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最初の白い空間に戻ると、そこには日高がいた。
「お帰り。遅かったね」
遅かったもなにも、そっちが先に行ったんじゃない。でもそんな事より、聞きたい事がある。
「日高、悠久思想同盟って知ってる?」
「……さぁ? 知らない」
耳に残るこの言葉を尋ねたけど、やっぱり彼も知らないようだった。
一体、何だったんだろう。何度か血に塗れたような物を見聞きしていたけど、それとは違う言葉が気になって仕方がない。
「ところでさ。俺も聞きたい事があるんだよね」
日高が? 私は、彼も何か見たのだろうかと思いつつ「何?」と尋ねた。
「クリアしたあと、箱って出た?」
「出たけど」
「中身、見た? 俺、触らなかったから何だか分かんないんだけどさ。触りたくもなかったから、放置してたら、勝手にここに戻って来てたし、まぁいいかーとか思ったわけなんだけど、もし百瀬が見たんだったら、俺にリスクもないし知りたいと思って」
実に日高らしい。見つけたけど一切触らずに終わる。そして他人に任せる。非常に腹立たしいけど、まぁ……いいや。
「なんか、記憶の欠片とかいうのが入ってる」
私はため息を一つついてから話し始める。
「で、使うかどうかを選択出来て、使うと頭が痛くなって視界がぼやけてる状態でなんか聞こえるんだけど、意味わかんない事ばっかり。……その中で、さっき私が日高に聞いた、悠久思想同盟っていう単語も出てきたんだけど」
「じゃ、いいや」
長々と説明した私に、日高は一言。ニヤニヤ笑った顔で、「見ない」と続けた。
「俺は頭が痛くなるのはごめんだし、関係ないならどうでもいい」
「あんたならそうでしょうね」
私はもう一度ため息を付く。
「じゃ、俺はもう一度行くよ。これ、楽しいね。病み付きになりそう」
私はそんなに中毒性を感じているわけではなかったけど、それでも、改ざんの魅力は十分に分かる。私にとっては、今やこれをこなして『生きて帰れるかもしれない』という事が、一番の魅力だが。
母と仲良く暮らす。その未来があるかもしれないと思うだけで、残酷なシーンを見せられても耐えようと思える。
人形に手を伸ばす日高にならって、私もそうした。人形はまた「リプレイしますか?」と私達に尋ね、私達は二人揃って「はい」と答えたのだった。
『GAME START』という文字が浮かぶ、病院の待合室が、まさか日高と繋がっているとは思わなかった。
「ここって一緒なんだ」
日高が呟く。
「私も今、同じ事思った」
「ふーん……」
彼はそう言ってから、そっと目を閉じ……次の瞬間には消えてしまった。
自分の過去へ行ったのだろう。
私も日高と同じように、改ざんしたい過去を考えながら、目を閉じた。
目を開けると、そこは中学校だった。勿論私の母校。
私の直ぐ後ろには窓があって、教室に入る日の色と高さが、放課後である事を示していた。
そして前には、三人の女生徒。その中の二人は私を睨み付けている。
皆私の友達だった人だ。特にその中の一人――今、私を睨んでいない唯一の人間と、特別仲が良かったんだけど……。
「美香に聞いたんだけどさー、橙子、佐々木君に告られたんだって?」
あー、面倒くさい。自分でやり直したくて来たはずなのに、現状が本当に面倒くさくて仕方がない。
「……まぁ、そうだね」
「で、どうすんの? 橙子だって知ってるでしょ? 真里菜が佐々木君の事好きだって」
そう、知っていた。
私達四人は、皆仲が良かったけど、その中でも二人ずつ特に仲が良くて、私を睨んでいない少女――美香とは、秘密の話もした。
美香は私からさっと視線をそらす。この時、私は彼女に裏切られていたのだ。
今、私を睨んでいるだけで何も話していなのが真里菜。ずっと私を責める様に話しているのが沙織。
真里菜はずっと、私に告白してきた佐々木が好きだったのだが、この二日前、残念ながら佐々木は私に告白してきた。
誰を好きになろうと、誰に告白しようと、私には関係ないんだけど、この場合は関係がある。なぜなら、これが切っ掛けとなって、私はクラス中からシカトされる事になったからだ。
四人で仲良くしていたのだが、沙織は女子の中でかなりの影響力がある生徒だった。
沙織は真里菜が一番のお気に入り。真里菜は美香よりも強い。美香と私は……。
「橙子、なんとか言いなよ。どうする気なの?」
さて、どうしようか。
