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第2章 慕う者は愛ゆえに 編

第15話 父、探る

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「いらっしゃ~い!」

 扉を開けると、元気の良い店主の声が出迎えてくれた。
 此処は、下段にある老舗の酒場『跳ね馬亭』。
 昼の開店と同時に客が詰め掛ける、超人気店。
 酒と料理の旨さもさることながら、店主イザイラの美貌と人柄が一番の理由となっている。

 健康的な小麦色の肌に、実りに実ったばいんばいん。
 1つに纏められた明るい橙色の長い髪は、頭にバンダナを巻いて清潔感も忘れない。
 髪と同色の瞳からは、溌剌とした光を溢れさせている。
 何より、大人の色香を放つ眩しい笑顔が、男女問わず心を鷲掴みにしてしまうのだ。

「ど、どうもです」

 入って来たのは1人の男。
 七三に分けた蒼色の髪をした、細面のヒョロリとした体格。
 丸眼鏡を掛けた細目の奥は、どこかオドオドしているように見えた。
 店に入って正面のコの字型のカウンター席に着いた男。
 すると、イザイラが笑顔で近寄って来た。

「お兄さん、ご注文は?」

「え、えっと……ウ、ウィスキーをロックで」

 注文から程なくして、小さなグラスに入った蒸留酒が置かれた。

「お待ちどうさま~」

「ど、どうもで――うわっ!?」

 細目の男がグラスを持ち上げようとした時、カウンターになだれ込んできた2人組の男に押されてしまったのだ。

「姉さ~ん!  俺達と飲もうよ~」

「あんた達!  何やってんのもう!  全く……ごめんなさいね、お兄さん」

 2人組を叱責しながら、細目の男に謝罪するイザイラ。
 絡んできたのは常連の冒険者。
 彼女の美貌は此処らでは有名で、こうしてしょっちゅう絡まれてしまうのだ。

「い、いえ、大丈夫です。僕はあ、あっちで飲みますから」

 細目の男は軽く会釈をすると、コの字の一番角の席へ移動していく。

「本当にごめんなさいね~。ほら、あんた達も謝んなさい」

「悪かったな、兄ちゃん!  それより姉さん、飲もう飲もう!」

 細目の男を見もせずに謝る2人を見て、呆れて溜息を吐くイザイラ。
 すると、近くのテーブル席から声が響いて来た。

「あんたら、まだ姉さんに相手して貰えると思ってんの?  弱いんだからいい加減にしなよ」

「んだとぉ!」

 男達を煽ったのは、3人組の女冒険者。
 此方も、イザイラに憧れて店に通う常連である。
 元Bランク冒険者でサバサバとした性格のイザイラは、女性にも非常にモテるのだ。

「お前ら!  つい最近D+になったからって調子乗んなよ!」

「乗られたくなかったら、あんた達もなれば良いんじゃな~い?」

 向かい合い、バチバチと火花を散らす常連2組。
 再びの溜息を吐いたイザイラは、先頭にいる男女の頭をポンっと叩いた。

「あんた達、店の中で暴れたら出禁だからね?」

「えっ、それは嫌です……」

「姉さんそりゃないぜぇ~!」

「じゃあ大人しくしなさい!  他のお客さんに迷惑掛けるんじゃないの」

「「は~い……」」

 イザイラに一蹴されて、常連達は大人しく席に着く。
 すると、他のテーブルからドッと笑い声が溢れ出した。
 若い冒険者達をいなす様は、この店の名物の1つとなっている。
 すると、そのやり取りを見ていた細目の男に、イザイラが気付いた。

「この子達も悪い子じゃないのよ。許してやってね。あ、それはお店の奢りだから」

「えっ……あ、どうもです」

 オドオドしながら礼を述べる細目の男。
 『ごゆっくり♡』とウィンクしたイザイラは、また忙しく仕事に戻っていく。

「……ゴクゴクっ……ぷはぁ!  さて……」

 角の1つ手前の席に腰掛けた細目の男は、酒を一気に飲み干し、徐に右隣を見やった。
 其処には、フードを目深に被った別の男が1人。
 細目の男はニヤリと口角を吊り上げると、その客にだけ聞こえる声量で話し掛ける。

