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隠遁生活編
第6話 不摂生王女と養生中の騎士
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よかった。
そう思ったらなんだか気が抜けてしまった。
解毒薬といっても、実は矢毒を無毒化するものではない。
矢毒と正反対の作用をもたらすものを、先人の知恵で古来から用いてきたに過ぎない。
呼吸不全が起きないように毒の作用を抑えつつ、毒が抜けるまで待つしかない。
無数に矢を受けて、しかもどれにどれくらい毒が塗ってあったのかもわからないから受けた毒の量も濃さもわからない。
おまけに深い傷を負っている。
解毒薬の作用が行き過ぎたら、今度は痙攣や動脈収縮がおきて傷の方で危なくなる。
それに傷の痛みや炎症も酷かったから催眠作用のある鎮痛薬も使わざるを得なかった。
矢毒もその解毒薬も、人に用いる薬としては詳しいことはわかっていない。
複数の薬を使えばどう作用し合うかもわからないから、慎重に、様子を見ていた。
毒さえ抜けてしまえば、あとは傷の治療と体力の回復に専念すればいい。
うっかり眠ってしまった間に、急に容態が悪くなったらどうしよう、なにひとつわからないような症状が現れて止まらなくなったらどうしよう……などといった考えに怖れなくて済む。
包帯を巻き終えて、見るからに力強そうに鍛えられた男の肩の筋肉に支障が起きていないか確かめるように撫でながら、心底からほっして、気がついたら男の広い背にもたれかかっていた。
「ティア……?」
困惑したような声が聞こえる。
それもそうだな、この男は複数の薬で朦朧となりながら眠っていたのだもの、自分がどんなに苦しがっていたかなんて覚えていないはず。
「ティア?」
また声がした。
こちらを気遣ってくれているとわかる、顔に似合わずやさしい声音だった。
「すまん……毒が抜けきるまではどうなるかわからないと気を張っていたから……少しほっとした」
最初の二晩は本当に、苦しそうで。
数々の戦場を生き延びてきた精悍な風貌の男なだけに、その苦しむ姿自体も恐ろしかった。
あれに比べたら、容態を気にしてつい厳しく愛想のないものになってしまう私の言葉に多少気を悪くした様子で睨まれても全然平気だ。
むしろそれだけ回復しているのならなによりだと思う。
「迷惑かけた、な」
私よりずっと年上で、立派な体格でちょっと厳つい顔をした男の、そろりとこちらを伺うような申し訳なさそうな少し恥じ入っているような調子の言葉に苦笑した。
「まったくだ」
実はここ数日あまり眠っていない。
本当に、本当に大変だったんだぞ……と胸の中で私は呟いた。
*****
ティア……、ティア――。
声が、聞こえる。
誰だ……金色の、金髪?
知らない、知りたくない……面倒くさいと意識の向こうへ追いやる。
ティア。
なお呼ぶ声と、なんだか肩がゆらゆら揺れているのに、うんっと抵抗しながら首を振って組んだ両腕の中に潜り込めば肩の揺さぶりは更に強まって、耳がきんと痛くなるような大声で呼ばれた。
「ティア!」
「んぅ……なんだ……」
目をこすりながら、うつぶせていた身を起こす。
呆れたように息を吐く音が聞こえ、すぐそばに立っていた男を見上げる。
大あくびが出そうになったのを、口元に手を当ててもぐもぐと噛み殺した。
「なんだ、フューリィか」
「なんだじゃない……床だか雪崩を起こした物の上だかよくわかない場所で寝るんじゃない。風邪を引くぞ」
「平気だ。いままで何度もやってるけど一度もそんなことはないからな。本当に寒ければ目も覚める……」
まだ少し眠い。
「そういった問題じゃないっ」
「なんだ、なにを怒って……って、ぅわっ!?」
ふわっと胴から浮いたと思ったら、まるで雑穀袋かなにかのようにフューリィの左肩に片腕で担がれていた。
反射的に太い首元に腕を回せば、左腕の肘の上に私の腰を乗せるように抱え直され、背中を支えるように右手を添えられる。
「こらっ、お前っ、まだ抜糸もしてないんだぞっ!」
「ああ、だから暴れるな……ったく、朝っぱらから王女が塔の階段の踊り場で冷たくなって倒れているのを発見したこっちの身にもなってくれ」