私はあの時、「当然付き合わないよ」と答えた。けれどそれはそれで「生意気」だとかなんだとか言われて、結局は「百瀬橙子は友達の好きな人を取った」と噂を流されたのである。
どうすれば満足するっていうのさ。本当に、女というのは面倒くさい生き物だ。
「橙子さー、そもそも、断るんだったらその場でソッコー断ればよかったじゃん? それとも、ちょっといいなーとか思ってたわけ?」
「別に……」
何の事はない。このご時世にラブレターだったから、断るタイミングが難しかっただけだ。しかも下足箱に入っていて、本人は既に下校していた。
「だったら断ればよかったじゃん!」
「だって手紙だったし」
「言い訳しないでよ! それ知った時の真里菜の気持ち、考えた?」
えぇ、えぇ、考えましたとも。考えたから、一番仲の良かった美香にだけ「秘密だ」と言ったんじゃない。
ま、美香はその秘密を、沙織に言っちゃったわけだけど。中学生であっても、女は女。面倒臭すぎる。
この時の私は、すでに母親とも関係が悪かったから、何か起こった時に話す相手は大体美香だった。私の秘密の大半は美香が知っていたんだけど、多分、殆ど全部沙織に流れていたんだろうな、と、後から思ったんだっけ。
「橙子さー、なんなわけ? ずっと仲良くしてあげてたじゃん。だっていうのに、こういうのって無しなんじゃないの?」
仲良くしてあげた、ね。随分上から目線なものだな。
「私、別に傷つける気はなかったけど」
「何クールぶってんのさ。いつもみたいに感情垂れ流しにしてみなよ!」
……そういえば、この時は自分の感情を抑えたりとか、あまり出来なかったんだっけ。忘れてた。
この件があって、シカトが発生し、ちょっとしてから、私は大人しくなった。自分から誰かに干渉するのも面倒臭くなって、感情を強く出すのも面倒くさくなって、今の私に繋がる。
でも、今感情垂れ流せって言われたって、既に垂れ流し放題の相手を前にそれは出来ない。私はずっと冷めていた。
あー……、これって改ざんする必要ってあったんだっけ? というか、どうすればクリアになるの? 誰との関係を変えたいの? この中の誰かと、今でも友達でいたいだなんて思える?
でも、ここで上手く改ざん出来れば、もしかしたらこの後……高校二年生までの私の人生は変わるのかもしれない。誰かに自分から関わっていって、一生モノの友達とやらも出来るのかもしれない。
……一生モノの友達、か。何でも話せて、裏切りも裏切られも無くて、一緒にいて楽な相手。母と仲の良い世界には、欲しいかもしれない。
既にアミちゃんとは友達だとしても、他にも、と求めてしまう。
どうせ第二の人生みたいになるかもしれないなら、私の世界も華やかであれば嬉しい。女は面倒くさいとか、みんな関係ないとか思っていたけど、それでも、手に入るかもしれないと思えば話は別である。
「……と、橙子は、佐々木君と付き合う気なの?」
真里菜が初めて声を出した。
「そんな訳ないじゃん。私、真里菜の事を裏切りたいだなんて思ってないよ」
「だったら! だったらどうして、早く断ってくれないの!」
真里菜が大声を出して、泣き出す。
私は、窓を開けた。涼しい風と、下校する生徒のざわめき、部活中の生徒の掛け声が入ってくる。ちょっとすっきりした。
「ごめんごめん。私、こんなに大事になるなんて思ってなかったの。浅はかだった。そこは謝る」
私は多分、笑っていると思う。この状況で笑っているなんて、なんて性格が悪いんだ。
そんな事を思いながら、ポケットに手を突っ込む。硬い感触。どうやら、ちゃんとケータイ電話が入っていてくれたようだ。
「でもさ、真里菜って佐々木に告白してないし、付き合っても無いじゃん」
「そ、そうだけど」
「だから私にそんな事言われたって困る。佐々木は真里菜の気持ち知らなかったし、私は佐々木の気持ちを知らなかったんだから」
真里菜は、ぐっと言葉に詰まる。代わりに沙織が、私の胸ぐらをつかんだ。
セーラー服の胸当てが、ぶちっと音を立てた。襟と胸当てをくっつけているスナップが取れたのだろう。
「よくそんな事言えるよな! 橙子、友達の気持ちも考えられない訳?」
「考えたから、私本人には言わなかったじゃん」
「そういう問題じゃないし。マジ最悪なんだけど!」
最悪なのはお互い様だ。自分の感情が一番にならないと気が済まないような反応をしておいて、私を罵る。
「橙子がそんなんだったらこっちにも考えがある!」
沙織が睨み付けながら大声を出した。
「今後橙子とは仲良くしてやんない! 誰とも仲良くさせてやんない! 卒業までずっと一人でいればいいじゃん!」
