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――わたしときみのきろく――
何度、《百合》と《蓮夜》の話を見て来ただろうか。
百合は、覗き穴に瞳を当てながらぼんやりと思った。
中には、自分が蓮夜と話した内容を見せられているのではないかと錯覚するような、そんな似かよったものもあった。違うと判断出来るのは、制服が違っていたり、髪の長さが僅かに違っていたり、あるいは口調が若干違っていたり、性格が違っていたりと言う部分。
要素は色々あるが、如何せん、名前や姿かたちがそっくりなせいで錯覚を覚えたのだ。
姿や声だけで言うのであれば、黒百合もまた、そっくりさんというジャンルに分類される。
『公森茜音ちゃん、だよね?』
今回もまた、そっくりさんの行動を眺める。が、驚いたのは、この場で初めて目にした茜音の存在だった。
顔立ちや声は同じだが、髪形は違う。いつものような一か所だけオシャレなシュシュで纏めた物ではなく、ツインテールだ。
『そう、だけど……』
きつそうな顔立ちとは正反対の、なんとも不安そうな声が返される。
『初めまして! わたし、公庄百合』
『え、あ、うん。えっと……?』
《茜音》のその台詞、そのまま言いたい。これが、今この光景を覗いている百合の気持ちだった。
『入学式の時から見てたんだよ。凄く可愛いな、って思って』
『えっと、あの、ありが、とう?』
笑顔で話しかける《百合》に、《茜音》は戸惑っているようだ。勿論、百合も戸惑っている。
今まで見て来たものもそうだったが、絶対に体験していない光景なのだ。そして、茜音は絶対に最初からこんな子ではなかった。髪の毛を高い位置で二つに分けて結わえているのも、一度も見た事が無い。《絶対に》だ。
蓮夜に関しては、付き合って日が浅いせいもあってかそれほどでもないが、付き合いの長い茜音に関してはものすごく違和感がある。違和感どころか、全身の毛穴が開いてそこから冷気を注入されるほどのおぞましさすらあった。実際にそんな目に遭った事は無いが、感覚としてはそれと同じように思えた。
『家、どこ? 一緒に帰ろうよ』
『う、うん。いいけど……でも、どうして?』
『わたし、茜音ちゃんと友達になりたいんだ』
今の関係と、反対と言えば反対かもしれない二人。百合が引き気味な事など勿論伝わる筈もなく、会話は続く。
『えっと、どうして?』
『えー? 理由が必要?』
『そういう訳じゃないけど』
凍えるほどお寒い茶番を見せつけられて、百合は「気持ち悪い」と零した。
「そんなに気持ち悪いかなぁ? 良くない? 仲良しごっこ的で」
「ごっこ遊びはこの年齢でやる物じゃないと思う」
黒百合と言葉を交わす百合の声も、すっかり冷えてしまった。今までも、感情を顕にしてメリハリのある話し方をする方ではなかったが、その比ではない。
「いやいや、心から友達と言い切れる関係になるまでは、誰だって友達ごっこしてるものだって。上辺だけの関係は、全部ごっこ遊びとも言えると思うんだよね。友達ごっこに、恋人ごっこ、上司と部下ごっこ……えとせとらー、えとせとらー」
見えない相手の姿が、見えるようだ。百合とは反対に、黒百合の声は弾んでいる。顔を見れば笑っている事だろう。
「……どっちかといえば、似非トトラじゃない?」
「うん、まぁ、それでも良いんだけどね。トトラが何なのか分からないけど。あ、思いついた。絵本で見たトロルみたいな、謎の生物の事だね。と、いう訳で、えせととらー、えせととらー」
黒百合の声色にすっかりうっかり毒気を抜かれた百合は、ため息交じりに返した。氷を溶かすのはどうやら意外と簡単らしい。今見ている情景を解くには材料が足りないが。
