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第12章 呪われ公の絶息
賢愚、紡ぐ想い
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赤、紫、青。
様々な色の毒が舞う。
コルラードが操る毒魔術は一級。
大抵の者ならば、わずかに吸い込んだだけでも動けなくなる。
しかし相対するアロルドもまた一級、それどころか特級。
体内の魔力を自在に繰り、吸い込んだコルラードの毒を無力化していた。
「腕を上げたな、コルラード。ざっと数えただけでも数十種の毒を織り交ぜてやがる」
「それを全部無毒化してる師匠も相当っすけどね。想定内ではあるけど、ちょっとヘコむなぁ……」
降り注いだ無数の岩石。
コルラードは華麗な身のこなしで岩石を躱していく。
「魔術だけじゃねぇ。その体捌き……ああ、体術だけなら俺よりも上に違いない。まったく、いつの間に磨いたんだか」
掌底にて岩石砲を砕く弟子を見て、アロルドは思わず脱帽した。
体術を教えた覚えはない。
自分がコルラードに教えたことは魔術の知識と経験のみ。
「俺さ、師匠には感謝してるんだ。俺の才能を見抜いて、魔術師の道に引き入れてくれた。そうじゃなきゃ……あの人にも会えなかったからさ」
「その『あの人』ってのは、俺よりも尊敬する人かい? 寂しいもんだな!」
「優劣はつけらんない。どっちも同じくらい大切なんだ」
大切な師匠に毒牙を向けて。
コルラードは虚しく笑った。
噴出した紫毒が一帯を支配。
視界が不明瞭になった直後、毒霧の中から鈍色の短刀が飛び出した。
眼窩、首筋、右手首、左膝……計四本。
一瞬のうちに寸分たがわぬ狙いで飛来する。
「ぬうん!」
思いきり床を踏みしめたアロルド。
床から飛び出した岩石の壁に、四本の短刀が突き刺さる。
あと一秒でも反応が遅ければ致命傷だった。
毒で駄目ならば物理で。
コルラードは魔術師としてではなく、刺客として本気で殺しに来ている。
「たとえ師匠を殺してでも、ここは勝たなきゃならないんです。なあ……退いてくれよ。それが一番、お互いにとって幸せだからさ」
師を相手に手加減などできはしない。
少しでも気を緩めれば、負けるのはこちら側だから。
「無理な相談だな、そりゃ。第一にお前が本気出したって、俺は殺されねぇよ。勝つのは……俺だからな!」
石礫爆ぜる。
自分を中心にして岩石を飛散させたアロルド。
その衝撃によって、辺りを包んでいた毒霧が払われる。
まだ弟子に越されるのは早い。
なぜならば。
「まだ、俺はお前の何も知らねぇんだからな!」
全霊の想いを籠めて、アロルドは岩の槌を振りかぶった。
いつしか背後に回り込んでいたコルラードの腹部に、思いきり命中する。
「かはっ……!」
吐血しながら吹き飛ぶコルラード。
相手が本気ならば、こちらも本気で。
加減などしようもない。
転がって城壁にぶつかり、ようやくコルラードは止まる。
追撃を警戒し、彼は即座に身を起こした。
ローブに染み付いた鮮血。
鉄の味を噛みしめながら口元を拭う。
「……やっぱり師匠は強いや。こんなに強いのに……俺を救ってはくれなかった」
コルラードのぼやきをアロルドは聞き逃さなかった。
本人は離れたアロルドに聞こえないように呟いたつもりだったが。
「そりゃどういう意味だ。俺はお前の悩みに気づいてやれなかったか?」
「ごめん、聞こえたか。師匠は繊細な人じゃないからさ。俺以外にも弟子はいるし、構ってくれっていうのも無茶な要求だけど。あんた……俺が魔術の道をなんのために歩いてきたのか、知らないだろ」
「…………」
思わず戦いの手を止めてしまった。
アロルドは魔術を放っていた己の手を見つめ、必死に思考を巡らせた。
弟子が魔術を学んでいた理由。
最初、コルラードの才覚を見出したのはアロルドだ。
だが、彼が何を目的としていたのか。
