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4巻
4-1
しおりを挟むプロローグ
『よし! 最推しのスチルゲット!』
俺はスマホを握りしめてぐっと拳を握った。手の中にあるスマホの画面には、ようやく手に入れた最推しオルシス様の新しい姿が映っている。
『光凛夢幻∞デスティニー』――それは俺が夢中になったスマホアプリゲーム。
主人公と攻略対象者が手に手を取って切磋琢磨し、国を救うという乙女ゲームだ。
攻略対象者との放課後イベントや魔力アップのための魔物討伐など、様々なイベントを経て好感度と魔力を上げ、その相手と共に国の中心にある宝玉に魔力を注入して国を救うという王道ストーリー。
俺はCMで流れた最推しに一目で心を奪われて即ダウンロードし、ひたすら最推しを愛でるために日々仕事に精を出した。
最推しスチルをゲットするためならば課金も辞さず。結構なヘビーユーザーだった俺は、ひたすら最推しを愛でるため、最推しルートを周回した。
そんな俺は、気付いたら最推しの思い出の義弟アルバになっていた。
そのことに気付いたのは、母に手を引かれて大層立派な館のエントランスに入ったとき。
目の前に、まるで天使がこの世に舞い降りたかの如く神々しく初々しい美ショタ、オルシス様が立っていたのだ。
そうして始まった最推しとの生活。素敵な人生の始まり……と思いきや、そうはいかなかった。
義父が俺に向ける眼差しは母に対するそれと同じでとても甘いのに対し、兄様に向ける視線はとても冷たく、それを受ける兄様の顔はただただ無表情だった。そこで気付く。俺の立ち位置が最推しの笑顔をなくしてしまう、儚くなった義弟だということに。
ああ、これではだめだと、俺は兄様の笑顔と表情筋を守るため必死になった。
兄様にはずっとずっと笑っていてほしかったから。
そしてただただ兄様のために奮闘するうち、俺はいつの間にやら『推し』として、兄様が見られなくなってしまったのだ。同担拒否じゃなかったはずなのに、ゲームでいうところのヒロインと一緒にいる兄様を見ると胸がもやっとしたり、兄様の結婚のことを思うと辛くなったり。
こんなの、弟としておかしいんじゃないか……と思っていたとき、とうとう物語が動き出した。
野外学習に出かけた俺たちの目の前に、『厄災の魔物』と呼ばれるアビスガーディアンが現れたのだ。ゲーム内でも最強だった魔物。
ヴォルフラム殿下が魔物を抑え込んでいる間に逃げることはできたけれど、そこでいきなり『刻魔法』が発動してしまった。そして俺にはヴォルフラム殿下が真っ赤に染まった姿が見えてしまった。
放置なんかできるわけがない。俺は持っていた自作転移魔術陣を握りしめ、ヴォルフラム殿下のもとに転移した。
そこには、先ほど魔法で見たのとまったく同じ姿で、血に染まったヴォルフラム殿下が倒れていた。俺は震える身体に活を入れて、必死でヴォルフラム殿下を掴み、一番安全な場所に転移した。
目を開けるとそこには、麗しの兄様の顔。そう、俺が転移した場所はうちの温室だった。
確かに俺にとって一番安全な場所に辿り着き、あまりの安堵に俺の涙腺は決壊した。
そうして一緒に移動したリコル先生と近くにいてくれたブルーノ君の尽力で、ヴォルフラム殿下は一命を取り留めた。
そこで思ったのだ。
自分の死亡フラグをへし折ったからもう大丈夫と心のどこかで思っていたけれど、実はあのゲームのストーリーはアプリと同じように進んでいるんじゃないか。
もしかして、この国自体はとても危ういところまで来ているのではないか、と。