言うと思った。私は笑みを浮かべたまま、鼻で笑う。
「そっちこそ、そんな風に言ってもいいの?」
「何よ」
沙織が、眉間に皺を寄せながら返した。
「私さ、今窓開けたよね。あと、ポケットに手を入れた」
「それがどうしたっていうのさ」
何を言わんとしているのか、理解できていないようだ。
「今の話……つまり、沙織が実質私を脅した所、外に流れたんだけど。ついでに、中に入った」
「……はぁ?」
まだ分からない。まぁ、どうせハッタリみたいなものだから、分からないだろうけどさ。
「外に、今の暴言がだだ漏れだったんだもん。教師の耳にも入ったかもね。つーかさ、今言った事を実行したら虐めだよね? 沙織は虐めの首謀者になって、内申点ボロボロにしたいんだ。仮に教師の耳に入っていなくても、私のポケットにはケータイが入ってたからさ。ちょっと録音させて貰っちゃった」
私は笑いながら、ポケットからケータイ電話を取り出して、見せびらかした。今の私の物とは違うが、大きさは然程変わらない。
沙織……というか、割と皆使っているのは、スマートフォンなのだが、殆どインターネットをしない私には不必要な物。今でも私はケータイ電話ユーザーである。
……脱線したが、今は機械について考えるよりも、話を進めよう。
「ねぇ、沙織。高校に進学できると良いね」
すぐ近くにある沙織の顔は真っ赤だ。
「橙子ぉぉぉ!」
「何? 暴力事件も起こしちゃう?」
沙織は握り拳を作って、私に見せる。けど、私は全然怖くない。仮に本当に殴られたとしても、平気だとすら思っている。
「さ、沙織、もうやめようよぅ」
真里菜が慌てて止めた。泣きそうな顔だ。
「真里菜はそれでいいわけ!?」
「よくないけど、でも、これじゃあこっちの立場が危なくなるだけだし……」
真里菜がもごもごと言うと、沙織はしぶしぶ私の胸ぐらを掴んでいた手を離し、舌打ちをした。
「私はね、あんた達との仲が拗れてもいいの。けど、この先の中学校生活は円滑に進めたいんだよね」
「つまり、どういう事?」
私は乱れた胸当てと襟を直しながら、クスっと笑う。
「縁は切ってくれて構わないけど、他の人も使うのはやめてね、っていう話。沙織、皆に私をシカトしろって言ったりしそうじゃん。さっきも、そういう趣旨の事言ったし。沙織も真里菜も美香も、私の事を無視してくれても構わないけど、他の子を使うのはやめてね。ごく普通に中学校生活を満喫したいしさ」
制服を整えてから沙織を見ると、彼女は唇を噛み締めていた。どうやら、沙織のプライドをいたく傷つけてしまったようである。私には関係ないけど。
「……橙子、私に意見するの?」
「何それ。さっき感情垂れ流せって言ったの、そっちじゃん。今、垂れ流し中っていうだけの話なんだけど。それとも、私が自分の意見を言っちゃ駄目って事?」
沙織がやっと絞り出した言葉に、私は聞き返す。
「ダメじゃないけど、そんなの……」
「気に食わない? なら、別に虐めの首謀者になればいいじゃん。私は二つの道を提示してるんだし」
「最低!」
沙織が大声を上げた。目にも涙がたまっているようだし、顔もさっき赤くしたまま戻っていない。
「自覚はしてるよ。でも、私に最低な反応をさせるような事をしたのはどっち?」
私の顔からは、笑みが無くならない。これじゃあまるで、日高だ。きっと、三人は今の私を不快に思っているだろう。
「あたしはただ、真里菜を想って」
「わ、わたしだって、悲しくて仕方がなくて」
「私……真里菜に聞かれたから……」
三人が、言い訳を口にする。あぁ、これだ。これが、私の嫌いな、女だ。
「二人とも、真里菜の為にやったんだって。真里菜、気分はどう?」
私は、ちらりと真里菜に視線を向けた。彼女はびくりと肩を震わせると、目を泳がせる。
「な、なに、それ。わたしが悪いっていうの?」
「言ってないよ。たださー、こんな風にするより先に、佐々木に告っちゃえばいいじゃん。私を問い詰めるより楽じゃない?」
「そ、そんな……」
真里菜は、ついには視線を下げ、項垂れて口を閉ざしてしまった。
「真里菜の気持ち考えなよ!」
「沙織もさ、そうやって佐々木を追い詰めてあげれば? 真里菜の気持ちを考えて答えて、ってさ」
「な、何それ!」
沙織は、ずっと怒ったままだ。尤も、怒らせるであろう事は分かっていながら言っているんだけど。
「美香も、何でも話せる友達が出来てよかったね」
「わ、私……私……」
美香は、ボロボロと涙を零す。でもそれって、ズルいんじゃない?