「――人をさ、守りたかったんだよ。誰かを傷つけるためじゃなくて、守るために魔術を使いたかった」
「お前……」
「なのに、師匠の弟子になって有名になった俺のもとに舞い込んできたのは……暗殺だの、殺しの依頼ばかりで。毒魔術ってのがいけなかったのかな。別の適正を持ってたら、もっと胸を張れる仕事が来たのかなって」
何年か前、急にコルラードが仕事をしなくなってしまった時期がある。
急に怠惰になった弟子に対してアロルドは何もしなかった。
彼自身も『サンロックの賢者』として忙しく、弟子にあまり構ってやれなかったから。
当時はただ仕事が面倒になってサボっているだけだと思っていた。
しかし違う、弟子は本気で悩んでいたのだ。
力の使い方に。
「そんな俺を救ってくれたのがペートルス様だった。俺の心を再び燃やしてくれた。灰になってんのに燃え続けてんだよ、あの人。生きる理由も戦う理由も見失ってるのに、なんか知らないけど燃え続けてるんだ。そんなペートルス様を見てたら、自分が少し恥ずかしくなってさ」
「……」
「知らねえだろ、師匠のくせによ。俺の何も知らない。舐めるんじゃねぇよ」
コルラードの瞳に光る殺意。
それは怒り、悲哀、不屈。
憤懣を師にぶつけなければ気が済まない。
そして、そんな自分にすら嫌気が差して怒りを覚えていた。
アロルドが呆気に取られているとコルラードが消える。
黒い霧に包まれ、揺らぐ。
「っ!」
視界が暗くなる。
頭上、一匹の凶鳥。
短刀を振りかぶったコルラードがそこにいた。
咄嗟に身をよじるアロルド。
しかし躱しきれずに右腕に一閃が走る。
体内に侵入した毒を分解し、痛みに歯を食いしばる。
「そうか、そうかよ……! 何が賢者だ、師匠だ! 俺はお前の何も知らない、ただ知識を詰め込んだだけの男だ! 情けねぇ……」
コルラードがこんなに悩んでいることも。
武術を交えて強くなっていることも。
ペートルスとつながっていたことも。
「何ひとつ、知りやしねぇ! 許せよ、馬鹿師匠を!」
再び眼前に迫ったコルラードの斬撃。
アロルドは両手に岩の盾を装着し、思いきり前方に突き出した。
力任せに叩きつけられた岩盾に、コルラードはふわりと跳んで後退する。
「許す、許さないじゃないよ。俺は今でも師匠のことが大好きさ。でも……もう魔術師じゃないんだ。とっくの昔に刺客になってたんだよ」
折れた短刀を投げ捨て、コルラードは笑う。
「だから仕事をするだけさ。俺は主のために命を賭ける」
「……こりゃ重い。俺の方が生半可ってもんだな」
弟子の告白を前に。
アロルドは失望した。
自分の情けなさに、傲慢に。
だからこそ……腹を括るべきだ。
もはやラインホルトの命も、賢者の矜持もどうだっていい。
今は一人の師匠のなりそこないとして。
迷った弟子の前に立つだけ。
「決まった摂理を使って、決まってない明日を切り拓くのが魔術師だ! コルラード、俺はお前に新しい明日を見せてやる!」
「できるかよ、賢者様」
床を伝って伸びた毒の針。
岩槌と強かにぶつかる。
アロルドは己の内にある魔力の残量をたしかめた。
解毒と治癒のための魔力は充分にある。
ならば毒にも傷にも臆することなく踏み込もう。
師を遠ざけるように、拒絶するように。
床から飛び出した鋭利な毒の針、おしなべて数十本。
「ぬううっ!」
アロルドは構うことなく飛び込んだ。
己を体躯を抉る毒針を歯牙にもかけず。
解毒も治癒も瞬時に完了させながら、ただコルラードとの間合いを詰める。
コルラードは刮目した。
見たことない、聞いたこともない。
この夥しい量の障害を前にして、躊躇せずに突っ込んでくる人間など。
完全に想定の埒外にある。
「こんなの魔術師の戦い方じゃない……!」
「ぬ……おおおっ!」
弟子に詫びるようにアロルドは体に走る痛みを噛みしめる。
コルラードが感じていた空虚は、孤独は。
これ以上に痛かったはずだ。
迫りくるアロルドに対し、コルラードは全霊の毒の波を放った。
