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Episode13.何度でも呪われてやる
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『セシリア様は危険です。どうか“悪しき魔女”が甦ってしまう前にお力をお貸しください!』
聖女の力と前世の記憶を持っていると、クリストファーに話しかけてきた、地方から王都へやってきた子爵令嬢。
もちろん、最初は取り合わなかった。
けれど彼女が現れた時、クリストファーはあまりに疲れていた。
王家の仕打ちや貴族社会での立ち位置、“塔”での扱い、クリストファーと出会ったために歪められた婚約者であるセシリアへの負目と心痛に……。
そんな中で、夜会で会話したのをきっかけに、なにかと顔を合わせることが増えた利害関係もない子爵令嬢との他愛のない会話が、唯一気が紛れるものだったのは否定できない。
やがて彼女にクリストファーは、自身の境遇やセシリアのことを話すようになった。
彼女の他に話せる者は誰もいないと、その時は思っていた。
大き過ぎる過ちだった。
彼女はいつもクリストファーの話を聞いてくれた。
そしていつも必ずある方向へとクリストファーを誘導した。
『これ以上、セシリア様を不幸に縛り付けるのはあまりにかわいそう……』
涙を浮かべる彼女の言葉は、思惑はどうあれ、真実だと、その時のクリストファーは思った。
なによりクリストファーの不遇を労い、怒り、セシリアのことについて親身に相談に乗ってくれる彼女が、幼い頃のセシリアと重なった。
大きすぎる魔力に翻弄されていた頃のクリストファーに偏見なく接してくれたセシリアに。
だから、彼女にクリストファーは気を許し、同時期に悪夢を見るようになった。
それは、聖女の力と前世の記憶を持つという彼女が話す通りの悪夢。
幼い頃のクリストファーの比ではない、禍々しい魔力をセシリアが暴走させている悪夢を――。
『……呪われろ……呪われろ……呪われろおおおおぉっ……ああああぁッ……!』
赤い髪をゆらし、金色に目を光らせた黒いドレスの女性。
同じ言葉を唸り声を上げるように繰り返し、その魔力で周囲を崩壊させている。
髪も目の色もまったく異なるその女性が、何故かセシリアだとクリストファーにはわかった。
まぎれもなくセシリアだと、思った瞬間に目と目が合った。
ああそうだったと、夢の中でクリストファーは思う。
『彼女は私が殺した……聖女と共に……』
クリストファーが後ろを振り返れば、白絹をまとったもう一人の女性が血を流し倒れていた。
同じことが、また起きようとしている。
夢に見た断片の記憶と彼女の言葉に惑わされたクリストファーは、まったくもって愚かであった。
『クリス様がセシリア様をお救いするの。セシリア様の状況を利用して――遠い昔の悪夢の一部を再現するだけ』
いつの間にか、彼女は“塔”でも王城でも「聖女」と呼ばれて、多くの人々から親しみを向けられ愛されていた。
怪我でも病気でも瀕死の者を救い、深い悲しみの淵や苦しみに苛まれている者に癒しを与える。
膨大な魔力と魔術の才を持つクリストファーにはできない、“聖女の祝福”とまで言い出す者もいた類稀な治癒魔術の使い手だった。
『少しの間だけ辛い思いをセシリア様にはしていただくことになりますが……わたしがどうして聖女と呼ばれているのかクリス様はよくご存知でしょう?』
気づくべきだった。
聖女と呼ばれる彼女がクリストファーに囁く言葉は、破滅へと誘うものであったことに。
『セシリア様が裁きに!? どうしてそんなことにっ、王太子殿下の派閥の方々は皆様お優しいのに……』
クリストファーが気がつけばどうにもならないことになっていた。
セシリアの悪評の数々は証拠を伴う悪事となっている。
『違う……』
そしてあの悪夢。
セシリアが王国を滅ぼす魔力を隠している噂が広がり、“塔”に調査要請が出された。
投獄されたセシリアは罪を認めも否定もせず静かだった。
クリストファーはそれが余計に恐ろしかった。
『ですがクリス様、大丈夫です! 却って好都合かもしれません』
クリストファーの魔力だけが、“悪しき魔女”の魔力を打ち壊すことができる。
そうなれば、セシリアは無力な女性だ。
瀕死の重症を負わせることになるが、すぐさま治癒して、人知れず国外へ逃がす。
『セシリア様を解放できるのは、クリストファー様だけですもの』
激しい雨音が彼の耳を塞ぎ、重く厚い雲の垂れ込めた夜のごとき暗さの中で全身を濡らす黒い雨が彼の視界を覆っていた。
罪状を読み上げる声がする。
その文章は彼が書いたものだ。
『違う……』
国に災いをもたらす“悪しき魔女”の力が甦る前に、クリストファーが打ち砕く。
そのためには必要だった。
『セシリア様は死んだと思わせられれば、もうあの方を権力争いに利用する方はいなくなります』
――なにが、違う……?
