呪われ姫の絶唱

朝露ココア

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第6章 差別主義者の欺瞞

マインラート・サナーナ

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不幸なことに俺は聡明だった。
スクロープ侯爵の嫡子、次代の宰相として幼少の砌から徹底的に学を仕込まれ、作法を叩き込まれ、格式高い世界で生きてきた。
ガキのころは誇りを持っていたんだよ、貴種の誉れある血に。

違和を感じたのは、生を受けてから十年の月日が経ったころだった。
どうして俺たちはこんなに豊かに生きているんだろうか。
俺たちが振りかざしている特権ってなんなんだろうか。

かねてより抱いていた疑念が膨張することに堪えきれなくなった俺は、宰相である父に頼んで街に出た。
生まれて初めて貴族街から出て、貧民街に馬車を走らせて。
降り立った貧しき者の世界は、えた匂いがして吐き気がした。

「ここが救貧院だ。マインラート、わが国が抱える瑕疵をよく見ておけ」

父のスクロープ侯爵は、救貧院を前にしてそう告げた。
瑕疵――と。
親父は彼らをそう呼んだんだ。

救貧院から一人の男が駆けてくる。
彼は深々と父に向かって頭を下げた。

「よくぞおいでくださいました、スクロープ侯爵閣下。私は院長のレナトと申します。宰相閣下が自ら足を運び、悩める人々の様子をご覧になられること、誠に嬉しく思います」

「ああ……簡単に視察させてもらう。よろしく頼む」

一言二言やりとりして、俺たちはさっそく救貧院の中に入った。
石を割る人、肥料を作ってる人、重荷を運ぶ人。
手足が枯れ木のように細い子どもから老人まで、男女問わず奴隷のように働かされている。
俺たちが彼らを眺めて歩く傍ら、レナト院長は憂いを帯びた瞳を揺らして沈黙していた。

馬鹿だったね。
俺は心に浮かんだ疑念を率直にぶつけたんだ。

「院長殿。あの人たちは、どうして休ませてもらえないのですか? 救貧院にはたくさん人がいると聞きますが、それなら適度に休息を挟みながら仕事をした方が効率的です」

俺の問いに、院長はなんとも言えぬ表情を浮かべていた。
怒りか憐憫か。
子どもゆえの無知かと、院長は言い聞かせるように語った。

「労働をさせることよりも、命を削ることが目的ですから」

「え……?」

「グラン帝国の人口は増加の一途をたどっています。一部の救貧院は……名目上は貧民の救済を謳っていますが、実態は口減らし。ここもそうなのです。当院を運営している公爵閣下の命ですから、彼らに対する労働を緩和するわけにもいきません」

賢すぎたんだ。
俺は院長の言葉の意味が理解できてしまった。
普通の子どもなら理解できないだろうに、政治に知悉していたばかりに。

使えない貧困者をかき集めて、死ぬまで働かせる。
その方が国全体に寄与する生産性は高いし治安も安定する。
弱者が希望に縋って逃げ込んだ救貧院ここは、地獄も同然だったってわけだ。


「マインラート。私は院長と話をする。それまで見学を続けるように」

「承知しました、父上」

ひと通り中を見て回った後、親父は院長と談話に向かった。
こうして大人たちの会話から疎外されることは珍しくない。
俺はいつもの賢しい表情でうなずき、守衛を供にして救貧院をさらに見て回ることにした。

院長の語った現実をよくよく考えながら歩いていると、監房に差しかかる。
監房ではたくさんの人々が働いていたが……中でも目についたのは、やけに顔色の悪い少女だ。
俺と同年代だろうか。
彼女は瘦せ細った指を動かして、懸命に編み物をしている。

話しかけていいものか……迷った。
邪魔をしてはいけないだろうが。

「マインラート卿、何か気になることでも?」

監視塔に立っていた人が腰を低くして話しかけてきた。
この監房の管理者らしい。

「作業をしている方に話しかけても?」

「もちろんでございます! 無礼な者がいれば殴っても構いませんし、召し抱えたい者がいれば遠慮なくお申しつけを!」

「……そうですか。ありがとうございます」

ここは家畜小屋かよ。
内心に浮かんだ言葉は吐かずに呑み込む。
嘘で塗り固めるのが貴族の振る舞いだ。

俺はさっそく少女に話しかけてみた。

「こんにちは」

「……っ」

急に話しかけられて、少女は驚いたように肩を震わせた。
怯えたような瞳で俺を見ている。

「怪しい者じゃありませんよ。私はスクロープ侯爵令息、マインラート・サナーナ。あなたは?」

「え、えっと……マルビナ」

「マルビナ嬢。お顔の色が優れないようですが、少しお休みになった方がよろしいのでは?」

知っている、さっき知った。
この救貧院は命を絶やすための場所だと。
それでも……こんなに年端のいかない少女が、俺と同じ年齢の子が。
簡単に命を落としていいわけがない。

マルビナと名乗った少女はかすれた声で言った。

「ダメ、だよ……怒られる」

「実は私、あそこの管理人よりも偉いのです。私があなたを休息させるように命じますから、安心して休んでください」

ブンブンとマルビナは首を振る。
彼女は糸を編む手を止めることなく、断固として拒否する姿勢を見せた。

「他のひとも、がんばってるの……わたしだけじゃ、だめ」

「……あなたはまだ子どもです。体力も少ない。倒れてしまいますよ?」

「同じくらいの子なら……アリアドナちゃんも、がんばってるから。わたしは平気だよ……ありがとう」

強情だ。
これが貴族相手なら、俺の権力を恐れて命令に従うのに。
無知ってのは怖いもんだと再認識する。

それなら思い知らせてやるさ。
侯爵令息にして、宰相の息子の権力を。

 ◇◇◇◇

数日後。
俺はひとつの提案を父に持ちかけた。
"後学のために救貧院を買収したい"と。

「駄目だ」

だが、父から返ってきた言葉は予想に反するもので。
今まで勉強のためと頼み込めば、なんでも買ってもらえた俺の常識が覆った瞬間だった。
父は冷徹な視線で俺を射抜く。

「お前のことだ。救貧院の人々の暮らしに衝撃を受け、アレらを救いたいなどと夢想したのだろう」

「……それは」

「貧民らは自分の運命に甘んじているだけで、努力もしない、価値のない存在だ。救う必要はない。お前も知見を広めれば理解できるだろう。私はくだらぬ同情を覚えさせるためではなく、平民の愚かしさを伝えるために救貧院を見学させたのだ」

完璧に見透かされた上で、完全に否定された。
あるいは父も俺と同じような過去をたどってきたのかもしれない。
だが、その返答はあまりにも首肯しかねるものだった。

俺は認めることしかできない。
父に敷かれたレールの上でしか踊ることができない存在だから。
俺がスクロープ侯爵令息である以上は。

「貴族には青い血が流れている。我らの責務は民を使い、国を導くことだ。民の肩を持つことではない。決して履き違えるな」

階級社会は正しい人の在り方だ。
父はそう語り、俺の思考を塗り固めようとした。

だが俺は賢すぎた。
それが父の願望の押しつけだということも、理解していたのだ。

別に失望も絶望もしなかった。
相も変わらず、この人は立派な教育者で、立派な親だと。
そう認識しただけ。

ただし俺の中の価値観がひとつだけ変わった。
コイツを人として尊敬することはできない。
俗に言う毒親ってやつだ。


それなら……俺は勝手に動いてやるか。
コイツの手を借りずとも、賢い俺は国を動かせる。
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