解毒が間に合わないほど強く、多く。
きっと殺してしまう。
逡巡と覚悟の末に放った猛毒を。
「蛇頂岩石粒!」
――岩の粒子が噛み砕いた。
浮かび上がった岩石の粒子が毒の波と吸着。
凝固し、塊となり、毒波の八割強を削り取った。
アロルドが知り得るすべての毒素を複合的に対策し、練り上げた魔術。
様々な色の結晶が瞬く間にできあがる。
城壁一帯が毒素から成る結晶で覆われた。
そして結晶を砕き、打ち破り。
アロルドはコルラードの喉元まで迫る。
「くっ……!」
「一緒に国に帰ろうや、コルラード」
グラン帝国の戦火は捨て置いて。
弟子とともに祖国へ帰り、また笑い合おう。
今度こそ師匠として弟子に見放されないように。
弟子が迷うことのないように。
今はしばし眠れ。
祈り、アロルドが岩槌を薙いだ瞬間。
「――」
戦場が静止した。
ぴたり、何も動かない。
アロルドの手も足も。
コルラードは眼前で止まったアロルドを見て困惑する。
今の一合で完全に敗北を覚悟したというのに。
師の手足には……透明な線が絡みついている。
陽光を浴びて煌めく『糸』にコルラードは見覚えがあった。
「っ……邪魔だっ!」
宙に浮き出た石刃が糸を裂く。
体の自由を取り戻したアロルドは咄嗟に飛び退いた。
「どいつもこいつも馬鹿ばかり。嫌になるね、嫌でも見ちまう自分がいるから」
結晶の破片を踏み潰しながら姿を見せた男。
マインラートは指先の糸を弄びながらコルラードを睨んだ。
「何やってんだ、凶鳥。ペー様を助けるんだろ? 意地でも負けは認めるんじゃねえよ」
「マインラート……」
諦観を抱えたまま、失望したまま。
マインラートはいつしか無気力に足を運んでいた。
激しく火花を散らすコルラードとアロルドの衝突に飛び込んでいた。
宰相の父から蟄居を命じられても、反乱が失敗に終わっても。
なぜだか勝手に足が動いてしまって。
「マインラートの坊ちゃん。今は師弟の時間なのさ。邪魔をするのは後にしてくれるかい?」
「師弟だって? 違うな。今のコルラードはペー様の斥候、『凶鳥』として仕事をしてんだよ。つまりはペー様と結託していた俺の仕事仲間さ」
「……そうだな。今の俺は魔術師じゃないって。だから、師匠の弟子に戻るのは……この戦いが終わってからだよ」
マインラートに呼応してコルラードは活力を絞り出す。
救援だ、まだ『サンロックの賢者』と戦える。
勝算がある。
「マインラート、あんたと仕事をするのは初めてじゃない。合わせてくれるな?」
「早くやれよ。俺のやる気がなくなる前にな」
「おう!」
二つ返事でコルラードは動きだした。
彼の後ろでわずかに舞った色素の薄い毒。
それを見てマインラートは即座に魔力の糸を練った。
短刀を携え、コルラードはアロルドに肉薄。
「悪い師匠。やっぱり今は勝たなきゃいけないんだ。ノーラたちのためにも……!」
「勝ち負け、どうでもいいさ! 俺は……俺が情けねぇんだ!」
間合いが近い。
とかく張り付くようにコルラードはアロルドに刃を向けてくる。
体術だけならば弟子の方が得手。
ならば不利は魔術で覆そう。
足元が揺らぐ。
皇城の床が紙を裂くように、アロルドを中心にして割れる。
思わずコルラードはふらつき距離を取った。
追撃を仕掛けようとしたアロルドの前方が光る。
「ああ、うざってえ!」
張り巡らされたマインラートの糸。
アロルドは煩わしく思いながら糸を断つ。
この糸、動きが多少阻害される程度には硬度が高く厄介だ。
先にマインラートを片づけるべきか。
アロルドは逡巡を見せる。
「師匠、考え事かよ?」
「おっと……!」
気づけば再び眼前にあるコルラード。
見逃さない。
少しでも隙を見せれば、容赦なく凶鳥が命を啄みに来る。
そして背後に、側方に感じる魔力。
アロルドは岩石の剣を振るい、大きく身を回して糸を切った。
「もういい、一息に終わらせようか! コルラードも、マインラートの小僧も……!」