宮廷魔術師でありながら、婚約者が危険な魔力を隠していたことに気づかず、王家の血筋に加えようとしていた不始末。
王子として対処せよと、クリストファーに命が下された。
クリストファー自身が婚約者を断罪し自らの手で処することで、王家の不名誉を雪ぐ役割。
その後、聖女を王家に取り込むために、王子に戻されたのは明らかだった。
――セシリアは、何故処刑台に立っている?
前世の記憶の断片らしき悪夢と、冷ややかで救いのない婚約の現実と、人々の噂と……。
なにが本当でそうではないのか、クリストファーにはわからなくなっている。
――なにが、違う……っ!
手にその華奢で柔らかな体を貫く感触が伝わり、クリストファーは我に返った。
首ではなく胸を突いたクリストファーへの非難とも、悪女への野次ともつかない人々の怒号混じりの歓声が一帯に湧き上がっていた。
『セシリア・ヴァスト――』
高貴なる令嬢としての尊厳もない、大衆の目にも晒される処刑。
『……ぅ、……あ……』
『セシリア……』
クリストファーの視界の端で白い布が翻った。
どんよりと陰鬱に暗い雨の午後に、彼女だけが仄白く浮かびあがる姿は聖女そのものだ。
両手を組み合わせて進み出てきた彼女は、セシリアとクリストファーの側に跪く。
『セシリア様に祝福を……ふふ』
観衆の声にかき消されただろう。
だがクリストファーの耳には聞こえた。
これほど邪悪の響きを含む軽やかな笑みの声はない。
同じ声を聞いたことがある。
遠い記憶のいまと内容は違えど似た状況で――その笑い声でクリストファーはすべてを思い出した。
『本当に、クリス様は思い出してもいつも手遅れ……』
あれは神殿広場。
街の者たちが集まり見守る中、王族へ神官が祝福を与える儀式の一つ。
その神官は還俗して王家に嫁す予定だった。
クリストファーの目の前で、彼女が渡した杯を呷って、神官は、セシリアはおかしくなった。
魔力の暴走――それを強制的に起こさせるなにかを、仕えていた巫女に盛られた。
妹のように世話をしていた、聖女の巫女に。
あの時は、セシリアが抵抗して彼女も道連れにした。
揺らぐ正気が残る内に呪いの言葉を口にしクリストファーに自らを殺させた。
だが今回はできない。
セシリアはなにも知らずに、ただの断罪された令嬢として胸を貫かれている。
『“悪しき魔女”の哀れなお姉様。癒しと魅了を正しく使いなさいとわたしを神殿に閉じ込めた酷いお姉様』
『何故、今世まで……』
『だって“聖女の祝福”が効かないなんて忌々しいもの』
立ち上がり、聖女は手を組み合わせたまま哀しげに首を振る。
『クリス様は……治癒はできないのですよね。なんてかわいそうなセシリア様』
そうだった。
こうならないよう、クリストファーはここにすべてを刻んでいたのに。
思い出してもすべて手遅れ。
『っ、セシリア!』
遠巻きの見物人達は、死の確認だと思っていることだろう。
クリストファーが腕に抱いた華奢な体の温もりが急速に冷えていく。
セシリアの顔を両手に挟んで、クリストファーはまだ完全に事切れてはいない彼女の目を覗きこんだ。
『呪われてやる、何度でも、呪われてやる……セシリア……っ』
『クリス様』
『滅びろっ! この魔女!』
クリストファーは憎悪すべき女に叫び、セシリアを貫いた剣を抜いた。
おびただしい量の血が傷口から溢れ出し、セシリアとクリストファーを染める。
『ああ、わたくしがクリス様のお側にいます! ふふ……王家が取り込みたい聖女をクリス様は拒めませんものね』
クリストファーに囁く声に、この女は自分をじっくりと苛んで楽しむつもりだと彼は悟った。
弄ばれるのは、これが初めてではないことも思い出す。
血溜まりに白い手が力無く落ち、叫びたいが叫ぶべき言葉もなく。
代わりに激しく喘ぐような呼吸をクリストファーは繰り返すばかり。
――悪夢だった。
幼少の頃から繰り返し見続けてきた、繰り返す人生の記憶の悪夢。
横になっていたベッドから、がばりと身を起こし、荒い息遣いで目覚めたクリストファーは額を掴んでうなだれる。