俺は、その魔物を倒しにいくという兄様とブルーノ君の後を追って、アビスガーディアンのところに戻った。そこにいたのは、ミラ嬢とツヴァイト第二王子殿下、そしてアドリアン君。
兄様とブルーノ君も戦いに参加して、俺の後からヴォルフラム殿下とリコル先生が来たことで、奇しくも攻略対象者全員と主人公が勢揃いで、目の前の巨大な脅威と戦うことになった。
アビスガーディアンはとても強くて、ゲーム内で俺が何度も何度もくじけそうになりながら必死で戦って倒した魔物。けれどそれは主人公と最推し二人だけのとき。
今は全員揃っている。だったらきっと出来るはず――
そう信じた俺は持てる前世の知識を全てさらけ出し、兄様たちの能力を活かしてアビスガーディアンを討伐したのだった。
そこで脅威は去った――そう思ったけれど、まだまだ災害は続いた。
学園祭に、魔物が現れる元である魔力の塊……魔核が発生したのだ。
ミラ嬢とヴォルフラム殿下でなんとか消し去ったけれど、そこでヴォルフラム殿下の魔力が暴走してしまい、俺と兄様で止めに走る事態となった。
けれどヴォルフラム殿下を助けたときに不用意に発してしまった一言で、俺が『刻属性』であることが王弟殿下にバレてしまった。
そして王弟殿下に呼び出しを食らい、そこで俺はゲームの通りに国が崩壊寸前であるということを知ったのだ。
そんな、色々あって疲れ切ったその日の夜、俺の魔法が発動した。
目の前には、とても素晴らしい笑顔の兄様がいた。
周りの景色は、どこか神殿のような雰囲気の場所。
その場所を、俺は知っていた。
ヒロインと攻略対象者が国を救って、愛の告白をする場所。
そんな場所で幸せそうな笑顔の兄様が宝玉を手にしていた。つまり、そこには絶対に兄様の相手がいるはず。
相手が気になる、それに兄様の笑顔をまだまだ視ていたい、と、俺は兄様が口に詰め込もうとするブルーノ君の飴を拒否した。
すると一瞬後、口の中に血の味が広がった。
何事⁉ と驚く俺の唇を、兄様の唇が塞いでいる。目の前に浮かび上がる光景と口の中の鉄臭さに半ばパニックに陥った。
俺が拒否したせいで、兄様が取った行動は、一番手っ取り早く、そして一番させちゃいけない魔力回復方法だった。
兄様は自分の手を傷つけ、その血を口に含んで俺に飲ませていたのだ。
血だらけの兄様を見た俺のその後のパニックは筆舌に尽くしがたい……
――話がずれてしまった。
主人公と攻略対象者が手に手を取って、魔力を注ぎ入れる宝玉。では一体誰がヒロインなのか……、友達エンドでも国は助かる。それに、ヒロインポジションであるミラ嬢と兄様は仲がいいけど、恋心はなさそうだ。
それなら、兄様とミラ嬢が? と思いながら気軽に話を聞いていたけれど、実は宝玉は、たくさんの人の命を吸った恐ろしいものだということを知った。
そして、国を支える宝玉の魔力が尽きようとしている今、ツヴァイト第二王子殿下がその宝玉の生贄的なものになろうとしていることも。
いやいや、ゲーム内で、宝玉はそんなに恐ろしいものじゃなかったんだけど! キャッキャうふふで手に手を取って、二人で仲良く魔力を注げば、国は助かるはずなのに。
どうしてそんなに大変なことになってるんだ。
そんな俺の言葉を、王弟殿下とヴォルフラム殿下は信じてくれた。
そんなこんなで、俺たちは第二王子殿下による魔力注入の決行の日を迎えた。
俺は知っている。あの宝玉に魔力を注入するのは兄様だと。
その頃には、俺の気持ちは一つに定まっていた。
とても素晴らしい笑顔で魔力を注入する兄様の相手がとても気になる、じゃ済まない。
笑顔の兄様の隣に立つ相手のことを思うと胸が痛い。
どうせなら、それは俺でありたい。
――いや、俺以外であってほしくない。
だってあそこは、愛の告白の場所だから……
