婚約者から用済みにされた聖女 〜私を処分するおつもりなら、国から逃げようと思います〜

朝露ココア

文字の大きさ
上 下
1 / 35

1. 在りし日の心

しおりを挟む
「……あなたは、誰ですか?」

ずっと昔のことだった。
庭の隅で、倒れている少年を見かけた。
全身から血を流して木に背中を預けるようにして、彼はか細い息を継いでいる。

雪のように真っ白な髪と、バラの花のように紅い瞳。
今にも息絶えそうだった。

本当なら逃げるべきだったのだろう。
自分の家の庭で、血まみれの人が倒れているなんて。
貴族の令嬢にしては迂闊な行動だったと思う。

「……俺に構うな。どうせ、死ぬから……いますぐ、消えるから……」

彼は私の視線を受けると、無理やり木を支えにして立ち上がる。
だが、すぐに膝をついて倒れてしまった。
少年の口から血が飛び出る。

見ていられなかった。
こんなにたくさんの血を見たのは初めてのことで、少し怖かったけれど。
このままでは彼が死んでしまう。

「何を……してる……」

思わず彼に近寄って、体を支えた。
傷口に手を当てて魔力を籠める。

「私、聖女って呼ばれてるんです。知ってますか?」
「……知らないな。俺は……知らない……。この世界のことなんて、なにも知らないまま……死ぬんだ……」

悲哀と苦痛を滲ませた声。
幼いながらも、私は少年の言葉に息が詰まりそうになった。

「あなたは死にませんよ……だいじょうぶ。ほら、私に体を預けて」

力なく寄りかかる彼に、必死に手をかざす。
誰かの役に立てることが嬉しくて。
求められてもいないのに、助けてしまって。

彼は少し元気を取り戻したのか、目を開ける。
思わず笑顔がこぼれた。
いけない、まだ彼の命が助かったとは限らないのに。

少年は私の顔をじっと見つめている。
そして、私に尋ねた。

「君の、名前は……?」
「お名前? "エムザラ"っていいます。
侯爵令嬢こーしゃくれいじょうエムザラ・エイル、また聖女せーじょの名を持つ者』……って、いつもお父様に言わされてるんです!」
「エムザラ、か……」

彼はそう言うと、また苦しそうに血を吐いた。

「あ、待っててください! 今お水を持ってきます。
 動いちゃ駄目ですよ……!」

私は急いで屋敷に戻り、水を入れた瓶や薬品を片端から持ち出した。

しかし、戻ったときに彼の姿はすでに消えていた。

 ***

私はエイル侯爵家の長女として生まれた。
幼少のみぎりより、私には不思議な力が備わっていた。

――『聖女』の力。
道を歩けば空気が清らかになり、天を仰げば嵐が止む。
右手の甲に刻まれた聖痕は、聖女たる者の証だ。

私には大変な期待がかかっていた。
常に苦しい重圧だったが、私は使命に準じて聖女としての使命を全うしていた。
自由や交際の権利もなく、すべて実家と王家から言われるがままの人生で。

我慢続きの人生だった。
いつしか、そんな生き方が当然で……つらいと思うことも少なくなっていった。

形ばかりの婚約者の第一王子、"ゼパルグ"殿下は一度も私に構わってくれることはなく、女遊びばかりしている。
妹の"ベリス"は私とは対照的に自由を与えられ、好きに振る舞っている。
そんな自由人たちを傍目に、私はひたすら聖女の役目に縛られていた。

『お前はエイル家の救世主だ。必ず王家の血を手に入れ、次期国王のゼパルグ殿下に寄り添うのだ』

父からずっと、ずっと執拗に言われてきた言葉。
小さいころは意味がわからなかったが、十五を過ぎた今ならわかる。
エイル侯爵家には金がない。
だから、私を王家に嫁がせて安泰を得ようというのだ。

だが、元より令嬢の人生なんてそんなもの。
地位に縛られて生きるしかない。
妹や婚約者に比べたら、私の自由がなさすぎだと不安に思わないこともない。

しかし、私は人形のように使命を受け入れていた。
いつしか私は笑わなくなっていた。
罵倒されて怒りもせず、何を失っても悲しみもせず、ただ聖女の仕事を果たすだけの人形に成り果てていた。

