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3巻
3-1
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『やった! 最推しの新衣装ゲット!』
ぐっと手を握りしめ、手にしたスマホを凝視する。そこには制服の上着を脱いだとてもセクシーな最推しが無表情で立っているスチルが映っていた。
どれほどの課金をしたのかもう数えてもいない程夢中になったスマホアプリ、『光凛夢幻∞デスティニー』。
攻略対象者と共に切磋琢磨し、レベルと好感度を上げて、滅びゆく国を救うストーリー。何より素晴らしかったのは、神絵師様によって描かれたとても麗美なキャラクター達。
俺の最推し、オルシス様は、国に二つしかない公爵家の嫡男として誕生し、父が自分には厳しいのに、病で亡くなった血の繋がらない義弟だけはとても愛していたという状況に鬱屈した気持ちを持ちながら成長した。そのせいで最推しは表情筋が死滅し、いつでもどこでも無表情のクールビューティーな学生になった。
その顔の尊さ、それでも父に認められようとするまっすぐさ、いつもは厳しいけれどふとした時にだけ見せる優しさが、俺のドストライクだった。
最推しをひたすら愛で、課金し、スチルを集め……
気付いたら、俺は最推しの義弟アルバとして生まれ変わり、公爵家の門をくぐっていた。
最推し改め、オルシス兄様八歳、俺四歳。新しい家族よと母に再婚相手を紹介され、出迎えてくれた義父と新しい兄様を見た俺は、自分の立ち位置を理解し、そして、歓喜した。その時に見たショタ的オルシス様ときたらもう! 筆舌に尽くしがたいとはこのことだ。
俺の身体を蝕んでいた『ラオネン病』の発作が起きてしまう程に尊く、可愛らしく、今世でも、オルシス様は俺のドストライクだった。
『ラオネン病』とは、喘息に似た激しい咳と共に身体中の魔力が抜け出てしまうという、命を脅かす難病だ。これにかかった者は完治する手立てもなく、九歳まで生き残ることが出来ないといわれていた。俺は生まれた時からその病にかかっていて、だからこそ最推しの思い出になるはずの義弟だった。
発作と共に脳裏に浮かんでくるスチルは、前世で愛した最推しのものばかり。むしろ発作の度に訪れる大きな川の向こうにいる表情筋が死滅した最推しの手を取るのもアリかもしれない、なんて思ったりもした。
けれど、こちらにいるショタ兄様の手がしっかりと俺の手を握っていてくれて、最推しの誘惑をなんとか跳ねのけることに成功しては、目を開けて心配そうな兄様のご尊顔を仰いだ。
俺が目を覚ます度に、とても可愛らしい笑顔で「おはよう」と言ってくれる兄様を何度も見て、ここで命を落としたら、あの一番見たかった学園時代の最推しが見れないじゃないか、と思い立った五歳の俺。
ゲームをやり込んでいたからか、最推しのストーリーは網羅している。そのため、『ラオネン病』の特効薬のありかも知っている。ということで俺は一人行動を開始し、即兄様に見つかった。
兄様と義父の力を借りて、『ラオネン病』の特効薬になる実『レガーレ』をメノウの森で手に入れると、義父は宰相様のご子息であり、天才と名高い後の攻略対象者の眼鏡枠であるブルーノ君を仲間にして、既存の薬の上位互換なラオネン病の薬を作り上げた。
皆の尽力により、俺は無事中等学園に入学。兄様と一緒に馬車で登園するという夢のような生活を手に入れた。これはもうフラグ回避したかな、と思った瞬間、今までで一番大きな発作が俺を襲った。そこで見た、最推しの新スチルと、特効薬の作り方。
光属性の魔法が必要だということで、ツヴァイト第二王子殿下まで巻き込んで、とうとう兄様たちは『ラオネン病』の特効薬を作り上げた。
それを摂取して、俺もとうとう病を克服することが出来た。
さて、不治の病と言われていた『ラオネン病』の特効薬は出来たけれど、今はまだ俺の病が完治したことは公表されていない。
病は治っても、まだ発作のような魔力減少が起きるからだ。ちなみにその発作のたびに、頭にスチルの数々が浮かぶ。義父にそのことを話すと、俺が未来視ができる『刻属性』だと断言された。特殊な属性の『刻属性』を俺が持っていると知られると、王家に搾取されるのではという危惧もあり、義父は特効薬を世に広めるのは時期尚早だと考えている。
