34 / 35
34
しおりを挟む
刀を持つ手が震える。
けれど、思っているだけじゃ何も始まらない。終わる事はあっても、始まる事は無い。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
俺は大声で哭いた。泣いた。全身を黒い液体が巡る偽物だが、それでも、視界がぼやける気がした。
そうして俺は、俺は――刀を、振り下ろした。
辺りに大量の退色血《スミゾメ》が飛び散る。
致命傷と言えるだけの深い傷を、樒に、百合につけてしまったのだ。
けれど後悔する暇も、悲しむ暇も今は無い。俺は刀を捨てて《百合》の首筋に噛みついた。
丁度吸血鬼のようにも見えたかもしれない。
ぼやける視界の中で、偽物の皮膚の感触が、俺の物ではない退色血《スミゾメ》の味が、口の中に広がっていく。
「あぁ、そうかー。蓮夜の勝ちかー」
俺から樒の、《百合》の顔は見えない。
けれど、声はどこか楽しそうに聞こえた。
「うん。でも幕引きにはすっごい良いかも」
顔は見えないし、俺の視界は相変わらずぼやけている。けれど何故か、今樒《百合》は笑っている気がした。
「だって、こんなにたくさんの人に見られながら消えるなんて、おあつらえ向きだ」
樒《百合》は抵抗する気は無いようで、腕をだらりと下に垂らす。
「何ていう高揚感」
そうか、今、高揚しているのか。もしかしたら俺もそうなのかもしれない。
感情のベクトルは違えど、同じとも言える気もする。
「大好きだよ。そう、僕は皆好きなんだ」
最初からずっと言っていた。本当に好きだったのだ。
「あー、とても楽しかった。もっと遊びたかった」
これはきっと、百合だった時からの気持ちだ。
ごめん、二回も殺してしまって。特に樒《百合》には、酷い事をしっぱなしだった。
「でも良いんだ。消えた後の世界も、楽しみにしているよ。消えた後の場所は、消えた奴しか知りえない。たまらないね」
口の中に入り込む退色血《スミゾメ》の量が増えた気がする。どろりとした、偽物の血液は……咽返るほどの、血の匂いだ。実際は、墨汁のような匂いなのだが、俺には血のように感じた。
「そして僕は蓮夜の一部になる。今までの百合は、蓮夜の中に入るんだ」
誰一人として、樒《百合》の言葉を遮らない。
「たまらないね」
笑い声が掠れている。
「じゃあね、蓮夜。侵蝕者《カキソンジ》の位寄樒は、先に暗闇のその向こうへ行くよ」
樒《百合》がもうすぐ、消えてしまう。
「ずーっと待ってる。君と、本当に一つになれる日を」
俺が、消してしまうのだ。
「あー、楽しかった」
心からの声のような気がして、胸が苦しくなる。
「じゃあ、またね。バイバーイ」
これが、樒《百合》の最後の言葉だった。
俺の目の前から彼女は消えて、元の色に戻った百合《モモ》が、泣き笑いみたいな表情を浮かべていた。
その表情だって、俺が勝手に思っているだけかもしれない。何しろ俺は今、泣いているのだから。
噛みついている存在が液体になり、俺はそれに自分の手を翳した。契約していない侵蝕者《カキソンジ》には靄があるが、今の俺の靄は中に入っているから。
するり、と樒《百合》だった液体は俺の中に消えてしまった。
「蓮夜、頑張った」
モモは俺の方に駆け寄って、抱き着く。そして、頭を撫でてくれた。
「よかった……二人とも、無事で良かった」
センも胸を撫で下ろしているようだ。
「……助かった。ありがとう」
「一応、藤からもお礼を言っておきますよぅ。ありがとうございました」
俺に向かって、掃除屋《シュウセイシャ》二人が頭を下げる。本来ではありえない光景に、思わず笑いそうになった。
もしかしたら笑いそうになったのは、俺の中の樒《百合》だったのかもしれないが。
「では、神に報告をしておく。早ければ明日には、侵蝕者《カキソンジ》の蓮夜という設定で、主人公《ヒロイン》公庄百合の物語のメインキャラになっているだろう」
「藤、残業確定ですよぅ」
能漸が淡々と俺の今後を語ると、藤は小さなため息を吐き出した。
「神様に、伝言頼める?」
「お? ゆりりんからの? 何ですか? ちゃんと伝えておきますよぅ」
俺の頭を撫でたままの百合は、藤の返事を聞いてから大きく息を吸った。
「神様だか何だか知らないけど、完全にキャラクターを、わたし達を掌握する事が出来ると思わないで。だって、人は変わる物だから。神様の手を離れて、一人歩きだってするよ」
今の言葉に、モモに対して覚えていたぼんやりとした印象はない。
「気に入らないからと手を加えられたって、気に入ったように、完全に思いのままに動く事はないんだ。少なくとも、わたしはそう思う。わたし、今回の件も、これまでの件も怒ってる」