そうこうしている内に、場面は変わって下校中になっていた。
『あれ? 雲行きが……』
『まさか――! 百合さん、逃げて!』
晴れていた空は、唐突に厚い雲に覆われていく。視聴者置いてけぼりの、緊迫感あふれる展開だ。
『茜音ちゃん、あれ……何?』
《百合》の指さした先には、よく分からないクリーチャーが現れている。それこそ、三匹のやぎのがらがらどんの中に出てくる、トロルのような。
『ごめんなさい、百合さん。あたしに関わったばかりに。まさか機関が一般人を巻き込もうとするなんて……』
《茜音》が、青い顔をして《百合》の指さした先を見つめた。そして、彼女を庇うように一歩前に出た。
「なによ、これ」
百合の率直な感想だった。今までと毛色が違うのは勿論、今までで一番寒い。一般的な女子高生の生活ではない分、B級映画の胡散臭さがプンプンする。
「退屈って言ったの、百合じゃん。いい感じのを仕入れて来たのにー」
「何で急にファンタジー。非現実的なんだけど」
「そりゃあ、ファンタジーは非現実だしね」
百合は思わず頭を抱えた。
◆◇◆◇
結局、この後の展開としては、クリーチャーと戦う内に《百合》の中に流れる戦士としての血が湧きあがって、よく分からない機関とかいう組織を倒して《茜音》と友情のようなものを育んでいた。途中で《蓮夜》も出てきて、「俺はモモを助ける存在!」とか言いつつ噛ませ犬になったりもしていたが、この際関係ないだろう。
暗い道で、穴から目を離した百合が「頭痛い」と呟く。
これが作り話だったとしたら、作者の迷走が窺えた。
「じゃ、まだまだ進むよ」
黒百合は笑って百合の手を取ると、再び歩き出そうとする。
「ちょっと待って」
「何?」
百合はその場に留まった。結果として、百合の手を引いていた黒百合の足も止まる。
「いつまでこんなものを見続けるの?」
「いつまでも、かな?」
百合の質問、黒百合の回答。
「そんなの、困る。茶番だけ延々と見せつけられたって面白くもなんともないし、何よりもわたしがここに来る前、大変な事になっていたはず」
「大変な事って?」
「茜音が樒に変な風にされてた」
「変な風?」
黒百合が、掴んだままの百合の手をブラブラと揺らしながら問い返す。
「なんか……変だった」
「説明できないの?」
「出来ないよ。だって、変だったっていう事実しかわたしは分からないから」
百合が困ったように答える。初めの、質問者と回答者の関係が逆転した。
「なんか様子がおかしかった。樒が何かをしたとしか思えない」
「で、何かをしてたら……どうなの?」
逆転が逆転。三百六十度回って、元の立場に戻る。
「どうって、困る」
「困って、どうするの? どうせオロオロするだけなら、どこにいたって一緒じゃない」
ブラブラと、腕は揺れる。
百合は揺らされる手を振りほどくことなく、困った表情を浮かべるばかりだ。
「わたし、茜音の友達だもの。助けたい」
「今、助けを必要としている状況だと思うって事?」
「そうでしょ? 自覚が無かったとしても、変だもの」
立場がクルクルと回る。あっちに行って、こっちに来て。
ただ言えることは、一向に話が進んでいない事だけだ。
「それはただ単に、百合が、自分の友達の茜音が気に入っているから、そうじゃなきゃイヤっていう駄々を捏ねているだけだよ」
「違う。本当の茜音を知っているからこそ、助けたいと思うの」
「助けたい? はっ」
……黒百合は、百合の言葉を鼻で笑う。
「自分が相手の為に何か出来るだなんて、おこがましいにも程がある」
黒百合の雰囲気が、鼻で笑った事を切っ掛けにガラリと変わった。人を小馬鹿にしたような、百合を憐れんでいるような、自分を崇高な存在だと思い込んでいるような、そんな傲慢な表情と態度。黒百合は、百合を掴んでいた手を離すと、短い髪をかき上げた。
「あのねー、人っていう字は人と人が支え合ってる、なんて真っ赤なウソなんだよ。人が腕をダラーンと垂らしている字が起源なの」
百合が、ポカンと口を開けながら黒百合を眺める。何がどうなったのか、ついていけなかった。
「相手の為に、腕ダラーンの自分が何かしてあげるっていうのは、偽だよ。分かる? 偽善の偽。偽物の偽」
百合は「ニセ……」と呟く。ようやっと脳の処理が追いついてきた。
それでも、黒百合の言いたい事も、やりたい事も見えては来なかったが。
「結局全部独りよがりで、わが身が可愛くて、自分の世界が大好きで、個人的見解によって人の為だと嘯くクソみたい存在が、公庄百合なんだよ。正確には公庄百合だけじゃなくて、人間なんてみんなそうなんだけどさ。種族的には公庄百合だって同じだから、イコールでいいでしょ」
黒百合はここで一度言葉を切ると、自嘲気味な笑みを浮かべた。ほんの少しの間に浮かべていた傲慢な物から、かなりの落差があった。黒百合にも思う所があったのかもしれない。
「だから、百合が茜音を助ける必要はどこにもない。元の茜音にしたいのだというのなら、さっきの機関の元エージェントである茜音に変えてみなよ」
「彼女は、茜音じゃない」
直ぐに百合は否定する。
黒百合が内心で何を思おうが、今何を言おうが、百合には百合の考えがある。百合にとっての茜音は、勝気な、一緒に居て笑い合う、オシャレなシュシュが可愛いあの茜音なのだ。
「茜音だよ。それまで散々見て来た百合も百合」
「違うって言った」
「でも違わないもの」
黒百合の表情は、コロコロ変わる。今度は不機嫌そうなものだ。
それでも、始終楽しそうだった黒百合よりも、百合は好感が持てた。おそらく、なんとなく貼り付けていた仮面が外れかけている印象があるからだろう。
「あーもう、面倒くさいなぁ。今の百合、本当にクソ面倒くさい。クソみたい」
「クソって連呼するもんじゃないと思う」
百合はやんわりと注意した。尤も、やんわりしているのは口調だけであって、内容は直球ストレートだったが。
「クソはクソって言っていいってルールがあるからいいんだよ」
「無いよ」
「元々打消しである《無い》っていう言葉を、更に打ち消す言葉を知ってる? 《関係無い》っていうの。関係無いんだよ、全然。クソであろうがシネであろうが、言っちゃ駄目だろうがよかろうが、全部《関係無い》。今ここには二人しかいないし、民主的公開処刑であるところの多数決も出来ないわけだ」
百合は暫し考えてから、頭を振る。
「……何でもいいから、本題に戻して」
話を振ったのは百合だった筈だが、結局腰を折った上で彼方へと捨てることを要求した。
「脇道に逸らしたのは百合の癖に。本当、利己的。自己愛者」
黒百合は、ますます不機嫌そうに毒づく。
「いいや。じゃあ本題」
彼女は大きなため息を一つ吐いてから、百合の顔を真っ直ぐ見た。
「自分が複数いる理由は思いついた?」
「気持ち悪かった」
「何その、イルカは可愛かったかと聞いたら哺乳類だったと答えた、みたいな返事」
再度、ため息。
「……神様が、書き直してるって聞いたでしょ」
「つまり?」
「全部、百合なんだよ。蓮夜は侵蝕者《カキソンジ》だからずーっと蓮夜だけど、百合や茜音は、神様が何度も書きなおしている。故に、蓮夜と違って《複数の自分》が存在している」
「それで?」
百合の質問は一言で、お世辞にも褒められたものではない。それでも、黒百合は真っ直ぐに百合を見て、答える。
百合も、黒百合から目を離さない。
真っ黒で真っ暗な世界で、四つの目玉がそれぞれを見つめる。
「ねぇ、樒って、誰の侵蝕者《カキソンジ》だと思う?」
ニタっと、黒百合が嫌な笑みを浮かべた。
何度、《百合》と《蓮夜》の話を見て来ただろうか。
百合は、覗き穴に瞳を当てながらぼんやりと思った。
中には、自分が蓮夜と話した内容を見せられているのではないかと錯覚するような、そんな似かよったものもあった。違うと判断出来るのは、制服が違っていたり、髪の長さが僅かに違っていたり、あるいは口調が若干違っていたり、性格が違っていたりと言う部分。
要素は色々あるが、如何せん、名前や姿かたちがそっくりなせいで錯覚を覚えたのだ。
姿や声だけで言うのであれば、黒百合もまた、そっくりさんというジャンルに分類される。
『公森茜音ちゃん、だよね?』
今回もまた、そっくりさんの行動を眺める。が、驚いたのは、この場で初めて目にした茜音の存在だった。
顔立ちや声は同じだが、髪形は違う。いつものような一か所だけオシャレなシュシュで纏めた物ではなく、ツインテールだ。
『そう、だけど……』
きつそうな顔立ちとは正反対の、なんとも不安そうな声が返される。
『初めまして! わたし、公庄百合』
『え、あ、うん。えっと……?』
《茜音》のその台詞、そのまま言いたい。これが、今この光景を覗いている百合の気持ちだった。
『入学式の時から見てたんだよ。凄く可愛いな、って思って』
『えっと、あの、ありが、とう?』
笑顔で話しかける《百合》に、《茜音》は戸惑っているようだ。勿論、百合も戸惑っている。
今まで見て来たものもそうだったが、絶対に体験していない光景なのだ。そして、茜音は絶対に最初からこんな子ではなかった。髪の毛を高い位置で二つに分けて結わえているのも、一度も見た事が無い。《絶対に》だ。
蓮夜に関しては、付き合って日が浅いせいもあってかそれほどでもないが、付き合いの長い茜音に関してはものすごく違和感がある。違和感どころか、全身の毛穴が開いてそこから冷気を注入されるほどのおぞましさすらあった。実際にそんな目に遭った事は無いが、感覚としてはそれと同じように思えた。
『家、どこ? 一緒に帰ろうよ』
『う、うん。いいけど……でも、どうして?』
『わたし、茜音ちゃんと友達になりたいんだ』
今の関係と、反対と言えば反対かもしれない二人。百合が引き気味な事など勿論伝わる筈もなく、会話は続く。
『えっと、どうして?』
『えー? 理由が必要?』
『そういう訳じゃないけど』
凍えるほどお寒い茶番を見せつけられて、百合は「気持ち悪い」と零した。
「そんなに気持ち悪いかなぁ? 良くない? 仲良しごっこ的で」
「ごっこ遊びはこの年齢でやる物じゃないと思う」
黒百合と言葉を交わす百合の声も、すっかり冷えてしまった。今までも、感情を顕にしてメリハリのある話し方をする方ではなかったが、その比ではない。
「いやいや、心から友達と言い切れる関係になるまでは、誰だって友達ごっこしてるものだって。上辺だけの関係は、全部ごっこ遊びとも言えると思うんだよね。友達ごっこに、恋人ごっこ、上司と部下ごっこ……えとせとらー、えとせとらー」
見えない相手の姿が、見えるようだ。百合とは反対に、黒百合の声は弾んでいる。顔を見れば笑っている事だろう。
「……どっちかといえば、似非トトラじゃない?」
「うん、まぁ、それでも良いんだけどね。トトラが何なのか分からないけど。あ、思いついた。絵本で見たトロルみたいな、謎の生物の事だね。と、いう訳で、えせととらー、えせととらー」
黒百合の声色にすっかりうっかり毒気を抜かれた百合は、ため息交じりに返した。氷を溶かすのはどうやら意外と簡単らしい。今見ている情景を解くには材料が足りないが。
そうこうしている内に、場面は変わって下校中になっていた。
『あれ? 雲行きが……』
『まさか――! 百合さん、逃げて!』
晴れていた空は、唐突に厚い雲に覆われていく。視聴者置いてけぼりの、緊迫感あふれる展開だ。
『茜音ちゃん、あれ……何?』
《百合》の指さした先には、よく分からないクリーチャーが現れている。それこそ、三匹のやぎのがらがらどんの中に出てくる、トロルのような。
『ごめんなさい、百合さん。あたしに関わったばかりに。まさか機関が一般人を巻き込もうとするなんて……』
《茜音》が、青い顔をして《百合》の指さした先を見つめた。そして、彼女を庇うように一歩前に出た。
「なによ、これ」
百合の率直な感想だった。今までと毛色が違うのは勿論、今までで一番寒い。一般的な女子高生の生活ではない分、B級映画の胡散臭さがプンプンする。
「退屈って言ったの、百合じゃん。いい感じのを仕入れて来たのにー」
「何で急にファンタジー。非現実的なんだけど」
「そりゃあ、ファンタジーは非現実だしね」
百合は思わず頭を抱えた。
◆◇◆◇
結局、この後の展開としては、クリーチャーと戦う内に《百合》の中に流れる戦士としての血が湧きあがって、よく分からない機関とかいう組織を倒して《茜音》と友情のようなものを育んでいた。途中で《蓮夜》も出てきて、「俺はモモを助ける存在!」とか言いつつ噛ませ犬になったりもしていたが、この際関係ないだろう。
暗い道で、穴から目を離した百合が「頭痛い」と呟く。
これが作り話だったとしたら、作者の迷走が窺えた。
「じゃ、まだまだ進むよ」
黒百合は笑って百合の手を取ると、再び歩き出そうとする。
「ちょっと待って」
「何?」
百合はその場に留まった。結果として、百合の手を引いていた黒百合の足も止まる。
「いつまでこんなものを見続けるの?」
「いつまでも、かな?」
百合の質問、黒百合の回答。
「そんなの、困る。茶番だけ延々と見せつけられたって面白くもなんともないし、何よりもわたしがここに来る前、大変な事になっていたはず」
「大変な事って?」
「茜音が樒に変な風にされてた」
「変な風?」
黒百合が、掴んだままの百合の手をブラブラと揺らしながら問い返す。
「なんか……変だった」
「説明できないの?」
「出来ないよ。だって、変だったっていう事実しかわたしは分からないから」
百合が困ったように答える。初めの、質問者と回答者の関係が逆転した。
「なんか様子がおかしかった。樒が何かをしたとしか思えない」
「で、何かをしてたら……どうなの?」
逆転が逆転。三百六十度回って、元の立場に戻る。
「どうって、困る」
「困って、どうするの? どうせオロオロするだけなら、どこにいたって一緒じゃない」
ブラブラと、腕は揺れる。
百合は揺らされる手を振りほどくことなく、困った表情を浮かべるばかりだ。
「わたし、茜音の友達だもの。助けたい」
「今、助けを必要としている状況だと思うって事?」
「そうでしょ? 自覚が無かったとしても、変だもの」
立場がクルクルと回る。あっちに行って、こっちに来て。
ただ言えることは、一向に話が進んでいない事だけだ。
「それはただ単に、百合が、自分の友達の茜音が気に入っているから、そうじゃなきゃイヤっていう駄々を捏ねているだけだよ」
「違う。本当の茜音を知っているからこそ、助けたいと思うの」
「助けたい? はっ」
……黒百合は、百合の言葉を鼻で笑う。
「自分が相手の為に何か出来るだなんて、おこがましいにも程がある」
黒百合の雰囲気が、鼻で笑った事を切っ掛けにガラリと変わった。人を小馬鹿にしたような、百合を憐れんでいるような、自分を崇高な存在だと思い込んでいるような、そんな傲慢な表情と態度。黒百合は、百合を掴んでいた手を離すと、短い髪をかき上げた。
「あのねー、人っていう字は人と人が支え合ってる、なんて真っ赤なウソなんだよ。人が腕をダラーンと垂らしている字が起源なの」
百合が、ポカンと口を開けながら黒百合を眺める。何がどうなったのか、ついていけなかった。
「相手の為に、腕ダラーンの自分が何かしてあげるっていうのは、偽だよ。分かる? 偽善の偽。偽物の偽」
百合は「ニセ……」と呟く。ようやっと脳の処理が追いついてきた。
それでも、黒百合の言いたい事も、やりたい事も見えては来なかったが。
「結局全部独りよがりで、わが身が可愛くて、自分の世界が大好きで、個人的見解によって人の為だと嘯くクソみたい存在が、公庄百合なんだよ。正確には公庄百合だけじゃなくて、人間なんてみんなそうなんだけどさ。種族的には公庄百合だって同じだから、イコールでいいでしょ」
黒百合はここで一度言葉を切ると、自嘲気味な笑みを浮かべた。ほんの少しの間に浮かべていた傲慢な物から、かなりの落差があった。黒百合にも思う所があったのかもしれない。
「だから、百合が茜音を助ける必要はどこにもない。元の茜音にしたいのだというのなら、さっきの機関の元エージェントである茜音に変えてみなよ」
「彼女は、茜音じゃない」
直ぐに百合は否定する。
黒百合が内心で何を思おうが、今何を言おうが、百合には百合の考えがある。百合にとっての茜音は、勝気な、一緒に居て笑い合う、オシャレなシュシュが可愛いあの茜音なのだ。
「茜音だよ。それまで散々見て来た百合も百合」
「違うって言った」
「でも違わないもの」
黒百合の表情は、コロコロ変わる。今度は不機嫌そうなものだ。
それでも、始終楽しそうだった黒百合よりも、百合は好感が持てた。おそらく、なんとなく貼り付けていた仮面が外れかけている印象があるからだろう。
「あーもう、面倒くさいなぁ。今の百合、本当にクソ面倒くさい。クソみたい」
「クソって連呼するもんじゃないと思う」
百合はやんわりと注意した。尤も、やんわりしているのは口調だけであって、内容は直球ストレートだったが。
「クソはクソって言っていいってルールがあるからいいんだよ」
「無いよ」
「元々打消しである《無い》っていう言葉を、更に打ち消す言葉を知ってる? 《関係無い》っていうの。関係無いんだよ、全然。クソであろうがシネであろうが、言っちゃ駄目だろうがよかろうが、全部《関係無い》。今ここには二人しかいないし、民主的公開処刑であるところの多数決も出来ないわけだ」
百合は暫し考えてから、頭を振る。
「……何でもいいから、本題に戻して」
話を振ったのは百合だった筈だが、結局腰を折った上で彼方へと捨てることを要求した。
「脇道に逸らしたのは百合の癖に。本当、利己的。自己愛者」
黒百合は、ますます不機嫌そうに毒づく。
「いいや。じゃあ本題」
彼女は大きなため息を一つ吐いてから、百合の顔を真っ直ぐ見た。
「自分が複数いる理由は思いついた?」
「気持ち悪かった」
「何その、イルカは可愛かったかと聞いたら哺乳類だったと答えた、みたいな返事」
再度、ため息。
「……神様が、書き直してるって聞いたでしょ」
「つまり?」
「全部、百合なんだよ。蓮夜は侵蝕者《カキソンジ》だからずーっと蓮夜だけど、百合や茜音は、神様が何度も書きなおしている。故に、蓮夜と違って《複数の自分》が存在している」
「それで?」
百合の質問は一言で、お世辞にも褒められたものではない。それでも、黒百合は真っ直ぐに百合を見て、答える。
百合も、黒百合から目を離さない。
真っ黒で真っ暗な世界で、四つの目玉がそれぞれを見つめる。
「ねぇ、樒って、誰の侵蝕者《カキソンジ》だと思う?」
ニタっと、黒百合が嫌な笑みを浮かべた。
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