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1章
1-31 問題児ばかり押し付けられるのではないか
しおりを挟むところが、俺の日常が完膚なきまでに叩きのめされる運びとなっている事を、翌日予告される事になった。
「一応ノックしますぅ。コンコン」
ノック音を口にしながら入ってきたその男性は、そう接点の無い相手だった。
普通課で六枚の管理官の彼は、ゼラニウム・ドライ・ティーメ。学校こそ同じだったものの、3枚の魔法使いで、在学中からもそれほど接点は無い。
カフェオレ色の外跳ねの髪に、グリーンの優しげな瞳のこの人がゼラニウムさんだ、といった調子で、外見と名前は一致しているが、それだけだ。何しろ、局内での課まで違う。
そして率先してちょっかいを掛けてくるヴニヴェルズム兄妹やリリウムさんとは違い、そういった事も無い。と、なれば、一体何の用事か。
訝しげに彼を見ていると「怖いですぅ」と、間延びした、ちっとも怖がっていないであろう反応が返ってきた。
「僕としてはぁ、君と仲良くしたいって思わないんですけどぉ」
書類仕事の手を止めて彼を見るも、全く意図が伝わってこない。この人、何しに来たんだ?
「っていうかぁ、そもそも僕はぁ、カサブランカ様派ですしぃ」
一応局内には、次期国王有力候補であるカサブランカ様とクレマチス様とで派閥がある。それは知っていたし、俺は見た事も無いカサブランカ様よりなら、クレマチス様の方が納得出来るかな、等と思っていたのは確かだ。
だが、どっちじゃないと! という強い意見ではなく、状況によってはあっさり鞍替えする程度。
なんなら、どちらも選ばない、という選択もあるが、俺の課のトップがクレマチス様で、その上特に問題も無いとなれば、取り立てて敵視する必要もあるまい。
「クレマチス様派の君とはそりが合わないだろうなぁって思ってるっていうかぁ」
……確かにカサブランカ様派ではないが、別にカサブランカ様に強い拒否感があるわけでもないのだから、どちら派だとか、どうでもよくないか? いや、こいつ何しに来た?
「でもぉ、こうなった以上、今後はよろしくお願いしますぅ」
「は、ぁ……」
何とも間の抜けた返事になってしまった。
「どういう意味……というか、何をしに?」
「挨拶ですよぅ。意味はぁ、近い内分かると思うのでぇ、楽しみにしていて下さいねぇ」
不穏だ。
ゼラニウムさんはここまで話すと「バイバイ」と手を振って出て行った。一体何なんだ。
嫌な予感しかしなかった。
***
理解したのは二日後。
リリウムさんとライリーさんに、「ブラン様からの伝言があるんですけど、ここじゃ言い難いのでちょっと来て下さい」と声を掛けられ、あれよあれよという間にカサブランカ様の執務室に連行された時だった。
カサブランカ様が執務室の中にある扉の更に奥に居るとのことだったが、部屋の中には姿も形も見えない。
「ブラン様とウィルは、向こうの部屋なんですよ」
気配を探れば、なるほど。扉の奥には二人ほどの気配は感じられた。
「単刀直入に言うと、ジス君、昇進おめでとう」
まずは、リリウムさんがにこっと笑って、さらっととんでもない事を口にした。
「いやー、まさかジス君を六枚の管理官にしたいって、ブラン様が言い出すとは思いませんでしたよー。おめでとうございます」
「……は?」
次いでライリーさんが説明を聞き、俺の口からは間抜けな声が漏れる。
「いや、先に告知したいってブラン様が」
「本人は姿も現さないのに、ですか?」
「んなこと言われたって、こっちも上司命令ですし。でも、ジス君とは仲良くお仕事したいな、って思ってますよ。立場も近くなりましたし」
立場が近くなったとはいっても、相手は十二枚の管理官。その上、部署まで違う。
「でも事前の告知をまさか周りに聞かれるわけにもいかないので、ここまで来て貰っちゃいました。あ、ここでの会話は、向こう側からブラン様も聞いていますよ! 安心して下さいね」
「こんなに安心要素の無い話がどこにありますか」
ライリーさんの態度はどこまでも軽い。これでとんでもなく仕事が出来ると言うのは、まるで嘘みたいな話だ。