そんな気持ちを胸に秘めて、俺は皆と共に宝玉の間に乗り込んだ。
そこで見たものは、ぐったりした第二王子殿下と、まだまだくすんだ国の中枢、守護宝玉。
皆が第二王子殿下にかかりきりになっているとき、兄様の視線は宝玉に向かっていた。俺が「兄様が選ばれた」とすでに伝えてしまっていたから。きっと兄様は手を伸ばす。
不本意ながらも兄様の血のおかげで魔力は今までにないくらい満タン。
だったら、と俺は兄様と手を繋いだ状態で、宝玉に手を伸ばして――
一、エンディングのあとは、軟禁
『オルシス様を、誰よりも、愛しています」
『アルバ、僕と結婚して、ずっと一緒にうちで暮らそう。兄弟のままではダメ。アルバがそのうち誰かのものになってしまうなら、僕と、ちゃんと結婚しよう』
そんな告白とともに、宝玉に魔力を注ぎ入れた俺たち。
アプリでは、ここでエンディングが流れて、最後に国は豊かに戻った、というナレーションが入るのだが、現実ではそうは行かず。
神殿内に入れなくて扉の前で立ち往生していた王弟殿下や騎士団、宰相さんと国の中枢の者たちによって、俺たちは移動を余儀なくされた。
案内された場所は宝玉の間からかなり遠くて、宝玉に魔力を吸われまくった第二王子殿下、兄様、そして俺にとってはかなり大変だった。
一応、王弟殿下たちから、魔力回復薬を一本ずつもらえたけど、隣を歩く兄様と第二王子殿下はどう見ても長距離を走ったような息切れをしていて、全快には程遠いのが見て取れる。
それは俺も同じだ。数階分、階段を上っただけで疲労がドッと襲ってきて、今は不本意ながら、アドリアン君に片手抱っこされての移動と相成っている。
兄様が抱っこをしようと申し出てくれたけれど、あんな疲れきった兄様に抱っこをしてもらうなんて鬼畜なことは絶対にできない。
リコル先生は第二王子殿下につき、ブルーノ君は兄様の横についていてくれるから、消去法でこうなった。
「オルシスでなくてすまないな」
俺がそんなことを思ったのを敏感に察知したのか、アドリアン君がそんなことを言う。
「いえ、兄様を休ませてくれてありがとうございます……」
慌てて首を横に振った。疲れた兄様を休ませてくれるという点では、アドリアン君はとても素晴らしい。さすが兄様推しのアドリアン君。そして姫抱っこじゃなくて子供抱っこに近い形なのも少しだけ救いだった。アドリアン君の姫抱っこは俺的にダメージがでかすぎる。
それに謝るべきは、どっちかというと国王陛下やその周辺だ。宝玉の間が王宮の一番奥深くにあるのは理解できるけれど、その後これだけ歩かされるのはさすがにしんどい。
時折会話を交わしつつ、ようやく着いた場所は、王宮の本殿の一室だった。
調度品がとてもお高そうで、ソファもふっかふか。ただ全員が同じ部屋に入れられたわけではなくて、第二王子殿下とヴォルフラム殿下は別の部屋に連れていかれてしまった。
下手すると一人一部屋で、メイドさんが一人ずつ配置という状態になるところだったらしいけれど、そこは宰相さんが取りなしてくれて、俺は無事兄様たちと同じ部屋に入れてもらえた。
あわや一人になりそうだった俺は、余程情けない顔をしていたんだろうと思う。ちなみに俺を運んでくれていたアドリアン君、ブルーノ君とミラ嬢も一緒だ。
リコル先生は何か思うところがあったのか、第二王子殿下についていくと言って出ていってしまった。
遠慮なく兄様と共にソファに身体を沈めると、ドッと疲れが襲ってきた。
ここまでアドリアン君に抱えられてきたのにこの疲れ、情けない。
見上げると、兄様も心なしかぐったりしている。まだ魔力が全快には程遠いんだろう。
「兄様、大丈夫ですか」
