呪われ姫の絶唱

朝露ココア

文字の大きさ
上 下
11 / 216
第1章 呪縛

微睡みと現実

しおりを挟む
深く、深く。
エレオノーラの意識は沈んでいた。

『おかあさまっ!』

今の彼女は"小さい"。
屋敷のドアノブにも手が届かないほど、背丈は小さく……そして世界が広大に見えていた。
花々が咲くイアリズ伯爵家の庭園を走り、エレオノーラの先に待つのは。

『あら、エレオノーラ。ドレスが土で汚れちゃってるじゃない? そんなに急いでどうしたの?』

土で汚れたエレオノーラを優しく抱擁した女性。
エレオノーラの実母だった。
母は柔らかい青髪を撫で、愛娘の頬についた土埃を払った。

『あのね。庭にへんなのがいたんだよ』

『へんなの?』

『これ! きれい!』

エレオノーラは小さな手を開き、母にソレを見せた。
手のひらの上で煌めく七色の光。
その光を見た瞬間、母の目元が少し緩む。

『まぁ……綺麗ね! エレオノーラにも光が見えるの?』

『うん! キラキラしてる、虹みたい!』

『ふふ……そうね。この綺麗な光はね、特別な人にしか見えないのよ』

『とくべつ……わたしがとくべつなの?』

小首をかしげたエレオノーラを、母は優しく抱きしめる。
この抱擁が幼い彼女には心地よかった。

『ええ。あなたは誰よりも特別よ。だって、私の娘だもの』

『うん、わたしも……おかあさまがとくべつだよ!』

エレオノーラは笑って母を抱き返そうとする。

しかし、もう母の姿はそこになかった。

 ◇◇◇◇

微睡みから解放されたエレオノーラ。
真っ先に彼女の視界に飛び込んだのは、白亜の天井だった。
いつも覚醒した瞬間に見える、ボロボロの木製の天井ではない。

「……はれぇ?」

どうして自分がここにいるのか。
何の夢を見ていたのだったか。
毒から回復しつつある重い身体を起こし、ぐるりと周囲を見渡した。

自分は天蓋つきのふかふかベッドに寝ていて、この部屋はすごく広い。
厚く赤い絨毯が広がり、一つひとつの家具に豪華な装飾が施されている。

「あ、そういえば」

思い出した。
ペートルスの家に入った瞬間、謎の大男に迫られてエレオノーラは失神したのだ。
人を見て失神するなど無礼が過ぎる。
エレオノーラが呪いのせいで実際にそういう反応をされてきたので、どれだけ無礼なことかは身に染みて理解していた。

寝起きから青ざめたエレオノーラは、するするとベッドから降りる。
枕元に置いてあった眼帯も忘れずにつけて。
とりあえず、おはようございますの報告と、失神してごめんなさいの謝罪をしなくては。

静かに部屋のドアを開ける。
左右には長い長い廊下が伸びていて、各所に謎の絵画や花瓶が飾ってある。
使用人の姿もなく、どこへ行けばいいのやら。
こういうときは呼び鈴を鳴らして使用人を呼ぶのが常だが、あいにく彼女は貴族の習性を理解していなかった。

「適当に歩くか」

そのうち誰かと会えるだろう。
そう考え、エレオノーラは静かに廊下を歩き始めた。


「誰もいねえや」

だが、この城は広すぎた。
しかもエレオノーラは気づいていないが……彼女が歩いて向かっている先は、一般の使用人が立ち入らない離宮だ。

廊下がやがて開け、城の裏手にある庭園に出る。
表にある大庭園とは趣が違い、小さいながらも綺麗に整えられた静謐な庭だ。
誰かいないかとエレオノーラがキョロキョロしていると、ふと声がかかった。

「お主よ」

「ぴいっ!?」

振り向くと、そこには厳つい表情の初老が立っていた。
色褪せた金髪に蓄えられた髭。
歳のわりに腰はまったく曲がっておらず、立っているだけで威厳を醸し出している。

「ふむ……」

老人は睨みつけるような視線で、頭の天辺から足のつま先までエレオノーラを一見した。
威圧感のある老人に観察され、彼女は石像のごとく硬直する。

「儂はルートラ公爵、ヴァルター・イムルーク・ウィガナック。お主は何者だ?」

「…………」

何者か――問われれば答えるのが常人だ。
だが、エレオノーラはその限りではなかった。
ルートラ公爵、すなわちペートルスの祖父に当たる重鎮を前にしても、彼女の性質は変わらない。