片腕で人ひとりを抱え上げるなんて馬鹿力めと思ったが、たしかに少し体が冷えているようでフューリィに触れているところからぽかぽかとしてくる。
まだ少し熱があるんじゃと心配になるほど温かい。
私を抱きかかえたままフューリィは階段を降りていく。
階段の壁は石積みの壁を漆喰で固めたもので、三階建ての塔は、住居としている一階以外は書庫となっている。
元々は、明かり取り兼見張り窓のそばに武器を置く棚だったのだろう。
塔をぐるりと取り巻くように造られている細い通路のような階段の、一周するごとに小さく開いている踊り場の壁にも棚があり書架として使っていた。
私は、二階と三階の途中の踊り場で積んで崩れた本を枕と寝台にして、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「たぶん……文献を探していてちょっと眠くなって、そのまま寝てしまっただけだ」
「お前、一昨日の晩も結構遅くまで起きていただろう。王女が夜更かししていないで早く寝ろ」
「王女とか禁止って言ったはずだ」
「別に儀礼で言ってるわけじゃない」
「むぅ……結構、小煩い奴」
毒が抜けて二日が過ぎた。
毒が抜けたら急に元気になってきて、まだ傷も内部は塞がっていないのに起き上がってなにかと動こうとする。鎮痛剤は使っているが、寝たきりだった時ほどの使用量ではない。
二階に差し掛かって、私はフューリィに声をかけた。
「もう下せ、右肩や胴の傷に負担をかけるようなことはするな」
「ほとんど背に添えているだけで負担はない。思った通りに小鳥みたいな軽さだし」
「成人女性だぞ、そんなわけがあるか」
「それくらい俺にとっては軽いってことだ。腹に力を入れるまでもない。それより身につける前の鎧みたいにひんやりして……」
左腕で、彼の体に傾くようにされて、右手で頰に軽く触れられる。
こちらの頰まで熱くなるような、熱い手だ。
「少し、熱がないか?」
「お前が冷たすぎるだけだ。揺さぶってもなかなか起きないし、俺よりよっぽど死人みたいで肝を冷やしたぞ」
お前のせいで連日寝不足だったんだとよっぽど言ってやりたかったが、なんだか恩着せがましいから飲み込んだ。
それにこの男が受けた毒のことで夢中になっていたのもたしかだ。
「大げさだな」
「まあ、朝飯食ったら温まるだろう」
「もしかして、作ってくれたのか?」
「雑穀粥だがな。また叱られそうだが、もうとにかくなんでもいいから、なにかして動かないと気が狂いそうだ。水甕に水もまだ残っていたし、かまどに空いていた鍋を使った」
「まあ、それくらいなら」
「それならよかった」
よほど動けるのがうれしいのかフューリィは喉を鳴らすように笑った。
怪我人になにかさせるのはしのびないものの、私も自分でも頰が緩むのがわかった。
剥製作りより手間はないものの、毎日毎食のことなので実は料理もちょっと面倒くさい。
だから、とてもうれしい。
顔のすぐ下にふわふわと金色の髪が揺れている。
私の国ではあまり見ない色だから気になっていたのだけど、撫でたりするのも妙だし。
ちょっとだけと、フューリィにわからないように顎先で頭の上に触れてみる。
柔らかい。
本当に、お日様の光を糸にしたみたいで綺麗だ。
「ところで、飯はどこに用意すればいい?」
「ん?」
「あのでかい机は得体の知れないものでほぼ埋まっているし」
「私なら適当に食べるから気にするな」
「いや……そうではなく」
「うん?」
フューリィが私を見るように目をぎろりと動かしてなにか口ごもったのに、妙な奴だなと私は首を傾げた。
もう動けるのだから病室の机を使えばいいし、私はいつも適当に机の上を開けるなりして食事を取っている。
「……お前、ここにどれくらい住んでいるんだ?」
「一年くらいかな」
「その前は王宮にいたんだよな」
「もちろん」
なにを言ってるんだろうこの男は。
王宮を出てここにいると先日説明したばかりなのに。
それになんだか別に言いたいことがあるけれど、別のことを話しているようなはっきりしない物言いだ。
「そりゃ、常にというわけじゃないだろうが、父母や所帯持ちでない兄弟などと同じ食卓につくだろう?」
「まあ年に何度かは。私は大抵、読書や書き物で忙しいから部屋に運んでもらっていて昼は王立学術院によくいたから学術院の食堂で適当に食べることが多かったけど」
「王女……」