そして、今日もまた。
私は国王の御前で礼儀正しく振る舞っていた。

「エムザラよ。お前の活躍により、わが国の瘴気はほとんど払われた。向こう百年は瘴気による心配はないだろう。まったく、聖女の力とはすばらしいものよ!」
「お褒めにあずかり光栄です。今後とも国のために尽力して参ります」

私の模範的な回答に、陛下は満足そうに頷いた。
そして玉座の隣に立つ第一王子にして、私の婚約者……ゼパルグ殿下を見る。
金髪に碧眼を持つ、見た目は・・・・美しい男性だ。

「ゼパルグよ、お前もよい婚約者を得たな。じきに民に婚約を発表し、式を挙げようと考えておる」
「……ほう。私も喜ばしい限りです。聖女と婚姻できるとは」

心の籠っていない声色でゼパルグは頭を下げる。
彼が私に口を利いてくれたことなど、ほとんどない。
婚約者として一緒に茶を囲んだことも一度しかない。
相変わらず陛下の前では演技の上手い人だ。

「うむ、儂も楽しみしておるぞ。早く孫の顔が見たいものだ。
 ではエムザラ、ゼパルグ。下がってよいぞ」

玉座を離れ、王城の廊下を歩く。
すると、それまで無言だったゼパルグが口を開いた。
彼と話したことなどほとんどないが、何を言うかと思えば……

「貴様のような気味の悪い人形と結婚だと? 見た目と聖女の力だけが取り柄の人形と? まったく、父上もふざけたことを言うものだ。貴様が聖女でさえなければ、他のかわいげのある女と結婚できるものを……」
「…………」

そう言われても、私にはどうしようもない。
聖女として生まれたときから、こうなることは決まっていた。

ゼパルグ殿下は私に怒りを湛えた視線を向ける。
その憎悪は、感情の乏しい私でも感じ取れるものだった。

「――覚悟しておけよ。貴様がこの世から消えれば良いだけの話だ。
 薄気味悪い人形が、私と結婚などできると思うな」

そう吐き捨て、彼は去って行った。
私だって……あんな人と結婚したくない。

できることなら、私は……

「…………」

わずかな望みを捨て、家へ戻った。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。

みやこ嬢
恋愛
「ルーナ嬢、神聖なる聖女選定の場で不正を働くとは何事だ!」 魔法国アルケイミアでは魔力の多い貴族令嬢の中から聖女を選出し、王子の妃とするという古くからの習わしがある。 ところが、最終試験まで残ったクレモント侯爵家令嬢ルーナは不正を疑われて聖女候補から外されてしまう。聖女になり損なった失意のルーナは義兄から襲われたり高齢宰相の後妻に差し出されそうになるが、身を守るために侍女ティカと共に逃げ出した。 あてのない旅に出たルーナは、身を寄せた隣国シュベルトの街で運命的な出会いをする。 【2024年3月16日完結、全58話】

【完結】「神様、辞めました〜竜神の愛し子に冤罪を着せ投獄するような人間なんてもう知らない」

まほりろ
恋愛
王太子アビー・シュトースと聖女カーラ・ノルデン公爵令嬢の結婚式当日。二人が教会での誓いの儀式を終え、教会の扉を開け外に一歩踏み出したとき、国中の壁や窓に不吉な文字が浮かび上がった。 【本日付けで神を辞めることにした】 フラワーシャワーを巻き王太子と王太子妃の結婚を祝おうとしていた参列者は、突然現れた文字に驚きを隠せず固まっている。 国境に壁を築きモンスターの侵入を防ぎ、結界を張り国内にいるモンスターは弱体化させ、雨を降らせ大地を潤し、土地を豊かにし豊作をもたらし、人間の体を強化し、生活が便利になるように魔法の力を授けた、竜神ウィルペアトが消えた。 人々は三カ月前に冤罪を着せ、|罵詈雑言《ばりぞうごん》を浴びせ、石を投げつけ投獄した少女が、本物の【竜の愛し子】だと分かり|戦慄《せんりつ》した。 「Copyright(C)2021-九頭竜坂まほろん」 アルファポリスに先行投稿しています。 表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 2021/12/13、HOTランキング3位、12/14総合ランキング4位、恋愛3位に入りました! ありがとうございます!

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

純白の牢獄

ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

処理中です...