りかかってきた魔術師に呆れてそう言えば、思っていたよりずっと各所弱まっていたんですよと愚痴のような言葉が返ってきた。

「年々、落ちているがここまでとは……とはいえ貴女に優しくしてもらえるなら、たまの労働も悪くない」
「年々、落ちている?」
「あの魔術は周囲の土地などの力も借りています。人ひとりの魔力をちょっと注いで維持できるものではないですから」
「借りている力が弱まっているってこと? どうして?」
「そうですねえ。魔術にとって代わるような動力や技術も進んできていますし……人々の信仰心とか年間行事で行う祭事などの営みもだんだん廃れてきていますからね」

 魔術を組み上げている要素が弱くなれば当然施した術も弱くなり、最悪維持できず壊れるらしい。
 自分ならそんな予測のつかない環境変化を組み込むことなんてしないと言いながら、魔術師は目を閉じたが眠ってはいない。

「あれは古い時代のフォート家の当主が施したものなので」

 地の精霊に属する周辺の土地が持つ力なども利用していて、昔は様々な祭だとか捧げ物とか自然を崇めるようなことをやっていたのが魔術的には補強に繋がっていたらしい。
 争いで使用される武器もいまほど強力ではなかったため、二、三年は維持できていたらしいけれど、いまはそこまではとても保たない。しかし一から作り直すよりは、まだ補強のが楽なためこうしていると魔術師は説明した。

「とはいえこの調子だと、どうしたものか」

 どうやら、補強作業が想定していた以上に大変だったようだ。
 あくまで話す言葉は軽い調子だけれど目は閉じたままでいるし、王宮から屋敷に移動した時よりも疲労の色が濃いように思える。

 いくら魔術のことを知らなくても、あんな空に大きく緻密な文様の円を描くような魔術なら、補強といっても相当な魔力を必要とするのは素人目にもわかる。
 今日、魔術師は午前中も含めて九つの町や村で補強作業を片付けたのだ。
 午前中にいた町では、わたしは町長夫人とお茶して休んでいなさいと言われていたから、彼の補強作業を見ていなかった。
 見ていたら、ハつ回ると言い出した時にもっと強く止めて変更させていただろう。

「お薬を用意してるって、言ってましたよね?」
「不要です。ひとまず最低限の線は補強しましたから今日は終わらせ、トゥルーズと仕上げは明朝です。流石に丸一日二日使い物にならない状況は避けたい。それにしても休めより先に薬を尋ねてくるあたり、元王宮使用人らしい厳しさですねえ」

 くくっと、苦笑した彼にあっと思う。
 たしかに。

「えっと、そんなつもりじゃ」
「わかっていますよ。まあでも使ってもいいかもですね、夜はまだ長い」
「きちんとお休みください」

 ぺしっと、魔術師の賢そうな額を叩く。
 まったくと思っていたら、かすかな寝息の音が聞こえてきたのに、普段からこれではオドレイさんが困った人とぼやくのもわかるわと、御者台の声を伝える小さな窓を仰ぎ見た。
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