とはいえ、刻魔法を自分で制御できるわけもなく、自力では魔力が減り続けるのを止めることが出来ないため、病が消えた今もブルーノ君飴が手放せないままだ。
念願の兄様の高等学園での学園祭ですら魔力暴走が発生してしまって、青い炎に包まれる魔術大会の会場が見えてしまったり、兄様が誰かと手に手を取ってエンディングを迎える場面を見てしまったりと、まだまだ俺の発作が落ち着いたとは言い難く、魔法が暴走するたびに魔力が減って、飴を口に突っ込まれることの繰り返し。
けれど確実に俺の死亡フラグはへし折れているはずで……
念願の兄様の制服姿と高等学園生活は、こんな風に波乱を含んだ状態で始まった。
それでも俺は無事生身のまま、兄様の尊いお姿を見ることが出来るようになったのだから十分すぎる。
喜びに浸る中、とうとう兄様たちの周りに『光凛夢幻∞デスティニー』の主人公が現れた。
アプリの主人公である令嬢は、とにかく好きになれない性格をしていたけれど、いざ関わるようになったミラ嬢は、とても気さくで勇ましい性格をしていた。
今まで関わって来た人たちは皆、アプリのキャラクターとは全然違う性格に育っていたけれど、それはミラ嬢もまた同じで、嫌いになれないのがいいのか悪いのか。
色素の薄いサラサラのストレートヘア、笑顔が流石主人公と感嘆するほど可愛らしいミラ嬢は、そこに気風のよさを滲ませて、とても話しやすい。それに、ミラ嬢は誰かと恋愛をするような雰囲気をまったく持ち合わせていなかった。乙女ゲームの主人公のはずなのに。
兄様が高等学園に入学しても、乙女ゲームは始まらなかった。
そのことに、俺は思った以上に安堵していた。
――俺が知っていることは、主人公、つまりミラ嬢が攻略対象者の誰かと手を取り、情を交わし、愛し合って、この国を救うというもの。学園で学び、レベルを上げ、鍛錬をして好感度を上げる。
好感度が一定値を超えたら、手を取ってこの国を守っている大きな宝石に魔力を入れる。
すると宝石の力がよみがえり、二人は末永く幸せに暮らしました、というエンディング。
攻略対象者は六人。センターにツヴァイト第二王子殿下、そして最推しである兄様、ブルーノ君、アドリアン君、リコル先生。それともうひとり、隠しキャラ。隠しキャラのことは何一つ知らない。きっと最推しにほぼ関わらなかったから、記憶にないんだよね。俺の大抵の記憶は最推し中心に回っているから。
その中で、今現在リコル先生はそもそも高等学園の保健医をやっていないからまったくミラ嬢と関わり合っておらず、ブルーノ君は我が天使な妹、ルーナの婚約者に収まっているから場外。
ツヴァイト第二王子殿下はレガーレを研究する際に手伝ってから、うちにちょくちょく遊びに来てはブルーノ君にこき使われ、アドリアン君は昔の失言を詫びるために、俺の登下校の護衛をしてくれている。何やら兄様がアドリアン君を愛称で呼んでいる節があるのが気になるけれど……
慌てて脳内に浮かんだアドオルの薄い本の情報を消し去る。
つまりは、攻略キャラであるはずの六人は、隠しキャラを除いて皆ゲームとは違う道を歩んでいるってこと。
でも、これだけの違いが出ていても、シナリオの大筋は変えられないようだ。
実際に兄様たちは高等学園に上がる際、王宮に呼ばれ、アプリのオープニングのように陛下にミラ嬢の補佐を任命された。本人たちが変わっても、ストーリー自体はあまり変わりないのかもしれない。
そうなると本人たちにその意思がなくても、状況によっては周りの思惑で手に手を取らされて、ミラ嬢のパートナーになるということも……
俺としては何よりそれが怖い。
そもそもアドリアン君が俺の護衛を買って出てくれたのは、ミラ嬢が引き取られたセネット公爵夫人、つまりセドリック君のお母さんが不穏な動きを始め、それを憂いた第二王子殿下が気を回してくれたからだ。
あろうことか、セネット公爵夫人は兄様にミラ嬢との縁談を持ちかけて来たのだ。
義父と兄様がしっかりと断り、セネット公爵もむしろ迷惑かけてごめんねと謝ってきたから縁談自体は立ち消えたものの、セネット公爵夫人は諦めていないらしく、血の繋がらない義弟である俺に目を付けて、お茶会に呼んだり学園で差し入れしたりし始めた。