「だからその王女っていうのはっ」
「いや、まあなんとなく違和感がないのがあれだが……俺はひとところにいて、特にそうする理由もないのに別々に飯を食うというのは落ち着かないんだが? 片付かんし」
「え?」
「人嫌いの第四王女が嫌でないのなら」
「別に人嫌いなわけでもないし、嫌でもないぞ。仕事机の半分は物置だからひとまず物は端に寄せれば今日のところは」
「ならそうしよう」
「うん」
なんだそんなことかと思ったが、真面目な顔で神妙に言われるとなんとなく胸のあたりというか腹の底というかはっきりとしないがむずむずと面映ゆい。
いつの間にか一階まで降りて仕事部屋まできているし、いつまでどこまで私を抱えていくつもりなんだろう、もう下ろせと耳元でいえば、フューリィは返事をして少し身を屈める。
彼の腕から滑り降りようとした、丁度その時だった。
「な……これは一体……っ!」
どさっと重みのある荷物が床に落ちた音とともに、丈も生地もたっぷりとした濃紺のローブのフードも目深に被った怪しい風体の中年男が仕事部屋の入口で、こちらを見てわなわなと身を震わせていた。
すぐさま、戦場での雄々しさを垣間見せる俊敏な動きでフューリィが私を庇うように抱え直し、現れた人物に対し斜交いに身を構える。
剣を携えていたらきっと抜いて構えているだろうと思わせるフューリィの動きと殺気に、少しだけ身がびりっと粟立った。
「何者だ」
「貴様、誰だ?! その方が誰と知ってっ!!」
「あ、フューリィ……あの人は……」
私を含め、三人から同時に発せられた言葉が仕事部屋に、言葉として聴き取れない雑音となって響き渡る。
「ん? 待て、その顔……貴様どこかで」
「むっ?」
「おい、二人共落ち着けっ」
フューリィと対峙した中年男が目深に被ったフードを落として目を細めたのに、ああそうだったと私は思い出した。
公国との国交を担当していたこの人のほうが、カルロよりもよっぽどいまの公国には親しい。
というより、どうしてこの人がこんな朝早くからここを訪ねてきたのか、当番なら戦さもあるからと理由をつけてカルロに当面来てもらうよう彼にそうお願いしていたはずなのに。
「面差しは少しやつれたように思えるが……間違いない! 貴様は公国の――」
「っ! あ、こらトリアヌスっ!」
「公国王の弟、フェリオス公国騎士長!」
まあ、王国と長く国交を結んでいたのに、突然さして抵抗らしい抵抗もせず帝国の属国となっていまや王国侵略の拠点ともなっている公国王の弟が、ここで私を抱きかかえなどしていてたら、流石のこの人も普段の思慮分別もなにも動揺の方が大きいだろうけれど。
いきなりこいつの素性をここで言ったら、またこいつはいらぬ警戒をするだろ……。
「……トリアヌス? まさか王国宰相の?!」
「う……あ、うん」
本人ではなく、何故か私に驚いたような顔を向けて確認してきたフューリィに、バランスを崩して背中が反り返りそうになるのを止めるように彼の首に掴まって頷いた。
「しばらく物資はカルロにお願いしていたんだけど」
「カルロって……まさか、軍神カルロかっ?!」
「知っているのか?」
「当たり前だ、伝説の王国騎士団総長だぞ」
カルロの側はこんな若造知らないと言っていたけれど、どうやらフューリィの側は違うらしい。
そうか、そうかも、隠居の身でありながらいまの王国騎士団総長もカルロには頭が上がらないみたいだし。
先日の話ではその表に立った時の威圧ぶりは健在だったみたいだし。
「ティア王女……」
「ん?」
「その、こ、公国の……王弟殿と随分と親しいご様子ですが……」
「あーうん、ちょっと話せば長くなるのだけど」
――お前、俺の素性を知っていたな。
ぼそりと低くフューリィに耳打ちされて、一応、お前の思慮深さを汲んだつもりだったんだと答えたらあからさまな顰めっ面を見せた。
間近だと、結構な迫力で怖い顔だ。
「ま、まあ、とりあえず朝食でも食べながら。折角お前が作ってくれたわけだし」
「王弟殿が作った?!」
「誤魔化すな。いつから知っていた」
「いまその話はいいだろっ、後で話す。それよりこの人は厄介なんだ……あ、トリアヌスもよければ一緒に?」
「ティア!」
「王女!」
とりあえずどういった事かきっちり説明してもらう、していただきます、と怖い顔した男と怪しい風体の宰相に睨まれて。
