婚約者から用済みにされた聖女 〜私を処分するおつもりなら、国から逃げようと思います〜

朝露ココア

文字の大きさ
上 下
26 / 35

26. 舞踏

しおりを挟む
式典の中盤。
舞踏の時間が始まる。
次々と貴族令息たちが令嬢を誘っていく中、私はどうすべきか迷っていた。

こうして社交の場に出るのは慣れていない。
聖女として命じられるままに振る舞っていたことが多く、自分から他の貴族にアプローチした経験はほとんどない。

「――聖女様、俺と踊りませんか?」

ふと、耳元で心地よい音色が響いた。
振り向いて見上げると、そこにはグリムの美しい顔。
彼は式典中、ずっと暇そうに壁際で挨拶を交わしているだけだったが……いつの間にか私のそばに来ていたようだ。

「グリム……私で良いのですか?」
「主催者が躍らないなんて笑いものだよ。それに……君が他の男と踊る場面なんて、見たくないからな」

グリムの言葉に、私の鼓動が早まる。
最初はほのかに感じていた喜び、今は明確に感じられるようになった。
彼がこうして私を必要として、近づいてくれるたびに……私はときめきを覚えているのだろう。

「あ、あなたがそう言ってくれるのなら……ぜひお願いします」

白く美しい手を取る。
足は軽やかに運ばれた。
楽団が奏でる音に合わせて、ひとつ、またひとつと。

グリムに合わせてステップを踏んでいく。
楽しい……純粋に浮かび上がった想い。
舞踏なんて意味のない社交としか思っていなかったけれど、今は違う。

好きな人と踊るのって、こんなに楽しいことだったんだ。

「エムザラ。俺は今、すごく幸せだ。こうして君と踊れて」
「私も同じことを考えていました。このままずっと踊っていたいと……」

想いを重ねて私たちは踊る。
その日、最も幸福な瞬間を体験した。

 ***

賓客はみな帰り、城には静寂が戻る。
明日からは親書を書く作業が待っているし、聖女の仕事も引き続きやっていくけれど……大きな節目を迎えた感じがある。

私の人生の大きな転機。
そんな日になる気がした。

パーティー会場の片づけをしていると、リアナが走ってくる。

「エムザラ様! お片づけなんてしなくていいですよ、我々侍従の仕事ですから」
「……しかし、他にやることもありませんので」

リアナは困った顔をしていた。
できるだけ彼女を困らせたくないのだが、どうにも私のやることは彼女を困らせてしまうらしい。

「あ、そうです! グリム様に会いに行かれては? 先程の会場ではダンスしかしていなかったでしょう?」
「それもそうですね。グリムはどちらに?」
「先程、二階のテラスで見かけました」

リアナの言葉に従って二階のテラスに行ってみる。
夜空の下に、白髪をなびかせて佇むグリムの姿があった。

夜、グリムを見るとあの瞬間を思い出す。
グリムが刺客に扮して私を連れ出した……あの夜を。

「こんばんは。式典お疲れさまでした」
「……エムザラか。君の演説に振る舞い、文句のつけようがなかった」
「演説では私の本心を述べただけです。それに舞踏の時間だって、グリムと踊ることを楽しんでいただけですよ」

