管理官と問題児

二ノ宮明季

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2章

2-29 夜分遅く、申し訳ありません

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 何でも屋の前までたどり着いたが、どうにも気が重い。
 俺がため息を吐き出した横で、フィラさんが容赦なくドアをノックした。ああ、これで後戻りは出来ない。

「はいはーい」

 聞こえたのは所長さんの声。ドアが開けばやっぱり所長さんで、彼は眉間に皺を寄せた。

「夜分遅く、申し訳ありません」
「うーん、何の用? 僕からそのお姫様には全く、これっぽっちも興味も関心も好感度も無いんだけど」
「ごめんなさい!」

 俺が何かを言うよりも先に、フィラさんががばっと頭を下げた。

「……は?」

 流石の所長さんも面食らった顔をして、フィラさんを見る。
 おそらく、俺も面食らった顔をしているだろう。まさかドアが開いて直ぐに、あんなに勢いよく頭を下げるとは思わなかったのだ。

「わたくしが間違っておりましたわ」

 彼女は頭を下げたまま続ける。

「沢山、沢山失礼な事を言ってしまいましたし、やってしまいましたわ。謝っても許しては頂けないかもしれませんが、謝らせて下さいまし!」

 所長さんは大きなため息をつくと、ちらりとこちらを見た。

「ジス君、お守?」
「……はい」
「大変だね」
「……いえ」

 多くの言葉を交わさずとも、所長さんは色々と察しがついたらしい。

「いいよ、入って。今、君達にとっても重要な話を聞いていたところだから」

 所長さんはもう一度ため息を吐いてから、俺達を中に招いた。
 小さな声で「失礼します」と口にしてからドアの向こう側へと足を踏み入れると、意外な人物がそこにはいた。テロペアさんだ。
 代わりに女性陣がいないが……大方アルメリアさんが倒れたか何かしたのだろう。

「あ、ジスしゃーん! こっちこっちー」
「こんばんは、テロペアさん」

 テロペアさんに手を振られ、俺はそちらの方へと足を向ける。

「クルトさんも、ミリオンベルさんも、本当に申し訳ありませんでした」

 フィラさんはと言えば俺の横をするりと抜け、今度はクルトさんとベルさんを前に勢いよく頭を下げた。
 クルトさんは目を白黒させている。

「あ、あの、他の方は」
「一人ぶっ倒れて、二人看病中なんだよ。だから、謝るのはまた今度にして貰える?」

 そうっと顔を上げたフィラさんが確認すると、所長さんはそれほど厳しくない言葉を投げかけた。

「また今度、来ても宜しいのですか?」
「……ベル、どう?」

 ベルさんはあまり興味がないように視線を逸らしながらも、僅かに頷く。

「謝ったなら、いい。あとはちゃんと理解してるかどうか、だけど」
「精霊、いましたの。ちゃんとわかりましたの」
「おお、そうなのか! だったらいいよ。オレ、お前、嫌いじゃない。許す」

 精霊がいた、の一言に、クルトさんはぱっと表情を明るくすると、驚くほどあっさりと許してしまった。いいのかそれで。

「クルトがいいって言うし、俺もいいよ」

 ベルさんは再度「いい」と呟く。距離を縮めるには時間がかかるだろうが、そもそも許された事の方が奇跡的だ。

「うーん、ベルが良いっていうなら、もう一回くらいはチャンスをあげてもいいよ。ただ、次に馬鹿げた事を言ったら、つまみ出すし二度とウチの敷居は跨がせないから」
「はい!」
「大きい声、出さないでくれないか」
「は、はい」

 破顔したフィラさんは、ベルさんに冷たく言われて直ぐに声のボリュームを下げた。

「あんねー、ルーシュがねー、アマリニェ追いかけて失踪中にゃの」

 突然話に入り込んだのはテロペアさん。意味を少し咀嚼すれば、フルゲンスさんがアマリネさんを追っていなくなってしまった、という衝撃的な物だった。

「その話、もっと詳しくお聞かせ願えますか?」
「もちろんだよー」

 テロペアさんは快諾すると、俺の方を見る。

「あんねー、ルーシュがどよーんってしにゃがらウチの店に来たんらけど、途中でアマリニェが来たにょ。ルーシュ、自分が一杯やらかしちゃったし、ベユを傷つけちゃったー。失った信用はクユトに変な事した奴を捕まえて取り戻さなきゃーって話をしてたあとにー、珍しく真面目にゃ顔してベユの事頼むって言ってたかりゃ、アマリニェを疑ってるんだと思うにょ」

 非常にややこしい言葉で紡がれた内容は、フルゲンスさんが落ち込みながらも信用を取り戻す為に何か行動しようとしていた事と、アマリネさんを疑っているという事だった。

「おれもね、アマリニェが店に来ゆ直前に、見慣れにゃい精霊が来ててー、ルーシュを確認してかりゃいにゃくにゃったから、出来過ぎてゆにゃーって思ってゆんだよね。アマリニェ、怪しい」

