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3巻
3-3
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「ああ、第二王子殿下の学年はちょっとした語り草となっているそうですよ。サポートよりも優秀な中等学園生が多くて、その歳のサポートメンバーの点数も軒並み高かったとか。中等学園生に負けていられない、と先輩の皆様もとても頑張った年だったんだそうです」
「それは……」
ある意味高等学園生はやりにくい年だったんですね、という言葉を呑み込んだ。兄様は優秀だからね。ブルーノ君も。二人とも一桁台の歳から研究とか大人顔負けでしていたから。精神的にもとても自立していたし。凄すぎる兄様マジ神だよ。
そんな話をしていて、ふと前を向いて気が付いた。
周りの班が、既に大分先に行ってしまっている。
もしかしてジュール君もアーチー君もエリン嬢も、俺に合わせてゆっくり歩いてくれているんだろうか。
俺が邪な気持ちで参加したいと言ったばっかりに、全体のスピードを落としてしまっているなんて……
「ごめんなさい、僕遅いですよね」
そう呟いて、足を速めようとすると、ジュール君がちょっとだけムッとした顔になった。
「アルバ様、そこはごめんなさいではないです。謝るくらいなら、楽しいと思ってくださることが大事です」
思わぬ言葉に目を瞬かせる。ふいと目を背けるジュール君に、ふくふくと嬉しさが沸いてきた。
「あ、ありがとう! 精いっぱい楽しみますね。夜中の寝袋で恋話とかすごく楽しみだったんです」
顔が緩むのをこらえながら前世の修学旅行のイメージでそんなことを口走ると、ジュール君がびっくりした顔になった。
「なんですかそれは……。恋の話って、僕はそんな話できないので、アーチー君にお任せします」
「えっ、僕も……その、初恋もまだなので、ちょっと難しいです。じゃあ、エリン嬢にお任せします」
「女性にそんな話を振らないでくださいませ。だったら、交換条件で意中の殿方の情報をいただきますからね。生半可な情報では納得しませんよ。たくさん私に有利になるような情報を頂けるのでしたら、私の心の内をお教えして差し上げます」
荷物を持って、ちょっぴり息は切れているけれど流れるような言葉。
俺とジュール君、アーチー君が目をまん丸くする。
「え、ええと、遠慮しておきます。ごめんなさい」
「わかればよろしいのです」
にこやかに歩くエリン嬢にやり込められて沈黙する俺たちに、前を歩くリコル先生が一生懸命笑いを堪えているのが見える。
実はエリン嬢はとてもヤリ手なのかもしれない。
そんな感じでゆっくりではあるけれど楽しい会話をしながら目的地に着くと、既にそこには今日使うための資材と道具類と高等学園生たちが揃っていた。
残念ながら殿下とアドリアン君はこの広場にすらいなかった。
セドリック君も森の反対側のキャンプ地が拠点となっているみたいだ。
きっとセドリック君ならなんでも難なくこなすと思う。
「君たちが僕たちと一緒にキャンプをする中等学園生かな」
そこで、とても身体つきの整った上級生に声を掛けられて、俺たちは頷いた。
ここについたのは俺達が最後だ。つまりもう他の皆はサポートメンバーと一緒にいるから、彼が待っていたとしたら、俺たちの班のはず。
ジュール君が一歩前に出て、すぐに彼に向かって頭を下げる。
「はじめまして。今日はよろしくお願いいたします。ヴァルト侯爵家次男ジュール・アン・ヴァルトと申します。この班の班長を務めさせていただいております」
きっちりと挨拶するジュール君に、高等学園生は満足そうに眼を細めた。
班長が一番初めに挨拶して、次は家格順に挨拶していく。俺たちが一通り挨拶を終えると、今度は高等学園生たちが挨拶をした。
「私が高等学園生第五班班長のヴォルフラム・サン・ブレイドだ。出来る限り君たちのことを守るので、この非日常を楽しんでもらえたら嬉しい」
名前を聞いて、ハッとする。サンっていうのは王族に連なる人物につくミドルネームで、王家から降嫁した者や養子として出された者は改名を余儀なくされるほど、特別な名前だ。
つまり、彼が兄様と同じ学年だという、王弟殿下のご子息なのだろう。
アーチー君たちもちょっと驚いたような表情だから間違いない。
初めて見た、と思わずマジマジ見てしまう。ダークブロンドの髪を襟元にかからない程度に短くし、瞳は第二王子殿下と同じまるで海のような青。体つきは兄様たちよりも大きく、アドリアン君ほどではない、いわゆる細マッチョだ。
確かに義父に教えてもらったように、前にちらりと見た王弟殿下の姿にとてもよく似ている。王家とはいえ、第二王子殿下たちとは系統の違う美丈夫だった。
さて、そんなヴォルフラム殿下指導の下、俺たちは皆で力を合わせてまずはテントを張る場所の整備を始めることになった。
生徒自身の力を重んじる行事だから、こういう時リコル先生は見ているだけになる。ただし、俺が具合悪そうにしていたら即俺の作業を止める役目を担っているので、目を離しはしてくれない。
高等学園生が地面を均すと、今度はヴォルフラム殿下がテントの支柱を手にする。俺たちも指示を出されて、テント組み立てに参加した。
家にあったテントとまったく同じ作りのテントだったので、オロオロすることもなく支柱を押さえるという仕事を全うすることが出来た。高等学園生が地属性魔法でテントを固定するのを見てから、ホッとしつつ手を離す。
周りも同じようにテントの組み立てに入っているけれど、そこいらじゅうで注意の声が飛んでいる。
俺たちは注意されることなくスムーズにテントを張ることが出来たけれど、それはヴォルフラム殿下の指示の上手さによるところが大きかった。
それからも、野外料理や森の探索、全てにおいて、ヴォルフラム殿下はその采配の手腕を発揮した。
皆の能力をすぐに把握したヴォルフラム殿下は、中等学園生組には、出来ることだけを指示し、難しそうなものは高等学園生にガンガン振っていった。「君なら出来る」の一言と共に。皆「仕方ないな」と苦笑しながらも、指示されたことを全うしていく。
そんな中、俺が指示されたのは、薬草を摘むこと。キャンプ地の近くに薬草が生えているので、夜の料理に使う分だけ摘んでほしいというものだった。
俺のサポートには、ヴォルフラム殿下自らがついてくれた。
「私の役目は、木の枝を集めることだから、アルバ君と共にいると効率がいいんだ」
そう言うと、ヴォルフラム殿下は足元に落ちている枝を少しずつ拾いながら、薬草の生えている場所に案内してくれた。
他の人たちは水場からの水の運搬や、魔物ではない小動物を一匹掴まえることなどを言い渡されている。エリン嬢も少し奥まったところの木の実を入手するよう指示され、高等学園生と共に森に入っていった。
俺だけちょっと仕事が楽なんじゃないかと思うけれど、世間では俺は病弱であり、ひとたび発作が起きれば命が危ない立場だから、面倒な指示を出せないのかもしれない。