美香が私を売ったんだ。美香さえ言わなければ、こんな事にはならなかった。それなのに、さも自分が被害者であるかのように泣く。
三人とも、女の嫌な部分を叩き売りして、何が楽しいのか。私には不快なだけだと言うのに。
「橙子! いい加減にして!」
「いい加減にしてほしいのは私の方。ねぇ、帰ってもいいの? 明日からの私の平穏な日常は約束されてるの?」
沙織が喚くから、私は静かに返した。彼女はしばらく考える素振りをした後、「分かった」と呟く。
「何もしないわよ! でも、橙子なんてもう知らない! 大っ嫌い! 死んじゃえ!」
沙織は子供みたいに叫ぶ。あ、違った。子供だった。
高校二年になった私も子供だけど、この時は中学二年。三年の歳月は大きい。
ま、中学生でも女である事に変わりはないけど。
「帰る! もう知らない!」
沙織は怒って、自分の机の上から鞄を持つと、ずんずんと扉へと向かって行く。その後を真里菜が続き、美香もあたふたしながら鞄を背負った。
沙織と真里菜が教室から見えなくなって、美香は扉の前で一度立ち止まってこっちを見た。
「……ごめんね」
「別に。あんた自身の人生でしょ。好きにすれば?」
私は別に謝って欲しかった訳じゃない。そもそも、何かして欲しいとか、そんなものはなかった。
美香はまた涙を零して、教室を後にする。
……これで良かったんだ。明日からの私は強気でいけるし、沙織に負けない。それで、新しい友人関係を一から作り直す。
私は目を閉じて、大きく息を吐いた。
『GAME CLEAR』。おなじみになりつつある病院の待合室では、そんな黒い字が躍っていた。
「おー、百瀬だ」
「日高……」
待合室には日高がいて、私に手を振っている。何でこいつ、こんなに明るくなっているんだろう。
「百瀬、これ、楽しいね」
「……そう?」
私は、今回の事でそうは思えなくなったけど。日高はどんな風に変えているのか、少し気になった。
そんな事を考えている間に、日高はすぅっと消えてしまった。最初の白い空間に戻ったのだろう。
私は一人になったこの場所で、またしても診察券ホルダーの横に置かれている、宝箱に近寄った。
開けると、学生鞄の様に見えるキーホルダーと、満点のテストの答案用紙。私はそれを手に取り、『GAME CLEAR』の文字の下を見ると、予想通りの言葉が表示されていた。
つまり、『モモセ トウコ ハ キオク ノ カケラ ヲ テニイレタ』と、『モモセ トウコ ハ ヒダカ ショウタ ノ キオク ノ カケラ ヲ テニイレタ』。そして、『ツカイマスカ? >ハイ イイエ』の文字だ。
私は、「ハイ」と答える。頭への痛みと、視界が白く染まる感じ。また、今までと同じように、誰かの視界を覗き見るのだろう。
白くぼやけた視界を想像していたが、思っていた光景とは少し違っていた。
見えた世界は暗かったのだ。どこかの部屋である事は間違いないのだが、如何せん、光源の一つも感じられない。
「寒っ……」
私と同じ声の人は言う。ぶるり、と身震いをしたようだ。
「……なんか、本当に死ぬかも」
その人は言う。どうして死ぬのだろうか。私がそう思うと、頭の中に一気に情報が入ってきた。
今は真冬である事。薄着である事。面白半分に体育館倉庫に閉じ込められてしまった事。そして、眠くなってきている事。
信じられる人は誰もいない。信じたい人も誰もいない。ただ一人で、飄々としているふりをして、自分にハッタリをかけて。
……これは、私、だ。記憶にはないけど、情報を知ると、自分以外の何者かである可能性が無くなってしまうくらい、私のような人だった。
泣きたくなってきた。でも私の身体はここには無くて、泣けない。
全部いらないだなんて、生きていたくないだなんて、嘘だった。自分を守るために必要だと勝手に思っていただけで。
私は、どうしたらいい? ここから戻る事が出来たら、どうしたいの?
分からなくて、ただでさえ痛い頭が、更に強い痛みを感じる。
目の前が霞む。今度はきっと、別人を覗き見るのだ。前回の様に。
白く白く塗りつぶされて――。
――そして、別の人間から、私は見ていた。
「いいじゃん別に。好きにさせてよ」
日高の声で、その人は言う。場所は教室で、視界ははっきりとしていた。
話しかけた相手の顔は見えないけれど、彼が視線を下に向けたので、男子生徒が転がっていることが分かる。
「俺はもう、干渉されたくない。飽きた。変えようとしている。何か問題でもある?」
転がった男子生徒を、彼は踏む。蹴る。蹴る。
教室はざわついていた。今は、放課後とか、朝とか、そういう時間ではなかったらしい。沢山の生徒がいるけれど、止めている教師の声は聞こえない。
だから、きっと昼休みなのだろう。十分休みかもしれないけど。
「もう嫌なんだよ! うんざりだ!」
彼は言う。彼は踏みつける。踏みつけられた男子生徒は、「ぐっ」とか「がっ」とか言っていた。
