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4章 咎人綾錦杯

20. 有象無象

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 カガリと時を同じくして計画を起こしたアーウィン。
 率直に言うと、彼は迷っていた。

 「居場所、不明。標的、喪失。今の俺は困窮。
 行き着く先は……任務失敗」

 彼の標的はレイノルド・アレーヌ。
 ユニと同じく世界大会選抜候補のパフォーマーだ。

 事前に最終拠点グランドリージョンには潜伏し、地形は把握していた。
 しかしながら彼は迷っている。
 記録したマップと現状の位相が大きく異なっている。まるで一夜にして完全に地形が変わってしまったようだ。

 しかし、一流の殺し屋であるアーウィンにとっては些末な問題だ。
 付近に人の気配を感じれば、レイノルドかどうかを確認すればいいだけ。

 「……気」

 駆け抜けた一陣の風。
 風が運んだ何者かの気配。
 アーウィンは咄嗟に立ち止まり、柱の陰へと身を潜めた。

 刹那、空間が歪む。
 形容するならば、それは夜空に煌めく星々であった。手を伸ばしても届かない銀河──すべての輝きを凝縮した概念が、空間に張りついている。

 歪みから現れたのは黄金の少女。
 彼女は夜闇の中で碧色の瞳を瞬かせ、アーウィンの隠れている柱に声をかけた。

 「あ、いたいた。ミラク教授の推理通り。
 あなた、迷ってるの?」

 気配は完全に遮断し、呼気の音も消していたはず。
 存在を知覚されたアーウィンはやむなしと少女の前へ進み出る。

 「お前、何者。問う、レイノルド・アレーヌの居場所。
 邪魔立てするならば、奪うは命」

 「なにそのラッパーみたいな喋り方……キャラ付けにしては浅すぎるでしょ。
 私はソラフィアート・クラーラクト、超有名人だし名前くらいは知っているでしょう?」

 アーウィンの殺意にも動じず、ソラフィアートは優雅に一礼した。
 彼女の名前はアーウィンも知っている。曰く、バトルパフォーマーの頂点。
 そして世界大会の出場予定者でもある。

 依頼のオプションは『世界大会の出場者を最低一名、可能ならば二名殺害する』こと。
 この少女を殺すことでも、一応依頼の達成は可能。問題は倒せるかどうか。

 「問おう、俺の前に現れた理由」

 「私はこの最終拠点グランドリージョンの管轄を任されているのです。この場所に不法侵入は許されないよ。あなたたち殺し屋はわざと最終拠点グランドリージョン引き込まれたの。マスター級に挑みたいなら、バトルパフォーマーに就職して正々堂々と挑みにきてね。
 綾錦杯の邪魔をされても困るし……てか今回の大会乱入者多すぎでしょ。もう終わりだよこの大会……」

 「……」

 会話の最中、アーウィンはソラフィアートの立ち振る舞いを観察する。
 つぶさに観察してみても、アーウィンのことを警戒していないのがわかる。自分が天才だと持て囃され、敗北を知らぬからこその余裕だろうか。

 ──殺せるのではないだろうか。

 バトルパフォーマー……それは相手と正々堂々の勝負を前提に闘う職業。汚い手を使われた経験はないだろう。
 ならば、素人もマスター級パフォーマーも暗殺術に対する耐性は同じ。

 試してみる価値はある。無理ならば逃げればいい。

 「ところでお前、出るのか……世界大会」

 「急に世間話みたいに言われても……一応、出る予定だけど。五年に一回の開催だから、三年前にデビューした私は出たことがないんだよね」

 「できるといいな、優勝」

 単なる時間稼ぎだ。
 即興で暗殺術を組むために。

 アーウィンの得意とする暗殺手段は『侵食』
 相手に気づかれない内に能力弱化、呼気停止、魔力減衰を施し……いつの間にか生命活動を停止させる。すでにソラフィアートは彼の毒牙にかかっていた。