わかったと、私は二人に降参しひとまずフューリィに腕から降ろしてもらった。
そう思ったらなんだか気が抜けてしまった。
解毒薬といっても、実は矢毒を無毒化するものではない。
矢毒と正反対の作用をもたらすものを、先人の知恵で古来から用いてきたに過ぎない。
呼吸不全が起きないように毒の作用を抑えつつ、毒が抜けるまで待つしかない。
無数に矢を受けて、しかもどれにどれくらい毒が塗ってあったのかもわからないから受けた毒の量も濃さもわからない。
おまけに深い傷を負っている。
解毒薬の作用が行き過ぎたら、今度は痙攣や動脈収縮がおきて傷の方で危なくなる。
それに傷の痛みや炎症も酷かったから催眠作用のある鎮痛薬も使わざるを得なかった。
矢毒もその解毒薬も、人に用いる薬としては詳しいことはわかっていない。
複数の薬を使えばどう作用し合うかもわからないから、慎重に、様子を見ていた。
毒さえ抜けてしまえば、あとは傷の治療と体力の回復に専念すればいい。
うっかり眠ってしまった間に、急に容態が悪くなったらどうしよう、なにひとつわからないような症状が現れて止まらなくなったらどうしよう……などといった考えに怖れなくて済む。
包帯を巻き終えて、見るからに力強そうに鍛えられた男の肩の筋肉に支障が起きていないか確かめるように撫でながら、心底からほっして、気がついたら男の広い背にもたれかかっていた。
「ティア……?」
困惑したような声が聞こえる。
それもそうだな、この男は複数の薬で朦朧となりながら眠っていたのだもの、自分がどんなに苦しがっていたかなんて覚えていないはず。
「ティア?」
また声がした。
こちらを気遣ってくれているとわかる、顔に似合わずやさしい声音だった。
「すまん……毒が抜けきるまではどうなるかわからないと気を張っていたから……少しほっとした」
最初の二晩は本当に、苦しそうで。
数々の戦場を生き延びてきた精悍な風貌の男なだけに、その苦しむ姿自体も恐ろしかった。
あれに比べたら、容態を気にしてつい厳しく愛想のないものになってしまう私の言葉に多少気を悪くした様子で睨まれても全然平気だ。
むしろそれだけ回復しているのならなによりだと思う。
「迷惑かけた、な」
私よりずっと年上で、立派な体格でちょっと厳つい顔をした男の、そろりとこちらを伺うような申し訳なさそうな少し恥じ入っているような調子の言葉に苦笑した。
「まったくだ」
実はここ数日あまり眠っていない。
本当に、本当に大変だったんだぞ……と胸の中で私は呟いた。
*****
ティア……、ティア――。
声が、聞こえる。
誰だ……金色の、金髪?
知らない、知りたくない……面倒くさいと意識の向こうへ追いやる。
ティア。
なお呼ぶ声と、なんだか肩がゆらゆら揺れているのに、うんっと抵抗しながら首を振って組んだ両腕の中に潜り込めば肩の揺さぶりは更に強まって、耳がきんと痛くなるような大声で呼ばれた。
「ティア!」
「んぅ……なんだ……」
目をこすりながら、うつぶせていた身を起こす。
呆れたように息を吐く音が聞こえ、すぐそばに立っていた男を見上げる。
大あくびが出そうになったのを、口元に手を当ててもぐもぐと噛み殺した。
「なんだ、フューリィか」
「なんだじゃない……床だか雪崩を起こした物の上だかよくわかない場所で寝るんじゃない。風邪を引くぞ」
「平気だ。いままで何度もやってるけど一度もそんなことはないからな。本当に寒ければ目も覚める……」
まだ少し眠い。
「そういった問題じゃないっ」
「なんだ、なにを怒って……って、ぅわっ!?」
ふわっと胴から浮いたと思ったら、まるで雑穀袋かなにかのようにフューリィの左肩に片腕で担がれていた。
反射的に太い首元に腕を回せば、左腕の肘の上に私の腰を乗せるように抱え直され、背中を支えるように右手を添えられる。
「こらっ、お前っ、まだ抜糸もしてないんだぞっ!」
「ああ、だから暴れるな……ったく、朝っぱらから王女が塔の階段の踊り場で冷たくなって倒れているのを発見したこっちの身にもなってくれ」
片腕で人ひとりを抱え上げるなんて馬鹿力めと思ったが、たしかに少し体が冷えているようでフューリィに触れているところからぽかぽかとしてくる。
まだ少し熱があるんじゃと心配になるほど温かい。
私を抱きかかえたままフューリィは階段を降りていく。