「お久しぶりですぅ。まさか、この街に来てるなんて思てませんでしたわぁ」

 先程とはまるで違う、独特な抑揚をつけた喋り方。
 オドオドしていたのが嘘の様に、落ち着いている。

「……私もだよ。君が此処でも仕事をしていたとな、イト」

 ローブの奥から覗く黒目と、無造作に伸ばされた髭。
 穏やかな低い声は、懐かしさと少しの驚きを滲ませている。
 軽く微笑んだその頬には、髭に隠された大きな斜め十字の傷跡。
 そう、ラディオだ。

「では、聞かせてくれ」 

「くっくっくっ……」

 真剣な面持ちのラディオとは対照的に、イトはチラリと此方を見やり、面白そうにクスクスと笑いだしてしまった。

「どうした?」

「いやぁ、すんません。パッタリ連絡きぃひんくなったなぁ思てたら、まさか冒険者になってるとは知らんかったもんで」

 グラスの中の氷を遊ばせながら、ラディオを見つめるイト。
 丸眼鏡の奥の瞳を、ギラギラと怪しく光らせながら。

「まぁ、何でもええですわ。これでまた……借りを返せますんで」

 イトの正体は、『情報屋』である。
 最初の出会いは、ラディオが魔王軍の情報収集を行っていた時。
 彼の信条は、『仕事は仕事、貸借り無し』というもの。
 情報収集であればどんな依頼でもこなす代わりに、キッチリ報酬を請求する。
 正確無比な仕事に対する正当な対価を。

 だが、嘗てのイトは少し違った。
 時には、過剰に上乗せをした対価を要求したのだ。
 そして、この傲慢さがイトの首を絞める事件を引き起こす事となる。


 ▽▼▽


 10数年前――


 ラディオの仕事をこなした後、イトに大きな仕事が舞い込んで来た。
 依頼主は『帝国の英雄』、内容は『王国の英雄の実情を探れ』、というもの。

 魔王討伐に関して、帝国・法国を差し置いての王国の快進撃に、帝国の英雄は不信感を募らせていた。
 幾度か、幹部との戦闘の前に三英雄がかち合った事もある。
 しかし、ナーデリアはいつも最後に動き出す。
 それなのに、気付けば幹部は倒されているのだ。

 これは余りにおかしい事だった。
 幹部の眼前に到着する事でさえ、英雄と言えど簡単ではない。
 だが、そんな自分達を尻目に、最後に動いた筈のナーデリアが、幹部の首を持っているのだ。

 法国の英雄はマイペースな性格で気にも留めていなかったが、プライドの高い帝国の英雄は怒りを滾らせる。
 ラディオという影の存在を疑い、最近王国の仕事をよく請け負っている情報屋に接近したのだ。

 きっちり報酬を支払うのであれば、どんな依頼でもきっちりこなす。
 イトの情報を元に、ラディオを待ち伏せる事にした帝国の英雄。
 目的は勿論、存在の排除である。

 邪魔のはナーデリアではなく、この男だ。
 この男さえいなければ、帝国に魔王討伐の誉れをもたらす事が出来る。
 何よりも、自身の名誉の為に。
 その為ならば、奇襲だろうが騙し討ちだろうが、関係無かった。

 しかし、結果は英雄の惨敗。
 三英雄の中でも、純粋な戦闘能力で言えばナーデリアの方が上だ。
 それを鍛え上げたのは、ラディオ自身。
 帝国の英雄が勝つ可能性など、元より無かったのだ。

 だが、腐っても英雄。
 ラディオとしてもそれなりに力を出したので、英雄は重傷を負ってしまう。
 その時、イトが欲を出した。

『いや~、見事にやられてしもうて。助けてあげてもええけど……タダじゃあきまへんで?』

『……何、だと……!!』

 相手がボロボロなのを良い事に、更に吹っ掛けてしまったのだ。
 それにより、帝国の英雄のタガが外れる事となる。

『くっ……ふざけんなぁぁぁぁぁぁ!!』

『ひぃぃっ!?』

 プライドをズタズタにされたあげく、情報屋如きに舐めた態度を取られた英雄。
 憤怒に冒され自我を失い、禁忌に手を出してしまったのだ。
 圧倒的な力を前に、死の恐怖に怯えるイト。
 だが、その状態の英雄でさえ、ラディオは組み伏せた。