俺は粛々と地面に視線を向けて、薬草を探した。
「ほら、そこに薬草が生えている。薬草の形は二年で習っているはずだから、わかるだろう」
「はい。夕食分だと、十枚程でしょうか」
「ああ、無理に取らなくてもいい。私が集めよう。枝と一緒に集められるからね」
「でも、僕の仕事は」
「無理をしなくていいから」
ヴォルフラム殿下は優しげな笑顔を浮かべると、枝を拾うよりも先に薬草を取ってきて、俺の手に握らせた。
「これで君のノルマは終了だよ、お疲れ様」
「え……」
これは完璧、お客様対応なのではないだろうか。
渡された薬草を呆然と見つめながら、もしかしたらこれから先、何もさせてもらえないのかもとちょっと不安になる。
そして、材料集めの時に浮かんだ不安は的中し、ヴォルフラム殿下は夜になっても俺以外の人たちにばかり作業を割り振っていった。料理の材料を切る事なんて俺も出来るのに、ナイフには触らせないし、物を持たせない、火のそばに近付けない。
そんなお客様対応がずっと続く。
流石にここまで何もできないのはつまらないし、不甲斐ない。
かといって、気遣ってもらっているのはわかるので、文句を言うこともできない。
もし俺がやりたいからと無理やり仕事を奪って、万が一にでも倒れたりしたら、全てヴォルフラム殿下の失点になってしまう。
だから、事情は分かるのだけれどどうしてもモヤモヤする。俺がほぼ何もしていないのはジュール君たちも気にしていて、仕事を振られると申し訳なさそうな視線をこっちに向けながら作業を始める始末だ。
いっそのこと、「アルバ君だけ仕事してませーんずるーい」って言ってもらった方がこっちとしても気が楽なのに。
そこそこに美味しい夕食を皆で食べて、後始末もヴォルフラム殿下が指示をした。
俺が割り振られた仕事は、空になった鍋を火の消えた竈から下ろすこと、だけ。仕事は仕事だけど、一瞬で終わる。しかも中が入ってないからそこそこ軽い。力なんてほぼ使わないのに。
他にはなにをすれば、と声を掛ければ、優しい笑顔で「お疲れ様。後は休んでいていいよ」と言われて口を噤むしかなくなった。
ここまで来ると、気遣いがちょっと辛い。
兄様たちの場合は、基本俺が好きに動けるようにしていて、何かをするときになってやりやすいように手を貸してくれたり、難しかったらそれとなくサポートしてくれたりするような状態だ。だから全面的に俺の代わりに何かをしてくれるヴォルフラム殿下のやり方は、どうしていいのかわからない。
リコル先生も、俺に無茶な仕事を振る場合は止められるけれど、こうして気をかけてくれる場合は注意することもできず、困り顔でいる。
ぼんやりとしている間に、テント内に入る時間になってしまった。
俺たちがテントに入ってから、高等学園生はもう一度周りを警戒し、夜中の見張りの順番を決めたりするんだそうで、一時間ほどはテント内で中等学園生だけになる。俺たちは中心で休みながら、顔を近づけた。
ジュール君が溜息を呑み込み、俺に気遣うような視線を向けた。
「アルバ様、つまらなくなかったですか」
「正直……もっと色々何かをやってみたかったです」
そう言うと、エリン嬢がこっくりと頷く。
「ヴォルフラム殿下、お優しいんですけど、アルバ様は普段もっと生き生きした顔をしておられますわよね……」
「気遣いしてくださるのは素晴らしいと思いますが、あれではアルバ様がキャンプに参加した意味がなくなる気がします」
皆同じようなことを思ってくれていたらしい。けれど、酷使されるわけじゃなく、俺のことを慮って作業を軽微にするというのは、怒るに怒れない。ありがたい、と思わなければいけない。辛い。
正直、皆が分かってくれていただけで随分救われた心持ちになった、というのもあって、俺は笑顔を作って首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、参加させてもらえただけで嬉しいので、僕のことは気にせず作業してください。それよりも、僕がやらないといけない作業を皆さんに振り分けられるっていうことは、皆さんに負担がかかるんじゃないかっていうのが心配で……」
「あれくらいなら、なんの問題もないですわ。そこらへんはお気になさらず」
「ヴィルフラム殿下はその負担も考えて、無理ないように差配しているようです。あの手腕は正直素晴らしいと思います。ですが……」
「正直言いまして、僕がもし何もしなくていいよと言われたら、途方に暮れると思います。何か作業をしてこそ皆で力を合わせたと思える気がしますから」
アーチー君がチラリと俺を見ながらそう零す。俺も同じ意見だよ。文句を言える立場じゃないけれど。
しかも高等学園生たちのほうも、最初から言い聞かされていたように、俺が何かをしようとすると「いいから、僕がやってやるから休んでろよ」とか「無理するなよ」とか皆が気遣ってくれるんだ。誰か一人でも文句を言えば、俺の作業が増えるのに。すごくありがたいんだけど、ジレンマ。
俺たちがそんな不満をひそひそと話している間、リコル先生は聞かなかった風を装って、持ってきていた薬品類を整理していた。
そんな感じで精神的にちょっと辛い一日目は終わった。
◇◆◇
眠い目を擦りながら起き出し、寝袋をしまう。皆はまだ寝ているようだ。外はようやく明るくなり始めた所のようだ。
高等学園生たちも見張りの人以外は寝ている。
テントの外に行くと、リコル先生とヴォルフラム殿下が座ってお茶を飲んでいた。
二人とも俺がテントから出てくるのを見て、驚いたような顔をしていた。
「まだ寝ていなくていいのか。起床時間までもう一刻程寝られるが」
「大丈夫です。目が覚めてしまって」
「具合は」
「元気です」
心配げな顔をしたヴォルフラム殿下は、今リコル先生とちょうど俺のことを話していたらしい。
リコル先生が温かいお茶を俺にも渡してくれる。ふわりと香る匂いから、ブルーノ君から渡された薬草茶だというのがわかった。
「先生、それは」
ヴォルフラム殿下も自分のと違うお茶だとわかったのか、俺の手元に視線を向けた。
リコル先生は微笑んで、ポットを持ち上げる。
「これはブルーノ君が調合した薬草を配合したお茶です。アルバ君はこれで体調を整えているのですよ」
「そうなんですか。ヴァルトが。彼は……素晴らしい知識を持っていますからね」
「ええ。薬草知識は私よりも上ですから」
ヴォルフラム殿下の言葉に、思わず笑顔になる。
そうだよ、ブルーノ君は凄いんだよ、と思いながら薬草茶を口にする。
そこへ、森から同じ班の高等学園生が戻って来た。
「森の方は大丈夫そうでした……と、オルシス様の弟君。起きてて大丈夫なのか?」
「はい。昨日は僕の分まで色々してくださってありがとうございました」
「いやいや、いいよ。こういうのは雰囲気を味わうだけでも普段と違って気分転換になるだろうからな。でも無理はするなよ」
ニカッと笑う高等学園生は、「リコル先生、俺にもお茶」と催促して、リコル先生を苦笑させた。