 更に、彼女と何らかの精霊が手を組んでいる可能性。ここは、俺の予想通りだ。

「その精霊の形状というのは?」
「緑のトカゲっぽいのに、羽がついてゆ感じ?」

 その形状の資料を、いつか目にした事があった気がする。思い出せ……誰だった。その精霊の名を持つ精術師は、誰だったんだ。
 だが、いくら考えても脳裏には浮かばなかった。
 確かなのは俺の担当区域の精術師ではない事と、大きな揉め事があった精術師の家ではなかった事だけ、だ。名前が出てこないという事は、それ以外はありえないだろう。
 それにしても、一体彼女は何をしようとしているのだろうか。この点も、まだ解明されていない。

「ベユ、どうすゆ? おれが行ってもいいけど、本当にそれでだいじょーぶ?」

 俺に説明をし終えると、今度はベルさんに尋ねる。

「ちょっとテロペア君。今は夜だよ。夜にベルを外に出すのは――」
「いや、俺が行く」

 所長さんが、暗所恐怖症であるベルさんを気遣ったが、その言葉を遮って、彼は立ち上がった。

「その件に関しましては、管理官の問題です。むしろ私が行きましょう」
「管理官の問題だと言うのであれば、わたくしの問題でもありますわ! ご一緒させて下さい!」

 何があるかも分からない、という点を考え、俺が名乗りを上げると、直ぐにフィラさんも続ける。
 出来ればフィラさんは置いて行きたかったが、それは難しいとして。せめてベルさんを連れて行かない事くらいは出来ないだろうか。

「ほらベル、二人もこう言ってるし、任せたら?」
「駄目だ。ルースは俺の友達なんだ。俺が……俺が、迎えに行ってやらないと」

 所長さんがやんわりと止めるも、ベルさんの意思は固い。

「探すにょは、そこのクユトに頼むといいよ。精霊の形状からして、風かにゃにかでしょ?」
「おう、オレは風の精術師だ。オレがルースの居場所を突き止める! 頼むぞ、ツークフォーゲル」

 流石は精術師、というべきか。テロペアさんはその辺をぐるりと見回しながら言うと、クルトさんは片手を上げた。
 おそらく「頼むぞ」に反応し、俺には見えない精霊達が何か反応をしているのだろう。

「オレも、ベルに協力するぞ」
「ありがとう、クルト」

 一瞬、既に協力すると言っていた気分になったが、それは精霊の事だ。クルトさんは、精霊と共にベルさんに協力する、と口にした。
 するとベルさんは頷き、所長さんへと向き直る。

「所長、みんな一緒だし大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ。僕も行く」

 直ぐに首を横に振った所長さんに、ベルさんも「駄目です。所長はここに居て下さい」と返した。

「女の子だけ、ここに残していくわけにはいかないでしょう。夜ですよ。もしも万が一、って事があったら困ります」
「で、でも、ベルにこそ万が一って事があるかもしれない。大体、夜だよ? 本当に大丈夫なの?」

 尚も食い下がったが、今度はベルさんが首を横に振る番だ。

「……皆居るし、クルト居るし、大丈夫です」
「おう、オレがついてます!」
「あーもう、心配だなぁ」

 これに関しては、同感だ。

「心配だけど、行くって聞かないんだろうし、つけたってクルトにはバレるし、大体にして、クルトが行かなきゃルースの居場所も分からないし」

 所長さんはぶつくさと文句を言いながら、隣接する部屋に入ると、何だかもの凄い音を立てた。その後、埃まみれで小さなランタンのような物を手に戻ってくる。
 部屋に入っただけで埃まみれになるって、あの部屋は倉庫か何かだろうか。俺の記憶が正しければ、所長さんの部屋だった気がするのだが……。

「ほら、ベル。これを持って行って」

 彼は今しがた手にして戻ってきたそれを、ベルさんへと渡す。

「これ、後ろがスイッチになってて、押すと光るから」
「ありがとう。所長が作ったんですか?」
「ううん、こっそりシアに協力して貰ったんだ。この前みたいな事になったら大変だしね。魔陣符だと、水にぬれるとダメになるかもしれないから、こういう形にしたよ」

 暗所恐怖症のベルさんの為の魔法のアイテム。
 愛情が込められた品のはずだが……どんな状態であの部屋にあったのだろうか。どうにも感動が薄れる

「ほら、行っておいで」
「はい!」
「ルースの居場所が分かった。ベル、行けるか?」

 そうこうしている内に、クルトさんは精霊に頼んで居場所を探っていたらしい。

「当たり前だ」

 ベルさんの頼もしい声。俺達はそれを信じて、精霊の道案内で走り出したクルトさんを追った。

   ***
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