階段の壁は石積みの壁を漆喰で固めたもので、三階建ての塔は、住居としている一階以外は書庫となっている。
元々は、明かり取り兼見張り窓のそばに武器を置く棚だったのだろう。
塔をぐるりと取り巻くように造られている細い通路のような階段の、一周するごとに小さく開いている踊り場の壁にも棚があり書架として使っていた。
私は、二階と三階の途中の踊り場で積んで崩れた本を枕と寝台にして、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「たぶん……文献を探していてちょっと眠くなって、そのまま寝てしまっただけだ」
「お前、一昨日の晩も結構遅くまで起きていただろう。王女が夜更かししていないで早く寝ろ」
「王女とか禁止って言ったはずだ」
「別に儀礼で言ってるわけじゃない」
「むぅ……結構、小煩い奴」
毒が抜けて二日が過ぎた。
毒が抜けたら急に元気になってきて、まだ傷も内部は塞がっていないのに起き上がってなにかと動こうとする。鎮痛剤は使っているが、寝たきりだった時ほどの使用量ではない。
二階に差し掛かって、私はフューリィに声をかけた。
「もう下せ、右肩や胴の傷に負担をかけるようなことはするな」
「ほとんど背に添えているだけで負担はない。思った通りに小鳥みたいな軽さだし」
「成人女性だぞ、そんなわけがあるか」
「それくらい俺にとっては軽いってことだ。腹に力を入れるまでもない。それより身につける前の鎧みたいにひんやりして……」
左腕で、彼の体に傾くようにされて、右手で頰に軽く触れられる。
こちらの頰まで熱くなるような、熱い手だ。
「少し、熱がないか?」
「お前が冷たすぎるだけだ。揺さぶってもなかなか起きないし、俺よりよっぽど死人みたいで肝を冷やしたぞ」
お前のせいで連日寝不足だったんだとよっぽど言ってやりたかったが、なんだか恩着せがましいから飲み込んだ。
それにこの男が受けた毒のことで夢中になっていたのもたしかだ。
「大げさだな」
「まあ、朝飯食ったら温まるだろう」
「もしかして、作ってくれたのか?」
「雑穀粥だがな。また叱られそうだが、もうとにかくなんでもいいから、なにかして動かないと気が狂いそうだ。水甕に水もまだ残っていたし、かまどに空いていた鍋を使った」
「まあ、それくらいなら」
「それならよかった」
よほど動けるのがうれしいのかフューリィは喉を鳴らすように笑った。
怪我人になにかさせるのはしのびないものの、私も自分でも頰が緩むのがわかった。
剥製作りより手間はないものの、毎日毎食のことなので実は料理もちょっと面倒くさい。
だから、とてもうれしい。
顔のすぐ下にふわふわと金色の髪が揺れている。
私の国ではあまり見ない色だから気になっていたのだけど、撫でたりするのも妙だし。
ちょっとだけと、フューリィにわからないように顎先で頭の上に触れてみる。
柔らかい。
本当に、お日様の光を糸にしたみたいで綺麗だ。
「ところで、飯はどこに用意すればいい?」
「ん?」
「あのでかい机は得体の知れないものでほぼ埋まっているし」
「私なら適当に食べるから気にするな」
「いや……そうではなく」
「うん?」
フューリィが私を見るように目をぎろりと動かしてなにか口ごもったのに、妙な奴だなと私は首を傾げた。
もう動けるのだから病室の机を使えばいいし、私はいつも適当に机の上を開けるなりして食事を取っている。
「……お前、ここにどれくらい住んでいるんだ?」
「一年くらいかな」
「その前は王宮にいたんだよな」
「もちろん」
なにを言ってるんだろうこの男は。
王宮を出てここにいると先日説明したばかりなのに。
それになんだか別に言いたいことがあるけれど、別のことを話しているようなはっきりしない物言いだ。
「そりゃ、常にというわけじゃないだろうが、父母や所帯持ちでない兄弟などと同じ食卓につくだろう?」
「まあ年に何度かは。私は大抵、読書や書き物で忙しいから部屋に運んでもらっていて昼は王立学術院によくいたから学術院の食堂で適当に食べることが多かったけど」
「王女……」
「だからその王女っていうのはっ」
「いや、まあなんとなく違和感がないのがあれだが……俺はひとところにいて、特にそうする理由もないのに別々に飯を食うというのは落ち着かないんだが? 片付かんし」