はきはきとした、今まで見て来たモモとは違う口調だ。でもこれも、モモの一つの面なのだ。
「わたしの事、ぼんやりした無気力系にしたかったらしいけど、お生憎様。せいぜい悔しがって、今回何が悪かったのか考えて」
ここで言葉を切ると、「おしまい」と小さな声で言った。そうか、モモも怒っていたのか。それから、悲しんだのか……。
「む、嫌味っぽい……。先輩、伝えておいてくださいね!」
「お前が聞いたんだ。お前がやれ」
「むぅ。仕方がないですね」
掃除屋|《シュウセイシャ》、グダグダだな。
「今回、藤達役立たずでしたし、ゆりりんには借りもあるので、しっかりと伝えておきます」
「では、また」
二人はそう言い残すと、黒い空間に白いドアを描いて消えて行った。
「蓮夜、帰ろう」
「そうよ。あと、これからもよろしく」
モモは俺の頭に最後の一撫でを食らわせてから離れると、笑う。センは、俺に手を差し出していた。
「うん……うん、また、みんなで……」
最後まで声にはならなかった。
けれど、俺は樒《百合》の作った空間に扉を作り出して……現実へと三人で身体を滑り込ませたのだった。
――きみとのきおく――
「蓮夜、友達っていうのは、悪い事をしていたら止めるんだよ」
「……どうして?」
百合が俺に言い聞かせるように話す。表情は真剣そのものだ。
「悪い事をはっきりと悪いって言えるのも、友達だからこそ、だから」
俺のどんな些細な質問にも、百合は答えてくれた。
「たとえ嫌われたとしても、相手にとって良いと思えることをするんだ」
「そっか……」
俺は小さく頷く。
「じゃあ、俺、百合が悪い事をしたらちゃんと止める」
「うん、お願いね」
百合はにこっと笑った。
たまらなく好きだった百合の笑顔を思い出すと、寂しくなった。
けれど、思っているだけじゃ何も始まらない。終わる事はあっても、始まる事は無い。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
俺は大声で哭いた。泣いた。全身を黒い液体が巡る偽物だが、それでも、視界がぼやける気がした。
そうして俺は、俺は――刀を、振り下ろした。
辺りに大量の退色血《スミゾメ》が飛び散る。
致命傷と言えるだけの深い傷を、樒に、百合につけてしまったのだ。
けれど後悔する暇も、悲しむ暇も今は無い。俺は刀を捨てて《百合》の首筋に噛みついた。
丁度吸血鬼のようにも見えたかもしれない。
ぼやける視界の中で、偽物の皮膚の感触が、俺の物ではない退色血《スミゾメ》の味が、口の中に広がっていく。
「あぁ、そうかー。蓮夜の勝ちかー」
俺から樒の、《百合》の顔は見えない。
けれど、声はどこか楽しそうに聞こえた。
「うん。でも幕引きにはすっごい良いかも」
顔は見えないし、俺の視界は相変わらずぼやけている。けれど何故か、今樒《百合》は笑っている気がした。
「だって、こんなにたくさんの人に見られながら消えるなんて、おあつらえ向きだ」
樒《百合》は抵抗する気は無いようで、腕をだらりと下に垂らす。
「何ていう高揚感」
そうか、今、高揚しているのか。もしかしたら俺もそうなのかもしれない。
感情のベクトルは違えど、同じとも言える気もする。
「大好きだよ。そう、僕は皆好きなんだ」
最初からずっと言っていた。本当に好きだったのだ。
「あー、とても楽しかった。もっと遊びたかった」
これはきっと、百合だった時からの気持ちだ。
ごめん、二回も殺してしまって。特に樒《百合》には、酷い事をしっぱなしだった。
「でも良いんだ。消えた後の世界も、楽しみにしているよ。消えた後の場所は、消えた奴しか知りえない。たまらないね」
口の中に入り込む退色血《スミゾメ》の量が増えた気がする。どろりとした、偽物の血液は……咽返るほどの、血の匂いだ。実際は、墨汁のような匂いなのだが、俺には血のように感じた。
「そして僕は蓮夜の一部になる。今までの百合は、蓮夜の中に入るんだ」
誰一人として、樒《百合》の言葉を遮らない。
「たまらないね」
笑い声が掠れている。
「じゃあね、蓮夜。侵蝕者《カキソンジ》の位寄樒は、先に暗闇のその向こうへ行くよ」
樒《百合》がもうすぐ、消えてしまう。
「ずーっと待ってる。君と、本当に一つになれる日を」
俺が、消してしまうのだ。
「あー、楽しかった」
心からの声のような気がして、胸が苦しくなる。
「じゃあ、またね。バイバーイ」
これが、樒《百合》の最後の言葉だった。
