言の葉ウォーズ

二ノ宮明季

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   □わたしとあたし□

 高校も同じだった。
 中学三年の時の志望で、同じ高校を選んだからだ。学力に若干の差はあったが、それもものともせず、ひたすらに勉強をして試験に臨んだ。
 合格発表の日には、表情が乏しいわたしも、表情が出やすいあたしも、手を取り合って喜んだものである。
「クラスも一緒だよ!」
「ん。……嬉しい」
 そうして同じクラスでの高校生活が始まった。
 ずっと一緒で、仲が良くて、誰よりも互いが一番に好きだ。この頃には、隣にいるのが当たり前になっていた。
 今でもやっぱり、互いが……好き。

   □◆□◆

 能漸と藤は、目の前で仰向けに倒れてしまった茜音を見て、呆然と立ち尽くしていた。
 雪のように降り注いだ石鹸《ケシゴム》を被った茜音は、体中に白いドット柄をつけて動かなくなってしまったのだ。
 かろうじて声は出るようだが、上手く聞き取れない。何故なら石鹸《ケシゴム》は、白く塗りつぶすための道具だからだ。
「先輩……どう、します?」
「どうすれば……いいん、だろうな……」
 二人は、互いの顔を見ることも無く、黙って倒れている茜音を眺める。思考はフリーズ状態だ。せめてスタンバイでいて欲しい所だが、不測の事態に動けなくなってしまったのだ。
「と、とりあえず、掃うだけ掃ってみます?」
「あ、あぁ。そうだな。そうしよう」
 今度はしゃがみ込んで、茜音にかかっている石鹸《ケシゴム》を手で掃う。
「……まだら、だな」
「毒キノコ柄ですね……」
 現れた色も、石鹸《ケシゴム》が付いていた時と変わらず、白のドットだ。絶望感がじわじわとやってくる。
「……1アップか?」
「毒ですから、逆だと思います」
 現実逃避ぎみに、二人は覇気の無い声で淡々と言葉を交わす。
「これ、先輩の責任ですよね」
「何故だ。お前の仕業だろう」
「いや、部下の尻拭いは上司の役目ですし」
「……上司の失敗を部下に押し付けるパターンもあるぞ。この場合は、自己責任だが」
「そんないけずな事を言わずに! どうか! どうか!」
 不毛な責任の押し付け合いをして、初めて互いの顔を見た。どちらも、顔面蒼白だった。もとより色白ではあったが、そんな比ではない。
「……茜音、どうしちゃったの。これ」
 ふと、二人の背後から声がかかった。百合のものだ。
 百合は、顔面蒼白の二人組と、まだら模様で倒れている茜音とを交互に見る。全く状況が読めなかった。
「あぁ! 女神さま!」
「天使だ! 天使が舞い降りて下さったぞ」
「本当に、何事?」
 能漸と藤は勢いよく振り返ると、百合の手をすがるように握る。
「あ、あのぉ、実は……」
「藤が石鹸《ケシゴム》を公森茜音にぶちまけてしまった。結果として、存在が消されかけている」
「先輩酷い!」
「事実だろう」
「で?」
 責任のなすりつけ合いを見ていても仕方がないので、百合は冷静に二人に続きを促した。
「しかし《登場人物》ではあるし、私達の仕事は塗り潰す事だ。君には上書き出来る可能性があると……思いたいです、まる」
「先輩、ラスト作文みたいになってます! 混乱の余り、小学生の作文 ~参観日仕様~ ですよ!」
「上書きって、どうするの?」
 気が付くと、現実逃避気味に脱線する能漸と藤を、百合が元の場所に戻す。ついでに、握られた手は離してもらえるようにと、軽く揺らしてみた。結果、離してもらえて、何故か両手の開放感を覚える。
 ある意味、すっきりしたかもしれない。
「……喋る、とか?」
「……語る、とかですかね?」
 二人の絞り出したような声に、決定的な解決策は見当たらなかった。
「曖昧だね」
「だ、だって、こんなの初めてなんですよぉ! 藤達、掃除屋《シュウセイシャ》が《メインキャラクター》を消しかけているなんて、前代未聞の大事件なんです」
「し、しかし、あの、これは不可抗力で……」
 しどろもどろに、掃除屋《シュウセイシャ》は言い訳を繰り返す。
「えぇと、私達の存在は、ケシゴムや修正ペンのようなものなので、正しいように変えて下さるのなら、修復は可能かと思います」
 もごもごと能漸は続けると、百合はコクリと頷いた。ちゃんと話は聞いているのだ。
「それと、彼女は何らかの負の感情を増幅させられていた可能性がありました」
「だから、藤達はもしかしたら結果オーライかもしれないんです。お願いです、助けて下さい!」
「……誰を……。いや、いい」
 この場合の助ける相手は、茜音なのか掃除屋《シュウセイシャ》なのかと思ったが、百合は頭を振った。どちらでも同じことだったからだ。
「私がやる事は、変わらないという事だけは分かるから。なんとかして見せる」
 決定的な解決策ではないが、とりあえず語りかけることにした百合は、茜音に向き直った。
「お願いします! どうか、ぱるぷんてを唱えて下さい!」
「そんな博打を打たなくてはいけない状況だとは、な」
「ん。分かったから一度口を閉じて……」
 既にパルプンテを使ってしまったような状態の二人を、百合は本人的に宥めたつもり(実際は宥めてはいないし、寧ろ黙らせた)になる。それから「茜音」と、目の前の友人の名前を呼んだ。