高等学園生皆が気遣ってくれている。
ありがたいんだけれど、と俺はそっとヴォルフラム殿下に視線を向けた。
ヴォルフラム殿下も、ちょうど俺を見ていたらしく、目が合った。
「今日は、僕も、もう少し何かをさせてもらえないでしょうか」
意を決して、俺はヴォルフラム殿下に直談判した。
俺の言葉に、ヴォルフラム殿下は少し目を細め、リコル先生に視線を向ける。
「先生、アルバ君はどれほど動けますか」
「学園では私が付きますが、剣技の授業は受けています。魔法は完全に禁止ですが、過度の運動でなければ、推奨しています」
「成程。では、先生が想定する過度の運動とは、この森の探索は含まれますか」
「戦闘はもちろんさせられません。が、学園長先生は、高等学園生の力を信じ、私が付くことでこのキャンプへの参加を許可されました。もちろん、アルバ君の体調を考慮した上で、です。ですから」
「成程。では、今日の森の散策は連れていってもいいということですね」
「もちろん。殿下の力も知っていますし、私も付いています。生徒がやるべき作業に私が手を出すことは禁じられていますが、戦闘は別です。私がしっかりと守りましょう」
「それを聞いて、安心しました。では私は他の後輩たちをしっかりと守りましょう。ただアルバ君」
いきなり話を振られて慌てて「はい!」と返事した俺に、ヴォルフラム殿下は、昨日も見せた優しげな笑顔を見せた。
「君のやる気は非常に嬉しい。ただ朝食は、我々高等学園生の仕事なんだよ。朝食の支度については、中等学園生は見ているだけなんだ。見ることも勉強になる、ということを、この合同キャンプで学んでほしい」
「高等学園生の仕事……ですか」
「そう。昨日は皆で力を合わせて夕食を作っただろう。でも、朝食作りはちょっとした見せ物だ。楽しみにしていてくれ」
「はい……?」
何がどう見せ物なんだろう、とチラリともう一人の高等学園生とリコル先生に視線を向けるけれど、二人とも何も言わずに口元だけを緩めていたので、楽しみにしていることにした。
それにしても、見ることも勉強になる、か。
これはあれだよな。
ヴォルフラム殿下は、俺が何も仕事が割り振られなくて不満に思っていたこともわかっていたんだろうな。
ああ、と溜め息が出る。
「ヴォルフラム殿下……」
「なんだい、アルバ君」
「あの……僕、ものすごい我が儘で申し訳ありませんでした」
これはあれだ。小さい子が危ない作業をやりたいやりたいと駄々を捏ねて親や周りの人を困らせるのと同じ事を俺はしていたってことだ。
恥ずかしさと申し訳なさが腹の奥底からぐわっと湧き上がってくる。
思わず顔を隠すように俯くと、ポンと頭に手が置かれた。
ヴォルフラム殿下の手だった。
「謝るようなことを君はしていないだろう」
優しい目が、何やらヴォルフラム殿下の器の大きさを感じさせた。
「さあ、今日は中等学園生たちの森歩きだ。何事もないといいが」
「さっきデカいのをアドリアン様が倒していたから、ここらへんは小さいのしかいないと思います。角兎は間引かず残してますから」
「私たちの班はいざという時リコル先生が付いていてくださっているからいいけれど、注意だけは怠るなよ」
「言われなくても」
リコル先生にもう一杯お茶を頂いて飲んでいた俺は、高等学園生二人の会話を聞いて、事前説明会を思い出した。
二日目は、森の中を探索するんだ。そして、魔物を一班で一体倒すのが目標。出来る限り中等学園生だけで倒すことが望ましいけれど、もし強い魔物が出て来たら、高等学園生に任せて中等学園生は逃げること、と注意されている。要するに高等学園生たちの足手まといになるなってことだと思う。そうは言われなかったけれど。
ジュール君もアーチー君も普通に剣は使えるから、角兎くらいは倒せると思う。けれど、兄様たちのずば抜けて凄かった剣技を見ていたせいか、ちょっとだけ心配になる。
隅っこで一人素振りしているので、皆の動きはよく見えるんだ。
誰も怪我をしないといいな、と思いながら、俺はお茶を飲み切った。
起床時間になると、広場は活気に包まれた。
皆でテントをしまい、一ヶ所にまとめると、高等学園生たちが煮炊きを始めた。
火属性を持っている生徒が火をつけて、水属性の生徒が鍋を水で満たす。
昨日の夜は水を汲んで、火を道具で熾していたので、その違いと魔法での調理の速さに驚くとともに、本当に見せ物だったと感心した。だって野菜すら風属性の生徒が魔法で切ってしまうんだ。
皆で息を呑んで手際の良い高等学園生たちの動きを見ていると、ヴォルフラム殿下が説明してくれた。
「これは高等学園生の魔法制御の練習でもあるんだ。自分の属性の魔法がどう使われるかを見て覚えるのが、中等学園生の仕事だ」
だからしっかり見ておくように、と言われて、皆真剣に頷いた。
高等学園生たちの力作の朝食は、とても美味しかった。
「各班魔物を一体以上狩ること。もし力及ばなかった場合は高等学園生たちが援護してくれるから、安心してほしい。もし狩れなかった場合は後日追加課題が待っている。追加の課題もそこまで難しい物ではないので、あまり気負い過ぎるな。そして、高等学園生でも苦戦する魔物には自ら向かっていかないこと。高等学園生班長の指示は必ず守ること。魔物が強いと感じたら、すぐさま高等学園生に助けを求めること。怪我をするのは本意ではないので、突っ走ることのないように。わかったな、中等学園生」
「「「はい!」」」
その後、広場の中央で、森歩きへの出発前の注意を先生が声高に伝える。皆いい返事をして、班ごとの解散になった。ルートは二種類で、時間差をつけて出発するらしい。
俺たちの班の代表であるヴォルフラム殿下は、俺たちを集めると、魔物が現れた際の指示を一人一人に出した。
俺はとことん距離を置き、リコル先生が護れる範囲内にいること。そうすれば高等学園生たちも負担なく中等学園生を守れるどころか、余裕が出来るらしい。
俺が頷くと、ヴォルフラム殿下はまた柔らかい笑みを浮かべた。
「余裕があれば、色々と採取も教えられる。森で遭難した時に食べられるものと食べられない物を知っているだけで、生存率が格段に上がるからな。もちろん、今回のこの校外学習ではぐれることはないと思うが、何事にもアクシデントは付いて回る。最悪を想定して、その対処をしておけば、生存できる可能性が上がる」
ヴィルフラム殿下の話を聞きながら、魔物討伐か、と軽く緊張しているのを誤魔化すように呟く。
前に湖で見た魚たちも魔物化していたし、小さい頃森で義父の騎士さんたちが魔物をサクサク倒していた。
だから魔物自体を見たことがないわけではないけれど、普段は学園と家との往復しかしていないから、いざ魔物と聞くと落ち着かなくなる。戦闘手段が本当に何もないから余計に。
「では、行こうか」
ヴォルフラム殿下の声と共に、先頭に立った高等学園生が歩き始める。朝も周りを警戒してくれていた人だ。とてもサクサク動く人だったけれど、今は俺たち――主に俺に歩く速さを合わせてくれているらしく、結構ゆっくり進んでくれている。