「っ……来るぞ、マインラート!」
急激な魔力の膨張。
アロルドの動きを見てコルラードは叫んだ。
渦巻く魔力は大技の兆候。
賢者の本領が発揮される。
天に伸びた魔力は徐々に形を成し、巨大な岩石がいくつも浮かび上がる。
「そう焦るなって。俺とお前を信じろ。……頃合いだ」
大魔術を前にしてもマインラートは狼狽えず。
あくまで冷静に糸を巡らせ続けた。
コルラードもまた彼の意思に応え、毅然として立つ。
練りに練った魔力が完成に近づき。
「そんな糸くずじゃ防げねえ。後で城の弁償はしっかりさせてもらうさ。だから――」
「だから終わりだって? それは違うぜ、賢者殿」
ぷつりと。
糸が切れた人形のように、アロルドが膝から崩れ落ちる。
同時、宙に浮かんでいた巨岩の群れが消失。
「なん、だ……?」
体が動かない。
魔力が巡らない。
徐々に舌も回らなくなっていく。
「俺の特質は『結合』……コルラードの無色透明な毒と、俺の糸を結合させていた。あんたが糸を切る度に、微毒がその体に蓄積していた。毒が入ったことに気づいてなけりゃ、解毒だってしようとは思わないだろ?」
初めてやる戦法じゃないけどな、とマインラートは言葉を結んだ。
ペートルスに従う者として二人は何度かこの戦法を取ってきた。
だからこそ言葉を交わさずとも理解し合える。
「そう、か……俺の……」
「師匠。帰ったらまたさ、魔術教えてくれよ。魔術だけじゃなくて……師匠の生き方も、そのときは知りたいな」
時間を置いて機能する解毒を施し、コルラードはその場を去った。
様々な色の毒が舞う。
コルラードが操る毒魔術は一級。
大抵の者ならば、わずかに吸い込んだだけでも動けなくなる。
しかし相対するアロルドもまた一級、それどころか特級。
体内の魔力を自在に繰り、吸い込んだコルラードの毒を無力化していた。
「腕を上げたな、コルラード。ざっと数えただけでも数十種の毒を織り交ぜてやがる」
「それを全部無毒化してる師匠も相当っすけどね。想定内ではあるけど、ちょっとヘコむなぁ……」
降り注いだ無数の岩石。
コルラードは華麗な身のこなしで岩石を躱していく。
「魔術だけじゃねぇ。その体捌き……ああ、体術だけなら俺よりも上に違いない。まったく、いつの間に磨いたんだか」
掌底にて岩石砲を砕く弟子を見て、アロルドは思わず脱帽した。
体術を教えた覚えはない。
自分がコルラードに教えたことは魔術の知識と経験のみ。
「俺さ、師匠には感謝してるんだ。俺の才能を見抜いて、魔術師の道に引き入れてくれた。そうじゃなきゃ……あの人にも会えなかったからさ」
「その『あの人』ってのは、俺よりも尊敬する人かい? 寂しいもんだな!」
「優劣はつけらんない。どっちも同じくらい大切なんだ」
大切な師匠に毒牙を向けて。
コルラードは虚しく笑った。
噴出した紫毒が一帯を支配。
視界が不明瞭になった直後、毒霧の中から鈍色の短刀が飛び出した。
眼窩、首筋、右手首、左膝……計四本。
一瞬のうちに寸分たがわぬ狙いで飛来する。
「ぬうん!」
思いきり床を踏みしめたアロルド。
床から飛び出した岩石の壁に、四本の短刀が突き刺さる。
あと一秒でも反応が遅ければ致命傷だった。
毒で駄目ならば物理で。
コルラードは魔術師としてではなく、刺客として本気で殺しに来ている。
「たとえ師匠を殺してでも、ここは勝たなきゃならないんです。なあ……退いてくれよ。それが一番、お互いにとって幸せだからさ」
師を相手に手加減などできはしない。
少しでも気を緩めれば、負けるのはこちら側だから。
「無理な相談だな、そりゃ。第一にお前が本気出したって、俺は殺されねぇよ。勝つのは……俺だからな!」
石礫爆ぜる。
自分を中心にして岩石を飛散させたアロルド。
その衝撃によって、辺りを包んでいた毒霧が払われる。
まだ弟子に越されるのは早い。
なぜならば。
「まだ、俺はお前の何も知らねぇんだからな!」