「必ず潰す………あの、“悪しき聖女”。メアリー・スールフィールド……!」
スールフィールド家に現在娘はいない。おそらくは養女で、まだ子爵令嬢としては存在していないのだ。
調べてもそれらしき人物の噂一つない。
手掛かりがなく、本人が現れるのを待つしかなかった。
自分自身を取り戻すように、クリストファーは深く息を吐いた。
今回は、最初からすべての記憶がある。
あらゆる要因を潰せる、力と立場を手に入れた上でセシリアと婚約し、早くも半年が経つ。
最初は警戒し、よそよそしかった彼女も最近ではあのエメラルドのような澄んだ濃い緑色の瞳を和らげ、微笑んでくれるようになった。
「ああ……セシリアに今朝開いた花を渡しにいかないと……」
新しく独立した公爵家を切り盛りしてもらうためと、理由を付けて今月から月の半分は公爵家の屋敷に滞在するよう説得した。
一昨日からセシリアはクリストファーの部屋がある三階の客間にいる。
クリストファーの寝室の壁一枚向こう側で、まだ穏やかに眠っているはずだ。
セシリアのことを思いながら、クリストファーはベッドを下りる。
一刻も早く、その姿見て、頬に触れなければ、ざわつく胸の奥が鎮まりそうになかった。
聖女の力と前世の記憶を持っていると、クリストファーに話しかけてきた、地方から王都へやってきた子爵令嬢。
もちろん、最初は取り合わなかった。
けれど彼女が現れた時、クリストファーはあまりに疲れていた。
王家の仕打ちや貴族社会での立ち位置、“塔”での扱い、クリストファーと出会ったために歪められた婚約者であるセシリアへの負目と心痛に……。
そんな中で、夜会で会話したのをきっかけに、なにかと顔を合わせることが増えた利害関係もない子爵令嬢との他愛のない会話が、唯一気が紛れるものだったのは否定できない。
やがて彼女にクリストファーは、自身の境遇やセシリアのことを話すようになった。
彼女の他に話せる者は誰もいないと、その時は思っていた。
大き過ぎる過ちだった。
彼女はいつもクリストファーの話を聞いてくれた。
そしていつも必ずある方向へとクリストファーを誘導した。
『これ以上、セシリア様を不幸に縛り付けるのはあまりにかわいそう……』
涙を浮かべる彼女の言葉は、思惑はどうあれ、真実だと、その時のクリストファーは思った。
なによりクリストファーの不遇を労い、怒り、セシリアのことについて親身に相談に乗ってくれる彼女が、幼い頃のセシリアと重なった。
大きすぎる魔力に翻弄されていた頃のクリストファーに偏見なく接してくれたセシリアに。
だから、彼女にクリストファーは気を許し、同時期に悪夢を見るようになった。
それは、聖女の力と前世の記憶を持つという彼女が話す通りの悪夢。
幼い頃のクリストファーの比ではない、禍々しい魔力をセシリアが暴走させている悪夢を――。
『……呪われろ……呪われろ……呪われろおおおおぉっ……ああああぁッ……!』
赤い髪をゆらし、金色に目を光らせた黒いドレスの女性。
同じ言葉を唸り声を上げるように繰り返し、その魔力で周囲を崩壊させている。
髪も目の色もまったく異なるその女性が、何故かセシリアだとクリストファーにはわかった。
まぎれもなくセシリアだと、思った瞬間に目と目が合った。
ああそうだったと、夢の中でクリストファーは思う。
『彼女は私が殺した……聖女と共に……』
クリストファーが後ろを振り返れば、白絹をまとったもう一人の女性が血を流し倒れていた。
同じことが、また起きようとしている。
夢に見た断片の記憶と彼女の言葉に惑わされたクリストファーは、まったくもって愚かであった。
『クリス様がセシリア様をお救いするの。セシリア様の状況を利用して――遠い昔の悪夢の一部を再現するだけ』
いつの間にか、彼女は“塔”でも王城でも「聖女」と呼ばれて、多くの人々から親しみを向けられ愛されていた。
怪我でも病気でも瀕死の者を救い、深い悲しみの淵や苦しみに苛まれている者に癒しを与える。
