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始まりの春 side柊
道化の花
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「何かあったか」
考え込む妖主を見て、智景は不思議そうに顔をのぞいた。その時ほんの一瞬、静かに燃える紅い視線と交わる。
「なんも。天帝も認めるくらいだ。どんな屈強な大男なのか、と思って」
「あの子が?」
智景の抑え切れない笑いが口から零れている。
「なんだよ」
「いやいや、なかなか面白い。『屈強な大男』か。アハハハハ!」
ついに声を上げて笑い出した。
────────…………
紺碧の空が夜の気配を消し、明らみを帯び始めた。
「悪かったよ。そんなに怒ることもないだろ」
そんな早朝のゆったりとした静けさは、二人の騒ぎ声で壊される。
「怒ってないし。ついて来るな!」
「済まなかったよ。でも会えばきっと、お前も笑いたくなる。『チカが言った通りだった』って」
智景は前を歩く妖主を追いかけ、少し後ろで悠々と袖を揺らした。
「好きなだけほざいてろ」
そう言って、妖主は耳と尾を術で隠して人間の姿に変化する。その姿は、どこからどう見ても良家の御子息、と言ったところだった。
智景は、ほっと息をつく。
「いつ見ても、お前の変化は見事だ」
「狐は皆、変化に長けている。大して特別なものじゃない」
「その中でもお前は別格だ。細部に渡って抜かりがない。見るからに人間そのもの」
「この姿の方が何かと動きやすい。人間どもに見世物にされるなんて御免だ」
まつげを伏せると、髪紐を結び直した。飾りの鈴がチリンと鳴る。
「お前は目立つからな。良くも悪くも」
「ハハハ、有名人は疲れるよなぁ」
「悪評しか耳に入らない気が」
「いよいよ難聴か。今度、良い医者を紹介してやるよ」
智景が聞こえるように舌打ちをする。
「真っ先に私が、あの子にお前の正体をバラしてやりたい」
「それだけはしてくれるな」
青年は振り返った。
「可哀想に。お前にまんまと騙されるあの子の顔が目に浮かぶ」
ふいっと顔を背けた。
「俺は、チカが旧友とやらをとても慕っている姿が目に浮かぶ」
ぴたり。草履の音が止む。
「何を見た」
「チカの旧友はたいそうご立派なお方らしい」
「神の手本のような存在だった。実力を鼻にかけない謙虚さ。誰でも彼に憧れる」
「結果、その正しさが身を滅ぼしたわけだ。難儀だな」
智景は眉をひそめた。
「旧友に振り回され、今度はその忘れ形見に振り回され……か」
「何が言いたい」
桜吹雪を背にして立つ美しい青年が、やわらかな羽織をひるがえす。
「天界で、何か不都合があったんだろ。だから今になって」
しばらくの間、智景は早朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、陰鬱な気分を吐き出していた。それを一通り済ませると、こう言った。
「天のご意思はわからない。なにせ真実は、あの子の手で全て葬られてしまった。私が知るのはおとぎ話。真偽さえ不確かな、物語でしかない」
「ならいっそ、物語のまま閉じればよかった」
青年の手が何かを探るように空に触れる。景色はまだずっと続いているのに、透明な壁によって指先が阻まれた。
まさしく、ここが境界線。
「近しい境遇だと情も湧くのか」
智景は珍しいものを観察するように眺めた。
「どうだか」
「二人は相性が良さそうだ」
「チカにはそう見えるんだな」
青年が鈴をそっと撫でた。
「……こんな形でなければ、良い関係を築けただろうに」
智景のひとり言が青年の背にかかる。
「もしもう一度やり直せたら、と考えてみる。全てを知ってなお、今のチカに旧友を助ける未来は描けるか」
智景は押し黙った。
「そう、過去は変えられない。運がなかった、で終わる。先の問いにそもそも答えなんて存在しない。あまり気に病むな。旧友と同じ末路になるぞ」
「それを言うなら、あの子の方が危なっかしい。いかにも純粋無垢な心をしている」
「そうはならない」
青年がきっぱりと言う。
「俺がいる限り、絶対に」
揺るぎなく、その意思を瞳に閉じ込めていた。
「やはり。お前はあの子を──……」
すると、青年がしー、と人差し指を立てた。
「俺は俺のすべきことをするだけだ。戻れないのなら、先に進むしかない」