「君なら分かるよね? 唯一の理解者なんだから」
彼の視線は下から上へ。前から後ろへ。そしてその先にいたのは――
「ねぇ、百瀬」
私、だった。
何で? どうして? 私はこんな光景知らない! 日高とだって、ここで初めて話したはず。同じ制服だし、学校で会った事くらいはあっただろうけど、でも、こんな事は絶対になかった。
これは一体何なの? グルグルと思考は巡る。まだ考えていたいのに、頭痛は酷くなり、視界はぼやけた。
「君、俺の事を止める権利なんかないよね」
最後に聞こえた彼の声が、反響して、痛みに沁みる。
ぼやけて白くなったかと思うと、今度はまた病院の待合室のような空間だった。
チャララーンという機械的な音が聞こえたかと思うと、黒い文字で、『モモセ トウコ ハ キオク ノ カケラ ヲ 5コ カンショウ シタ。レベル ガ アガッタ』と表示された。続いて、その下に『カンショウ ノ マホウ ガ ツカエルヨウニ ナッタ』という字。
観賞の魔法、ね。私は大きく息を吐くと、目を閉じた。早く、人形のいる白い空間に戻りたかったのだ。日高に、私と今まで関係がなかった事を確認したい。今まで見てきた物が無関係だと思いたい。
私の今の気持ちは、ただそれだけ。
最初の白い空間に戻ると、そこには日高がいた。
「お帰り。遅かったね」
遅かったもなにも、そっちが先に行ったんじゃない。でもそんな事より、聞きたい事がある。
「日高、悠久思想同盟って知ってる?」
「……さぁ? 知らない」
耳に残るこの言葉を尋ねたけど、やっぱり彼も知らないようだった。
一体、何だったんだろう。何度か血に塗れたような物を見聞きしていたけど、それとは違う言葉が気になって仕方がない。
「ところでさ。俺も聞きたい事があるんだよね」
日高が? 私は、彼も何か見たのだろうかと思いつつ「何?」と尋ねた。
「クリアしたあと、箱って出た?」
「出たけど」
「中身、見た? 俺、触らなかったから何だか分かんないんだけどさ。触りたくもなかったから、放置してたら、勝手にここに戻って来てたし、まぁいいかーとか思ったわけなんだけど、もし百瀬が見たんだったら、俺にリスクもないし知りたいと思って」
実に日高らしい。見つけたけど一切触らずに終わる。そして他人に任せる。非常に腹立たしいけど、まぁ……いいや。
「なんか、記憶の欠片とかいうのが入ってる」
私はため息を一つついてから話し始める。
「で、使うかどうかを選択出来て、使うと頭が痛くなって視界がぼやけてる状態でなんか聞こえるんだけど、意味わかんない事ばっかり。……その中で、さっき私が日高に聞いた、悠久思想同盟っていう単語も出てきたんだけど」
「じゃ、いいや」
長々と説明した私に、日高は一言。ニヤニヤ笑った顔で、「見ない」と続けた。
「俺は頭が痛くなるのはごめんだし、関係ないならどうでもいい」
「あんたならそうでしょうね」
私はもう一度ため息を付く。
「じゃ、俺はもう一度行くよ。これ、楽しいね。病み付きになりそう」
私はそんなに中毒性を感じているわけではなかったけど、それでも、改ざんの魅力は十分に分かる。私にとっては、今やこれをこなして『生きて帰れるかもしれない』という事が、一番の魅力だが。
母と仲良く暮らす。その未来があるかもしれないと思うだけで、残酷なシーンを見せられても耐えようと思える。
人形に手を伸ばす日高にならって、私もそうした。人形はまた「リプレイしますか?」と私達に尋ね、私達は二人揃って「はい」と答えたのだった。
『GAME START』という文字が浮かぶ、病院の待合室が、まさか日高と繋がっているとは思わなかった。
「ここって一緒なんだ」
日高が呟く。
「私も今、同じ事思った」
「ふーん……」
彼はそう言ってから、そっと目を閉じ……次の瞬間には消えてしまった。
自分の過去へ行ったのだろう。
私も日高と同じように、改ざんしたい過去を考えながら、目を閉じた。
目を開けると、そこは中学校だった。勿論私の母校。
私の直ぐ後ろには窓があって、教室に入る日の色と高さが、放課後である事を示していた。
そして前には、三人の女生徒。その中の二人は私を睨み付けている。
皆私の友達だった人だ。特にその中の一人――今、私を睨んでいない唯一の人間と、特別仲が良かったんだけど……。
「美香に聞いたんだけどさー、橙子、佐々木君に告られたんだって?」
あー、面倒くさい。自分でやり直したくて来たはずなのに、現状が本当に面倒くさくて仕方がない。
「……まぁ、そうだね」
「で、どうすんの? 橙子だって知ってるでしょ? 真里菜が佐々木君の事好きだって」
そう、知っていた。
私達四人は、皆仲が良かったけど、その中でも二人ずつ特に仲が良くて、私を睨んでいない少女――美香とは、秘密の話もした。
美香は私からさっと視線をそらす。この時、私は彼女に裏切られていたのだ。
