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アルバの高等学園編

兄様と夜の逢瀬

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 兄様が帰ってきたのは俺が予習をしている時だった。
 ノックの後にひょこっと顔を覗かせた兄様は、蕩けるような笑顔で俺にハグしてくれた。
 夜なのに後光が差して見える。むしろこの夜の帳は兄様の神々しさを引き立てるための演出なのかもしれない。
 うっとりと兄様を見上げた俺は、全てを口に出していたらしい。兄様の笑い声で我に返った。

「アルバも……夜更けの闇の中に咲く誇り高きファレノプシスのようでつい見蕩れてしまうよ。その美しいピンク色の花弁が僕を誘惑してやまない……。吸い込まれそうなその瞳に、キスをしても?」
「にににに兄様……?」

 いきなり兄様がとても格好いいことを言い出したので、俺は抱き締められたまま兄様を見上げて固まった。
 まるでアメジストのような紫色の美しい瞳が、俺のおまぬけな表情を映してなお美しく輝いている。
 兄様がかっこよすぎて無理。本当に無理。心臓止まりそうになった。
 こんな女神のかくやの美しい顔で、あんな格好いい言葉を紡ぐなんて、俺の心臓を止めに来てるんだろうか。バックバクが収まらない。

「うっとりしてる? アルバの真似をしてみたんだけれど」
「心臓止まりそうです」
「むしろ元気に動いているね。この鼓動を感じるのはとても安心する」

 あああ、やっぱり兄様にもこのドッキドキが伝わってるのか……恥ずかしい。でもやめられない止められない。今日は王子様な兄様の夢を見そうだ。それはそれで格好いい。

「魔力の補充と、僕の活力補充に来たよ。あまり根を詰めないで、無理なくね」

 兄様は俺の机に視線を走らせた後、もう一度俺をぎゅっと抱き締めてから手を取ってソファにエスコートしてくれた。
 俺の隣に腰を下ろすと、俺のすぐぐしゃぐしゃになる柔らかい髪を梳き、頬を掌で撫でて、そっと顔を近付けてきた。
 ああ、やりとりがまるで恋人のキス直前のよう。
 こんな、こんなんで……婚約者だから、いいのかな。恋人的戯れ、いいのかな!
 ちゅ、と兄様の唇が重なって、それだけで俺はもう蕩けそうになる。
 身体がふにゃふにゃになって、兄様に凭れると、細身に見えるのにしっかりと筋肉の付いた力強い腕で、俺の身体を難なく支えてくれる。その力強さが好き。俺に向ける優しい笑顔が好き。兄様の全てが。

「好き……」

 言葉が零れた瞬間、腰を引き寄せられて舌が口の中に入り込んできた。
 深く重なった唇は、魔力補充のそれよりも数段甘やかだった。
 絡められた舌から魔力が俺の中に流れこんでくる。
 胸が熱いのは魔力のせいか兄様との甘やかなふれあいのせいか。
 思わず兄様の服に縋り付けば、一層兄様の腕に力が込められた。

「あ、んん……っ」

 もうむり。
 あたまがはれつしそうです。

 口の中を余すことなく舌でなぞられて、俺は白旗を揚げた。
 たぶんきっと、俺の中の魔力は兄様の魔力でいっぱい。
 そして俺の愚息も……
 そこに思い至ったところで、そっと兄様の舌が口から出ていった。
 名残惜しさとホッとする気持ちがないまぜになりながら、俺はくたりと兄様の胸に頭を預けた。
 魔力が満タンだからか、身体がふわふわする。
 うっとりと兄様を見上げると、兄様は目を細めてもう一度ゆっくりと俺の髪を優しく撫でた。

「学園で困ったことはない?」

 優しい声音で訊かれて、俺はハッと我に返る。
 兄様から身体を起こして、熱くなった頬を両手で押さえながら、大丈夫と答えた。

「あ、そうだ。明日セドリック君と食堂を使おうという話になったんです。何か注意事項はありますか?」

 実は使い方がわからなくて、と恥を忍んで兄様に伝えると、兄様は驚いた様に目を開いた。

「食堂を使うの? サロンで何かあった?」

 兄様少しだけ心配そうになるので、俺は慌てて否定した。

「違うんです。あの、今年から市井の方から生徒を入学させているじゃないですか。ジュール君が責任者のような形になってしまって、市井の生徒たちの食堂使用などの世話をするようなんですが、その流れで僕たちも食堂でランチを取らないかとセドリック君が言い出しまして。きっとジュール君たちのことが心配なんだと思うんです」

 俺が説明すると、兄様はハッとしたように目を瞬いた。
 アルバは違うクラスだったよね……という呟きが耳に入ってくる。
 ってことは、兄様が何か手を回したってこと……? 事前にも聞いていなかったから、兄様は関わってなかったのかと思ったけれども。まあ、ちゃんと勉強して卒業してくれたらそれでいいんじゃないかな。ジュール君がついている限り周りはあんまり口出しもできないだろうし。

「アルバも市井の生徒たちと話をするの?」
「いえ、まだご挨拶もしたことないです」
「そうか。今回の市井の者の入学は、ヴォルフラム陛下がミラ王妃を見ていて『市井の者だって優秀な者はいるのでは』と学生時代にずっと思っていて、ようやく始動した試みらしくて、それをセネット公爵が引き継いだ政策なんだ。データも一から集めるような状態だから、もし何かあればすぐに教えてくれないかな。それを僕が殿下に伝えるから」

