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隠遁生活編

第2話 本愛づる姫と敵国の騎士

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 今日が五日に一度、王宮から塔へ物資が届けられる日でよかった。
 でなければこんな筋肉の塊みたいな大男、とても私一人で運べたものじゃない。
 今回、塔にやってきた家臣はカルロだった。
 彼なら騒ぎ立てるようなことはないし、老いたりとはいえ元王国騎士団総長だ。
 甲冑と刺さっている矢を外すのは彼に任せて、自分は解毒の豆を煎じた即席薬を急いで作ってそれを矢傷に塗った後、再び彼の手を借りて塔の中へと男を運び入れ、泥と煤と血に塗れた体を清めた。
 傷の手当てをしている間に、余っている寝台を空いている場所に運ばせて、空気を清浄に保つ効果のある山脈で取れる鉱石を標本箱からあるだけ出して天井に吊るし、殺菌消炎効果のある薬草を寝台に仕込んで清潔なシーツをかけて整え、ひとまず即席の病室を作ってようやく男を落ち着かせることができた。

「王国の騎士ではなさそうですな……敵国側の者でしょうに、まったく王女はお優しい」

 一息ついたところで、脱がせた甲冑や男の風貌を一通り眺めてのカルロの言葉に、男を寝かせた寝台のそばで膝立ちに、寝台の上に両肘をついて手に顔を乗せて昏睡状態の男を眺める。
 先ほどよりも、心持ち呼吸がしっかりした気がする。
 急場しのぎの即席解毒薬もそれなりに作用はしているようだ。

「私の塔で行き倒れて死なれても困る。しかも敵国側の騎士だなんて父様に知られたら、即刻王宮に連れ戻されるに決まってる」
「お戻りになればよいのでは」
「絶対、嫌っ」
「またそんな我儘わがままを……このじいとていつまでこうしてここに通えるかわかりませんぞ」
「意識を失ったこんな大男を片腕で立たせて背負えるんだから、あと二十年は大丈夫だろ。大体、四十になる前に引退なんて爺は早過ぎ。普通は五十くらいまではいるものだろうに」
「部下達が優秀過ぎましたのでな、無能の老兵はさっさと去るに限ります」

 爺といっても父様より五歳上なだけ。
 まだ六十半ばも過ぎていない。
 本来なら騎士団は引退しても、重臣として王宮に仕えていてもおかしくないけれど、なにかと華やかな王宮でじっとしているなんて性に合いませんと言って、王である父様やその妃の母様、宰相やその他の重臣達や彼の部下達が引き止めるのも聞かず、自分の部下に参謀も総長の座も譲って早々に隠居生活に入ってしまった人で、私は幼い頃からこの人とは気が合う。
 爺と呼んで懐いていた。

 王宮や離宮に暮らす、親や姉様兄様達が嫌いな訳ではない。
 父様は二度妻を亡くし、私は三人目の王妃が産んだ末娘だけど、腹違いの姉も兄も優しいし、そもそも王国の長い長い歴史の中で培われた法典によって王族や重臣達は厳しくその身分や権限については定められ、王族の継承順位も万一の時の権限移譲も含めてすべて決められているから揉めようがない。
 だから王宮はそれなりに居心地はいいのだけれど、どうも私は一の姉様のようにお茶会だ裁縫だ音楽だといったことに興味が持てないし、二の姉様のように狩猟や武芸など勇ましいことに心惹かれる訳でもないし、三の姉様のようなお洒落や社交の場なんて見るのも面倒といった具合。
 二人の兄様達のようにまつりごとのあれこれも煩わしい。
 そもそも不特定多数の人間と接しているとすぐに疲れる。
 王族としてはかなり欠陥品な王女だった。
 私が興味を持てるのは人より書物。
 あるいは様々な自然現象。
 動植物や鉱物が持つ特性。
 書物や観察から学び、あれこれと考察したことを書き綴ったり、実験してみたりといった所謂いわゆる学問。
 最初のうちは王宮の図書室に引きこもっていたけれど、やがて蔵書も読み尽くしてしまった。
 それに王宮というだけで、それこそ使用人から重臣まで毎日多くの人と接しないといけない。
 王女としての儀礼的な振る舞いも求められるし……とにかく、爺と同じで単純に王宮が性に合わない。
 だから父様に何年も何年も頼み込み、説得に説得を重ねて、ようやく五日に一度は王宮から物資を届けるついでに、特に信頼の厚い家臣が様子を見に来ることを条件に、国境近くに大昔に造られていまは使われず廃墟に近い状態だった古い砦を改築し国中の書物を保管する書物庫として利用しているこの小さな城の塔を住処とすることを許された。
 もちろん王女が一人でそんなところに住んでいるなんて公になればなにかと物騒だから、表向きにはこれまで同様に王宮の図書室や自室にこもって表にあまり出てこない王女といったことになっている。
 そう行った訳で、ここに敵国側の騎士が逃げ込んできた上にお亡くなりになりました――なんてことは絶対に避けたい。
 いまはまだ、父様からなにも言われていないから、のらりくらりとやっているけれど。
 国境東側に寄っている戦場が徐々に王都側へと近づいている情勢で、おまけに十八の成人を迎えた今年に入ってからというもの、縁談のこともそろそろとお考えにと王宮に戻るよう時折言ってくる家臣もいて煩い。

