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衝突

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最近、家にいることがあまり苦しくない。
……というのも父の態度が軟化したからだろう。

以前にリディオと花畑に出かけて以来、父はわたしが婚約を結ぼうとしていると勘違いしている。
リディオの言葉を聞く限り……彼もまた婚約者と縁が切れそうなのだけれど。
婚約とは当事者間ではなく、普通は両家を巻き込んで結ばれるものだ。

リディオだけの意思で婚約を破棄することはできないだろう。
……まあ、トリスタンは両家の事情も関係なしに婚約を破棄してきたけれど。
あれはトリスタンの家格が大きすぎたから成った婚約破棄だ。

そして、今日も。
リディオはネシウス伯爵家を訪ねて来ていた。
これで何回目の訪問だったか。
頻繁に来てくれるのは……傷心しているわたしを慰めようとしてくれているのだろう。

「最近は俺も婚約者とほとんど話さなくてね。まあ、向こうが浮気しているのだから俺も口を利きたくないさ」

「リディオ様は誠実な方ですのに……酷いですわね」

「そうだろう? ああ、俺もマリーズ嬢のような人と婚約を結びたかったよ!」

相も変わらず愚痴だ。
彼はわたしの家を訪れてから、ずっと今の婚約者の愚痴を言っている。
べつに人の話を聞くことは嫌いではないけれど、同じ話題ばかりで飽きてきた。
他の話も聞いてみたいが……。

「あ、リディオ様。お好きな紅茶の種類はありますか?」

「ん、好きな紅茶か……いま飲んでいるベルガモットの茶葉とか好きだよ」

いま飲んでいるのはベルガモットではなく、ダージリンの茶なのだけれど……指摘するのは野暮というものだろうか。
あまり紅茶にはお詳しくないのかもしれない。

リディオはそう言いながら紅茶に口をつけ、すぐにカップを放した。
それから後ろに控えているロゼーヌに視線を向ける。

「あー……そこの君。砂糖を持ってきてくれる?」

「……承知しました」

まだロゼーヌの名前を覚えていないのだろうか。
片手では数えきれないくらい顔を合わせたと思うのだけど。

 ***

「そういえば先程、君の父上……ネシウス伯爵から挨拶されたよ」

砂糖を紅茶に溶かしつつ、リディオは話題を切り替えた。
そういえば、彼が訪問してから応接間に来るまで時間差があった。
何をしているかと思えば……父と会っていたのか。
変なことを吹き込まれていないといいけど。

「父がなにか無礼を働きませんでしたか?」

「いや、礼節をもって接してくれたよ。その……マリーズ嬢と婚約を結ばないかと誘われたね」

「……!」

「そう縮こまらないでくれ。俺も君を落胆させるような結果にはしたくない。ネシウス伯からの提案は、俺にとっても渡りに船だからね……できるだけ期待に応えたい」

一度捨てられたわたしに希望の光が射す。
もしもリディオが婚約を結んでくれるのなら、ネシウス伯爵家にとっては喜ばしい事態だ。
わたしも令嬢としての価値がまだあるのだと思い込める。
きっと……それで良いのだろう。

「そろそろ俺も帰らないと。やはり君と過ごす時間は楽しくて、あっという間に過ぎ去ってしまうな」

「わたしもです。またお話ししたいですわ。お見送りさせていただきます」

「……お嬢様。ドレスの裾が乱れております」

「あ……すみません、リディオ様。お先に馬車に乗っていてください」

「ああ。待っているよ」

いつからドレスが乱れていたのだろうか。
このまま話していたと思うと気恥ずかしい。
ロゼーヌの手を借りて慌てて裾を直し、埃を払ってから外に見送りに出た。


「……?」

伯爵家の門がどこか騒がしい。
見えるのはローティス伯爵家の印章が入った馬車。
その傍らで、リディオが誰かと言い争いをしている……?

門の前に繋がれた一頭の馬。
あの馬は……見覚えがある。

「ぁ……」

瞬間、わたしの意識が朦朧とした。
リディオの正面に立っている人物。
それは紛れもない、わたしの元婚約者……アイニコルグ辺境伯令息トリスタンだった。

「リディオ……! マリーズにまで手を出すつもりか!」

トリスタンは険しい表情でリディオに詰め寄っている。
だけど、遠巻きに見ているわたしには何を話しているのか……正確には聞き取れない。
それに一年前の日を思い出して意識が飛びそうで……。

「何を言いだすかと思えば……トリスタン卿。貴方は自分から婚約破棄してマリーズ嬢を捨てたのではないですか? 俺がマリーズ嬢に言い寄らなければ、彼女は一生孤独ですよ?」

「貴様……!」

……どうしよう。
体が震えて動かない。
わたしの家の前で起こっている騒ぎだ。
だから当主の娘として、わたしが止めに行かなくてはならないのに。

恐る恐る様子を見ていると、トリスタンがリディオを突き飛ばした。
リディオは尻餅をついて庭園の土を被る。
そして再びトリスタンが彼に詰め寄っていく。

「リディオ様!」

「……! マリーズ嬢、きちゃ駄目だ!」

リディオは慌てて制止するが、わたしは足を止めなかった。
このまま見ているなんてできない。
たとえトリスタンが怖くても……!

わたしの姿を見たトリスタンは瞳を揺らした。
彼の瞳に渦巻く感情。
それは侮蔑ではなく、悔恨や自責のような……?

「マリーズ……」

「何の用なの、トリスタン……いえ、アイニコルグ辺境伯令息。どうして……わたしの家の前に現れたの!?」

「……私は、」

「マリーズ嬢。こんな男と口を利く必要はない。君に危害を加える可能性だってあるし、すぐに衛兵を呼ぼう」

リディオはわたしを庇うように前に立った。
トリスタンに飛ばされて服に付いた泥すら払わず、わたしを守ることだけに専心しているようで。
今にもトリスタンに斬りかかりそうな気迫だった。

「お帰りください、アイニコルグ辺境伯令息。さもなければ、すぐに衛兵を呼んで貴方を取り押さえます。ネシウス伯爵領への不法侵入と見なしますよ」

リディオが守ってくれる。
そう思うと、不思議と勇気が湧いてきた。
強い語調で糾弾し、トリスタンを睨みつける。

彼は逡巡したようだが、やがて目を逸らして馬に乗った。
そして何も告げずに走り去って行く。

「よ、よかった……帰ってくれた……」

「トリスタン……いったいマリーズ嬢に何の用だ? まさか自分の悪評を消すために、マリーズ嬢に危害を加えようと……?」

……どうだろう。
トリスタンは他者に暴力を振るうような人ではない。
そう思っていたけれど、今さっきリディオに手を上げたばかりだ。

「リディオ様、お怪我は?」

「ああ、いや……少し擦りむいたけど大丈夫だ。そんなことより、マリーズ嬢。警備を強化した方がいい。またトリスタンが来るかもしれないからね」

「そうですね……目的がわからなくて不気味です」

「困ったことがあれば、すぐに俺を頼ってくれよ。君に危害が及ぶのは本望じゃないからさ」

「はい。ありがとうございます」

どうして戻ってきたのだろう。
一年前からずっと音沙汰もなかったのに。

わたしは複雑な胸中でリディオを見送った。
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