全霊の想いを籠めて、アロルドは岩の槌を振りかぶった。
いつしか背後に回り込んでいたコルラードの腹部に、思いきり命中する。
「かはっ……!」
吐血しながら吹き飛ぶコルラード。
相手が本気ならば、こちらも本気で。
加減などしようもない。
転がって城壁にぶつかり、ようやくコルラードは止まる。
追撃を警戒し、彼は即座に身を起こした。
ローブに染み付いた鮮血。
鉄の味を噛みしめながら口元を拭う。
「……やっぱり師匠は強いや。こんなに強いのに……俺を救ってはくれなかった」
コルラードのぼやきをアロルドは聞き逃さなかった。
本人は離れたアロルドに聞こえないように呟いたつもりだったが。
「そりゃどういう意味だ。俺はお前の悩みに気づいてやれなかったか?」
「ごめん、聞こえたか。師匠は繊細な人じゃないからさ。俺以外にも弟子はいるし、構ってくれっていうのも無茶な要求だけど。あんた……俺が魔術の道をなんのために歩いてきたのか、知らないだろ」
「…………」
思わず戦いの手を止めてしまった。
アロルドは魔術を放っていた己の手を見つめ、必死に思考を巡らせた。
弟子が魔術を学んでいた理由。
最初、コルラードの才覚を見出したのはアロルドだ。
だが、彼が何を目的としていたのか。
「――人をさ、守りたかったんだよ。誰かを傷つけるためじゃなくて、守るために魔術を使いたかった」
「お前……」
「なのに、師匠の弟子になって有名になった俺のもとに舞い込んできたのは……暗殺だの、殺しの依頼ばかりで。毒魔術ってのがいけなかったのかな。別の適正を持ってたら、もっと胸を張れる仕事が来たのかなって」
何年か前、急にコルラードが仕事をしなくなってしまった時期がある。
急に怠惰になった弟子に対してアロルドは何もしなかった。
彼自身も『サンロックの賢者』として忙しく、弟子にあまり構ってやれなかったから。
当時はただ仕事が面倒になってサボっているだけだと思っていた。
しかし違う、弟子は本気で悩んでいたのだ。
力の使い方に。
「そんな俺を救ってくれたのがペートルス様だった。俺の心を再び燃やしてくれた。灰になってんのに燃え続けてんだよ、あの人。生きる理由も戦う理由も見失ってるのに、なんか知らないけど燃え続けてるんだ。そんなペートルス様を見てたら、自分が少し恥ずかしくなってさ」
「……」
「知らねえだろ、師匠のくせによ。俺の何も知らない。舐めるんじゃねぇよ」
コルラードの瞳に光る殺意。
それは怒り、悲哀、不屈。
憤懣を師にぶつけなければ気が済まない。
そして、そんな自分にすら嫌気が差して怒りを覚えていた。
アロルドが呆気に取られているとコルラードが消える。
黒い霧に包まれ、揺らぐ。
「っ!」
視界が暗くなる。
頭上、一匹の凶鳥。
短刀を振りかぶったコルラードがそこにいた。
咄嗟に身をよじるアロルド。
しかし躱しきれずに右腕に一閃が走る。
体内に侵入した毒を分解し、痛みに歯を食いしばる。
「そうか、そうかよ……! 何が賢者だ、師匠だ! 俺はお前の何も知らない、ただ知識を詰め込んだだけの男だ! 情けねぇ……」
コルラードがこんなに悩んでいることも。
武術を交えて強くなっていることも。
ペートルスとつながっていたことも。
「何ひとつ、知りやしねぇ! 許せよ、馬鹿師匠を!」
再び眼前に迫ったコルラードの斬撃。
アロルドは両手に岩の盾を装着し、思いきり前方に突き出した。
力任せに叩きつけられた岩盾に、コルラードはふわりと跳んで後退する。
「許す、許さないじゃないよ。俺は今でも師匠のことが大好きさ。でも……もう魔術師じゃないんだ。とっくの昔に刺客になってたんだよ」
折れた短刀を投げ捨て、コルラードは笑う。
「だから仕事をするだけさ。俺は主のために命を賭ける」
「……こりゃ重い。俺の方が生半可ってもんだな」
弟子の告白を前に。
アロルドは失望した。
自分の情けなさに、傲慢に。
だからこそ……腹を括るべきだ。
