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公国編

第51話 無能の騎士と王族の姫

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 ――医術において最も肝要なことは、病や怪我を負うことを可能な限り防ぐことだ。我々が病や怪我に施せる有用な策は限られる……。

 暁光宮といまや教会書庫となっているその隣の棟をつなぐ途中にある小舞台からティアの声が響く。
 元々、夜宴の余興や客人をもてなす芝居や舞踏のための舞台だから音が響きやすい場ではあるものの、あの小さく華奢な少女のような体のどこから、こんな響き渡るような芯のある声が出ているのか……極度の人見知りの姫はどうやら大勢を前にした途端、演説に長けた為政者や将の如きとなるらしい。
 あいつは本当に頭の先から爪の先まで上に立つ者なのだ。
 王国という大国において、生まれた時から何百何千といった優秀な家臣と何万という民の上に立つ者として、そしてその頂点に立つ資質があると幼い時に王国王に言わしめた。
 しかし――。

「なんとも、勇ましい講義よ……」

 半円形のすり鉢状の観覧席の隣に座す、司教のグリエルモがぽつりと漏らす。
 少数の客人を迎え入れる場、それほど人は入らない。大聖堂の講堂であればもっと多くの者が入るが、教会勢力外部の者にティアのことが漏れないようにするため奥まった場所でもっとも人が収容できる場を選んでいる。
 舞台周辺は百名程集まった修道士達が押し合うように詰まっていて通路に立ち見している者もいる。
 前の席では速記者数人によって講義録が取られていた。
 それはそうだ。
 医術においては一時代分進んでいると名高い王国でその医術の先端の一片を担っている本愛る姫君による特別講義……なのだが。
 
 ――我々は、我々の心身を蝕む敵に対しほぼ無知だ。その病や怪我の治癒をめぐる争いの場、すなわち肉体においても知ることは少ない。敵を知らず、戦場となる地も不案内、打てる手も限られている戦に勝てると思う者がいるのならば手を挙げよ!

「これ、医術の講義か?」
「初陣で、指揮官の演説を聞いた時のことを思い出す……」

 ――故に戦自体の回避、つまりは病や怪我を負うことをいかに防ぐか。王国の学術院は医術の向上と同時にいかに医術を使わずにいられるかを研究している。

 あるいは騎士見習で受けた座学、と司教が遠い目をしている。
 そして周囲の、教会が独占してきた写本の研鑽に明け暮れていた者達のやや困惑混じりな、しかし傾注している気配。
 王宮の王国で自分の侍女すら側に寄せつけないような内気な王女は、その命令を、指示を、人に聞かせるだけの言葉の強さを持っている。

「興味深くはあるが、しかしこれは反発を覚える者も出るであろうな……」
「司教、それはどうして」
「人を救う医術は神の神秘なる力とも結びついておるので……ん?」

 ――病は“悪いもの”が入り込んで引き起こす。古い書物に記されていることは正しい。しかし、どのように入り込むのか、入り込んだあとどうなるのか長く見誤ってきたのでは? そう、神の力を嘲笑おうとする悪しきものはいつだって狡猾だ。よもや血を抜けば出ていくなどといった単純な敵であれば、今頃は神の力でとっくにこの世から病はなくなり、怪我の後で命を落とすこともない……弱っている者はどのような状態か、なにを施した時どうなったか、そしてそれは施したことのなにがどこにどのように作用したのか。

「恐れ多くも“神の力”と口にするのならば、それを正しく知り使わなければ。それを忘れて理解を深めることを止める慢心は、神への冒涜――それに折角知恵を授かっているというのに、神をそうそう煩わせてもいいものかだろう。というわけで、誰にでも出来る予防策として有効とわかっていることについて……」

 会場の方々から苦笑の声が漏れ、場の緊張が一気に緩む。
 神への冒涜と、一度言葉を切ったティアの口の端がわずかにつり上がったのを俺は見た。あいつが塔で言ったりやったりしていたことは、こんな教会の説教じみたことではなかったはずだ。
 この場に集まっている公国の修道士という、王国の常識は通用しない者達に話を合わせている。

「……あの若さ、女の身で、末恐ろしい」

 司教の呟きに頷くかわりにわずかに目を伏せる。
 あいつは十八だ。
 生まれ持っての聡明さをその性格と環境が後押ししたとはいえ、その知識。
 そしてあの護身の動き、実践で通用しそうな罠の仕掛け。戦略の的確さ。
 あれは幼い頃から訓練しないと身に付かない。王女としての儀礼もしないだけで出来ないわけではない。
 半ば公の立場で振る舞うティアを見ているとよくわかる。
 多くの者が音を上げるだろうことを、自分は王族であるからというだけで。