 むしろ色々教えてくれたらとても助かる、と兄様は微笑んだ。さっきまでのピンク色な空気はようやく霧散し、俺は少しだけホッとした。これ以上は思春期の俺には辛いです……まだ学生の間は魔力補充だけって兄様に言われたので、どれだけ俺が悶々としようと、これ以上のナニかはナニもないのです……ちょっと残念、とか思ってないよ。きっといざその時になったら血が足りなくなりそうだから。せめていざその時に鼻血が出ないよう鍛え上げねば。

「それにしても、本当に王宮内は改革が進んでいるんですね。市井の方も優秀であれば採用するなんて」

 愚息を隠すように手を膝に置きながら兄様を見上げると、兄様は苦笑して肩を竦めた。

「これは口外禁止なんだけど、王宮内もまだまだ人手不足なんだ。どこも人が足りなくて。残っている者たちだけで回すのも一苦労らしいよ。父上が一番そこら辺苦心してるよ。たまにツヴァイト閣下も側近だからと王子時代にやっていた政務をこなしているくらいだからね」

 側近ってなんだろうね、とちょっと遠い目をした兄様が、俺の髪に顔を埋めた。
 ツヴァイト閣下と共にヴォルフラム陛下の補佐をするはずが、殿下と閣下の補佐を兄様一人でこなしているらしい。それは辛い。計算的に兄様が四人ほどいないと回らないのでは、という仕事をなんとか一人でこなしているらしい。兄様……

「兄様が有能すぎて惚れ直しちゃう……」
「アルバにそう言って貰えるなら、僕はもっと有能になるよう頑張るね」
「すでに十分有能なので、その有能さをちょっとだけ隠してほしいくらいです。他の人に見初められたり激務すぎて倒れたりしたら僕はもう……」

 考えただけでも胸がぎゅっと締め付けられる。国の中枢、王宮だし、もしかしたらとても自信満々な美女が兄様を見初めて迫ってくるかもしれない。まあここは公爵家だからよほどのことがないと他家からの介入は出来ないけれども。俺がちんくしゃだから簡単に奪えると思われてしまうかもしれない。学園を卒業して、兄様の世界が広がったから余計に考えてしまう。

「僕はすごく嫉妬深いのかもしれません……」

 相手もいないのにそう考えただけでもう嫉妬してしまっている。
 前はこんなじゃなかったのに……いや、ミラ王妃殿下と並んでいるだけで嫉妬してたから前から俺は心が狭すぎたってことだ……! 同担拒否じゃなかったはずなのに……! アドオルは! 解釈違いだけれども!

「嫉妬する僕を嫌いにならないでほしいです……」
「まさか! アルバに嫉妬して貰えるなんてとても嬉しいよ。僕をそれだけ好きだってことでしょう?」
「それは、そうですけど……!」

 迷惑では? と兄様を見上げると、蕩けるような笑顔で俺を見下ろしていた。

「迷惑なんて……アルバは僕がセドリックにすら嫉妬していると言ったら、迷惑に思う?」
「むしろ嬉しいしかないです!」
「じゃあ、一緒」

 ね、と可愛らしく首を傾げる兄様に、俺は全霊で頷いた。
 こうして俺の嫉妬すら肯定してくれる兄様マジ女神すぎる。俺にもったいなくない? 本当に俺でいいの? 魔法一つ制御出来ないポンコツなのに。
 兄様の優しさに感激してぎゅっと抱きつくと、兄様も俺を抱き締め返してくれた。




「さあセドリック君! 食堂に行きましょうか!」

 昼休みに入った瞬間、俺はセドリック君に駆け寄った。
 セドリック君は怪訝そうな顔で俺を見下ろしている。

「……どうしてそんなに嬉しそうなんだ……? なんか嫌な予感しかしないんだけど」
「昨日兄様に食堂の使い方を教わったのです! もう完璧ですよ。だから、早く行きましょう!」

 あの後、兄様に食堂に使い方を教わり、ついでに兄様が気に入っているメニューを聞いたのだ。だから今日はセドリック君の手を患わせることなく食堂を利用することができるのである。
 フンスと気合いを入れていると、セドリック君がブハッと噴き出した。まだクラスメイトたちが周りにわんさかいるのにその笑いは良くない気がするけど。

「あはははは、待って、どうして食堂の使い方を予習してくるんだよ……! 普通そんなことはしないだろ……っ!」

 クラスメイトたちがセドリック君の豪快な笑いを注視している。三人だけでいる時以外はもう少しお上品な所作をしているはずなのに。

「お腹……痛い……っあはははは」
「そんなに笑うことないじゃないですか……」

 口を尖らせると、それがまた笑いを誘ったのか、机に突っ伏すようにして身体を震わせた。

「ほらセドリック君、こんなところで腹筋鍛えてないで、食堂に行きますよ」
「……っ、アルバは自分の言動がどれだけ面白いかを自覚した方がいいと思う……っ」

 涙目で俺を見上げてくるセドリック君に、俺は反論を試みた。

「僕はそんな面白い言動なんてしてないですよ。ね?」

 周りに目を向けて意見を問えば、目が合ったクラスメイト全員から目を逸らされた。なんでだ。解せぬ。

 
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