 見えざる魔力の流れが彼女を弱らせ、あと一分も経てば死ぬ。
 あまりの微弱な変化に、標的は自分の生命力低下にすら気づくことはできない。

 「ところで、そのラッパーみたいな喋り方はなに? 殺し屋にもバトルパフォーマーみたいなキャラ付けが必要なんですか……?」

 「体言止めは強者。根拠はない。
 素の性格は普通。あくまで演技」

 「なんでみんな裏でもキャラ保てるんだろ……私はしんどくて絶対無理なんだけど。殺し屋でさえRP意識してるのに、私は?」

 先程からソラフィアートは一切の攻撃を仕掛けてこない。
 アーウィンからすれば僥倖ぎょうこうだが、何故なのか。完全に生命活動が停止するまで残り二十秒を切った。そろそろ彼女も異変を感じ始める頃合いだろう。

 「あと二十秒か……」

 「!?」

 あろうことか、ソラフィアートはアーウィンが内心でカウントしている時間を呟いた。

 「気づいていたのか、俺の術。お前の命、あと数秒」

 「本当にそれならいいんだけど……残念ね」

 時間だ。
 確実に人間であれば死に至る時間なのだ。

 だが、ソラフィアートは何ら苦しそうな様子も見せずに立っていた。
 何らかの要因により抵抗されていたのか、無効化されていたのか。

 「何をした、抵抗レジスト? 幻術?」

 「何も」

 「……?」

 「何もしていない。呼吸をしているだけ。
 あなたの暗殺魔術は──何もしなくても無効化できるほど……あの、弱いです……」

 ソラフィアートは若干引け目を感じながら言ってのけた。
 数多の人間を屠ってきたアーウィンの術も、彼女にかかればこの程度・・・・。決して彼が弱いわけではない。
 ソラフィアートが高みに在りすぎた。

 「あり得ない」

 「え」

 「あり得ない、それはあり得ない……! この術が効かなかった人間なんていない!
 十年以上の時をかけて! 俺はこの術だけを研鑽してきたッ!
 今に見ていろ、あと数秒後には、お前は……死ん、で……」

 一瞬にしてアーウィンは半狂乱に陥る。
 ソラフィアートのただ一言が、彼のプライドを完全に粉砕した瞬間。人生の大半を費やして錬磨した暗殺術を『何もしない』という手段で否定されたのだ。

 無理もないことだ。ソラフィアートもわかっていた。
 今まで、こうして何十人ものプライドを砕いてきたのだから。

 「あの……ラッパーキャラ忘れてますよ」

 「死ねよ……お前、死ねよ……! お前みたいな化け物は、この世に存在しちゃいけないッ……!」

 「女の子に化物とか失礼ね。言われ慣れてるけど」

 彼女は嘆息して眼前を見据える。
 迫り来るアーウィン。疾風の如く駆け抜ける彼の姿も、天上麗華の前にはそよ風も同じ。

 彼女は片手をかざし、ただ一言呟いた。


 ──《地ヲ統ベル赫槍グラドゥス


 「ッ……」

 黄金の槍がアーウィンへと向けられる。
 寸前、彼は急停止。己の肉体が槍で貫かれる前に踏みとどまった。

 ソラフィアートもまた槍を射出するつもりはなかった。
 ただ置いただけ。

 「無理だ……」

 アーウィンの瞳に焼き付いた光景。
 輝く黄金のオーラ。細身ながらも圧倒的な質量を感じる槍。ただ近寄るだけで身の毛もよだつ覇気。

 まさしく神を相手にしているようだ。「絶対」が立っている。
 これ以上の接近は、人としての本能が許さない。

 「化け物だ……勝てるわけがない……こんな奴、殺せるわけないだろう……」

 震える足を叱咤し、彼は即座に踵を返す。
 そもそもこの依頼を請け負ったことが間違いだったのだ。

 殺し屋には絶対に逆らってはいけないものが三つある。
 政府と、依頼人と、人外だ。

 目の前の少女は、まさしく人ならざる何か。
 アーウィンはただ見逃されることに一縷の望みを賭け、彼方へと駆け出した。ソラフィアートも彼の後を追うことはない。
 もう二度と最終拠点グランドリージョンに立ち入ることはないだろうから。

 「"有象無象"、おつかれさま」

 彼女は欠伸混じりにその場を去った。

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