ぐっと手を握って声を掛けると、兄様はフッと微笑んで、ギュッと手を握り返してくれた。
「大丈夫だよ。アルバこそ、今のうちにゆっくり休んでおくこと」
「はい。それにしても、ここまでが遠かったですね。アドリアン君、ありがとうございました」
俺がアドリアン君にお礼を言うと、アドリアン君は肩をすくめた。
「俺は宝玉に関してまったくの役立たずだったからな。あれくらいはさせてくれ。流石にオルシスもアルバをここまで連れてくるのは難儀だっただろ」
「……返す言葉もないな。今回だけは譲る」
クッと悔しそうに言い返す兄様に、アドリアン君が苦笑する。
悔しそうな兄様を見るのは珍しくて、思わずほうっと息を吐く。すると兄様に髪を撫でられて、思わず顔が緩んでしまう。
そんな俺たちを見て、ブルーノ君が呆れたような溜息を吐いた。
「一瞬で空気を戻すよな、お前たちは。それにしても……この後は陛下と謁見、か」
「多分な」
兄様が頷く。アドリアン君も肩をすくめながらブルーノ君に視線を向けた。
「国の大事だからな。今日は家には帰れないと思うしかない」
えっそうなの⁉
慌ててミラ嬢を見つめると、ミラ嬢も肩をすくめていた。
「さっきお義父様と目が合ったけれど、後で詳細な説明を要求されるでしょうね」
ブルーノ君はミラ嬢の言葉に「だろうな」と頷くと、盛大に溜息を吐いた。
「まずは陛下との対面とかだったらいいんだが、会議の場に出されたらちょっと不味いかもな」
「むしろ皆でいられる会議のほうがよくない? 殿下たちも合流できるでしょうし」
「違うことを答えたらだいぶやばいだろうな」
「どちらにしろ、さっさと終わらせてアルバを休ませたい」
四人が顔をつきあわせて、小声で話をしている。部屋の隅にはメイドさんも騎士も控えているので、聞こえたら全て筒抜けになるはずだけど、テーブル付近にこっそりと兄様が防音の魔法をかけていた。魔力は大丈夫なのかなと少しだけ心配になる。
そもそも、王城の使用人さんたちの目の前で、こんな風に魔法を使ってもいいのか疑問だけれど。
何も言われないからいいんだろうか。
周りを気にしている俺を置いてけぼりにして、兄様たちの話は進んでいく。
「僕とアルバが宝玉に魔力を入れたのはバレていないよな」
「ああ。状況を見る限りは、殿下とオルシスが協力したと思われるだろう」
ブルーノ君の言葉に、兄様が少しだけ表情を緩めた。
「ものは相談なんだけれど、僕と殿下で宝玉を満たしたということにしてはダメだろうか。アルバはふりとはいえ、王弟殿下と共に歩いていたとき、発作が起きたということになっている。だったら、アドリアンに運ばれたのはまだ具合が悪かったんだと思ってもらえないだろうか」
「そうだな、それはしっくりくるんじゃないか?」
ブルーノ君が頷く。それにアドリアン君とミラ嬢が目を瞠った。
「待て待て。そもそもやっぱりアルバがってのは問題あるのか? 褒賞とかそっち関係になったとき、アルバがまたそっちのけになるのはよくないだろう。前もそういう流れだったのに」
「そうよ、アルバ君頑張ったのに。本当だったら私がやらないといけなかったところよね……」
褒賞――まあ、確かに国を救ったのだから、褒めてもらえる方向に進むのかもしれない。
でも、別に国王陛下に褒めてもらえなくてもいいな。兄様の一番の見せ場はバッチリ特等席で見れたわけだし……なんて思っていると、兄様がぎゅっと眉を寄せた。
「出来ればアルバのことは殿下たち以外の王家には知られたくないんだ」
「「ああ……」」
ミラ嬢、アドリアン君の声が重なる。
俺が持っている唯一のチートである『刻魔法』。ほとんど使える人間がいないうえに、未来を見ることが出来るという便利さから、その魔法の使い手はほとんど王国に飼い殺しにされてきたという。
