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テーブルマナー

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 「ふむ……この方がアルージエ様ですか」

 アガンはアルージエの頭からつま先まで観察する。

 「いきなりお邪魔して申し訳ない。不審な点が多い自覚はあるが、記憶喪失で何もわからず……迷惑をかける」
 「いえいえ。お嬢様のご判断ですから、アルージエ様は大切なお客様です。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください」

 アガンは笑顔を浮かべてアルージエに礼をした。
 シャンフレックの前では彼を滞在させることを反対していたが、さすがに本人の前では文句は言わない。

 長テーブルを囲むようにシャンフレックとアルージエは座る。
 これから夕食が運ばれてくる。

 「そこの上座は……普段はきみの父上が座っているのか?」

 アルージエは飾り棚の前にある、最奥の席を見た。
 今は空席となっている。
 シャンフレックは上座の東に、アルージエは西に座っている。

 「ええ。今あなたが座っている席は、普段お母様が座っているところね」

 最近はシャンフレック一人で食事をしていた。
 アルージエが来たことにより、寂しさも紛れるというものだ。

 しばらくすると、扉が開いてサリナがサービスワゴンを引いてくる。
 香りのよい料理がテーブルに並べられていく。

 「アルージエ、お酒は飲めるの? それも覚えてない?」
 「覚えていない。シャンフレックはどうだ?」
 「私はあまり得意ではないわ。社交の場では無理やり飲むけれど」
 「そうか。では僕も飲まないことにしよう」

 二人の会話を聞いて、給仕係はワインを下げる。
 念のため上等なワインを用意していたが、必要なさそうだ。

 また、最近はシャンフレックの要望で簡易的な食事になっていたが、今日はフルコースで作ってもらった。
 前菜はニンジンのムースや、サーモンのカルパッチョなど。

 二人は食事前の挨拶を交わして、前菜を食べ始めた。

 「……おいしいな。シェフの腕のよさが窺える」

 フォークやナイフの使い方や順番、作法などを見ても……アルージエのマナーは問題なさそうだ。
 カトラリーの使い方は問題ない。
 それどころか、かなり手慣れている様子でシャンフレックは内心焦っていた。

 (貴族じゃないと思ってたけど……このスムーズさは明らかに高貴な身分ね……)

 だとしたら、少し面倒なことになる。
 どこかしらの貴族が行方不明になっているのだから。
 フェアシュヴィンデ公爵家が誘拐したと思われかねない。

 だが、アルージエという名前の貴族は聞き覚えがない。
 かなり貴族社会に精通しているシャンフレックでも知らないのだ。

 「……そんなに僕を見て、どうかしたのか?」
 「い、いえ! なんでもないわ」

 アルージエが顔を上げ、視線が交差する。
 シャンフレックは高鳴る鼓動を抑え、皿に目を落とした。
 彼はやはり顔がいい。

 前菜を食べ終えたところで、アルージエが話しかけてくる。

 「ところで、シャンフレックに兄弟はいるのか?」
 「ええ、兄が一人。ほとんど王都に出向いていて、実家には帰ってこないけれど」
 「そうか。どのような方なんだ?」
 「ええと……変わり者ね。たぶん会わない方がいいわ」
 「ふっ……そう言われると、逆に会いたくなるな。ああ、ぜひ会いたいとも」

 彼は悪戯な笑顔を浮かべた。
 シャンフレックの兄はずば抜けて優秀なのだが、変人でもあるのだ。
 絶対にアルージエと会ったら厄介なことになる。

 「お兄様とは会わない方がいいわ、絶対に」
 「危ない人なのか?」
 「うーん……普段はまともな人なんだけど。私が絡むと、ちょっと変人になるっていうか……後先を考えなくなるというか」

 要するに過保護なのだ。
 シャンフレックの兄、フェアリュクト・フェアシュヴィンデは王国最強の剣士ながらも、重度のシスコンとして有名である。

 「くくっ……なるほど、そういうことか」

 アルージエは何かに納得したように笑った。
 だが、すぐに話を切り替える。

 「この家は広いが、今はきみしかいないのだな。管理が大変じゃないか?」
 「別に。使用人たちが優秀だから」

 他愛のない話を進めるうちに、料理のコースも進んでいく。
 相変わらず完璧なマナーを見せるアルージエ。

 「公爵家の仕事は大変だろう。僕にも手伝えることがあれば言ってほしい」
 「手伝えることね……身分もわからない人に、草むしりみたいな労働をさせるわけにもいかないわ。算術や読み書きはできる?」
 「どうだろうな。文字は読めるし、書けると思う。算術はやってみないとわからない」

 貴族であれば問題なく計算できるだろう。
 ここまでマナーのなっている人であれば、算術もできるはず。

 問題は、アルージエがどのくらい身分の高い人物か。
 伯爵家や侯爵家の人間ならば、まだ丸く事態は収まる。
 しかし、彼が公爵家の令息などであれば……本当に面倒だ。

 「そのうち書類の整理でも頼むかもしれないわ」
 「ああ、頼む。山ほど仕事を僕に寄越してくれ。何もせずにお世話になっているのは、個人的に我慢できない」
 「え、ええ……考えておくわね」

 今日だけの付き合いだが、アルージエがかなり義理堅い人物だということはわかった。記憶を失う前も、このような性格だったのだろう。

 二人は時々会話しながら、夕食を終わらせた。

 ***

 食後、アルージエがはシャンフレックに尋ねた。

 「明日の予定を聞いてもいいか?」
 「構わないけど……どうして?」
 「きみの予定に合わせて仕事を手伝えればと。どうやら僕は、何かをしていないと気が済まない性格のようだ」

 シャンフレックは傍目に見ても有能な人材だ。
 淑女としては完璧だし、公爵家としての処務も迅速に終わらせる。
 それでも手伝いがあるのはありがたいことだった。

 「ありがとう。でも無理しないでね」
 「いや、無理はしていない。僕がきみの力になりたいと思ったから、本心に従ってそうするだけだ。……というわけで、明日はよろしく頼む」
 「ええ、よろしく」

 なんだか明日からは楽しい時間になる気がする。
 シャンフレックはまだ見ぬ日々に心を躍らせた。
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