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第1章 呪縛
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公爵家へ帰り、エレオノーラは不作法に紅茶を飲んでいた。
今日のお買い物は楽しかった……が、それ以上に心臓への負担が大きかった。
買ってもらった服を心待ちにしたり、帝都で食べたおいしい食事を思い出したり、色々とポジティブな方向に物事を考えようとしても落ち着かない。
今回の一件でエレオノーラが家にいないことがバレた。
彼女が家にいないことを知っているのは父だけのはずだったのに。
ルートラ公爵家に滞在していることがバレれば、またもや刺客が自分を殺しにくるかもしれない。
そう考えると不安で昼しか眠れなくなる。
「お疲れのところ失礼いたします、エレオノーラ様」
「あ、レオカディア様。お疲れのところ失礼してください。何かありましたか?」
侍女のレオカディアがやってくるや否や、エレオノーラはだらしない姿勢を正す。
紅茶にクッキーをまとめて突っ込んでいるところを見られたらマズかった。
「ペートルス様がお呼びのようです」
「はぁ……え、またですか? わかりましたよ……っと」
腰が重い。
今日、ペートルスのことがますますわからなくなった。
得体の知れない人物に近づくことほど恐ろしいものはない。
徐々に彼の人間性を理解してきたかと思ったころに、今日の一件があったのだから……人とはつくづくわからないものだ。
「そ、そうそう……レオカディア様。べえっ、別に深い意味はないんですけど、ペートルス様って怒ったりしたことありますか? 別に深い意味はないんですけど」
エレオノーラの問いに、レオカディアはきょとんと首を傾げた。
彼女は侍女として公爵家に仕えてきた日々を想起し続け……。
「……いえ、ありませんね。私が公爵家に仕え始めたのは、ペートルス様が十三歳のころから。これまでの四年間、一度もあの方がお怒りになられたことはありませんよ。というか感情が安定しすぎて怖いくらいです」
「そ、そうですか……ありがとうございます。やっぱり勘違い、だったのかな……」
あの無音になった瞬間。
ペートルスが怒りをヘルミーネにぶつけたのではないかと思ったが……考えすぎかもしれない。
◇◇◇◇
ペートルスの私室のドアをノックする。
彼の私室に行くのは初めてだ。
「どうぞ」
さながら面接である。
ガタガタと震える手で部屋の扉を開け放った。
内装はかなりシンプルだ。
必要最低限の家具、煌びやかな装飾が一切ない室内。
なんというか……全然イメージと違う。
「夜遅くに悪いね。こちらにどうぞ」
「失礼いたします……」
ペートルスと向かい合う形で、壁際の椅子に腰かける。
窓からは月光が漏れ出ていた。
「一日中歩いて疲れただろう? 楽しい休日にするつもりだったのに、最後の方で雰囲気が壊れてしまったね。まあ、そういうアクシデントも休日の醍醐味だと思おうか」
「そ、そっすね。あの……馬鹿妹が御迷惑をおかけしました」
「……その件について君をお呼びしたんだ。結論から話すと、レディ・ヘルミーネが暗殺の実行犯である可能性は低い」
「――へ?」
エレオノーラは思わず耳を疑った。
ヘルミーネが暗殺の首謀者ではない……?
しかしエレオノーラは知っている。
『今度食事に毒でも入れてみよう』とランドルフと話していたことを。
「どういうこと、ですか……?」
「君を好餌としてレディ・ヘルミーネをおびき寄せたことは話したね。アレはレディ・ヘルミーネの真意を掴むためのことだったんだ。そして会話を聞く限り、彼女はエレオノーラが当家に避難していることも知らなかったし、あの会話が演技である『音』も声には混じっていなかった」
「……ま、まぁ。アイツは嘘をつかずに、そのまま悪意をぶつけてくるタイプの人間ですけど」
「それに、彼女の短絡的な思考で『死貝毒』を用いることなど思いつかないだろう。用いたとしても、もっと純粋な……飲めば即死するような毒を用いるに違いない」
「――たしかに! あのアホが何日間にも渡って毒殺する計画なんて思いつくわけないです!」
ヘルミーネがアホだから。
なんて簡潔で納得できる説明だろうか。
あの義妹は後先のことなんて考えないし、上手く証拠を隠蔽できるほどの知能もない。
彼女が暗殺の実行犯から外れるとなると……。
「……じゃあ、ランドルフが?」
「ネドログ伯爵令息の線はまだ消えていないね。彼についてはロード・イアリズに調査してもらっている。さて……今回の問題は犯人の正体ではなく、『レディ・ヘルミーネにエレオノーラの居場所がバレたこと』だ。ネドログ伯爵令息、もしくはそのイアリズ伯爵家の人間がこの情報を知った場合……刺客が当家に送り込まれる可能性がある」
そう、それだ。
エレオノーラもまたその可能性を憂慮していた。
いくら警備が厳重な公爵家といえども、絶対的に安全なわけではない。
一流の刺客の手にかかれば警備の網もすり抜けられるだろう。