周りを警戒しつつ、ヴォルフラム殿下が様々な素材について説明してくれる。
木から垂れさがっている紫の実は皮に毒があるから食べてはいけないとか、そこのギザギザの葉は傷薬になるとか。
講義を聞いているみたいで、とても楽しい。
ジュール君は胸に忍ばせたメモを開いて、その都度メモしている。流石。
ジュール君がメモ帳をしまったところで、先頭に立っていた高等学園生がサッと手を上げた。
魔物がいる合図だ。
「中等学園生、戦闘準備開始。アルバ君はすぐリコル先生の元へ」
俺たちはすぐに指示されたように動いた。リコル先生のすぐ近くで足を止めた俺は、剣を手にするジュール君たちに小さく頑張ってとエールを送った。
ジュール君が足を踏み出す。エリン嬢は詠唱を始め、アーチー君は剣に炎を纏わせていた。
出てきた魔物は、動きは遅いけれど防御力が高いと言われているスチールタートルだった。
HP自体は低いし動きも遅いけれど、剣も魔法も効き辛く、ゲーム内の序盤ではなかなか苦労する魔物だ。確か、ゲームでは毒系の状態異常でコロリとやっつけられたはずだけど、ここに状態異常を発動できる人はいるのかな。
キン、と金属音が響く。見れば案の定、二人が剣を弾かれていた。
エリン嬢の飛ばした魔法も、ほぼ効いていないようだ。
思わず俺は叫んでしまう。
「その魔物は状態異常がよく効きます! 毒系の魔法を使える方はいますか!」
手は出せないけれど、口くらいは出してもいいはずだ。
リコル先生が驚いたようにこっちを見ているけれど、気にしない。俺の言葉に、ジュール君がすぐさま詠唱をして、何やら色のついた水を魔物に浴びせた。すると暫くの間魔物がもがき、やがて、動かなくなった。
「一体討伐。課題はクリア、だな」
ヴォルフラム殿下の言葉に、皆がホッと息を吐く。
俺も胸をなでおろした。
ゲームと同じ弱点で良かった。何度繰り返したかわからないくらいアクションパートをやったから、魔物の情報は大分覚えている。前に湖で見た魚はまったく知らなかったけれど。
そんな俺にジュール君が駆け寄ってくる。
「アルバ様、助言ありがとうございました。どこで魔物の知識を?」
それから真面目な顔で訊かれて、ちょっとだけ視線を泳がせてしまう。前世大量に倒しましたなんて言えない。
そんな俺を見て、リコル先生が苦笑しながら、助け舟を出してくれた。
「ジュール君、アルバ君はずっとベッドの上にいた時に、たくさんの本を読んでいたんです。その中には魔物の情報が載った書物もありました」
「それは素晴らしいですね。流石勤勉です、アルバ様」
ジュール君はリコル先生の言葉を疑いもせず目を輝かせていたけれど、実は魔物の本なんて見たこともない。
むしろあるならぜひ見てみたい。どこまで詳細に書かれているのか本気で見てみたい。今度義父の書斎を探してみよう。
倒れた魔物の素材を剥ぐ高等学園生たちを見ながら、俺はそっとそう心に決めた。
二体目の魔物は、シルバーウルフという狼系の魔物だった。ゲーム内のシルバーウルフはとても素早く、必ず先手を取られる。ただ、第一撃目を受ける相手として盾か小手を着けたキャラを先頭に立たせると、ほぼノーダメージで自分たちのターンになるので、ゲームでは苦戦はしない魔物だった。
しかし銀色の毛皮を纏って赤い目をギラギラさせた姿は、ゲームとは迫力が違う。
俺は、ビビり散らかしつつギュッとリコル先生の裾を握りしめて、深呼吸をした。
情報を求めるようにこちらを見るアーチー君とジュール君に頷く。
「首に一撃目が必ず来るので、避けるのは難しくない、はずです。防御力は高くないので、カウンターで合わせれば大抵一撃で倒せます」
「はい!」
俺の言葉に頷くと、アーチー君が華麗に攻撃を避け、綺麗にカウンターを入れた。攻撃力は高くなさそうな一撃だったけれど、綺麗に口に剣が吸い込まれていったので、一撃で魔物を倒すことが出来た。ホッとする。
一匹魔物が出るたびにこんなにハラハラするなんて、我ながら情けない。ようやくリコル先生の服を離すと、そこがちょっとしわになってしまっていた。手汗が凄い。
「ジュール君、アーチー君、エリン嬢、大丈夫ですか。怖くないですか」
歩きながらそっと訊くと、三人は「全然」と平然と返してきた。
「アルバ様がちゃんと助言をくださるので、冷静に対処できます」
「ええ。知識が素晴らしいです」
「本当に。たくさんお勉強なさったのでしょうね。私も見習わなければいけませんわ」
三人がとてもキラキラした目で俺を見てくる。ううう、そんな目で見られると困る。俺のはチートのような前世の知識だから。でもかといって知識を出し惜しみして誰かが怪我するのも嫌だし。
諦めて大人しく三人の視線を受け取る。
道中にある薬草やら木の実やらを教えてもらいながら歩いていると、いつしか、前に兄様と来た崖の近くの道に出ていた。
そう言えばこっちルートの広場に割り当てられていたな、と思いながら、開けた崖の方に視線を向ける。
流石に崖のすぐ横の道を歩くわけではなく、その横の細い獣道のような所を進む。高等学園生たちがこっちの方が崖より安全だと判断したからだ。俺もそう思う。特に手すりもない崖の道は、少しでも足を踏み外すと崖に真っ逆さまだ。
小さい頃に見た崖の下の風景を思い出し、足元からぞわりと冷たい何かが体の中を走る。そうだった。高いところはダメだった。想い出してもダメだった。
崖の方を気にしながら皆についていくと、先頭の高等学園生がサッと手を上げて俺たちを止めた。
「中坊、全員退避……!」
切羽詰まったような声が聞こえるのと同時に、俺はリコル先生に持ち上げられた。
リコル先生が一息に後ろに跳ぶ。ジュール君たちもこっちに走り寄ってくる。
高等学園生たちは一斉に剣を手に、即座に魔法を展開した。
なんだ!? 何が起きたの!?
「皆、殿下たちのことは考えず、走れ!」
その声と共に、リコル先生が俺を抱えて走り始めた。
俺が状況を把握する前に、俺たちは戦闘現場からの逃避に成功した。……はずだった。
でも、チラリと後ろを見た俺の目に飛び込んできたのは、いつか見た最推し隠しルートに出て来た魔物、アビスガーディアンだった。レベルマックスじゃないととてつもなく苦戦する大型魔物だ。さっきまで倒していた魔物の比ではない。
俺は必死に叫んだ。
「先生、殿下たちが危ない……!」
「ですが私達があの場に居れば、余計に彼らが不利になります……! 幸い、後続にも何組かいますので、合流を目指します! 君を置いたら私も援護に戻りますから!」
リコル先生の言葉に、自分たちで走っている皆が頷く。
けれど、遠目からでも、ヴォルフラム殿下たちは苦戦しているようだ。
「お前たちも逃げろ!」
その時、ヴォルフラム殿下の声が聞こえてきた。
お前たち、というのはあの場に残っている高等学園生のことだろうか。まさか、ヴォルフラム殿下一人であの魔物と対峙するってこと……?