「……腕輪にヒューペリオ公国の刻印がある。爺はあの国には親しいし、騎士なら見知った顔では?」

 迷惑千万な男をぼんやり眺めながら尋ねれば、親しいと言われましても現役の頃の話ですから、いまの若造はさっぱりと肩をすくめた。 
 若造って歳でもないと思うけど……。
 たぶん、三十は過ぎていそうだ。
 それにしても、引退前から細身だったらしい爺と比べて、この男は随分と逞しい。
 腕など私の腿くらいの太さはありそうだし、体の厚みも、どうしたらこんな肉厚な感じの筋肉がつくのだろうか。
 それに、結構、整った顔をしている。
 こういうのを精悍な顔立ちというのだろう。
 髪の毛は陽の光を紡いだような金色で、綺麗だった。
 身につけていた装備や装身具からして、それなりによい家柄に思える。

「公国の者ならいくらかは安心だ。帝国領のほとんどは小集落の点在する未開地。気の荒い連中や好戦的な騎馬民族も含む遊牧の民やその他部族も多いけれど、公国は別だ。元々王国王家の傍流が独立して建てた国だし、帝国領になるまでは友好国だったし、いきなり狼藉ろうぜきを働く可能性はいだろう」
「たしかに。公爵家が立てた公国にして王を名乗る不遜など多少確執はあれど、建国時から一応の友好国。現王のお人柄を考えても公国が帝国側に与しているのが不思議なくらいではありますが」
「だろ」
「しかし王女はこの塔に一人、こやつは男です。やはりここに置くのは心配です」
「こいつの体を洗っている時からそれはもう聞き飽きた」
「王女」
「当面は矢毒や傷でそう思うように動けないよ。いざとなれば薬か侵入者用に仕掛けてある罠にでもかけてお前か騎士団に引き渡す」

 そう言えば、諦めたのか爺はため息を吐いた。

「王女は見た目ほどか弱くはないですが、見た目通りには非力なことをお忘れにならないよう」
「わかってる」

 男の額に脂汗が滲んでいる。
 たぶん矢や剣で斬りつけられた傷で熱が出てきたのだろう。
 毒を受けているのに、つだろうか。

「悪いけど、裏の井戸から水を汲んできてくれる?」

 汗を拭うための布を取るために立ち上がれば、かしこまりましたと爺は中庭へと出ていった。

「それにしても運のいい男だ」

 ぼそりと男に向かって私は呟く。
 戦地はまだ随分遠く離れているというのに、よくこの深い森を毒と傷を負って抜けられたものだし、森の中からこの砦まで私が仕込んだ無数の罠が仕掛けてあるはずなのに。
 一度もかかることもなく塔にまで辿りついて、おまけに今日はたまたま私一人ではない日だった。
 私一人だったら、毒による麻痺が呼吸を止めてしまうのは食い止められても、傷の処置はずっと遅れたはず。
 沐浴用の布を出して男の側に戻れば、うっと男が呻くような息を漏らす。
 苦しいのだろう、また呼吸が浅くなりつつある。
 解毒薬は即席のものだからきっと受けた毒の作用の方が強いのだ。
 傷の炎症や熱はなんとか耐えてもらうほかない。
 少なくともいまは毒の作用を抑えることが最優先。
 額に布を当て、汗をぬぐいながら、大丈夫だと男に囁きかける。
 お前は運の強い男だし、たぶん私は王国のどんな医者より毒や薬に詳しいだろうから。

「安心しろ。お前はきっと死なないよ」

 なんとなく、そんな予感がしていた。
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