「わ、わたしは殺されるかもしれません。それはいいんですけど、ペートルス様にも危害が及ぶ可能性が……ありますね。実家に帰らせていただきます……」
「うーん……僕としてはむしろ刺客の類は歓迎だからね。君はルートラ公爵家に居続けてくれて構わない。でも一番の問題は、僕がそろそろ公爵家を離れなければならないってことだ」
「あ、もうすぐ夏休みが終わるんですよね」
「そう。もうじきニルフック学園の寮に戻らないといけない。そうなったとき、エレオノーラが一人になってしまうのは心細いんじゃないかって」
本音を言えば、めちゃくちゃ心細い。
レオカディアを除いて公爵家の使用人とは関係性を築いていないし、ルートラ公爵はおっかない人だし。
暗殺云々よりも人間関係の問題が。
いい加減、エレオノーラも他人の好意に甘える生活は終わりにしたい。
ここでペートルスを引き留めるのは……なんか違う。
「あの、わたしのことはお気になさらず。ペートルス様はご自分の学業に専心してください。すっ、少なくともイアリズ伯爵家よりは安全な場所ですし。人間関係も、どうにか……します」
「承知した。君が納得できる形であれば何も言うまい。僕も可能な限り、君が快適に過ごせるように尽くさせてもらうよ」
エレオノーラを落ち着かせるようにペートルスは言う。
彼女の声色に恐怖が滲んでいることをペートルスは感じ取っていた。
他人の感情に敏感だからこそ、彼は誰の目にも好印象に映る。
「話はここまでだ。エレオノーラも眠いだろうし、早く休むといい」
「はい。ペートルス様も……もう寝ます?」
「質問の意図がよくわからないけど、僕も寝るよ。明日は仕事があるからね」
「じゃあ……失礼します。お、おやすみなさい」
「おやすみ」
エレオノーラはおずおずと私室を後にする。
自分でもどうしてかわからないが、ペートルスも寝るかどうか質問したくなったのだ。
なんとなく、彼はまだ眠らない気がして。
部屋に戻ったエレオノーラはまっすぐベッドに潜り込む。
一日歩いた疲労もあってか、寝つきの悪い彼女もぐっすりと眠りに就いて。
夜の帳が降りた公爵家は沈黙に包まれる。
草木すらも寝静まる真夜中。
月下、バイオリンの音色だけが響いていた。
今日のお買い物は楽しかった……が、それ以上に心臓への負担が大きかった。
買ってもらった服を心待ちにしたり、帝都で食べたおいしい食事を思い出したり、色々とポジティブな方向に物事を考えようとしても落ち着かない。
今回の一件でエレオノーラが家にいないことがバレた。
彼女が家にいないことを知っているのは父だけのはずだったのに。
ルートラ公爵家に滞在していることがバレれば、またもや刺客が自分を殺しにくるかもしれない。
そう考えると不安で昼しか眠れなくなる。
「お疲れのところ失礼いたします、エレオノーラ様」
「あ、レオカディア様。お疲れのところ失礼してください。何かありましたか?」
侍女のレオカディアがやってくるや否や、エレオノーラはだらしない姿勢を正す。
紅茶にクッキーをまとめて突っ込んでいるところを見られたらマズかった。
「ペートルス様がお呼びのようです」
「はぁ……え、またですか? わかりましたよ……っと」
腰が重い。
今日、ペートルスのことがますますわからなくなった。
得体の知れない人物に近づくことほど恐ろしいものはない。
徐々に彼の人間性を理解してきたかと思ったころに、今日の一件があったのだから……人とはつくづくわからないものだ。
「そ、そうそう……レオカディア様。べえっ、別に深い意味はないんですけど、ペートルス様って怒ったりしたことありますか? 別に深い意味はないんですけど」
エレオノーラの問いに、レオカディアはきょとんと首を傾げた。
彼女は侍女として公爵家に仕えてきた日々を想起し続け……。
「……いえ、ありませんね。私が公爵家に仕え始めたのは、ペートルス様が十三歳のころから。これまでの四年間、一度もあの方がお怒りになられたことはありませんよ。というか感情が安定しすぎて怖いくらいです」
「そ、そうですか……ありがとうございます。やっぱり勘違い、だったのかな……」
あの無音になった瞬間。
ペートルスが怒りをヘルミーネにぶつけたのではないかと思ったが……考えすぎかもしれない。
◇◇◇◇
ペートルスの私室のドアをノックする。
彼の私室に行くのは初めてだ。
「どうぞ」
さながら面接である。
ガタガタと震える手で部屋の扉を開け放った。
内装はかなりシンプルだ。
必要最低限の家具、煌びやかな装飾が一切ない室内。
なんというか……全然イメージと違う。
「夜遅くに悪いね。こちらにどうぞ」
「失礼いたします……」
ペートルスと向かい合う形で、壁際の椅子に腰かける。
窓からは月光が漏れ出ていた。
「一日中歩いて疲れただろう? 楽しい休日にするつもりだったのに、最後の方で雰囲気が壊れてしまったね。まあ、そういうアクシデントも休日の醍醐味だと思おうか」
「そ、そっすね。あの……馬鹿妹が御迷惑をおかけしました」
「……その件について君をお呼びしたんだ。結論から話すと、レディ・ヘルミーネが暗殺の実行犯である可能性は低い」
「――へ?」
エレオノーラは思わず耳を疑った。
ヘルミーネが暗殺の首謀者ではない……?
