あおい空に笑って。

永井夜宵

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神様の涙

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銀糸がプツリと切れた。ぼんやりとその行方を濡れた唇が辿る。離れた熱の余韻、整わない呼吸、まとまらない思考。何もかも滅茶苦茶にされたのに、どこか満たされた気分。……変なの。


「どうして泣くんだ」

「泣い、てない」

「嘘つけ」

水の膜が張った瞳には、未だ血が流れ続けている彼の手が滲んでいる。


「こんなはずじゃなかった。柊を傷つけるなんて思ってもみなかったんだ」

しゃくりあげて、彼の胸に顔を埋める。一度溢れてしまえば、止める術を知らない。


「ごめん。ごめんなさい、柊……っ」

何かとは言えない。とにかく謝りたかった。


「こんなもの、怪我のうちにも入らない」

「そんな、わけ……だって、血が」

お前がやった、とその赤が指をさして僕を非難してくる。

「自業自得さ」

葵のせいじゃない、となんでもなく笑う。


「はぁ、ぁ……ちがっ」

あの時、僕は本気で柊を殺そうとしていた。


「僕は、っ……はぁ、ぅ、ゲホッ」

「落ち着け、葵」

「ヒュッ、ぁ……ゲホッ、ゲホッ」

「っ、バカ! 無理して息を吸うな」

「い……ぁ、ひっ、ぅ……ッ」

焼けつくような激痛が喉に走る。背を丸めて何度も嗚咽を零した。このまま押しつぶされ死ぬのだと、本気でそう思った。


「──……ごめん、葵」

一拍、呼吸が止まった気がした。
柊が僕を思い切り抱きしめて言う。


「謝らなくていい。泣かなくていい。悪いのは俺だ。俺が葵にそれを選ばせた。だからこれ以上、自分を責めるな」

(あぁ……)

全部言わせた。
不思議なのは、罪悪感より先に「安堵」が先に立ったこと。その後、うっかりと言わんばかりに遅れて自己嫌悪が追いかけてきたこと。


「最低だ。僕は、なんで……。今、すごくほっとしている。柊に責任を押しつけられて。酷い奴だと思わないか? 薄情な奴だって、自分でも軽蔑する。……こんなの、『神様』じゃない」

「葵の言う『神様』は、そうだろうな。果たして、天界の神々の何柱がそれに値するか」

柊が神について語る時、その声色はいつも冷たい。


「神がひと声添えれば黒を白に、道を示せば正義も簡単に塗り替えられる。世界はその声に逆らわない。神は偉大であり残酷なんだ」

そうだろう? と目を細めた。


「だからって何をしても許されるわけじゃない。柊だって本当は別に言いたいことがあるはずだ」

「例えば?」

「手が痛いとか、失望したとか。色々……」

誰の願いも満足に叶えられない。たった一人の子どもの命すら守れない。大事なものでさえ──。


「ほんと、何を必死になっていたんだか。弱いくせして一人前に人助け? あほらしい。憧れだけじゃどうにもならないって知っていたのに。もしこの場にいたのが柊や他の神様だったら、きっと違ってた」

「他の奴らが来るとでも?」

「事実、柊はここにいる。君さえいれば、僕なんていらなかった」

「勘違いするな。葵がいなければ俺はここに来ていない」

「人間のことが嫌いなくせに。どうして放っておいてくれなかったんだ」

誰も傷つけたくなかった。傷つきたくなかった。こんな醜い姿、柊にだけは見られたくなかった。


「お願い、柊。僕を、殺して───」

指先が白く冷たくなるくらい、必死に縋りついて願った。

















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