兄様はずっとそのことを警戒してくれていた。
ミラ嬢は俺のほうを見てから、ソファの上で唸るような声を上げた。
「――うん。そうね、ちょっと悔しいけれど、陛下と王太子殿下にはアルバ君が助けてくれたことを知られない方がいいと思う。あの人たちはダメだわ。きっとアルバ君のことを全然考えてくれなさそうだもの」
「だな」
うんうんと皆が頷く。皆、陛下がどんな為人なのか知ってるんだ。それほどダメダメな人なのかな。……第二王子殿下を生贄にしたような人だった。あ、ダメな人だった。
「でも、殿下たちが先に質問されていたら、どうしようか」
「出来れば同じ部屋に通してもらいたかったなあ」
「でも王族と同じ控室とか、ありえないでしょう」
「そうでもないだろ。家格的に」
黙って皆の言葉を聞いていて、溜息を呑み込む。
やっぱり宝玉に、勝手に魔力を注入するのはまずかっただろうか。
褒賞云々より、罰を受けるかもしれないってことに思い至らなかった……
陛下に指定されていたのは第二王子殿下だけ。そして詳しくは知らないけれど、本来、王国に伝わる宝玉の満たし方では魔力を単独で入れるように書かれているっぽいから、魔力を注入した者は死ぬはずだった。
でも第二王子殿下は生きている。だから俺たちが手を貸したのはバレバレ。
他の人には、宰相さんが用意してくれた宝玉の部屋へ入るのを許可する書状があるから、その助けがあったことを問題視されないかもしれないけれど、陛下本人には書類を偽造して俺たちが何かを企んだとしか映らないかもしれない。
こういう時、ゲームにあったエンディング後の大雑把なストーリーがもどかしくなる。
『そして二人は……』というまるでおとぎ話のラストのような書かれ方しかしていない。
いや、ストーリー的にはそれが一番まとまっているのはわかるんだけれど。
でも、俺たちはこれからどうすればいいのか。
そして、勝手に宝玉に触れてしまった俺は、もしかしたらとんでもない所業をしてしまったのかもしれない。
兄様たちは、陛下直々に呼び出されたことがあるから、ワンチャンセーフ。けれど、俺は違う。
「あの……」
兄様の袖をギュッと掴みながら、恐る恐る口を開く。
「やっぱり僕がアレに触れるのはよくなかったんでしょうか。資格がないとか」
「「「「そうじゃない」」」」
すると、全員が一斉に否定してくれた。
四人が目を見合わせ、自然とブルーノ君が俺に向き直る。
「いいか、アルバ。あの部屋に入れた時点で、アルバには資格があるということだ。あの扉にはそういう魔術が施されている。だから、王弟殿下も俺たちが扉を開けるまであの部屋の前でやきもきしていただろ」
「そう、なんですか」
確かに王弟殿下も、宝玉の間に入れていなかった。
そうか、そんな仕組みがあったのか。
俺が頷くと、ブルーノ君がさらに言葉を続けた。
「問題なのは、アルバが俺たち並みに魔力があり、『刻属性』だということだ。陛下は光属性持ち。つまり、鑑定魔法が使えるから、下手にアルバを会わせると、『ラオネン病』が完治していることを知られ、属性がバレかねない。今描いている道筋は書き直さないといけなくなる。まあ、アルバが守護宝玉に魔力を入れて、今も生きている時点でだいぶ大事になってしまってはいるんだが……」
……陛下が鑑定。
ブルーノ君に教えられたことに、一気に血の気が引いた。
俺の『ラオネン病』はまだ治っていないことになっている。
特効薬が発表される予定なのは、俺が高等学園に上がった時。本当であれば、その時には第二王子殿下が臣籍降下して、うちを後ろ盾に自由になっているはずだった。