そんなの無理に決まってる。ゲーム内ですらあのハイスペック最推しと、主人公がレベルマックスになってようやくボロボロになりながら倒した魔物だ。しかも回復薬は捨てるほど持っていたのに終わったらほぼ空で、超レアアイテムの復活薬まで使ってようやく倒したぐらいなのに。
「でんか……!」
「アルバ君、いいですか、今は、全力で逃げる時です……! 私も、あんな強大な魔力を持った魔物は、倒せない……!」
リコル先生の顔が、今までになく苦しそうだった。
無力な自分が不甲斐ない、という小さな呟きが聞こえてしまったので、生徒たちを置いて逃げる自分のことを責めているのかもしれない。しかも俺をしっかりと守るという約束をしてしまっているから、戻るに戻れないんだ。
俺が無力なばっかりに。
いや、魔物の知識だけなら俺でも役に立てるはず――
そう言って、リコル先生に下ろしてもらおうとして口を開きかけた時、それは起こった。
ヴォルフラム殿下がいた辺りから、青い炎の柱が、ゴォォォォという轟音と共に上がったのだ。
俺はその青い炎を見たことがある。
「あの炎……闇属性の」
隠しキャラの青い炎。そこでようやく、俺はゲーム内の隠しキャラが、ヴォルフラム殿下だったということに気付いた。
その呟きは、リコル先生の耳にだけ入っていた。
「それは……」
ある意味高等学園生はやりにくい年だったんですね、という言葉を呑み込んだ。兄様は優秀だからね。ブルーノ君も。二人とも一桁台の歳から研究とか大人顔負けでしていたから。精神的にもとても自立していたし。凄すぎる兄様マジ神だよ。
そんな話をしていて、ふと前を向いて気が付いた。
周りの班が、既に大分先に行ってしまっている。
もしかしてジュール君もアーチー君もエリン嬢も、俺に合わせてゆっくり歩いてくれているんだろうか。
俺が邪な気持ちで参加したいと言ったばっかりに、全体のスピードを落としてしまっているなんて……
「ごめんなさい、僕遅いですよね」
そう呟いて、足を速めようとすると、ジュール君がちょっとだけムッとした顔になった。
「アルバ様、そこはごめんなさいではないです。謝るくらいなら、楽しいと思ってくださることが大事です」
思わぬ言葉に目を瞬かせる。ふいと目を背けるジュール君に、ふくふくと嬉しさが沸いてきた。
「あ、ありがとう! 精いっぱい楽しみますね。夜中の寝袋で恋話とかすごく楽しみだったんです」
顔が緩むのをこらえながら前世の修学旅行のイメージでそんなことを口走ると、ジュール君がびっくりした顔になった。
「なんですかそれは……。恋の話って、僕はそんな話できないので、アーチー君にお任せします」
「えっ、僕も……その、初恋もまだなので、ちょっと難しいです。じゃあ、エリン嬢にお任せします」
「女性にそんな話を振らないでくださいませ。だったら、交換条件で意中の殿方の情報をいただきますからね。生半可な情報では納得しませんよ。たくさん私に有利になるような情報を頂けるのでしたら、私の心の内をお教えして差し上げます」
荷物を持って、ちょっぴり息は切れているけれど流れるような言葉。
俺とジュール君、アーチー君が目をまん丸くする。
「え、ええと、遠慮しておきます。ごめんなさい」
「わかればよろしいのです」
にこやかに歩くエリン嬢にやり込められて沈黙する俺たちに、前を歩くリコル先生が一生懸命笑いを堪えているのが見える。
実はエリン嬢はとてもヤリ手なのかもしれない。
そんな感じでゆっくりではあるけれど楽しい会話をしながら目的地に着くと、既にそこには今日使うための資材と道具類と高等学園生たちが揃っていた。
残念ながら殿下とアドリアン君はこの広場にすらいなかった。
セドリック君も森の反対側のキャンプ地が拠点となっているみたいだ。
きっとセドリック君ならなんでも難なくこなすと思う。
「君たちが僕たちと一緒にキャンプをする中等学園生かな」
そこで、とても身体つきの整った上級生に声を掛けられて、俺たちは頷いた。
ここについたのは俺達が最後だ。つまりもう他の皆はサポートメンバーと一緒にいるから、彼が待っていたとしたら、俺たちの班のはず。
ジュール君が一歩前に出て、すぐに彼に向かって頭を下げる。
「はじめまして。今日はよろしくお願いいたします。ヴァルト侯爵家次男ジュール・アン・ヴァルトと申します。この班の班長を務めさせていただいております」
きっちりと挨拶するジュール君に、高等学園生は満足そうに眼を細めた。
班長が一番初めに挨拶して、次は家格順に挨拶していく。俺たちが一通り挨拶を終えると、今度は高等学園生たちが挨拶をした。
「私が高等学園生第五班班長のヴォルフラム・サン・ブレイドだ。出来る限り君たちのことを守るので、この非日常を楽しんでもらえたら嬉しい」
名前を聞いて、ハッとする。サンっていうのは王族に連なる人物につくミドルネームで、王家から降嫁した者や養子として出された者は改名を余儀なくされるほど、特別な名前だ。
つまり、彼が兄様と同じ学年だという、王弟殿下のご子息なのだろう。
アーチー君たちもちょっと驚いたような表情だから間違いない。
初めて見た、と思わずマジマジ見てしまう。ダークブロンドの髪を襟元にかからない程度に短くし、瞳は第二王子殿下と同じまるで海のような青。体つきは兄様たちよりも大きく、アドリアン君ほどではない、いわゆる細マッチョだ。
確かに義父に教えてもらったように、前にちらりと見た王弟殿下の姿にとてもよく似ている。王家とはいえ、第二王子殿下たちとは系統の違う美丈夫だった。
さて、そんなヴォルフラム殿下指導の下、俺たちは皆で力を合わせてまずはテントを張る場所の整備を始めることになった。
生徒自身の力を重んじる行事だから、こういう時リコル先生は見ているだけになる。ただし、俺が具合悪そうにしていたら即俺の作業を止める役目を担っているので、目を離しはしてくれない。
高等学園生が地面を均すと、今度はヴォルフラム殿下がテントの支柱を手にする。俺たちも指示を出されて、テント組み立てに参加した。
家にあったテントとまったく同じ作りのテントだったので、オロオロすることもなく支柱を押さえるという仕事を全うすることが出来た。高等学園生が地属性魔法でテントを固定するのを見てから、ホッとしつつ手を離す。
周りも同じようにテントの組み立てに入っているけれど、そこいらじゅうで注意の声が飛んでいる。
俺たちは注意されることなくスムーズにテントを張ることが出来たけれど、それはヴォルフラム殿下の指示の上手さによるところが大きかった。
それからも、野外料理や森の探索、全てにおいて、ヴォルフラム殿下はその采配の手腕を発揮した。
皆の能力をすぐに把握したヴォルフラム殿下は、中等学園生組には、出来ることだけを指示し、難しそうなものは高等学園生にガンガン振っていった。「君なら出来る」の一言と共に。皆「仕方ないな」と苦笑しながらも、指示されたことを全うしていく。
そんな中、俺が指示されたのは、薬草を摘むこと。キャンプ地の近くに薬草が生えているので、夜の料理に使う分だけ摘んでほしいというものだった。
俺のサポートには、ヴォルフラム殿下自らがついてくれた。
「私の役目は、木の枝を集めることだから、アルバ君と共にいると効率がいいんだ」
そう言うと、ヴォルフラム殿下は足元に落ちている枝を少しずつ拾いながら、薬草の生えている場所に案内してくれた。
他の人たちは水場からの水の運搬や、魔物ではない小動物を一匹掴まえることなどを言い渡されている。エリン嬢も少し奥まったところの木の実を入手するよう指示され、高等学園生と共に森に入っていった。