 しかし、トドメを刺さなかった事が、更なる屈辱を与えてしまう。
 満身創痍の中、姿を消した英雄。
 その瞳に、ラディオへの終わりのない憎しみを燃やしながら。

『はぁ……はぁ……』

 人間業とは思えぬ力を目の当たりにして、体を震わせ力無く座り込むイト。
 だが、次の恐怖と戦わなければならなかった。
 裏切ったラディオからの制裁と言う恐怖に。

(あ、あぁ……僕は、此処で……死ぬ……あれ?)

 しかし、ラディオは何もしなかった。
 イトは只仕事をこなしただけ、英雄は自分の正義に従っただけ。
 ラディオにとって、何らおかしい点は無い。
 イトの欲のせいで、英雄が禁忌に手を出した事だけは誤算だったが、元より命を奪う気は無かった。

『な、何でや……何で僕なんか助けたんやぁ!?』

『……助けた訳では無い。私は私の正義に従ったまでだが、君が何か思う所があるなら、これで商売を畳め……私は残念だがな』

 ラディオはそれだけ言い残すと、空へと羽ばたいていく。
 残されたイトは怒りに打ち震えた。
 純粋な商人を志していた筈なのに、いつの間にか強欲になっていた自分に。

『う、うぅ……うぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 そして、ラディオに大きな大きな借りが出来た。
 命という、大きな借りが。
 『仕事は仕事、貸借り無し』……商人が何時までもこの借りを返さない訳にはいかない。

 いつの日か、ラディオの命を救う様な仕事をして、借りを返さなければならない。
 その時まで、絶対に死ぬ訳にはいかないと心に誓う。
 それ以降、ラディオが魔界へ赴くまで、ほぼ専属の情報屋として仕事をこなす事となる。


 ▽▼▽


「借りっぱなしぃちゅうんは、僕が許せないんでね。また協力さしてもらいますわ」

「……そうか」

 軽口を叩く姿からは想像もつかないが、仕事の質は超一級。
 何度その情報に助けられた事か。
 ラディオとしては、十分過ぎるほどの借りを返して貰っているのだが、イトは納得していない。

「で、今回の偽名はどうしはります?」

「……本名で良い」

「はぁ……。ラディオはん、普通情報屋に本名使います?  まぁ、依頼して来た時から予想はしてましたけどね」

 普通、こういう裏商売に関して、個人情報を使うものではない。
 実際、今迄のラディオはしっかり偽名だった。
 イトは参った様に首を振りながら、懐から取り出した走り書きのメモを読み上げる。

「えー、ご依頼の【無限の軌跡】とコルティスについて何ですが……どうもキナ臭いモンがあるんですわ」

 【無限の軌跡】は、ここ数年で一気に知名度を上げたクランである。
 リーダーのコルティスはDランク、チームを構成するのはC+~Dランクまでの冒険者達。
 男女問わず全てが獣人で、皆一様に整った顔立ちをしているのが大きな特徴だった。

 クラン単体で迷宮に潜る事はせず、あくまで案内人として雇われ仕事をこなす。
 メインターゲット層はC~Dランク付近であり、ランクアップの足がかりとして、クランの需要はそれなりに高いものだった。
 しかし、ある噂が出ると一気に人気は下火となる。
 それは、無限の軌跡を雇った冒険者パーティーが全滅した事に端を発する。

 迷宮内でパーティーが全壊、若しくは半壊してしまう事は珍しくない。
 それだけ過酷な環境に身を置いている事は、皆承知だ。
 だが、下の階層に潜れば潜る程、様々な恩恵を享受出来るし、帰還すれば尚更。

 しかし、この時戻って来たのは、無限の軌跡の案内人だけだった。
 しかも、無傷で。
 そんな事が立て続けに起こり、ギルド内外で噂が飛び交った。
『無限の軌跡が、わざと全滅に追いやった』と。