グリムは微笑んだ。
それは今まで見てきたものとは違う。
自嘲するような笑みではなく、優しさの籠った美しい笑みだった。

「ねえ、グリム。私は約束を叶えてもらいました」
「約束……それは『俺が君を幸せにする』と、連れ出した日に交わした約束か?」

私はこくりとうなずいた。
グリムもしっかりと覚えていてくれて嬉しい。

いま、私は幸せだ。
本来は殺されるはずだった人生をねじ曲げて、今はこうして多くの人に信頼を寄せられていて。
そして最大の理解者であるグリムも隣にいてくれる。

「ですが、まだ完全に叶ったわけではありません。私が真の幸福を得るためには、どうしても欠けているものがあります」

満足できるほど恵んでもらった。
それでも足りないものがある。
どんな権力を使っても、聖女の力を使っても、手に入れられないものが。

「何か不満があるなら言ってほしい。俺でよければ協力するよ」
「あなたの幸福ですよ、グリム」

一瞬、時が止まったような気がした。
目の前のグリムは瞳を揺らして困惑の表情を浮かべている。
そこにあるのは戸惑いか、恐怖か、それとも。

「俺の、幸福……?」
「はい。グリムは私を幸せに過ごせる場所まで導いてくれた。隣に立つあなたもまた、幸せになってほしいと思うのです。あなたは自分が何を望んでいるのか語らない人なので……本当の想いがわかりません。ただわかるのは、私を大切に想ってくれているということです」

帝国内における彼の立場は複雑だ。
私にできることは何があるのか。

「ずっと思っていました。私が公爵になって、一緒にグリムと過ごすことができれば……グリムに居場所ができるのではないかと。皇城で狙われる心配もなく、安息に包まれて過ごせると」
「なるほど……俺が君の身を案じていたように、君もまた俺を案じてくれているのか。ただ、心配は不要だ。俺は皇子という恵まれた立場にあって、皇城にさえ近づかなければ兄上たちから厄介に思われることもない。これまでも、これからも……日陰で生きていくだけだ」

彼の言葉に後悔の念は滲んでいない。
それは演技かもしれないし、本音かもしれない。

「私はあなたの支えになりたい。どうか、いつでも頼ってください」

グリムはそっと私を抱き寄せた。

「……ありがとう。いつか君に、幸せになるためのお願いをするかもしれない。そのときはよろしく頼む」

必ず彼と幸せになる。
私は決意した。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。

みやこ嬢
恋愛
「ルーナ嬢、神聖なる聖女選定の場で不正を働くとは何事だ!」 魔法国アルケイミアでは魔力の多い貴族令嬢の中から聖女を選出し、王子の妃とするという古くからの習わしがある。 ところが、最終試験まで残ったクレモント侯爵家令嬢ルーナは不正を疑われて聖女候補から外されてしまう。聖女になり損なった失意のルーナは義兄から襲われたり高齢宰相の後妻に差し出されそうになるが、身を守るために侍女ティカと共に逃げ出した。 あてのない旅に出たルーナは、身を寄せた隣国シュベルトの街で運命的な出会いをする。 【2024年3月16日完結、全58話】

【完結】「神様、辞めました〜竜神の愛し子に冤罪を着せ投獄するような人間なんてもう知らない」

まほりろ
恋愛
王太子アビー・シュトースと聖女カーラ・ノルデン公爵令嬢の結婚式当日。二人が教会での誓いの儀式を終え、教会の扉を開け外に一歩踏み出したとき、国中の壁や窓に不吉な文字が浮かび上がった。 【本日付けで神を辞めることにした】 フラワーシャワーを巻き王太子と王太子妃の結婚を祝おうとしていた参列者は、突然現れた文字に驚きを隠せず固まっている。 国境に壁を築きモンスターの侵入を防ぎ、結界を張り国内にいるモンスターは弱体化させ、雨を降らせ大地を潤し、土地を豊かにし豊作をもたらし、人間の体を強化し、生活が便利になるように魔法の力を授けた、竜神ウィルペアトが消えた。 人々は三カ月前に冤罪を着せ、|罵詈雑言《ばりぞうごん》を浴びせ、石を投げつけ投獄した少女が、本物の【竜の愛し子】だと分かり|戦慄《せんりつ》した。 「Copyright(C)2021-九頭竜坂まほろん」 アルファポリスに先行投稿しています。 表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 2021/12/13、HOTランキング3位、12/14総合ランキング4位、恋愛3位に入りました! ありがとうございます!

純白の牢獄

ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

処理中です...