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弐
蜘蛛の巣
しおりを挟む「ねえ、本当に出られない? 『なんでも屋』なら、それこそ『なんでも』できるんだろ?」
しびれを切らしたユウが乱暴に訊く。
「無理」
「なんで?」
「助手がいないと。それに僕は疲れた」
気づけば柊を探している。そんな自分に嫌気がさす。
「ダッサ。葵はその人がいないと何もできないんだ」
「そういうわけじゃないはずだけど。……とにかく疲れたから無理」
「じゃあ、一生出られない?」
いよいよ不安になったのか、ユウは葵の肩を揺らして催促する。
「──ユウは帰りたい?」
きっとユウは母親に対しての情が薄い。父親の方も不倫しているようだし。柊の言った通り、帰らない方が幸せなのかもしれない。
「……わかんない。でも、このままここにいるのは嫌だ」
「帰ったら、また嫌な思いをするよ」
きっと家でのことを思い出したのだろう。ユウの目に涙が浮かんでいる。
「──寂しい」
そうひと言、ユウは呟いた。
「何が寂しい?」
「ひとりぼっちが。ずっとひとりだから」
その言葉に黙ってうなずく。僕にも同じように思った時期があった。
「勉強も運動も頑張ったけど、全然見てくれない」
どうすればいいのか、見失った自分を探している。
「それなら、ずっとここにいればいい」
「え……」
「空気が最悪だけど、ユウを傷つけるものは何もない」
「葵はそれでもいいの?」
「僕はべつに。まぁ、居心地悪いから出たい気持ちはある。でも、今後の面倒をこれで終わりにできるなら、それもいいかも……って思う気持ちもある」
こみ上げる吐き気を必死に抑えて言葉を重ねる。
「助手さんは?」
「実は数日前に出て行かれちゃって。どうせ僕がいなくなっても平気だよ」
「仲悪いの?」
「悪くはない……と思うけど」
後ろめたいことをずっと隠してきた。柊は何も言わないし、訊かない。誕生日のことも僕の家族のことも。そして、過去のことも。
「そっか。ならアオイは──」
喰ワレテモイインダネ?
────────…………
少年の体から八本の脚が生える。頭が膨張して、毛が生えて、人の姿の欠片もない。
「やっぱりお前……土蜘蛛か。一体、何人喰ったんだか。ほんと、よく肥え太っていることで。僕の体なんか小人に見えるだろうね」
『ギャハハハ! ウマソウ、ウマソウ!』
吐く息から異臭が漂い、思わず顔をしかめる。
「悪いけど、君に食べられるのは御免だ」
『オマエ、フ老フ死。オレモ、オレモ。血ヲクレ』
「僕を食べたところで、その力を得られるとはわからない。呪われたくなければやめておいた方がいい」
『ナル。フ老フ死、ナル!』
「だから無理だって。ったく、誰だよ。お前にこんなくだらない入れ知恵をしたのは」
頭が悪いくせに「不老不死」なんて言葉が出てくるわけがない。きっと裏で誰かが糸を引いている。幸か不幸か、心当たりはたくさんある。
『神シ、シン使』
「……神使?」
『オマエ、神シ』
「なりたいって? バカじゃないの。まぁ、志望動機くらいは聞いてやってもいいけど」
たとえそれでも、神使にするなら柊がいい。柊だけでいい。
『喰ウ、喰イタイ』
「……しつこいな」
追われる足から縫うように逃げる。建物を駆け回って柱から柱へ宙を舞う。
『欲シイ。オマエ、ウマソウ』
「僕のことはいいって。ユウ──あの子はどうした」
『オレ。ユウ、オレ』
「足が八本もある人がいてたまるか!」
意識の有無がわからない今、ユウが完全に取り込まれていないことを祈るしかない。
(その前に、こっちがマズいかも……)
息が上がったせいで、不純な空気を余計に取り込んでいる。
苦しい、気持ち悪い──。
「っ、あ」
油断した。壁に張りついた糸に気づかなかった。土蜘蛛はそれを待っていた、とばかりに脚で葵の肩を貫き、覆いかぶさる。絵面は完全に、捕食者に食われる前の蝶のよう。
『捕マエタ。ヤット喰エル』
勝利の雄叫びを上げ、執拗に肩をえぐっては痛みに顔を歪ませる獲物に歓喜する。
「っ、た……お前、さ……ほんと、性格悪い」
『ギャハハハハ!』
よだれが滴る毛の生えた大きな口が、徐々に近づいてくる。
(虫って、間近に見ると気味悪いなぁ)
こんな緊迫した状況下でも、冷静な自分が淡々とこの蜘蛛の容姿にケチをつける。
ひとつ、息を吐いた。突如、アレの声が絶叫に変わった。
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