今、私を睨んでいるだけで何も話していなのが真里菜。ずっと私を責める様に話しているのが沙織。
真里菜はずっと、私に告白してきた佐々木が好きだったのだが、この二日前、残念ながら佐々木は私に告白してきた。
誰を好きになろうと、誰に告白しようと、私には関係ないんだけど、この場合は関係がある。なぜなら、これが切っ掛けとなって、私はクラス中からシカトされる事になったからだ。
四人で仲良くしていたのだが、沙織は女子の中でかなりの影響力がある生徒だった。
沙織は真里菜が一番のお気に入り。真里菜は美香よりも強い。美香と私は……。
「橙子、なんとか言いなよ。どうする気なの?」
さて、どうしようか。
私はあの時、「当然付き合わないよ」と答えた。けれどそれはそれで「生意気」だとかなんだとか言われて、結局は「百瀬橙子は友達の好きな人を取った」と噂を流されたのである。
どうすれば満足するっていうのさ。本当に、女というのは面倒くさい生き物だ。
「橙子さー、そもそも、断るんだったらその場でソッコー断ればよかったじゃん? それとも、ちょっといいなーとか思ってたわけ?」
「別に……」
何の事はない。このご時世にラブレターだったから、断るタイミングが難しかっただけだ。しかも下足箱に入っていて、本人は既に下校していた。
「だったら断ればよかったじゃん!」
「だって手紙だったし」
「言い訳しないでよ! それ知った時の真里菜の気持ち、考えた?」
えぇ、えぇ、考えましたとも。考えたから、一番仲の良かった美香にだけ「秘密だ」と言ったんじゃない。
ま、美香はその秘密を、沙織に言っちゃったわけだけど。中学生であっても、女は女。面倒臭すぎる。
この時の私は、すでに母親とも関係が悪かったから、何か起こった時に話す相手は大体美香だった。私の秘密の大半は美香が知っていたんだけど、多分、殆ど全部沙織に流れていたんだろうな、と、後から思ったんだっけ。
「橙子さー、なんなわけ? ずっと仲良くしてあげてたじゃん。だっていうのに、こういうのって無しなんじゃないの?」
仲良くしてあげた、ね。随分上から目線なものだな。
「私、別に傷つける気はなかったけど」
「何クールぶってんのさ。いつもみたいに感情垂れ流しにしてみなよ!」
……そういえば、この時は自分の感情を抑えたりとか、あまり出来なかったんだっけ。忘れてた。
この件があって、シカトが発生し、ちょっとしてから、私は大人しくなった。自分から誰かに干渉するのも面倒臭くなって、感情を強く出すのも面倒くさくなって、今の私に繋がる。
でも、今感情垂れ流せって言われたって、既に垂れ流し放題の相手を前にそれは出来ない。私はずっと冷めていた。
あー……、これって改ざんする必要ってあったんだっけ? というか、どうすればクリアになるの? 誰との関係を変えたいの? この中の誰かと、今でも友達でいたいだなんて思える?
でも、ここで上手く改ざん出来れば、もしかしたらこの後……高校二年生までの私の人生は変わるのかもしれない。誰かに自分から関わっていって、一生モノの友達とやらも出来るのかもしれない。
……一生モノの友達、か。何でも話せて、裏切りも裏切られも無くて、一緒にいて楽な相手。母と仲の良い世界には、欲しいかもしれない。
既にアミちゃんとは友達だとしても、他にも、と求めてしまう。
どうせ第二の人生みたいになるかもしれないなら、私の世界も華やかであれば嬉しい。女は面倒くさいとか、みんな関係ないとか思っていたけど、それでも、手に入るかもしれないと思えば話は別である。
「……と、橙子は、佐々木君と付き合う気なの?」
真里菜が初めて声を出した。
「そんな訳ないじゃん。私、真里菜の事を裏切りたいだなんて思ってないよ」
「だったら! だったらどうして、早く断ってくれないの!」
真里菜が大声を出して、泣き出す。
私は、窓を開けた。涼しい風と、下校する生徒のざわめき、部活中の生徒の掛け声が入ってくる。ちょっとすっきりした。
「ごめんごめん。私、こんなに大事になるなんて思ってなかったの。浅はかだった。そこは謝る」
私は多分、笑っていると思う。この状況で笑っているなんて、なんて性格が悪いんだ。
そんな事を思いながら、ポケットに手を突っ込む。硬い感触。どうやら、ちゃんとケータイ電話が入っていてくれたようだ。
「でもさ、真里菜って佐々木に告白してないし、付き合っても無いじゃん」
「そ、そうだけど」
「だから私にそんな事言われたって困る。佐々木は真里菜の気持ち知らなかったし、私は佐々木の気持ちを知らなかったんだから」
真里菜は、ぐっと言葉に詰まる。代わりに沙織が、私の胸ぐらをつかんだ。
セーラー服の胸当てが、ぶちっと音を立てた。襟と胸当てをくっつけているスナップが取れたのだろう。
「よくそんな事言えるよな! 橙子、友達の気持ちも考えられない訳?」
「考えたから、私本人には言わなかったじゃん」