「そうでなければ認められない……」
「フェリオス?」

 それに、ティアだけではない。
 あのたおやかな、虫も殺さないような穏やかさのフェーベ王女も。
 
『体格や腰に剣を下げての歩き方から見て騎士であることは間違いないけれど、右肩と左の胴体を傷めているから今は戦えない。もしかしてカルロが先日騎士団を一喝した件と関係があるのかしら? 敵国の騎士であるのにティアちゃんと一緒にいるのはおそらく助けられたから』

 王宮でティアに引き合わされた時の洞察力。
 単身で、いつ捕らえられ殺されるかもわからない本職の間諜も同然なことを、公の場で堂々と微笑みながら遂行する機転と胆力。
 そうでなければ、出来なければ、きっと王族として認められないのだあの国では……いつだったかあの塔でティアと書物の整理をしながら交わした会話を思い出す。

『王国は厳しいんだ』
『厳しい?』
『基本的に“働かざる者食うべからず、貴族は国のしもべたるべし”だからな。王族など最たるものだ。体が弱いなど事情があるならともかく、無駄飯喰いなど許されない』

 ティアだけじゃない。
 ああいった王族が、他にもいるのが王国だ。
 嵌められたとはいえ、俺たちが喧嘩をふっかけたのはそういった相手――そんな王国から俺の一族は何故別れた。
 本当に、貴族に厳しい王国に嫌気がさしてのことだったのか?
 いくら穏便な離脱であったからといって、その後の自活や国力差のことなどを考えたらむしろずっと厳しいのじゃないか。
 アウローラ王家を支えたという、当時のヒューペリオ公爵家はどうして。 
 そして俺は、ヒューペリオの者として生まれてこの三十年間、一体、なにをしてきた――?
 そういえば、あの塔で初めて宰相殿と会った時に「いくら王族でも公国と王国とでは格が違う!」などと言われたな。 
 ああ、確かにそうだ。
 確かに、格が違いすぎる。  

*****

「ティア王女、本日はどうも有――」
「疲れた……お腹すいた……眠い……」

 特別講義を終えて、小舞台から暁光宮に入ってきたティアを迎えたグリエルモに、無愛想にぼそぼそとそうぼやいてふらふらと数歩廊下を進んだと思ったら、突然壁にへばりついて膝を落とした。

「ティア?」
「王女……?」
「甘いものはないかああぁ~~……」

 こいつ。
 群衆を前にした時と、慣れた少数の前との落差が大きすぎないか……。
 ティア王女にお茶の用意をとグリエルモが雑用係の少年に静かに言いつけているのを聞きながら、奇妙にほっとした気分で偉そうなだけの王女に戻ったティアの肩を支え上げる。

「甘い香りの餡の入った焼き菓子……」
「とりあえず、兄上の部屋へ行こう。な? お前の指示で卵白焼き固めたの用意してあるし」

 こくりと頷いたティアをなかば抱えて引きずるように、俺はティアの指示で再び部屋を移した兄の部屋へと移動する。

「お前、あんな話もできるんだな」
「ん……なにが?」
「神がどうのと……ものすごく違和感あったぞ。そういった信仰心とか薄そうだし」
「む、失礼な。これでも教会や神学には敬意を払っているぞ。まあ見解の違いはあるかもだけど」
「見解の違い?」
「私にとって神の力というものは神秘的だけど神秘じゃない。この世にある以上、必ずなにか法則やそれを引き起こしている仕組みがあるのだと思う。でなければ神だって作れないよ。このあたりの議論についてはいまは勘弁してくれ……」
「……わかった」
「公国は王国より教会の影響力が強いのだろう? 少数の貴族と大勢の民。明確な階級による秩序、外敵の脅威も王国とは比べものにならない。なにか救いになるもの、信仰というものの活用は有りだと思う」
「お前にいわれると身も蓋もないな……」
「王国にいるうちにちょっと神学をお浚いしておいた。付け焼き刃だけど、役にたったな……もっと話を聞いてもらえないと思っていたから。公国王を最初に診た時にみたいに」
「あれは大部分お前に原因があると思うぞ……」
「む、仕方ないだろ……あんな様子では……」

 それはそうとあの教会書庫はなかなか素敵だ。
 とくに植物の薬効を記した書物などは……ああ、こんな状況でなければ司書長に頼んで半年くらいあそこに……実験道具も運んできてもらって……などと話を変えてなにやらぼそぼそ言い始めたティアに、いい加減きちんと立って歩けと軽い体を少し持ち上げれば、ううっ……と恨めしげに呻いて、不承不承、ティアは俺にひきづられるのを止した。
 
 ***** 

 部屋に入れば、すぐさま控えていた宮廷医が深々と頭を下げる。 
 俺にではなく、明らかにティアに注意を向けて――。
 無理もない。
 
 ――ここにいる者達はよってたかって自分たちの王を殺す気か?

 兄の様子を診た後のティアは、そう彼女の背後にいた俺たちを振り返った。
 
 ――殺す気なのかと聞いていいる。

 あいつが本気で怒ったら、こうなるのかと思った。
 静かで重い声音と、細めた黒い瞳は磨いた石のような硬質な光を浮かべていた。
 
『何故、そんなっ……』

 長い黒髪を揺らしてゆっくりと向かってきたティアに、掠れた笛のような声を上げて宮廷医の一人が後ずさって、もつれた足に床に尻餅をつく。
 正直、俺も一瞬だけ気圧された。
 床に崩れた宮廷医の足がぶつかった小机の上に並んでいた薬や軟膏の入れた壺や入れ物が落ちて派手な音を立てて砕け散る。
 その音を聞きつけて、外に控えていた修道士兵が室内に駆け込みティアに槍を構える。
 
『待てっ、ティ……!?』 
『アウローラの第四王女殿下っ! それはどういことでっ』

 俺が取りなそうとするよりも早くグリエルモが問いかけた声に兵が構える槍の高さがわずかに下がる。ティアは彼を一瞥し、駆け込んできた兵の槍の切っ先見ると一笑に付して宮廷医の側に歩み寄ると、床に屈みこんで転がっている細い棒のようなものを拾い上げると、尖った切っ先を持ち上げて眺める。
 まるで俺たちのことなどいないも同然の様子でいる。
 これにはグリエルモも兵も若干呆気に取られたらしい。
 
『流石に使い古しではないか。これ同様に磨いたものを使っていたか?』
『へ……はい……っ』
『説明は後だ。おい、お前達は窓の格子を開けろ。そこで槍を持って突っ立ている者達は行水用の盥と湯、綺麗な布を持ってこい』
『なっ……』
『早くしろ。グリエルモ司教というのか? 責任者はお前だな、不敬で私を処するのなら七日待て』
『……ティア王女?』
『いまここから私を追い出せば、お前達の王は早晩死ぬ。私を害すれば、アウローラ王国と戦争だ。七日待つなら回復の兆しを見せられる』
 
 手にしたものを放り投げて、ティアは踵を返しグリエルモの前に立った。

『公国王は虚弱らしいな。もともと体が弱いのに、毒を用いて弱ったところを瀉血で体力を奪われ続け、傷も膿んでいる。公国王を長期に弱らせたのは他ならぬお前達だよ……まあ陰謀よりはいくらかましだが。どうする?』

 俺は、王国の第四王女がよくわからない。
 王国にいた時の繊細で内気な姿、可憐にして偉そうな姿。
 そして彼女を迎えに行きその道中に見た、まるで別人のような威と余裕を見せる姿。
 切っ先を向けられて微笑んでいたりするから、怖い。

「ああ、それな。フェーベ姉様に教わったんだ、“なにが起きても毅然としていれば大丈夫よ”って」

 ティア王女それは……と、雑用係に用意させた菓子と茶を兄の部屋の隅に備えたテーブルに置いた司教の言葉に、なんだ? と首を傾げてティアは菓子を頬張った。
 グリエルモを説得したティアは部屋に風を通し、兄の身を清め、寝台のシーツを取り返させた。
 飲み水を沸かした水と、細かく刻んだ野菜を煮て念入りに濾した汁に塩をわずかに加えて再び熱したスープを与える以外には、宮廷医の猛反発を頑として退け一切なにもするなと言った。
 
「たしかに……あなたと同じ年頃にこちらにいらしたフェーベ王女も堂々としていらっしゃった」

 衣擦れの音とともに聞こえた声に、俺もティアも司教も寝台へと目を向ける。
 ひとまず順調に回復しているようだなと、ティアは茶の杯を口元に運んでテーブルへ置くとテーブルを離れて寝台へ進み、天蓋布を開いてなかを覗き込む。

「まだ微熱は続いている。それぐらいで大人しくしていろ、公国王」
「年配の公国貴族に囲まれ、王国王の名代として父上の前に進み出た時もまったく臆さず、まるで花がほころぶような微笑みでその場にいた人々を魅了したのをよく覚えている」
「フェーベ姉様なら当然だ。スープは飲めるか?」
「いただこう」

 七日待つなら回復の兆しを見せられる。
 ティアの言う通りとなった。

 そして俺は国に戻っても、これとなにもしていない――。
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