でも、陛下はきっと鑑定を使ってくる。そうしたら、『刻属性』を持っている俺は、兄様と引き剝がされてしまうだろう。第二王子殿下だって国を救ったという実績があると、自由になれないかもしれない。
どうしよう。流石に鑑定を阻止するやり方なんてアプリではなかった。
もしかして俺はまた病に倒れた方がいいんだろうか。
真剣に、そんなことを考えてしまう。
そんな時だ。
「――ブルーノ・アン・ヴァルト様」
扉が開いて、侍従がブルーノ君を呼んだ。
そのしばらく後に、ミラ嬢。そしてアドリアン君。一人ずつ呼び出されて、どこかに連れていかれてしまう。
部屋が一緒だから、まさか分けて呼び出されると思っていなかった。
俺と二人になった兄様は、少しだけ険しい顔をしている。
そして、ついに兄様もこちらへ、と。
俺一人だけになるのかな、と不安になっていると、兄様は侍従についていこうとせずに口を開いた。
「すみません。僕も席を外したら、弟のアルバ一人になってしまいます。今日は体調も不安なので、それは避けたいのですが、一緒に向かうことはできないでしょうか」
「申し訳ありません。サリエンテ公爵嫡男、オルシス様しか呼ばれておりませんので、私共はアルバ様を連れていくことは出来ません」
丁寧に、しかしすげなく断られて、兄様がまた表情を険しくする。
けれど、すぐに表情を元に戻して、兄様は侍従に言葉を続けた。
「ではせめて、父に連絡を入れてもいいでしょうか。父が来たら、向かいます」
「申し訳ありませんが、王宮にて外部連絡の魔法を使うことは余程のことがない限り、許可されないかと思われます」
「では、アルバだけ先に帰すことは」
「それも、私共の一存では何とも」
「一度確認していただけませんか」
食い下がる兄様に、呼びに来た人はそれも出来かねます、と全拒否しかしない。
なんだかんだと兄様だけ連れて行く気満々だ。
でもこれで拒否したら兄様が不敬罪で捕まってしまうのではないだろうか。
それはよくない。
「兄様、僕は大丈夫です。ブルーノ君の飴もありますし。だから心配は……」
袖を掴んで兄様を見上げた瞬間、目の前にそれは現れた。
周りの景色が今いた部屋と全然違う。
これは、『刻魔法』で見える景色だ。
豪華というか装飾華美というか上品で豪奢な部屋で、真ん中には玉座。
兄様の後ろで、チラリと見えるようにそこに座っていたのは……
◆◆◆(Side オルシス)
アルバの身体から力が抜けていく。
今までの経験と感覚から、アルバが今魔力暴走をしているのがわかる。
慌ててアルバを抱き上げ、魔力を流し込んだところで、自分もまたくらりと眩暈に襲われた。僕もまだ全然魔力が回復していなかった。
膝をつきながら、僕を呼びに来た侍従を見上げる。
「……早く、父を呼んでください」
「……出来かねます」
「こんな、こんな状態で、弟を放置しろというのか……!」
ざわりと胸の中が熱くなり、なけなしの魔力が弾けそうになる。
けれど感情のままに相手にぶつけてしまうとアルバに渡す魔力が足りなくなる。なんとか感情を抑え込み、僕はアルバの身体を腕で包み込むように抱いて、立ち上がった。
王の間に通すためだけに存在している控え室だからか、アルバが休めそうな場所なんてソファくらいしかない。レガーレの飴を早く口に入れてあげたい。だが既に『ラオネン病』の特効薬があると認識させるわけにもいかない。
もどかしさに震えながら、僕は迎えに来た侍従を見上げた。
「せめてアルバが休めるところに移動させてください。このままここに放置など、絶対にさせないし、父が来るまで僕にはアルバを守る義務と権利があります」
せめて僕の魔力がなくなる前にアルバを父上に託したい。