「そういう問題じゃないし。マジ最悪なんだけど!」
最悪なのはお互い様だ。自分の感情が一番にならないと気が済まないような反応をしておいて、私を罵る。
「橙子がそんなんだったらこっちにも考えがある!」
沙織が睨み付けながら大声を出した。
「今後橙子とは仲良くしてやんない! 誰とも仲良くさせてやんない! 卒業までずっと一人でいればいいじゃん!」
言うと思った。私は笑みを浮かべたまま、鼻で笑う。
「そっちこそ、そんな風に言ってもいいの?」
「何よ」
沙織が、眉間に皺を寄せながら返した。
「私さ、今窓開けたよね。あと、ポケットに手を入れた」
「それがどうしたっていうのさ」
何を言わんとしているのか、理解できていないようだ。
「今の話……つまり、沙織が実質私を脅した所、外に流れたんだけど。ついでに、中に入った」
「……はぁ?」
まだ分からない。まぁ、どうせハッタリみたいなものだから、分からないだろうけどさ。
「外に、今の暴言がだだ漏れだったんだもん。教師の耳にも入ったかもね。つーかさ、今言った事を実行したら虐めだよね? 沙織は虐めの首謀者になって、内申点ボロボロにしたいんだ。仮に教師の耳に入っていなくても、私のポケットにはケータイが入ってたからさ。ちょっと録音させて貰っちゃった」
私は笑いながら、ポケットからケータイ電話を取り出して、見せびらかした。今の私の物とは違うが、大きさは然程変わらない。
沙織……というか、割と皆使っているのは、スマートフォンなのだが、殆どインターネットをしない私には不必要な物。今でも私はケータイ電話ユーザーである。
……脱線したが、今は機械について考えるよりも、話を進めよう。
「ねぇ、沙織。高校に進学できると良いね」
すぐ近くにある沙織の顔は真っ赤だ。
「橙子ぉぉぉ!」
「何? 暴力事件も起こしちゃう?」
沙織は握り拳を作って、私に見せる。けど、私は全然怖くない。仮に本当に殴られたとしても、平気だとすら思っている。
「さ、沙織、もうやめようよぅ」
真里菜が慌てて止めた。泣きそうな顔だ。
「真里菜はそれでいいわけ!?」
「よくないけど、でも、これじゃあこっちの立場が危なくなるだけだし……」
真里菜がもごもごと言うと、沙織はしぶしぶ私の胸ぐらを掴んでいた手を離し、舌打ちをした。
「私はね、あんた達との仲が拗れてもいいの。けど、この先の中学校生活は円滑に進めたいんだよね」
「つまり、どういう事?」
私は乱れた胸当てと襟を直しながら、クスっと笑う。
「縁は切ってくれて構わないけど、他の人も使うのはやめてね、っていう話。沙織、皆に私をシカトしろって言ったりしそうじゃん。さっきも、そういう趣旨の事言ったし。沙織も真里菜も美香も、私の事を無視してくれても構わないけど、他の子を使うのはやめてね。ごく普通に中学校生活を満喫したいしさ」
制服を整えてから沙織を見ると、彼女は唇を噛み締めていた。どうやら、沙織のプライドをいたく傷つけてしまったようである。私には関係ないけど。
「……橙子、私に意見するの?」
「何それ。さっき感情垂れ流せって言ったの、そっちじゃん。今、垂れ流し中っていうだけの話なんだけど。それとも、私が自分の意見を言っちゃ駄目って事?」
沙織がやっと絞り出した言葉に、私は聞き返す。
「ダメじゃないけど、そんなの……」
「気に食わない? なら、別に虐めの首謀者になればいいじゃん。私は二つの道を提示してるんだし」
「最低!」
沙織が大声を上げた。目にも涙がたまっているようだし、顔もさっき赤くしたまま戻っていない。
「自覚はしてるよ。でも、私に最低な反応をさせるような事をしたのはどっち?」
私の顔からは、笑みが無くならない。これじゃあまるで、日高だ。きっと、三人は今の私を不快に思っているだろう。
「あたしはただ、真里菜を想って」
「わ、わたしだって、悲しくて仕方がなくて」
「私……真里菜に聞かれたから……」
三人が、言い訳を口にする。あぁ、これだ。これが、私の嫌いな、女だ。
「二人とも、真里菜の為にやったんだって。真里菜、気分はどう?」
私は、ちらりと真里菜に視線を向けた。彼女はびくりと肩を震わせると、目を泳がせる。
「な、なに、それ。わたしが悪いっていうの?」
「言ってないよ。たださー、こんな風にするより先に、佐々木に告っちゃえばいいじゃん。私を問い詰めるより楽じゃない?」
「そ、そんな……」
真里菜は、ついには視線を下げ、項垂れて口を閉ざしてしまった。
「真里菜の気持ち考えなよ!」
「沙織もさ、そうやって佐々木を追い詰めてあげれば? 真里菜の気持ちを考えて答えて、ってさ」
「な、何それ!」
沙織は、ずっと怒ったままだ。尤も、怒らせるであろう事は分かっていながら言っているんだけど。
「美香も、何でも話せる友達が出来てよかったね」
「わ、私……私……」
美香は、ボロボロと涙を零す。でもそれって、ズルいんじゃない?