膨大な魔力と魔術の才を持つクリストファーにはできない、“聖女の祝福”とまで言い出す者もいた類稀な治癒魔術の使い手だった。
『少しの間だけ辛い思いをセシリア様にはしていただくことになりますが……わたしがどうして聖女と呼ばれているのかクリス様はよくご存知でしょう?』
気づくべきだった。
聖女と呼ばれる彼女がクリストファーに囁く言葉は、破滅へと誘うものであったことに。
『セシリア様が裁きに!? どうしてそんなことにっ、王太子殿下の派閥の方々は皆様お優しいのに……』
クリストファーが気がつけばどうにもならないことになっていた。
セシリアの悪評の数々は証拠を伴う悪事となっている。
『違う……』
そしてあの悪夢。
セシリアが王国を滅ぼす魔力を隠している噂が広がり、“塔”に調査要請が出された。
投獄されたセシリアは罪を認めも否定もせず静かだった。
クリストファーはそれが余計に恐ろしかった。
『ですがクリス様、大丈夫です! 却って好都合かもしれません』
クリストファーの魔力だけが、“悪しき魔女”の魔力を打ち壊すことができる。
そうなれば、セシリアは無力な女性だ。
瀕死の重症を負わせることになるが、すぐさま治癒して、人知れず国外へ逃がす。
『セシリア様を解放できるのは、クリストファー様だけですもの』
激しい雨音が彼の耳を塞ぎ、重く厚い雲の垂れ込めた夜のごとき暗さの中で全身を濡らす黒い雨が彼の視界を覆っていた。
罪状を読み上げる声がする。
その文章は彼が書いたものだ。
『違う……』
国に災いをもたらす“悪しき魔女”の力が甦る前に、クリストファーが打ち砕く。
そのためには必要だった。
『セシリア様は死んだと思わせられれば、もうあの方を権力争いに利用する方はいなくなります』
――なにが、違う……?
宮廷魔術師でありながら、婚約者が危険な魔力を隠していたことに気づかず、王家の血筋に加えようとしていた不始末。
王子として対処せよと、クリストファーに命が下された。
クリストファー自身が婚約者を断罪し自らの手で処することで、王家の不名誉を雪ぐ役割。
その後、聖女を王家に取り込むために、王子に戻されたのは明らかだった。
――セシリアは、何故処刑台に立っている?
前世の記憶の断片らしき悪夢と、冷ややかで救いのない婚約の現実と、人々の噂と……。
なにが本当でそうではないのか、クリストファーにはわからなくなっている。
――なにが、違う……っ!
手にその華奢で柔らかな体を貫く感触が伝わり、クリストファーは我に返った。
首ではなく胸を突いたクリストファーへの非難とも、悪女への野次ともつかない人々の怒号混じりの歓声が一帯に湧き上がっていた。
『セシリア・ヴァスト――』
高貴なる令嬢としての尊厳もない、大衆の目にも晒される処刑。
『……ぅ、……あ……』
『セシリア……』
クリストファーの視界の端で白い布が翻った。
どんよりと陰鬱に暗い雨の午後に、彼女だけが仄白く浮かびあがる姿は聖女そのものだ。
両手を組み合わせて進み出てきた彼女は、セシリアとクリストファーの側に跪く。
『セシリア様に祝福を……ふふ』
観衆の声にかき消されただろう。
だがクリストファーの耳には聞こえた。
これほど邪悪の響きを含む軽やかな笑みの声はない。
同じ声を聞いたことがある。
遠い記憶のいまと内容は違えど似た状況で――その笑い声でクリストファーはすべてを思い出した。
『本当に、クリス様は思い出してもいつも手遅れ……』
あれは神殿広場。
街の者たちが集まり見守る中、王族へ神官が祝福を与える儀式の一つ。
その神官は還俗して王家に嫁す予定だった。
クリストファーの目の前で、彼女が渡した杯を呷って、神官は、セシリアはおかしくなった。
魔力の暴走――それを強制的に起こさせるなにかを、仕えていた巫女に盛られた。
妹のように世話をしていた、聖女の巫女に。
あの時は、セシリアが抵抗して彼女も道連れにした。
揺らぐ正気が残る内に呪いの言葉を口にしクリストファーに自らを殺させた。