俺だけちょっと仕事が楽なんじゃないかと思うけれど、世間では俺は病弱であり、ひとたび発作が起きれば命が危ない立場だから、面倒な指示を出せないのかもしれない。
俺は粛々と地面に視線を向けて、薬草を探した。
「ほら、そこに薬草が生えている。薬草の形は二年で習っているはずだから、わかるだろう」
「はい。夕食分だと、十枚程でしょうか」
「ああ、無理に取らなくてもいい。私が集めよう。枝と一緒に集められるからね」
「でも、僕の仕事は」
「無理をしなくていいから」
ヴォルフラム殿下は優しげな笑顔を浮かべると、枝を拾うよりも先に薬草を取ってきて、俺の手に握らせた。
「これで君のノルマは終了だよ、お疲れ様」
「え……」
これは完璧、お客様対応なのではないだろうか。
渡された薬草を呆然と見つめながら、もしかしたらこれから先、何もさせてもらえないのかもとちょっと不安になる。
そして、材料集めの時に浮かんだ不安は的中し、ヴォルフラム殿下は夜になっても俺以外の人たちにばかり作業を割り振っていった。料理の材料を切る事なんて俺も出来るのに、ナイフには触らせないし、物を持たせない、火のそばに近付けない。
そんなお客様対応がずっと続く。
流石にここまで何もできないのはつまらないし、不甲斐ない。
かといって、気遣ってもらっているのはわかるので、文句を言うこともできない。
もし俺がやりたいからと無理やり仕事を奪って、万が一にでも倒れたりしたら、全てヴォルフラム殿下の失点になってしまう。
だから、事情は分かるのだけれどどうしてもモヤモヤする。俺がほぼ何もしていないのはジュール君たちも気にしていて、仕事を振られると申し訳なさそうな視線をこっちに向けながら作業を始める始末だ。
いっそのこと、「アルバ君だけ仕事してませーんずるーい」って言ってもらった方がこっちとしても気が楽なのに。
そこそこに美味しい夕食を皆で食べて、後始末もヴォルフラム殿下が指示をした。
俺が割り振られた仕事は、空になった鍋を火の消えた竈から下ろすこと、だけ。仕事は仕事だけど、一瞬で終わる。しかも中が入ってないからそこそこ軽い。力なんてほぼ使わないのに。
他にはなにをすれば、と声を掛ければ、優しい笑顔で「お疲れ様。後は休んでいていいよ」と言われて口を噤むしかなくなった。
ここまで来ると、気遣いがちょっと辛い。
兄様たちの場合は、基本俺が好きに動けるようにしていて、何かをするときになってやりやすいように手を貸してくれたり、難しかったらそれとなくサポートしてくれたりするような状態だ。だから全面的に俺の代わりに何かをしてくれるヴォルフラム殿下のやり方は、どうしていいのかわからない。
リコル先生も、俺に無茶な仕事を振る場合は止められるけれど、こうして気をかけてくれる場合は注意することもできず、困り顔でいる。
ぼんやりとしている間に、テント内に入る時間になってしまった。
俺たちがテントに入ってから、高等学園生はもう一度周りを警戒し、夜中の見張りの順番を決めたりするんだそうで、一時間ほどはテント内で中等学園生だけになる。俺たちは中心で休みながら、顔を近づけた。
ジュール君が溜息を呑み込み、俺に気遣うような視線を向けた。
「アルバ様、つまらなくなかったですか」
「正直……もっと色々何かをやってみたかったです」
そう言うと、エリン嬢がこっくりと頷く。
「ヴォルフラム殿下、お優しいんですけど、アルバ様は普段もっと生き生きした顔をしておられますわよね……」
「気遣いしてくださるのは素晴らしいと思いますが、あれではアルバ様がキャンプに参加した意味がなくなる気がします」
皆同じようなことを思ってくれていたらしい。けれど、酷使されるわけじゃなく、俺のことを慮って作業を軽微にするというのは、怒るに怒れない。ありがたい、と思わなければいけない。辛い。
正直、皆が分かってくれていただけで随分救われた心持ちになった、というのもあって、俺は笑顔を作って首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、参加させてもらえただけで嬉しいので、僕のことは気にせず作業してください。それよりも、僕がやらないといけない作業を皆さんに振り分けられるっていうことは、皆さんに負担がかかるんじゃないかっていうのが心配で……」
「あれくらいなら、なんの問題もないですわ。そこらへんはお気になさらず」
「ヴィルフラム殿下はその負担も考えて、無理ないように差配しているようです。あの手腕は正直素晴らしいと思います。ですが……」
「正直言いまして、僕がもし何もしなくていいよと言われたら、途方に暮れると思います。何か作業をしてこそ皆で力を合わせたと思える気がしますから」
アーチー君がチラリと俺を見ながらそう零す。俺も同じ意見だよ。文句を言える立場じゃないけれど。
しかも高等学園生たちのほうも、最初から言い聞かされていたように、俺が何かをしようとすると「いいから、僕がやってやるから休んでろよ」とか「無理するなよ」とか皆が気遣ってくれるんだ。誰か一人でも文句を言えば、俺の作業が増えるのに。すごくありがたいんだけど、ジレンマ。
俺たちがそんな不満をひそひそと話している間、リコル先生は聞かなかった風を装って、持ってきていた薬品類を整理していた。
そんな感じで精神的にちょっと辛い一日目は終わった。
◇◆◇
眠い目を擦りながら起き出し、寝袋をしまう。皆はまだ寝ているようだ。外はようやく明るくなり始めた所のようだ。
高等学園生たちも見張りの人以外は寝ている。
テントの外に行くと、リコル先生とヴォルフラム殿下が座ってお茶を飲んでいた。
二人とも俺がテントから出てくるのを見て、驚いたような顔をしていた。
「まだ寝ていなくていいのか。起床時間までもう一刻程寝られるが」
「大丈夫です。目が覚めてしまって」
「具合は」
「元気です」
心配げな顔をしたヴォルフラム殿下は、今リコル先生とちょうど俺のことを話していたらしい。
リコル先生が温かいお茶を俺にも渡してくれる。ふわりと香る匂いから、ブルーノ君から渡された薬草茶だというのがわかった。
「先生、それは」
ヴォルフラム殿下も自分のと違うお茶だとわかったのか、俺の手元に視線を向けた。
リコル先生は微笑んで、ポットを持ち上げる。
「これはブルーノ君が調合した薬草を配合したお茶です。アルバ君はこれで体調を整えているのですよ」
「そうなんですか。ヴァルトが。彼は……素晴らしい知識を持っていますからね」
「ええ。薬草知識は私よりも上ですから」
ヴォルフラム殿下の言葉に、思わず笑顔になる。
そうだよ、ブルーノ君は凄いんだよ、と思いながら薬草茶を口にする。
そこへ、森から同じ班の高等学園生が戻って来た。
「森の方は大丈夫そうでした……と、オルシス様の弟君。起きてて大丈夫なのか?」
「はい。昨日は僕の分まで色々してくださってありがとうございました」
「いやいや、いいよ。こういうのは雰囲気を味わうだけでも普段と違って気分転換になるだろうからな。でも無理はするなよ」
ニカッと笑う高等学園生は、「リコル先生、俺にもお茶」と催促して、リコル先生を苦笑させた。
高等学園生皆が気遣ってくれている。
ありがたいんだけれど、と俺はそっとヴォルフラム殿下に視線を向けた。
ヴォルフラム殿下も、ちょうど俺を見ていたらしく、目が合った。
「今日は、僕も、もう少し何かをさせてもらえないでしょうか」