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解毒が間に合わないほど強く、多く。
きっと殺してしまう。
逡巡と覚悟の末に放った猛毒を。
「蛇頂岩石粒!」
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凝固し、塊となり、毒波の八割強を削り取った。
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様々な色の結晶が瞬く間にできあがる。
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そして結晶を砕き、打ち破り。
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「くっ……!」
「一緒に国に帰ろうや、コルラード」
グラン帝国の戦火は捨て置いて。
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「――」
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「っ……邪魔だっ!」
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「何やってんだ、凶鳥。ペー様を助けるんだろ? 意地でも負けは認めるんじゃねえよ」
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この糸、動きが多少阻害される程度には硬度が高く厄介だ。
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「師匠、考え事かよ?」
「おっと……!」
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そして背後に、側方に感じる魔力。
アロルドは岩石の剣を振るい、大きく身を回して糸を切った。
「もういい、一息に終わらせようか! コルラードも、マインラートの小僧も……!」
「っ……来るぞ、マインラート!」
急激な魔力の膨張。
アロルドの動きを見てコルラードは叫んだ。
渦巻く魔力は大技の兆候。
賢者の本領が発揮される。
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「そう焦るなって。俺とお前を信じろ。……頃合いだ」
大魔術を前にしてもマインラートは狼狽えず。
あくまで冷静に糸を巡らせ続けた。
コルラードもまた彼の意思に応え、毅然として立つ。
練りに練った魔力が完成に近づき。
「そんな糸くずじゃ防げねえ。後で城の弁償はしっかりさせてもらうさ。だから――」
「だから終わりだって? それは違うぜ、賢者殿」
ぷつりと。
糸が切れた人形のように、アロルドが膝から崩れ落ちる。
同時、宙に浮かんでいた巨岩の群れが消失。
「なん、だ……?」
体が動かない。
魔力が巡らない。
徐々に舌も回らなくなっていく。
「俺の特質は『結合』……コルラードの無色透明な毒と、俺の糸を結合させていた。あんたが糸を切る度に、微毒がその体に蓄積していた。毒が入ったことに気づいてなけりゃ、解毒だってしようとは思わないだろ?」
初めてやる戦法じゃないけどな、とマインラートは言葉を結んだ。
ペートルスに従う者として二人は何度かこの戦法を取ってきた。
だからこそ言葉を交わさずとも理解し合える。
「そう、か……俺の……」
「師匠。帰ったらまたさ、魔術教えてくれよ。魔術だけじゃなくて……師匠の生き方も、そのときは知りたいな」
時間を置いて機能する解毒を施し、コルラードはその場を去った。
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