だが今回はできない。
セシリアはなにも知らずに、ただの断罪された令嬢として胸を貫かれている。
『“悪しき魔女”の哀れなお姉様。癒しと魅了を正しく使いなさいとわたしを神殿に閉じ込めた酷いお姉様』
『何故、今世まで……』
『だって“聖女の祝福”が効かないなんて忌々しいもの』
立ち上がり、聖女は手を組み合わせたまま哀しげに首を振る。
『クリス様は……治癒はできないのですよね。なんてかわいそうなセシリア様』
そうだった。
こうならないよう、クリストファーはここにすべてを刻んでいたのに。
思い出してもすべて手遅れ。
『っ、セシリア!』
遠巻きの見物人達は、死の確認だと思っていることだろう。
クリストファーが腕に抱いた華奢な体の温もりが急速に冷えていく。
セシリアの顔を両手に挟んで、クリストファーはまだ完全に事切れてはいない彼女の目を覗きこんだ。
『呪われてやる、何度でも、呪われてやる……セシリア……っ』
『クリス様』
『滅びろっ! この魔女!』
クリストファーは憎悪すべき女に叫び、セシリアを貫いた剣を抜いた。
おびただしい量の血が傷口から溢れ出し、セシリアとクリストファーを染める。
『ああ、わたくしがクリス様のお側にいます! ふふ……王家が取り込みたい聖女をクリス様は拒めませんものね』
クリストファーに囁く声に、この女は自分をじっくりと苛んで楽しむつもりだと彼は悟った。
弄ばれるのは、これが初めてではないことも思い出す。
血溜まりに白い手が力無く落ち、叫びたいが叫ぶべき言葉もなく。
代わりに激しく喘ぐような呼吸をクリストファーは繰り返すばかり。
――悪夢だった。
幼少の頃から繰り返し見続けてきた、繰り返す人生の記憶の悪夢。
横になっていたベッドから、がばりと身を起こし、荒い息遣いで目覚めたクリストファーは額を掴んでうなだれる。
「必ず潰す………あの、“悪しき聖女”。メアリー・スールフィールド……!」
スールフィールド家に現在娘はいない。おそらくは養女で、まだ子爵令嬢としては存在していないのだ。
調べてもそれらしき人物の噂一つない。
手掛かりがなく、本人が現れるのを待つしかなかった。
自分自身を取り戻すように、クリストファーは深く息を吐いた。
今回は、最初からすべての記憶がある。
あらゆる要因を潰せる、力と立場を手に入れた上でセシリアと婚約し、早くも半年が経つ。
最初は警戒し、よそよそしかった彼女も最近ではあのエメラルドのような澄んだ濃い緑色の瞳を和らげ、微笑んでくれるようになった。
「ああ……セシリアに今朝開いた花を渡しにいかないと……」
新しく独立した公爵家を切り盛りしてもらうためと、理由を付けて今月から月の半分は公爵家の屋敷に滞在するよう説得した。
一昨日からセシリアはクリストファーの部屋がある三階の客間にいる。
クリストファーの寝室の壁一枚向こう側で、まだ穏やかに眠っているはずだ。
セシリアのことを思いながら、クリストファーはベッドを下りる。
一刻も早く、その姿見て、頬に触れなければ、ざわつく胸の奥が鎮まりそうになかった。
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執着の重さにトキメキました。
ミダさんのヒーローがやっぱり好きです。
囲い込み完了ですね。
公爵邸に招待して帰したくないクリス的に一先ずといった感じでしょうか。
お読みいただきありがとうございます!
囲い込み完了です・笑
この先は…この先のお楽しみです。
感想ありがとうございます!
恋愛小説大賞、応援です♡
クリス様の執着が重すぎて、絶対に逃さない感がたまらなくワクワクします!!
どうあがいても逃れられないことに、セシリアさんはいつ気づくかな…
応援ありがとうございます!
クリスさん側の記憶は激重なので、セシリア捕まえてちょっと浮かれています。
セシリアはいつ真の意味で逃げられないと気づくんでしょうね。
もしかすると気づかせてもらえないかもしれません・笑