意を決して、俺はヴォルフラム殿下に直談判した。
俺の言葉に、ヴォルフラム殿下は少し目を細め、リコル先生に視線を向ける。
「先生、アルバ君はどれほど動けますか」
「学園では私が付きますが、剣技の授業は受けています。魔法は完全に禁止ですが、過度の運動でなければ、推奨しています」
「成程。では、先生が想定する過度の運動とは、この森の探索は含まれますか」
「戦闘はもちろんさせられません。が、学園長先生は、高等学園生の力を信じ、私が付くことでこのキャンプへの参加を許可されました。もちろん、アルバ君の体調を考慮した上で、です。ですから」
「成程。では、今日の森の散策は連れていってもいいということですね」
「もちろん。殿下の力も知っていますし、私も付いています。生徒がやるべき作業に私が手を出すことは禁じられていますが、戦闘は別です。私がしっかりと守りましょう」
「それを聞いて、安心しました。では私は他の後輩たちをしっかりと守りましょう。ただアルバ君」
いきなり話を振られて慌てて「はい!」と返事した俺に、ヴォルフラム殿下は、昨日も見せた優しげな笑顔を見せた。
「君のやる気は非常に嬉しい。ただ朝食は、我々高等学園生の仕事なんだよ。朝食の支度については、中等学園生は見ているだけなんだ。見ることも勉強になる、ということを、この合同キャンプで学んでほしい」
「高等学園生の仕事……ですか」
「そう。昨日は皆で力を合わせて夕食を作っただろう。でも、朝食作りはちょっとした見せ物だ。楽しみにしていてくれ」
「はい……?」
何がどう見せ物なんだろう、とチラリともう一人の高等学園生とリコル先生に視線を向けるけれど、二人とも何も言わずに口元だけを緩めていたので、楽しみにしていることにした。
それにしても、見ることも勉強になる、か。
これはあれだよな。
ヴォルフラム殿下は、俺が何も仕事が割り振られなくて不満に思っていたこともわかっていたんだろうな。
ああ、と溜め息が出る。
「ヴォルフラム殿下……」
「なんだい、アルバ君」
「あの……僕、ものすごい我が儘で申し訳ありませんでした」
これはあれだ。小さい子が危ない作業をやりたいやりたいと駄々を捏ねて親や周りの人を困らせるのと同じ事を俺はしていたってことだ。
恥ずかしさと申し訳なさが腹の奥底からぐわっと湧き上がってくる。
思わず顔を隠すように俯くと、ポンと頭に手が置かれた。
ヴォルフラム殿下の手だった。
「謝るようなことを君はしていないだろう」
優しい目が、何やらヴォルフラム殿下の器の大きさを感じさせた。
「さあ、今日は中等学園生たちの森歩きだ。何事もないといいが」
「さっきデカいのをアドリアン様が倒していたから、ここらへんは小さいのしかいないと思います。角兎は間引かず残してますから」
「私たちの班はいざという時リコル先生が付いていてくださっているからいいけれど、注意だけは怠るなよ」
「言われなくても」
リコル先生にもう一杯お茶を頂いて飲んでいた俺は、高等学園生二人の会話を聞いて、事前説明会を思い出した。
二日目は、森の中を探索するんだ。そして、魔物を一班で一体倒すのが目標。出来る限り中等学園生だけで倒すことが望ましいけれど、もし強い魔物が出て来たら、高等学園生に任せて中等学園生は逃げること、と注意されている。要するに高等学園生たちの足手まといになるなってことだと思う。そうは言われなかったけれど。
ジュール君もアーチー君も普通に剣は使えるから、角兎くらいは倒せると思う。けれど、兄様たちのずば抜けて凄かった剣技を見ていたせいか、ちょっとだけ心配になる。
隅っこで一人素振りしているので、皆の動きはよく見えるんだ。
誰も怪我をしないといいな、と思いながら、俺はお茶を飲み切った。
起床時間になると、広場は活気に包まれた。
皆でテントをしまい、一ヶ所にまとめると、高等学園生たちが煮炊きを始めた。
火属性を持っている生徒が火をつけて、水属性の生徒が鍋を水で満たす。
昨日の夜は水を汲んで、火を道具で熾していたので、その違いと魔法での調理の速さに驚くとともに、本当に見せ物だったと感心した。だって野菜すら風属性の生徒が魔法で切ってしまうんだ。
皆で息を呑んで手際の良い高等学園生たちの動きを見ていると、ヴォルフラム殿下が説明してくれた。
「これは高等学園生の魔法制御の練習でもあるんだ。自分の属性の魔法がどう使われるかを見て覚えるのが、中等学園生の仕事だ」
だからしっかり見ておくように、と言われて、皆真剣に頷いた。
高等学園生たちの力作の朝食は、とても美味しかった。
「各班魔物を一体以上狩ること。もし力及ばなかった場合は高等学園生たちが援護してくれるから、安心してほしい。もし狩れなかった場合は後日追加課題が待っている。追加の課題もそこまで難しい物ではないので、あまり気負い過ぎるな。そして、高等学園生でも苦戦する魔物には自ら向かっていかないこと。高等学園生班長の指示は必ず守ること。魔物が強いと感じたら、すぐさま高等学園生に助けを求めること。怪我をするのは本意ではないので、突っ走ることのないように。わかったな、中等学園生」
「「「はい!」」」
その後、広場の中央で、森歩きへの出発前の注意を先生が声高に伝える。皆いい返事をして、班ごとの解散になった。ルートは二種類で、時間差をつけて出発するらしい。
俺たちの班の代表であるヴォルフラム殿下は、俺たちを集めると、魔物が現れた際の指示を一人一人に出した。
俺はとことん距離を置き、リコル先生が護れる範囲内にいること。そうすれば高等学園生たちも負担なく中等学園生を守れるどころか、余裕が出来るらしい。
俺が頷くと、ヴォルフラム殿下はまた柔らかい笑みを浮かべた。
「余裕があれば、色々と採取も教えられる。森で遭難した時に食べられるものと食べられない物を知っているだけで、生存率が格段に上がるからな。もちろん、今回のこの校外学習ではぐれることはないと思うが、何事にもアクシデントは付いて回る。最悪を想定して、その対処をしておけば、生存できる可能性が上がる」
ヴィルフラム殿下の話を聞きながら、魔物討伐か、と軽く緊張しているのを誤魔化すように呟く。
前に湖で見た魚たちも魔物化していたし、小さい頃森で義父の騎士さんたちが魔物をサクサク倒していた。
だから魔物自体を見たことがないわけではないけれど、普段は学園と家との往復しかしていないから、いざ魔物と聞くと落ち着かなくなる。戦闘手段が本当に何もないから余計に。
「では、行こうか」
ヴォルフラム殿下の声と共に、先頭に立った高等学園生が歩き始める。朝も周りを警戒してくれていた人だ。とてもサクサク動く人だったけれど、今は俺たち――主に俺に歩く速さを合わせてくれているらしく、結構ゆっくり進んでくれている。
周りを警戒しつつ、ヴォルフラム殿下が様々な素材について説明してくれる。
木から垂れさがっている紫の実は皮に毒があるから食べてはいけないとか、そこのギザギザの葉は傷薬になるとか。
講義を聞いているみたいで、とても楽しい。
ジュール君は胸に忍ばせたメモを開いて、その都度メモしている。流石。
ジュール君がメモ帳をしまったところで、先頭に立っていた高等学園生がサッと手を上げた。
魔物がいる合図だ。
「中等学園生、戦闘準備開始。アルバ君はすぐリコル先生の元へ」
俺たちはすぐに指示されたように動いた。リコル先生のすぐ近くで足を止めた俺は、剣を手にするジュール君たちに小さく頑張ってとエールを送った。
ジュール君が足を踏み出す。エリン嬢は詠唱を始め、アーチー君は剣に炎を纏わせていた。