「ま、詳しい事は、追ってクレマチス様からお達しがありますから、そっちで聞いて下さい」
「で、何故私が?」
「そりゃ、ジス君の素晴らしい働きぶりを、自分達がいっぱいお話ししておきましたから!」
ナチの件で、手伝いをお願いしたのは間違いだったかもしれない。
「以上です! お仕事に戻って結構ですよ」
「……そうですか。では、失礼します」
二人は言いたい事、というか、言わされている事だけをぱぱっと話すと、俺を解放した。
俺はと言えば、いつまでもここに居たい訳があるまずも無く、直ぐに退室する。
「……はぁ」
執務室から出ると同時に、長い長いため息が出た。
面倒な事になった。面倒くさい。心底面倒くさい。
ゼラニウムさんの、一昨日の挨拶の正体はこれだろう。彼はカサブランカ様が俺の昇進を勧めたのだと知っており、気に入らなくてちょっかいを出しに来た、という所か。
それにしても、クレマチス様からのお達しよりもこっちが先、って、順序が逆じゃないか? 何故先に別の課のトップに通達される羽目になったのか。
「ジギタリス、クレマチス様がお呼びだ」
「……はい」
らしい、は、直ぐに現実となった。
執務室を出た所でため息を吐いていた俺に、バンクシアさんが声を掛けたのだ。俺は彼に着いて歩くと、クレマチス様の執務室へと通された。
部屋にはクレマチス様と、その従者のモルセラさん。そして俺と一緒に入室したバンクシアさんだけだ。
「悪いね。急に」
「いえ」
昇進の話だとすれば、本当に急だが、俺はゆるゆると首を横に振る。
「ただ、私としても君の活躍は聞いている。昇進は正当なものだと思っている」
矢張り昇進の話か。
「一体、どういった点が評価に至ったのですか?」
「まず、ナスタチウム君が倒れた後のサポート」
どうして急に、という思いから、俺は尋ねると、クレマチス様は指を一本立てた。
ナスタチウムさんの倒れた後の事は、頑張ったのは俺だけではない。が、これはバンクシアさんも知っている事。当然、クレマチス様の耳にも入っているだろう。
「それから、件の捕り物。また、その際死を刻む悪魔と出会っていながら、生還出来た事。そして傷心の管理官のフォロー」
……それは、違う。過大評価だ。
「ヴルツェル支局の立て直し。及び、住人の精術師との関係改善」
これも、ヴルツェル支局に関しては多少手を入れたが、精術師の問題は何でも屋が解決してくれた。俺の評価に値しない。
「これだけの事を短期間でやってのけたんだ。称賛に値するよ」
「ありがとうございます。しかし、件の捕り物の件、私はほんの微力程度のお手伝いしか出来なかったかと」
「謙遜は結構」
謙遜じゃないのに。俺に力があるのなら、誰も死者は出さなかった。それが出来なかった時点で、俺は微力程度しか手助けになれなかったということだ。
「ところで、昇進に当たって、君を新しいチームのリーダーにしたい」
他にも言いたい事はあったが、どうも口を挟める雰囲気ではなく、俺は押し黙る。
「本当に、申し訳なく思うよ」
先に申し訳ないって、なんか今すぐにでも逃げたいんだが。
「一人は、ネモフィラ・アウフシュナイター。もう一人は、フルゲンス・ドライツェーン・ヒルシュ」
「その二人は確か……」
「ああ、ナスタチウム君が倒れた切っ掛けになった二人だ」
昇進の話、こいつらをあてがう為だったんじゃなかろうか。
ありえない話ではない。特にネモフィラ様に関しては、俺は一緒に仕事をしても倒れる事が無かった、という前例を作ってしまったのだから。
「明日、昇進の証明となる階級章を渡し、君の執務室を与える」
冗談であってほしかったが、傍らのバンクシアさんは愚か、クレマチス様も、クレマチス様に仕えるモルセラさんも笑っていなかった。現実か。
俺はこぼれそうになるため息を何度か必死に飲み込んで、「謹んでお受けいたします」と頭を垂れた。
どう考えても明日から大変な事になる。
冷や汗が止まらない状況に、今からぞっとした。
もしかしたら今後、昇進を切っ掛けに問題児ばかり押し付けられるのではないか。そんな嫌な予感を覚えつつ、俺が考えていた普通の日常が砕け散った事を受け入れたのだった。
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