俺の目の前から彼女は消えて、元の色に戻った百合《モモ》が、泣き笑いみたいな表情を浮かべていた。
その表情だって、俺が勝手に思っているだけかもしれない。何しろ俺は今、泣いているのだから。
噛みついている存在が液体になり、俺はそれに自分の手を翳した。契約していない侵蝕者《カキソンジ》には靄があるが、今の俺の靄は中に入っているから。
するり、と樒《百合》だった液体は俺の中に消えてしまった。
「蓮夜、頑張った」
モモは俺の方に駆け寄って、抱き着く。そして、頭を撫でてくれた。
「よかった……二人とも、無事で良かった」
センも胸を撫で下ろしているようだ。
「……助かった。ありがとう」
「一応、藤からもお礼を言っておきますよぅ。ありがとうございました」
俺に向かって、掃除屋《シュウセイシャ》二人が頭を下げる。本来ではありえない光景に、思わず笑いそうになった。
もしかしたら笑いそうになったのは、俺の中の樒《百合》だったのかもしれないが。
「では、神に報告をしておく。早ければ明日には、侵蝕者《カキソンジ》の蓮夜という設定で、主人公《ヒロイン》公庄百合の物語のメインキャラになっているだろう」
「藤、残業確定ですよぅ」
能漸が淡々と俺の今後を語ると、藤は小さなため息を吐き出した。
「神様に、伝言頼める?」
「お? ゆりりんからの? 何ですか? ちゃんと伝えておきますよぅ」
俺の頭を撫でたままの百合は、藤の返事を聞いてから大きく息を吸った。
「神様だか何だか知らないけど、完全にキャラクターを、わたし達を掌握する事が出来ると思わないで。だって、人は変わる物だから。神様の手を離れて、一人歩きだってするよ」
今の言葉に、モモに対して覚えていたぼんやりとした印象はない。
「気に入らないからと手を加えられたって、気に入ったように、完全に思いのままに動く事はないんだ。少なくとも、わたしはそう思う。わたし、今回の件も、これまでの件も怒ってる」
はきはきとした、今まで見て来たモモとは違う口調だ。でもこれも、モモの一つの面なのだ。
「わたしの事、ぼんやりした無気力系にしたかったらしいけど、お生憎様。せいぜい悔しがって、今回何が悪かったのか考えて」
ここで言葉を切ると、「おしまい」と小さな声で言った。そうか、モモも怒っていたのか。それから、悲しんだのか……。
「む、嫌味っぽい……。先輩、伝えておいてくださいね!」
「お前が聞いたんだ。お前がやれ」
「むぅ。仕方がないですね」
掃除屋|《シュウセイシャ》、グダグダだな。
「今回、藤達役立たずでしたし、ゆりりんには借りもあるので、しっかりと伝えておきます」
「では、また」
二人はそう言い残すと、黒い空間に白いドアを描いて消えて行った。
「蓮夜、帰ろう」
「そうよ。あと、これからもよろしく」
モモは俺の頭に最後の一撫でを食らわせてから離れると、笑う。センは、俺に手を差し出していた。
「うん……うん、また、みんなで……」
最後まで声にはならなかった。
けれど、俺は樒《百合》の作った空間に扉を作り出して……現実へと三人で身体を滑り込ませたのだった。
――きみとのきおく――
「蓮夜、友達っていうのは、悪い事をしていたら止めるんだよ」
「……どうして?」
百合が俺に言い聞かせるように話す。表情は真剣そのものだ。
「悪い事をはっきりと悪いって言えるのも、友達だからこそ、だから」
俺のどんな些細な質問にも、百合は答えてくれた。
「たとえ嫌われたとしても、相手にとって良いと思えることをするんだ」
「そっか……」
俺は小さく頷く。
「じゃあ、俺、百合が悪い事をしたらちゃんと止める」
「うん、お願いね」
百合はにこっと笑った。
たまらなく好きだった百合の笑顔を思い出すと、寂しくなった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
【完結】神様と縁結び~え、神様って女子高生?~
愛早さくら
キャラ文芸
「私はあなたの神様です」
突然訪ねてきた見覚えのない女子高生が、俺にそんなことを言い始めた。
それ以降、何を言っているのかさあっぱり意味が分からないまま、俺は自称神様に振り回されることになる。
普通のサラリーマン・咲真と自称神様な女子高生・幸凪のちょっと変わった日常と交流のお話。
「誰もがみんな誰かの神様なのです」
「それって意味違うくない?」
校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話
赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる