言の葉ウォーズ

二ノ宮明季

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   ――はじまりのきもち――

 世界は歪んでいる。歪めることが出来る。
 俺はそれを知っている。
 誰に言われたわけではないが、《そういう物》なのだ。とはいえ、知っていて当たり前であるのかと問われれば答えはノーだ。知らなくて当たり前の、《そういう物》。
 これでもう何度目の《歪み》になっただろうか。
 それでもやっぱり諦めることが出来ない。
 あの人たちは死んでしまっているが、それでも諦めることなんて――……。

   ――――

 授業は何と無益な物だろうか。
 全身黒ずくめで、その上黒い靄を纏わせた、この世のものでありながらあの世のものでもある俺は、ぼんやりと思った。こんな格好だというのに、ピチピチな高校生ボーイズ&ガールズに囲まれている教室の中に存在していても、誰に怪しまれることも無い。
 それは寂しい事だ。残念な事だ。
 しかしこの感情は、本当に俺のものであるという保証はどこにもない。逆に、最初から俺のものである《感情の塊》である可能性も否定は出来ないが。
まぁ、どちらでも良いだろう。
 何故なら、これは俺にすら関係の無い話だから。この授業のように、無益な存在なのだ。
 俺がぼんやりと考えている内に授業は終わりを告げた。その後も数時間に亘って続く、非常にくだらない、それでいて羨ましい自称有益な学業タイムもあっという間に終了。ピチピチ軍団はこぞって教室の外へと出て行った。
 みんな下校やら部活やらで忙しいらしい。若いっていいな。学生って無駄で楽しそう。
 俺は顔に笑みを浮かべる。俺の肉体に表情筋なる物が存在するかどうかは分からないが、どうやら《お面》程度の存在を張り付けることは許されているらしい。
 俺に気付いている者がいるのなら、さぞ不気味な事だろう。いうなれば、微笑みを浮かべたフィギュアの顔の部分だけを市松人形に張り付けたような状態なのだから。
 俺は「ヤッベ、あいつと目を合わせるなよ! 呪いの笑みだ!」と言われそうな顔のまま、一人の少女に目を向けた。
 肩までの薄茶色の髪。少々つり気味の色素の薄い瞳。オレンジ色のフレームの眼鏡。クリーム色のセーターと緑色のプリーツスカートという制服を、野暮ったく着こんでいる少女。
 ――公庄 百合くじょう ゆり
 俺は彼女の事を、誰よりも知っている。
誕生日は7月24日で、春先の今は15歳の高校一年生。身長は158センチメートル。他にも、家の間取りや部屋の家具の位置。登下校はどのルートを使っているのか。
 ここだけ見れば、ただのストーカーだと思うだろうが、そうではない。
 ただ、《知っているだけ》。重ねて言う。ストーカーの言い訳ではない。
 俺がじっとりと百合……いや、敢えて百合の百という文字からモモと呼ぼう。とにかくそのモモを見つめていると、彼女は視線に気が付いたようでちょっとだけこっちを見た。が、直ぐに自分の手元に視線を戻した。
 何故か教科書類を鞄に詰めた後、筆箱の中身を全て出して入れ直している。
 どうやら俺よりも筆箱とペンの方が素晴らしい存在のようだ。まぁ、間違った考えではないし、俺自身はガッカリもしないのだから、問題は何も存在しないが。
 敢えて問題があるとすれば、モモが物事に関心がなさそうな所である。俺としては、こう来たか、という感じだ。
「百合、何やってるのよ」
 周りのざわめきの中で、鮮明な響きを持つ声が耳に入った。
 モモに話しかけた少女の声である。
 やや着崩した制服に、一部だけシュシュで纏めた長い髪。生意気そうな顔立ちには、呆れの表情が浮かんでいる。
 俺は彼女の事も知っていた。公森 茜音きみもり あかねだ。彼女の事も、敢えて名前の茜という文字から、センと呼ぼう。センの事も、モモ程詳しいわけではないが知っている。センはモモの友人だ。
「ん。ぱんぱんになった筆箱のフォルムが気に入らなかったから……」
「家に帰ってからにしたら? そしたら使わない物は取り出せるし」
「じゃあ、今はこのまま鞄に入れるの?」
 モモはぼんやりとした瞳をセンに向けた。
 いいなぁ。俺、モモの筆箱になりたい。
 ……三度目だが言う。ストーカーではない。
「いや、筆箱に適当に入れちゃってからにしてね」
「ん。わかった」
「まったくもう! 百合はぼんやりしてるっていうか、なんていうか……」
 先程よりもさらに呆れた顔をしているセン。二人のやりとりを見ながら、俺は張り付けた笑みを深いものにした。ほりが深くなってイケメンになっちゃったかもしれない。ただでさえイケメンなのに、これ以上イケメンになったらどうしよう! なーんて、ありえないって。お前の顔キモいじゃん。
 ……とか考えるが、軽口を叩く相手がいないが故の、一人軽口ごっこなので、本心ではない。
「ほら、早く片づけて帰るよ」
「いやいや、ちょっと待って下さいな」
 センの言葉に、俺は待ったをかけた。ようやっと、偽物の言葉を発したのだ。
 どっから借りて来たの? というほど、一切の意味を失った文字の羅列を、声という名の音に乗せて口から出すだけ。
 俺は、ゆったりと二人に近づいていく。
 今の俺を表現するのに、異様という表現以外あるだろうか。いや、無い。やだちょっと、俺ってば反語表現なんか使っちゃった。テンション上がりそう。いや、上がらない。
 二回連続反語を使って、俺は上機嫌に「俺の話を聞いてよ。お願い」と、口から偽物の言葉を出した。こっちには反語を使わなかった。使ったら、嫌がられそうな気がしたからだ。
 モモは暫く俺を見ていたが、やがて無視してペンを筆箱にしまい始めた。彼女の中での優先順位は、筆箱>俺らしい。切ない。
「百合、早く片づけて帰ろう。何こいつ。いつから居たの?」
「俺? 俺は……蓮夜れんやっていう名前なんだ。初めまして、公庄百合さんに、公森茜音さん」
「げっ。名前まで……。百合、早く行こう」
 センはモモを急かして、モモの筆箱にペンをしまうのを手伝い始める。俺はあまり気にせず、偽物の言葉を吐き続ける。
 久しぶりの他人との会話は、自分の言葉ではなかったとしても楽しい。
「いやー、何日も前からここに居てずっと見てたんだけどね。そろそろ動かないといい加減飽きてきちゃったし」
 俺はわざとらしく舌を出してみた。胡散臭さが増したと思う。やったね、レベルアップ。好印象レベルは下がっただろうけど。
「気が付いてたでしょ?」
「は、はぁ? あんたみたいな不審者、全然気づかなかったけど」
「ん。一週間皆勤賞」
 眉間に皺を寄せるセンとは反対に、モモはこっくりと頷いた。やはり、気が付いていたが全く気にしていなかっただけ、らしい。
 やっぱりモモは、あまり興味を向けていないようだ。問題だな。
「酷いなぁ。俺、繊細なんだから傷付いちゃうよ。硝子ハートボロボロ。責任とって結婚して下さい!」
「ば、馬鹿言わないでよ! 百合、早く!」
「あー、待った待った。今のは冗談。本題は、協力してほしいっていう話だから」
「でも筆箱が……」
「筆箱はもういいから! 絶対ヤバいって、こいつ!」
 もはや二人とも、俺の話など聞いていない。でも良いんだ。聞いていなくったって、音は耳から侵入して、相手の脳で花を咲かせるから。
 聞いていなくても、きっと俺の偽物の言葉は、相手の中に刻まれる。
 無視されたって、無視しきれていないのだから、それだけで充分すぎるほど幸福なのだ。
「まぁまぁ。ちょっと片足突っ込むだけだから。先っぽだけだから。話だけでも聞いていって下さいよ奥さん」
「ほら、百合行くよ」
 センはモモの腕と鞄を掴むと、筆箱はそのままに引っ張ってドアの方へと向かった。
 モモはよろけながらついていく。俺は「待ってよー」と偽物の言葉を吐きながら追っていたのだが……センが教室のドアを開けた瞬間、状況が変わった。
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