 この噂について確証は無い。
 だが、雇った冒険者パーティーが全滅し、案内人だけが戻って来れば、そういう噂も立つだろう。

 受付嬢がカリシャと知り合いかどうか聞いた事、コルティスが来た時に悔しそうにした事もこれが理由だ。
 ギルドは冒険者の内情に不介入、これは鉄の掟である。

 しかし、受付嬢も1人の人間。
 常に礼儀正しく穏やかに接するラディオと、いつも幸せ一杯に笑うグレナダを思えばこそ、口を挟んでしまったのだ。

「とまぁ、無限の軌跡についてはこんな感じですわ。この辺は、ラディオはんの予想通り。後、コルティスについては……もうちょい時間下さい」

「そうか……助かった」

「いえいえ。あ、ちなみにコルティスはラディオはんを気にも留めてませんので。『警告』に関しては、独断と見て間違い無さそうですわ。それじゃまた」

 読み上げたメモをしまい込み、席を立ったイト。
 其処へ、すかさずラディオが止めに入る。

「イト、依頼料を忘れているぞ」

「そりゃ貰えませんわぁ。まだコルティスについて調べてますしね。これは……経過報告ってやつで」

 イトはニッと笑うと、扉へ歩いて行く。
 昔と変わらぬ背中を見送りながら、ラディオが思案に耽っていると――


「イザイラぁ~!  エール酒を樽で20程、大至急だぁ!  がっはっはっは!」


 豪快な笑い声と共に、また1人の男が入って来た。
 ハーフアップに束ねられた、腰まである赤茶けた長髪と、顔の下半分から腹まで伸びる髭。
 髪や髭と同色の太い眉毛に瞳、丸い鼻を持つ豪胆な顔付き。
 目を引くのは、人族の平均身長より低い背丈。
 そう、ドワーフだ。

 だが、筋骨隆々のずっしりとした胴体と、強靭な太鼓腹が相まった堂々した風格。
 そして、年季の入った黄土色の鎧に、純白の外套をたなびかせるその姿は、猛者であると如実に示している。

「あらぁ、ジオトロさん!  いらっしゃ~い。今日は宴会?」

「おうよ!  飲みてぇ飲みてぇと、ウチの奴らが毎日騒ぐからな!  その前に一仕事こなさなきゃならねぇが」

「そうなのぉ、大変ね。ちょっと待っててね」

 注文を受け、厨房の奥へ入って行くイザイラ。
 程なくして、数人で大きな樽を幾つも転がして来た。
 ジオトロはそれを片手で持ち上げると、後ろで控えている部下に放り投げる。

「じゃんじゃん持って来てくれ!  ほれ!  お前達もじゃんじゃん積み上げろ! がっはっはっはっは!」

 樽を投げられた男はよろめきながら、外に待たせてある馬車へ向かう。
 その間にも、次々に運ばれて来る樽を、ジオトロはいとも簡単に投げ渡していった。

「よーし、これで全部だな!  イザイラ、金はこれで足りるな?」

 カウンターにドンと置かれた麻袋。
 中には、ギッシリと詰め込まれた金貨が輝いている。
 しかし、イザイラは困った様に笑みを零し、ううんと首を振った。

「いつもいつも……これじゃ多すぎるって言ってるじゃない」

「何だそうか?  おぉ、それならツマミも頼んだぞ!  とびっきりの料理を、大皿でな!」

「それでも多いわよ」

「よーし!  なら、此処に居る奴らの飲み代、俺が全て請け負った!  がっはっはっは!!」

「「「おぉぉぉぉ!!」」」

 客達から歓声が上がり、それを見たジオトロは、髭を撫でつけながら満足気に微笑みを浮かべる。
 更なる活気に包まれた店内をぐるりと見渡していると、カウンターの角が目に入った。

「イザイラ、グラスを片付け忘れるなんてらしくねぇな」

「えっ?」

 ハッとしたイザイラが角の席に向かうが、そこはもうもぬけの殻。
 手付かずのグラスと飲み干されたグラスが1つずつ。
 そして、金貨が2枚置いてあるだけだった。
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