「……ゅ……、り……」
 茜音は微かに声をだし、目玉を必死に百合に向けている。小さな二つの球体が、ぎょろりと百合の方を見ているのに対し、彼女は僅かに笑みを浮かべた。普段、茜音に向けるように。
 表情豊かとはいえない百合の、友人に対する笑顔だ。一見するとあまり表情が変わっていないかもしれないが、それでも茜音には分かって貰えると信じて。
「大好きだよ、茜音」
 一言目は、告白だった。
「ずっとずっと、大好き。どんな茜音でも好き、とは言えないけど、でも、わたしの今まで見て来た、友達でいたいって思えて、友達でいられることに誇りを持てる茜音が、大好きなの」
 百合はしゃがみ込んで、茜音と目を合わせて語る。
「中学で一緒になって、仲良くなれて嬉しかった。学校の行事も一緒だったから、楽しかったんだよ。茜音がいたから、何をしていても、嬉しくて、楽しかった。わたしも茜音に、そんな気持ちになって貰えると良いな、って、ずっと思ってた。ちゃんと好きだって、言っておけばよかったんだよね。そしたら、なんか不安になったりとか、そういうのも無かったんだろうし」
 茜音の瞳には、徐々に涙が浮かんできていた。
 言葉が通じているのか、なんとなく記憶が残っているのか、あるいはその両方なのか。
「だって、不安にさせてたんでしょ……?」
 百合はゆっくりと首を傾げると、茜音は僅かに頷いたように見えた。確実に、意思の疎通は出来ている。
「ずっとずっと、一番の友達だって、そう思ってるよ。でも出来れば、今までの茜音と、仲良くしていたいって思うけど」
 茜音を見ている内に、百合も泣き出したい気持ちになっていた。
 こうなる切っ掛け――いうなれば、引き金を引いたのは、崖っぷちで背中を押したのは、おそらく百合だったのだ。
「……茜音がこうなった理由っていうか、樒に絆された理由っていうか、付け込まれた強い感情が何なのか、わたしは多分気付いてた」
 泣きたい気持ちは必死に押し殺して、百合は笑う。おかげで、ちょっと歪な、変な顔になってしまっただろう。それでも、笑った。
「きっと、蓮夜に嫉妬したんだよ」
 茜音は、小さく頷く。自覚はあったのだろう。
「でも、嫉妬しなくてもいいんだ。わたしは、茜音は茜音だから好き。同時に、蓮夜は蓮夜として見ている。同じ友達っていうジャンルに分けたとしても、やっぱり二人は別人で、わたしは二人の事が好き。もしかしたら、長く一緒に居る分、茜音の方が好きかも」
 掃除屋《シュウセイシャ》の二人は、はらはらとした表情を浮かべて、成り行きを見守っている。
「あ、これは蓮夜には内緒ね。あいつも、やきもち焼きだから」
 百合は、ちょっと歪な表情のまま、人差し指を唇に当てた。悪戯っぽい仕草だったが、表情が悪戯部分を打ち消している。
「二人ともわたしの友達だっていう事に変わりはない」
 ここまで言い切ると、百合はそっと茜音の手に触れた。
 柔らかくて暖かい掌は、紛れもなく、人間のものだ。
 ――瞬間、発光。
 まばゆい光が二人を包み込むと、百合の、茜音との記憶がフィルムのようにあふれた。その帯状の物は、茜音の口から侵入する。
 これが《修正》なのだろう。
 徐々に茜音の真っ白になっていた部分は元の色を取り戻し……やがて、百合からのフィルムが途切れ、茜音の口の中に全て吸い込まれたころに、まだら模様ではなくなっていた。そして、光も消えて、残っているのは百合と、百合の友人である《元の》茜音に、チェスボードの床。二人の掃除屋《シュウセイシャ》と二人の侵蝕者《カキソンジ》だ。
「……百合。ごめん、あたし――」
「いいの。それでも茜音が好きだし、やきもち焼いてくれるのは、ちょっと嬉しかったし。それに、わたしの方こそごめんだし」
 ゆっくりと身を起こした茜音に、百合はぎゅうぎゅうと抱き着いた。
「よかったです……」
「あぁ、よかった……」
 その二人を見ながら、掃除屋《シュウセイシャ》二人も涙ぐんでいた。彼らの涙の理由は、ともかくとして……落ち着くところに落ち着いたのだろう。
「……茜音、わたし、蓮夜を助けたい。蓮夜だって、わたしの友達なの」
「うん、分かってるわ。あたしだって……樒をどうにかしなきゃいけないって思うもの」
 ゆっくりと離れて、百合と茜音はしっかりと視線を合わせて言い合った。
「掃除屋《シュウセイシャ》さん、手伝って」
「はい! 藤はいつでもどこでも、愛するゆりりんとあかねっちを応援します! 手伝います!」
「急にフランクね」
「愛ゆえにです! 大好きです! 愛してます! 命の恩人です! あかねっちとはさっきやり合ったけど、昨日の敵は今日の友ってやつです!」
 藤は調子よく、直ぐに返事をした。百合と茜音は立ち上がって、掃除屋《シュウセイシャ》二人を見る。
 涙ぐんではいるが、使命は果たしてくれそうな、頼もしい表情だ。
「勿論、私も手伝わせて頂く。むしろ、私達の仕事を手伝って頂く形になるのだが」
 能漸も深く頷く。
「ん。じゃあ、行こう」
 こうして、四人は振り返った。
 向こう側では、樒と蓮夜の黒い血が飛び散っている。

   □■□■
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