「え?」
「人嫌いの第四王女が嫌でないのなら」
「別に人嫌いなわけでもないし、嫌でもないぞ。仕事机の半分は物置だからひとまず物は端に寄せれば今日のところは」
「ならそうしよう」
「うん」
なんだそんなことかと思ったが、真面目な顔で神妙に言われるとなんとなく胸のあたりというか腹の底というかはっきりとしないがむずむずと面映ゆい。
いつの間にか一階まで降りて仕事部屋まできているし、いつまでどこまで私を抱えていくつもりなんだろう、もう下ろせと耳元でいえば、フューリィは返事をして少し身を屈める。
彼の腕から滑り降りようとした、丁度その時だった。
「な……これは一体……っ!」
どさっと重みのある荷物が床に落ちた音とともに、丈も生地もたっぷりとした濃紺のローブのフードも目深に被った怪しい風体の中年男が仕事部屋の入口で、こちらを見てわなわなと身を震わせていた。
すぐさま、戦場での雄々しさを垣間見せる俊敏な動きでフューリィが私を庇うように抱え直し、現れた人物に対し斜交いに身を構える。
剣を携えていたらきっと抜いて構えているだろうと思わせるフューリィの動きと殺気に、少しだけ身がびりっと粟立った。
「何者だ」
「貴様、誰だ?! その方が誰と知ってっ!!」
「あ、フューリィ……あの人は……」
私を含め、三人から同時に発せられた言葉が仕事部屋に、言葉として聴き取れない雑音となって響き渡る。
「ん? 待て、その顔……貴様どこかで」
「むっ?」
「おい、二人共落ち着けっ」
フューリィと対峙した中年男が目深に被ったフードを落として目を細めたのに、ああそうだったと私は思い出した。
公国との国交を担当していたこの人のほうが、カルロよりもよっぽどいまの公国には親しい。
というより、どうしてこの人がこんな朝早くからここを訪ねてきたのか、当番なら戦さもあるからと理由をつけてカルロに当面来てもらうよう彼にそうお願いしていたはずなのに。
「面差しは少しやつれたように思えるが……間違いない! 貴様は公国の――」
「っ! あ、こらトリアヌスっ!」
「公国王の弟、フェリオス公国騎士長!」
まあ、王国と長く国交を結んでいたのに、突然さして抵抗らしい抵抗もせず帝国の属国となっていまや王国侵略の拠点ともなっている公国王の弟が、ここで私を抱きかかえなどしていてたら、流石のこの人も普段の思慮分別もなにも動揺の方が大きいだろうけれど。
いきなりこいつの素性をここで言ったら、またこいつはいらぬ警戒をするだろ……。
「……トリアヌス? まさか王国宰相の?!」
「う……あ、うん」
本人ではなく、何故か私に驚いたような顔を向けて確認してきたフューリィに、バランスを崩して背中が反り返りそうになるのを止めるように彼の首に掴まって頷いた。
「しばらく物資はカルロにお願いしていたんだけど」
「カルロって……まさか、軍神カルロかっ?!」
「知っているのか?」
「当たり前だ、伝説の王国騎士団総長だぞ」
カルロの側はこんな若造知らないと言っていたけれど、どうやらフューリィの側は違うらしい。
そうか、そうかも、隠居の身でありながらいまの王国騎士団総長もカルロには頭が上がらないみたいだし。
先日の話ではその表に立った時の威圧ぶりは健在だったみたいだし。
「ティア王女……」
「ん?」
「その、こ、公国の……王弟殿と随分と親しいご様子ですが……」
「あーうん、ちょっと話せば長くなるのだけど」
――お前、俺の素性を知っていたな。
ぼそりと低くフューリィに耳打ちされて、一応、お前の思慮深さを汲んだつもりだったんだと答えたらあからさまな顰めっ面を見せた。
間近だと、結構な迫力で怖い顔だ。
「ま、まあ、とりあえず朝食でも食べながら。折角お前が作ってくれたわけだし」
「王弟殿が作った?!」
「誤魔化すな。いつから知っていた」
「いまその話はいいだろっ、後で話す。それよりこの人は厄介なんだ……あ、トリアヌスもよければ一緒に?」
「ティア!」
「王女!」
とりあえずどういった事かきっちり説明してもらう、していただきます、と怖い顔した男と怪しい風体の宰相に睨まれて。
わかったと、私は二人に降参しひとまずフューリィに腕から降ろしてもらった。
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