「ああぁ……」

「……」

「ああ……あ、エレオノーラ・アイラリティルでっす」

「…………なんだと?」

ルートラ公爵は眉をひそめる。
エレオノーラ・アイラリティルといえば……社交界で噂の『呪われ姫』ではないか。
どうしてそんな人物が公爵家の後宮にいるのかと、公爵は訝しんだ。

「お主……まさか儂を覚えておるのか?」

ルートラ公爵の疑念を感じ取ったエレオノーラは、なんとか疑いを晴らそうと舌を動かそうとする。

「い、いえ……お会いしたことは、ないと思います。あ、あの……ペートルス様に、連れてきてもらって」

「ほう、アレ・・が……」

ルートラ公爵はそう聞くと眉を上げた。
公爵にとっては孫のペートルスが令嬢を家に招いたことが何とも予想外であったのだ。
ペートルスは婚約者も作らず、ほとんどの令嬢と付き合いを深めない男。
表向きには貴公子然としているが、彼は易々と人を近づけない性質を持っている。

エレオノーラのそばを通り過ぎた公爵は、去り際に告げた。

「どういう思惑があるのか知らんが、好きにせよ。だが忠告しておこう、『呪われ姫』よ。……儂の邪魔だけはしてくれるな」

底冷えするような声色に、エレオノーラは恐怖して立ち尽くした。
今の言は間違いなく忠告という名の『脅し』だ。
ルートラ公爵がどういう人なのか知らないが、今の一瞬で恐ろしい人物ということだけは理解できてしまった。

そして道を聞くのも忘れた。
追いかけて尋ねるような勇気もないし、引き返すしかない。
公爵の圧に戦々恐々としたエレオノーラが踵を返すと……

「……あっ! いたいた!」

「!」

聞き覚えのある大声が鼓膜を叩き、彼女は反射的に柱に隠れる。
しかし隠れた彼女の姿をしっかりと視認していた男……イニゴは柱の裏を覗き込んで視線を下げた。

「客室から消えてるって聞いたもんで、ペートルス様がすごく慌ててましたよ。離宮で何してるんです?」

「すみません……すみません、すみません……」

「お、おう? ええと……困ったなこりゃ。エレオノーラ様、でしたっけ? とりあえずペートルス様のもとに案内するんで、ついてきてくださいよ」

「はい……」

どうして自分はこうなのかと、エレオノーラは嘆息する。
自分の態度がイニゴに対して失礼なのは承知している。
しかし初対面の人間……特に威圧感のある相手の前に立つとどうしても萎縮してしまうのだ。
これもまた人付き合いの経験を積めなかった弊害か。

申し訳なさでいっぱいになりながら、エレオノーラはイニゴに続いた。
しおりを挟む
感想 27

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!

ペトラ
恋愛
   ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。  戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。  前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。  悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。  他サイトに連載中の話の改訂版になります。

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

罠にはめられた公爵令嬢~今度は私が報復する番です

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
【私と私の家族の命を奪ったのは一体誰?】 私には婚約中の王子がいた。 ある夜のこと、内密で王子から城に呼び出されると、彼は見知らぬ女性と共に私を待ち受けていた。 そして突然告げられた一方的な婚約破棄。しかし二人の婚約は政略的なものであり、とてもでは無いが受け入れられるものではなかった。そこで婚約破棄の件は持ち帰らせてもらうことにしたその帰り道。突然馬車が襲われ、逃げる途中で私は滝に落下してしまう。 次に目覚めた場所は粗末な小屋の中で、私を助けたという青年が側にいた。そして彼の話で私は驚愕の事実を知ることになる。 目覚めた世界は10年後であり、家族は反逆罪で全員処刑されていた。更に驚くべきことに蘇った身体は全く別人の女性であった。 名前も素性も分からないこの身体で、自分と家族の命を奪った相手に必ず報復することに私は決めた――。 ※他サイトでも投稿中

処理中です...