美香が私を売ったんだ。美香さえ言わなければ、こんな事にはならなかった。それなのに、さも自分が被害者であるかのように泣く。
三人とも、女の嫌な部分を叩き売りして、何が楽しいのか。私には不快なだけだと言うのに。
「橙子! いい加減にして!」
「いい加減にしてほしいのは私の方。ねぇ、帰ってもいいの? 明日からの私の平穏な日常は約束されてるの?」
沙織が喚くから、私は静かに返した。彼女はしばらく考える素振りをした後、「分かった」と呟く。
「何もしないわよ! でも、橙子なんてもう知らない! 大っ嫌い! 死んじゃえ!」
沙織は子供みたいに叫ぶ。あ、違った。子供だった。
高校二年になった私も子供だけど、この時は中学二年。三年の歳月は大きい。
ま、中学生でも女である事に変わりはないけど。
「帰る! もう知らない!」
沙織は怒って、自分の机の上から鞄を持つと、ずんずんと扉へと向かって行く。その後を真里菜が続き、美香もあたふたしながら鞄を背負った。
沙織と真里菜が教室から見えなくなって、美香は扉の前で一度立ち止まってこっちを見た。
「……ごめんね」
「別に。あんた自身の人生でしょ。好きにすれば?」
私は別に謝って欲しかった訳じゃない。そもそも、何かして欲しいとか、そんなものはなかった。
美香はまた涙を零して、教室を後にする。
……これで良かったんだ。明日からの私は強気でいけるし、沙織に負けない。それで、新しい友人関係を一から作り直す。
私は目を閉じて、大きく息を吐いた。
『GAME CLEAR』。おなじみになりつつある病院の待合室では、そんな黒い字が躍っていた。
「おー、百瀬だ」
「日高……」
待合室には日高がいて、私に手を振っている。何でこいつ、こんなに明るくなっているんだろう。
「百瀬、これ、楽しいね」
「……そう?」
私は、今回の事でそうは思えなくなったけど。日高はどんな風に変えているのか、少し気になった。
そんな事を考えている間に、日高はすぅっと消えてしまった。最初の白い空間に戻ったのだろう。
私は一人になったこの場所で、またしても診察券ホルダーの横に置かれている、宝箱に近寄った。
開けると、学生鞄の様に見えるキーホルダーと、満点のテストの答案用紙。私はそれを手に取り、『GAME CLEAR』の文字の下を見ると、予想通りの言葉が表示されていた。
つまり、『モモセ トウコ ハ キオク ノ カケラ ヲ テニイレタ』と、『モモセ トウコ ハ ヒダカ ショウタ ノ キオク ノ カケラ ヲ テニイレタ』。そして、『ツカイマスカ? >ハイ イイエ』の文字だ。
私は、「ハイ」と答える。頭への痛みと、視界が白く染まる感じ。また、今までと同じように、誰かの視界を覗き見るのだろう。
白くぼやけた視界を想像していたが、思っていた光景とは少し違っていた。
見えた世界は暗かったのだ。どこかの部屋である事は間違いないのだが、如何せん、光源の一つも感じられない。
「寒っ……」
私と同じ声の人は言う。ぶるり、と身震いをしたようだ。
「……なんか、本当に死ぬかも」
その人は言う。どうして死ぬのだろうか。私がそう思うと、頭の中に一気に情報が入ってきた。
今は真冬である事。薄着である事。面白半分に体育館倉庫に閉じ込められてしまった事。そして、眠くなってきている事。
信じられる人は誰もいない。信じたい人も誰もいない。ただ一人で、飄々としているふりをして、自分にハッタリをかけて。
……これは、私、だ。記憶にはないけど、情報を知ると、自分以外の何者かである可能性が無くなってしまうくらい、私のような人だった。
泣きたくなってきた。でも私の身体はここには無くて、泣けない。
全部いらないだなんて、生きていたくないだなんて、嘘だった。自分を守るために必要だと勝手に思っていただけで。
私は、どうしたらいい? ここから戻る事が出来たら、どうしたいの?
分からなくて、ただでさえ痛い頭が、更に強い痛みを感じる。
目の前が霞む。今度はきっと、別人を覗き見るのだ。前回の様に。
白く白く塗りつぶされて――。
――そして、別の人間から、私は見ていた。
「いいじゃん別に。好きにさせてよ」
日高の声で、その人は言う。場所は教室で、視界ははっきりとしていた。
話しかけた相手の顔は見えないけれど、彼が視線を下に向けたので、男子生徒が転がっていることが分かる。
「俺はもう、干渉されたくない。飽きた。変えようとしている。何か問題でもある?」
転がった男子生徒を、彼は踏む。蹴る。蹴る。
教室はざわついていた。今は、放課後とか、朝とか、そういう時間ではなかったらしい。沢山の生徒がいるけれど、止めている教師の声は聞こえない。
だから、きっと昼休みなのだろう。十分休みかもしれないけど。
「もう嫌なんだよ! うんざりだ!」
彼は言う。彼は踏みつける。踏みつけられた男子生徒は、「ぐっ」とか「がっ」とか言っていた。
「君なら分かるよね? 唯一の理解者なんだから」
彼の視線は下から上へ。前から後ろへ。そしてその先にいたのは――
「ねぇ、百瀬」
私、だった。
何で? どうして? 私はこんな光景知らない! 日高とだって、ここで初めて話したはず。同じ制服だし、学校で会った事くらいはあっただろうけど、でも、こんな事は絶対になかった。
これは一体何なの? グルグルと思考は巡る。まだ考えていたいのに、頭痛は酷くなり、視界はぼやけた。
「君、俺の事を止める権利なんかないよね」
最後に聞こえた彼の声が、反響して、痛みに沁みる。
ぼやけて白くなったかと思うと、今度はまた病院の待合室のような空間だった。
チャララーンという機械的な音が聞こえたかと思うと、黒い文字で、『モモセ トウコ ハ キオク ノ カケラ ヲ 5コ カンショウ シタ。レベル ガ アガッタ』と表示された。続いて、その下に『カンショウ ノ マホウ ガ ツカエルヨウニ ナッタ』という字。
観賞の魔法、ね。私は大きく息を吐くと、目を閉じた。早く、人形のいる白い空間に戻りたかったのだ。日高に、私と今まで関係がなかった事を確認したい。今まで見てきた物が無関係だと思いたい。
私の今の気持ちは、ただそれだけ。
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