管理官と問題児

二ノ宮明季

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2章

2-44 意図が伝わってよかったです

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「あ!」

 暫しの後。クルトさんは声を上げたかと思うと、きょろきょろと周りを見回し、後方で倒れ付している管理官に近づいた。どうやら伝わったらしい。
 彼はその管理官からサーベルを拝借すると、すっくと立ち上がった。

「我はツークフォーゲルの名を継ぐ者」

 どうやら精術で隙を作り、その間に俺に渡すつもりらしい。

「ツークフォーゲルの名のもとに、風の精霊の力を寸借致す。あいつに風を!」
「ツークフォーゲル、僕に従え。あいつに風を」

 クルトさんがシュヴェルツェに向かって精術を使った瞬間、シュヴェルツェも全く同じ精術を使った。
 風と風とがぶつかり合い、放射状に拡散される。
 クルトさんとサフランは、思わずその場に尻もちをついた。が、肝心のシュヴェルツェはよろめいただけ。

「ざーんねんでしたー!」
「ちょっと、何するのさ!」
「えー、僕はただ精術を相殺しただけだよ。文句はこっちに精術を向けたあいつに言ってよ」

 サフランの抗議は、そのままクルトさんへと流される。

「それもそうだね。ちょっと、ザコキャラの癖に何やってくれてるのさ!」

 ……今の精術、使える。

「クルトさん、もう一度お願いします!」
「へ?」

 クルトさんに向かって魔法陣を描き始めたサフランを蹴りあげ、ついでにシュヴェルツェを浅く斬り付けながら声を掛ける。
 すると彼は、再び早口に呪文を唱えた。

「うーん、何の考えだか知らないけど、無駄じゃないかな」

 シュヴェルツェはのんびりとした口調で、俺の攻撃を躱しながら笑った。対照的に、サフランは呪文を聞いて慌てて俺達と距離を取る。

「あいつに風を!」
「あいつに風を」

 クルトさんの呪文と、シュヴェルツェが強制的に精霊を従わせたのは、ほぼ同時だった。
 風と風がぶつかり合い、先程と同じように放射状に風が巻き起こる。
 これを待っていた。
 俺は巻き起こった風に乗り、クルトさんの方まで飛ぶ。正確には浮遊しているわけではなく、後ろに飛ぶときに風を利用し、一度に移動する距離を伸ばしたのだ。
 タイミングは完璧だった。
 俺はその場で何とか踏ん張ってくれたクルトさんから、サーベルを受け取る。

「意図が伝わってよかったです」
「当然だろ!」

 あとは、畳み掛けるだけだ!
 風が止んですぐに、俺は二本のサーベルを手に駆けた。目標は、逃げたものの風に煽られて体勢を崩しているサフランだ。

「こ、こっちに、こっちに来るなぁぁぁ!」

 パニックを起こしているのだろうか。彼は出鱈目に魔法陣を描いてはこちらへと放つ。
 しかし、正確性を欠いた魔法など取るに足らない。
 何よりも、なぜかシュヴェルツェの妨害がなかったのが大きい。
 俺はあっという間に距離を詰めると、サフランの首元にサーベルをぴたりと当てた。

「動いたら、命の保証は出来ませんよ」
「……っ!」

 サフランは、ごくりと唾を飲み込む。散々悩ませていた魔法を描く手は、今はだらりと下がっていた。

「大人しく降伏して下さいますね?」
「……おい」

 サフランは俺の問いには答えず、視線だけをシュヴェルツェへと向けた。
 が、彼はもはや興味も湧かないようで、先程まではよく浮かべていた笑みは、今は完全に消えている。

「おい! こんな、こんな、枚数も無い奴にやられる訳がないだろ! 12枚のこの僕が! 聞いてるんだろ! 僕を助けさせてやる! 助けさせてやるから、僕を助けろ!」

 サフランがいくらがなりたてても、冷めた目は戻らない。
 一体、シュヴェルツェはどうするつもりなのだろうか。

「僕がこんな所で、枚数無しにやられる訳がない。精術師風情に、こんな屈辱を味わわせられるはずがないんだ! 1枚君にやられたのだって何かの間違いだった筈なんだよ! おい! おい、助けろ! この僕を、助けろ!」
「あーあ」

 なおも、無様な命乞いのようなものを繰り返すサフランに対し、シュヴェルツェが掛けた声は、心底呆れ返ったものだった。

「このオモチャはここまでかな。つまんない」
「お、オモチャってなんだよ」
「つまんないつまんないつまんないつまんない。ぜーんぜん、面白くない」

 唐突にスイッチが切れ、サフランに飽きた、のか? 何なんだこれは。

「ただの命乞いなんて見飽きてるんだよね。それでも状況によってはきっと楽しいよ。だけど、大した活躍もせずに、プライドの塊だけで押し通した奴の命乞いには興味が無いんだよ」

 シュヴェルツェがサフランへと向けている視線は、何の熱もこもらないままだ。

「うーん、あのオッサンの方が面白かったかな。というか、前回は彼の操縦が上手かったから君が輝けていただけか」

 この状況から導き出されるおっさんとなれば、前回サフランと行動していたブッドレアの事だろう。

「はー、つまんない。面白いのは服装だけじゃん。いいよ、それ、あげる」
「貴様!」
「だって、つまんないんだもん」

 こいつは、どこまでも欲望に忠実なのか。つまんないを連呼し、それから俺に向き直る。

「あ、これも君にあげるよ。じゃあね。また遊ぼう」

 彼は自分自身……というよりも、グロリオーサさんを指差したかと思うと、その場に崩れ落ちた。
 違う、これはシュヴェルツェが崩れ落ちたんじゃない。俺は注意深くグロリオーサさんを見ていると、彼の口元から黒い蛇が這い出してきた。

「クルトさん、あれです!」
「あいつ――!」

 蛇は素早く地面を這い、クルトさんは槍を片手に追う。が、一向に距離は縮まらない。

『やーん、助けてー!』

 蛇がワザとらしい声を上げた瞬間だった。全身が粟立つ殺気と、先程まで屋根の上で大人しくしていた気配が動き出す。

「クルトさん、避けて下さい!」

 どこに、とまでは言えなかった。
 だがクルトさんは直ぐに後ろに跳び、それとほぼ同時に彼が今まで居た場所を、鋭い刃物が凪いだ。
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