こんな状態でも置いていけと言う、非情な者しかいない場所になど置いていけない。
まったく動く気配を見せない僕を見て、らちが明かないと思ったのか、王宮の侍従は少しだけ待つよう言い置いて、踵を返した。
とりあえず無理矢理アルバと引き離されなかったことにホッとして、ゆっくりとソファに戻る。ようやく、アルバと二人だけになった。アルバを抱きしめるように膝に乗せて腰を下ろす。
座ったことで、自身もまた疲弊しているんだということに気付いた。気を抜くと目を閉じてしまいそうだ。
アルバを腕に抱いたまま、ゆっくりと魔力を渡していく。
今もまだ、アルバには何かが視えているのだろうか。
「遅くなってごめんね」
震えそうになる手を懸命に動かして、ポケットに入っているレガーレの飴を取り出し、アルバの口に含ませる。
飴が喉に行かないようアルバの頭を支えながら、ブルーノから渡された魔力回復薬を片手で取り出して、口で蓋を開けると、一気に飲み干した。
先ほども一本飲んだけれど、全然足りない。アルバに渡すには魔力が全く足りない。
少しずつ魔力をアルバに送りながら、不甲斐なさに溜息を呑み込む。
空の瓶が三本になったところで、部屋のドアがノックされた。
返事をすると、先ほど僕を呼びに来た者がドアを開けた。
その後ろにいたのは、父上だった。
険しい顔つきで案内の者を押しのけるようにして入ってきた。父上は僕たちの前に跪いて、目を開けないアルバの頬を優しく撫で、次いで僕の頬を撫でた。
「よく頑張ったな、オルシス」
父上のその言葉に、じわりと胸が温かくなる。
「頑張ったのは僕ではなくて、アルバです」
「私に言わせれば、どちらもだよ。二人とも自慢の息子だ。顔色が悪いが、体調は大丈夫かい?」
そう訊かれ、「大丈夫です」と答えようとしてから、僕は小さく首を横に振った。
「もう、倒れそうです……アルバをお願いしても、いいでしょうか」
本当は自分でアルバを看病したいし、他の者がアルバに魔力を注ぐなんて、考えたくもない。けれど、父上なら。
父上なら、信頼できるから。
僕の口から弱音が零れていく。
「陛下のもとに行かなければならないことはわかっているのですが……このような状態のアルバを放って来いと言う人物となんて、話をしたくもない。父上、アルバを、アルバを託してもいいでしょうか……」
これが終わったら、ちゃんと家に帰れるのだろうか。あの温かい我が家に。ここはとても、冷たすぎて……
父上の顔を見て気が緩んでしまったのか、鼻の奥がツンとした。
父上はフッと表情を緩めて、僕の目もとを拭った。
「大丈夫だよ。私が、君とアルバを守る。父親として」
「父上……」
きっとアルバが我が家に来ていなかったら、こんな父上はいなかった。
もうずっと昔の記憶だから、朧気にしか覚えていないけれど、母が亡くなった頃の父上とは、視線が合うことすらなかった。でもアルバが無理矢理父上の視線を僕に向けてくれて、父上の代わりにと毎日とても心がふわふわするような言葉を惜しみなくくれて、それを父上にも強要して。
あの時の困ったような父上の顔だけは、今もはっきりと覚えている。父上もこんな表情ができたのかととても驚いたから。
今は、父上の笑顔を見て、酷く安心した。
僕は一度アルバの身体をぎゅっと抱きしめたあと、父上にその力ない身体を渡した。
父上はアルバを受け取ると、僕の額にキスをした。
「どんなことがあっても私は君たちの味方だから」
父上の笑顔に背中を押されるように、僕は先ほど起こったことを全て父上に話した。
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