しかしエレオノーラは知っている。
『今度食事に毒でも入れてみよう』とランドルフと話していたことを。
「どういうこと、ですか……?」
「君を好餌としてレディ・ヘルミーネをおびき寄せたことは話したね。アレはレディ・ヘルミーネの真意を掴むためのことだったんだ。そして会話を聞く限り、彼女はエレオノーラが当家に避難していることも知らなかったし、あの会話が演技である『音』も声には混じっていなかった」
「……ま、まぁ。アイツは嘘をつかずに、そのまま悪意をぶつけてくるタイプの人間ですけど」
「それに、彼女の短絡的な思考で『死貝毒』を用いることなど思いつかないだろう。用いたとしても、もっと純粋な……飲めば即死するような毒を用いるに違いない」
「――たしかに! あのアホが何日間にも渡って毒殺する計画なんて思いつくわけないです!」
ヘルミーネがアホだから。
なんて簡潔で納得できる説明だろうか。
あの義妹は後先のことなんて考えないし、上手く証拠を隠蔽できるほどの知能もない。
彼女が暗殺の実行犯から外れるとなると……。
「……じゃあ、ランドルフが?」
「ネドログ伯爵令息の線はまだ消えていないね。彼についてはロード・イアリズに調査してもらっている。さて……今回の問題は犯人の正体ではなく、『レディ・ヘルミーネにエレオノーラの居場所がバレたこと』だ。ネドログ伯爵令息、もしくはそのイアリズ伯爵家の人間がこの情報を知った場合……刺客が当家に送り込まれる可能性がある」
そう、それだ。
エレオノーラもまたその可能性を憂慮していた。
いくら警備が厳重な公爵家といえども、絶対的に安全なわけではない。
一流の刺客の手にかかれば警備の網もすり抜けられるだろう。
「わ、わたしは殺されるかもしれません。それはいいんですけど、ペートルス様にも危害が及ぶ可能性が……ありますね。実家に帰らせていただきます……」
「うーん……僕としてはむしろ刺客の類は歓迎だからね。君はルートラ公爵家に居続けてくれて構わない。でも一番の問題は、僕がそろそろ公爵家を離れなければならないってことだ」
「あ、もうすぐ夏休みが終わるんですよね」
「そう。もうじきニルフック学園の寮に戻らないといけない。そうなったとき、エレオノーラが一人になってしまうのは心細いんじゃないかって」
本音を言えば、めちゃくちゃ心細い。
レオカディアを除いて公爵家の使用人とは関係性を築いていないし、ルートラ公爵はおっかない人だし。
暗殺云々よりも人間関係の問題が。
いい加減、エレオノーラも他人の好意に甘える生活は終わりにしたい。
ここでペートルスを引き留めるのは……なんか違う。
「あの、わたしのことはお気になさらず。ペートルス様はご自分の学業に専心してください。すっ、少なくともイアリズ伯爵家よりは安全な場所ですし。人間関係も、どうにか……します」
「承知した。君が納得できる形であれば何も言うまい。僕も可能な限り、君が快適に過ごせるように尽くさせてもらうよ」
エレオノーラを落ち着かせるようにペートルスは言う。
彼女の声色に恐怖が滲んでいることをペートルスは感じ取っていた。
他人の感情に敏感だからこそ、彼は誰の目にも好印象に映る。
「話はここまでだ。エレオノーラも眠いだろうし、早く休むといい」
「はい。ペートルス様も……もう寝ます?」
「質問の意図がよくわからないけど、僕も寝るよ。明日は仕事があるからね」
「じゃあ……失礼します。お、おやすみなさい」
「おやすみ」
エレオノーラはおずおずと私室を後にする。
自分でもどうしてかわからないが、ペートルスも寝るかどうか質問したくなったのだ。
なんとなく、彼はまだ眠らない気がして。
部屋に戻ったエレオノーラはまっすぐベッドに潜り込む。
一日歩いた疲労もあってか、寝つきの悪い彼女もぐっすりと眠りに就いて。
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