出てきた魔物は、動きは遅いけれど防御力が高いと言われているスチールタートルだった。
HP自体は低いし動きも遅いけれど、剣も魔法も効き辛く、ゲーム内の序盤ではなかなか苦労する魔物だ。確か、ゲームでは毒系の状態異常でコロリとやっつけられたはずだけど、ここに状態異常を発動できる人はいるのかな。
キン、と金属音が響く。見れば案の定、二人が剣を弾かれていた。
エリン嬢の飛ばした魔法も、ほぼ効いていないようだ。
思わず俺は叫んでしまう。
「その魔物は状態異常がよく効きます! 毒系の魔法を使える方はいますか!」
手は出せないけれど、口くらいは出してもいいはずだ。
リコル先生が驚いたようにこっちを見ているけれど、気にしない。俺の言葉に、ジュール君がすぐさま詠唱をして、何やら色のついた水を魔物に浴びせた。すると暫くの間魔物がもがき、やがて、動かなくなった。
「一体討伐。課題はクリア、だな」
ヴォルフラム殿下の言葉に、皆がホッと息を吐く。
俺も胸をなでおろした。
ゲームと同じ弱点で良かった。何度繰り返したかわからないくらいアクションパートをやったから、魔物の情報は大分覚えている。前に湖で見た魚はまったく知らなかったけれど。
そんな俺にジュール君が駆け寄ってくる。
「アルバ様、助言ありがとうございました。どこで魔物の知識を?」
それから真面目な顔で訊かれて、ちょっとだけ視線を泳がせてしまう。前世大量に倒しましたなんて言えない。
そんな俺を見て、リコル先生が苦笑しながら、助け舟を出してくれた。
「ジュール君、アルバ君はずっとベッドの上にいた時に、たくさんの本を読んでいたんです。その中には魔物の情報が載った書物もありました」
「それは素晴らしいですね。流石勤勉です、アルバ様」
ジュール君はリコル先生の言葉を疑いもせず目を輝かせていたけれど、実は魔物の本なんて見たこともない。
むしろあるならぜひ見てみたい。どこまで詳細に書かれているのか本気で見てみたい。今度義父の書斎を探してみよう。
倒れた魔物の素材を剥ぐ高等学園生たちを見ながら、俺はそっとそう心に決めた。
二体目の魔物は、シルバーウルフという狼系の魔物だった。ゲーム内のシルバーウルフはとても素早く、必ず先手を取られる。ただ、第一撃目を受ける相手として盾か小手を着けたキャラを先頭に立たせると、ほぼノーダメージで自分たちのターンになるので、ゲームでは苦戦はしない魔物だった。
しかし銀色の毛皮を纏って赤い目をギラギラさせた姿は、ゲームとは迫力が違う。
俺は、ビビり散らかしつつギュッとリコル先生の裾を握りしめて、深呼吸をした。
情報を求めるようにこちらを見るアーチー君とジュール君に頷く。
「首に一撃目が必ず来るので、避けるのは難しくない、はずです。防御力は高くないので、カウンターで合わせれば大抵一撃で倒せます」
「はい!」
俺の言葉に頷くと、アーチー君が華麗に攻撃を避け、綺麗にカウンターを入れた。攻撃力は高くなさそうな一撃だったけれど、綺麗に口に剣が吸い込まれていったので、一撃で魔物を倒すことが出来た。ホッとする。
一匹魔物が出るたびにこんなにハラハラするなんて、我ながら情けない。ようやくリコル先生の服を離すと、そこがちょっとしわになってしまっていた。手汗が凄い。
「ジュール君、アーチー君、エリン嬢、大丈夫ですか。怖くないですか」
歩きながらそっと訊くと、三人は「全然」と平然と返してきた。
「アルバ様がちゃんと助言をくださるので、冷静に対処できます」
「ええ。知識が素晴らしいです」
「本当に。たくさんお勉強なさったのでしょうね。私も見習わなければいけませんわ」
三人がとてもキラキラした目で俺を見てくる。ううう、そんな目で見られると困る。俺のはチートのような前世の知識だから。でもかといって知識を出し惜しみして誰かが怪我するのも嫌だし。
諦めて大人しく三人の視線を受け取る。
道中にある薬草やら木の実やらを教えてもらいながら歩いていると、いつしか、前に兄様と来た崖の近くの道に出ていた。
そう言えばこっちルートの広場に割り当てられていたな、と思いながら、開けた崖の方に視線を向ける。
流石に崖のすぐ横の道を歩くわけではなく、その横の細い獣道のような所を進む。高等学園生たちがこっちの方が崖より安全だと判断したからだ。俺もそう思う。特に手すりもない崖の道は、少しでも足を踏み外すと崖に真っ逆さまだ。
小さい頃に見た崖の下の風景を思い出し、足元からぞわりと冷たい何かが体の中を走る。そうだった。高いところはダメだった。想い出してもダメだった。
崖の方を気にしながら皆についていくと、先頭の高等学園生がサッと手を上げて俺たちを止めた。
「中坊、全員退避……!」
切羽詰まったような声が聞こえるのと同時に、俺はリコル先生に持ち上げられた。
リコル先生が一息に後ろに跳ぶ。ジュール君たちもこっちに走り寄ってくる。
高等学園生たちは一斉に剣を手に、即座に魔法を展開した。
なんだ!? 何が起きたの!?
「皆、殿下たちのことは考えず、走れ!」
その声と共に、リコル先生が俺を抱えて走り始めた。
俺が状況を把握する前に、俺たちは戦闘現場からの逃避に成功した。……はずだった。
でも、チラリと後ろを見た俺の目に飛び込んできたのは、いつか見た最推し隠しルートに出て来た魔物、アビスガーディアンだった。レベルマックスじゃないととてつもなく苦戦する大型魔物だ。さっきまで倒していた魔物の比ではない。
俺は必死に叫んだ。
「先生、殿下たちが危ない……!」
「ですが私達があの場に居れば、余計に彼らが不利になります……! 幸い、後続にも何組かいますので、合流を目指します! 君を置いたら私も援護に戻りますから!」
リコル先生の言葉に、自分たちで走っている皆が頷く。
けれど、遠目からでも、ヴォルフラム殿下たちは苦戦しているようだ。
「お前たちも逃げろ!」
その時、ヴォルフラム殿下の声が聞こえてきた。
お前たち、というのはあの場に残っている高等学園生のことだろうか。まさか、ヴォルフラム殿下一人であの魔物と対峙するってこと……?
そんなの無理に決まってる。ゲーム内ですらあのハイスペック最推しと、主人公がレベルマックスになってようやくボロボロになりながら倒した魔物だ。しかも回復薬は捨てるほど持っていたのに終わったらほぼ空で、超レアアイテムの復活薬まで使ってようやく倒したぐらいなのに。
「でんか……!」
「アルバ君、いいですか、今は、全力で逃げる時です……! 私も、あんな強大な魔力を持った魔物は、倒せない……!」
リコル先生の顔が、今までになく苦しそうだった。
無力な自分が不甲斐ない、という小さな呟きが聞こえてしまったので、生徒たちを置いて逃げる自分のことを責めているのかもしれない。しかも俺をしっかりと守るという約束をしてしまっているから、戻るに戻れないんだ。
俺が無力なばっかりに。
いや、魔物の知識だけなら俺でも役に立てるはず――
そう言って、リコル先生に下ろしてもらおうとして口を開きかけた時、それは起こった。
ヴォルフラム殿下がいた辺りから、青い炎の柱が、ゴォォォォという轟音と共に上がったのだ。
俺はその青い炎を見たことがある。
「あの炎……闇属性の」
隠しキャラの青い炎。そこでようやく、俺はゲーム内の隠しキャラが、ヴォルフラム殿下だったということに気付いた。
その呟きは、リコル先生の耳にだけ入っていた。
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