そう言い残すと、青年は振り返ることなく去った。
ただ一つ、色あせない春に凛とした鈴の音を残して。
考え込む妖主を見て、智景は不思議そうに顔をのぞいた。その時ほんの一瞬、静かに燃える紅い視線と交わる。
「なんも。天帝も認めるくらいだ。どんな屈強な大男なのか、と思って」
「あの子が?」
智景の抑え切れない笑いが口から零れている。
「なんだよ」
「いやいや、なかなか面白い。『屈強な大男』か。アハハハハ!」
ついに声を上げて笑い出した。
────────…………
紺碧の空が夜の気配を消し、明らみを帯び始めた。
「悪かったよ。そんなに怒ることもないだろ」
そんな早朝のゆったりとした静けさは、二人の騒ぎ声で壊される。
「怒ってないし。ついて来るな!」
「済まなかったよ。でも会えばきっと、お前も笑いたくなる。『チカが言った通りだった』って」
智景は前を歩く妖主を追いかけ、少し後ろで悠々と袖を揺らした。
「好きなだけほざいてろ」
そう言って、妖主は耳と尾を術で隠して人間の姿に変化する。その姿は、どこからどう見ても良家の御子息、と言ったところだった。
智景は、ほっと息をつく。
「いつ見ても、お前の変化は見事だ」
「狐は皆、変化に長けている。大して特別なものじゃない」
「その中でもお前は別格だ。細部に渡って抜かりがない。見るからに人間そのもの」
「この姿の方が何かと動きやすい。人間どもに見世物にされるなんて御免だ」
まつげを伏せると、髪紐を結び直した。飾りの鈴がチリンと鳴る。
「お前は目立つからな。良くも悪くも」
「ハハハ、有名人は疲れるよなぁ」
「悪評しか耳に入らない気が」
「いよいよ難聴か。今度、良い医者を紹介してやるよ」
智景が聞こえるように舌打ちをする。
「真っ先に私が、あの子にお前の正体をバラしてやりたい」
「それだけはしてくれるな」
青年は振り返った。
「可哀想に。お前にまんまと騙されるあの子の顔が目に浮かぶ」
ふいっと顔を背けた。
「俺は、チカが旧友とやらをとても慕っている姿が目に浮かぶ」
ぴたり。草履の音が止む。
「何を見た」
「チカの旧友はたいそうご立派なお方らしい」
「神の手本のような存在だった。実力を鼻にかけない謙虚さ。誰でも彼に憧れる」
「結果、その正しさが身を滅ぼしたわけだ。難儀だな」
智景は眉をひそめた。
「旧友に振り回され、今度はその忘れ形見に振り回され……か」
「何が言いたい」
桜吹雪を背にして立つ美しい青年が、やわらかな羽織をひるがえす。
「天界で、何か不都合があったんだろ。だから今になって」
しばらくの間、智景は早朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、陰鬱な気分を吐き出していた。それを一通り済ませると、こう言った。
「天のご意思はわからない。なにせ真実は、あの子の手で全て葬られてしまった。私が知るのはおとぎ話。真偽さえ不確かな、物語でしかない」
「ならいっそ、物語のまま閉じればよかった」
青年の手が何かを探るように空に触れる。景色はまだずっと続いているのに、透明な壁によって指先が阻まれた。
まさしく、ここが境界線。
「近しい境遇だと情も湧くのか」
智景は珍しいものを観察するように眺めた。
「どうだか」
「二人は相性が良さそうだ」
「チカにはそう見えるんだな」
青年が鈴をそっと撫でた。
「……こんな形でなければ、良い関係を築けただろうに」
智景のひとり言が青年の背にかかる。
「もしもう一度やり直せたら、と考えてみる。全てを知ってなお、今のチカに旧友を助ける未来は描けるか」
智景は押し黙った。
「そう、過去は変えられない。運がなかった、で終わる。先の問いにそもそも答えなんて存在しない。あまり気に病むな。旧友と同じ末路になるぞ」
「それを言うなら、あの子の方が危なっかしい。いかにも純粋無垢な心をしている」
「そうはならない」
青年がきっぱりと言う。
「俺がいる限り、絶対に」
揺るぎなく、その意思を瞳に閉じ込めていた。
「やはり。お前はあの子を──……」
すると、青年がしー、と人差し指を立てた。
「俺は俺のすべきことをするだけだ。戻れないのなら、先に進むしかない」
そう言い残すと、青年は振り返ることなく去った。
ただ一つ、色あせない春に凛とした鈴の音を残して。
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