お茶会は体調不良でお断りしたし、学園ではセドリック君がセネット公爵夫人の動きを阻止してくれたりしたんだけれど、俺が兄様のウイークポイントだということには変わりなくて。
少しだけ不穏な空気の中、俺の心を占めるのは、兄様とミラ嬢の婚約の話が耳に入った時に『刻属性』の魔法発動で見てしまった、あのシーン。
神殿のような場所で、綺麗に笑う兄様が、誰かに手を差し伸べる、あの。
――兄様が、国を救うパートナーに選ばれた、あの……
一、最推しと合法お泊まり
毎日兄様とアドリアン君のタンデムにぐぬぬとしながら学園へ通い、セネット公爵家嫡男のセドリック君とも疎遠にならずに三学年に進級することが出来た。
兄様は今日から二年生。
ゲームでの二年の進行度合いは、どんなものだったか。
少しずつ王国の異変が増えていくのではなかったか。
地面が揺れて皆が驚くシーンとか、前はこんなことなかったのに、というセリフがあった気がする。
確かに、生まれてから今まで、この世界で地震を感じたことはない。それにそもそもこの世界では『地震』は科学的な概念ですらないようだった。地が動くのも急に雲が集まるのも、魔力のなせる業らしい。
今は、潤っていたはずの地の魔力が枯渇して脆くなった結果、地面が揺れる、という状況だそうだ。その説明おかしくね? って思っていたけれど、実際に魔力が枯渇すると天変地異が起こってもおかしくない世界みたい。
これはリコル先生に聞いたから、この世界に浸透した知識であることは間違いない。
なんでも、魔力が枯渇すると魔力で支えられていたこの大地の力が衰える。だから、地の魔力が枯渇すると地面自体が脆くなったりするんだって。それは人の身体もまったく同じで、魔力が枯渇すると身体の力が衰えて、倒れたり、下手すると命を落としたりすると説明を受けて、思わず納得してしまった。
今の俺の身体が今まさにそれだからだ。
ちなみに大地から抜けた魔力が空中に留まり続けて淀んだ魔力が集まると、魔核が出来てしまい、魔物が生まれ出るんだそうだ。急に黒い雲が集まるのは、その魔核が出来上がるから、らしい。急いで魔核を散らさないと、空から魔物軍団襲来、なんてことも起きるのかもしれない。それはちょっと怖い。魔核が小さいうちは魔力を散らして消滅させることも出来るから、そこまで深刻にならなくてもいいってリコル先生は言っていたけれども、想像するだけで震えあがりそうになる。魔物は怖いからね。
そんな話をしたのも、俺が保健室授業をしている時に、地震が起きたからだ。
とても小さな揺れだったけれども、紛れもない地震だった。それが収まると、先生は少しだけ険しい顔をしてさっきの説明をしてくれた。
地震って大陸プレート同士がぶつかったりズレたりして起きるものじゃなかったんだっけ、なんて気軽に考えていたけれど、この身体と同じことがこの世界に起きてるなら多分一大事だよ。
ただただ宝石に魔力を注いでハッピーエンド、なんて気軽にストーリーを楽しんでいたけれど、実は今まさにこの国が崩壊するかどうかの瀬戸際なんじゃなかろうか。
深刻にならなくていいなんていうリコル先生の言葉は、ただただ俺を安心させるためだけに言われた言葉だってすぐに気付いてしまった。
だからこそ、その魔力を注げる程の光属性の魔力を持つミラ嬢は王家にとって喉から手が出る程に欲しい人材で。
選ばれた人たちも、それをサポートするにふさわしいほど高魔力を持っていて。
血の気が引いた。
どうしてそんな不安定な崩壊寸前な国で、恋愛だなんだと楽しんでいられたんだろう。
設定を深く知れば知るほど世界がヤバい状態にあることはわかるのに、ストーリーの語彙が軽い。気楽に楽しめるのが売りの恋愛ゲームだったから、わざと軽く流しているのか、実は裏を読んでさらに楽しんでもらうために軽く書かれているのか悩みどころだ。多分前者だと思うけれど。
魔物が増えるのもまた、国の崩壊が始まっているから。地面が地震で割れ、そこから魔力が噴き出すらしい。まさに前に湖に行ったときに、湖の底でそれが起こっていたようだ。
でも、俺がこの国の崩壊の兆しを知っているのは『光凛夢幻∞デスティニー』のストーリーを何度も追ったからだ。複数人のストーリーを追うことで重なる重要なワードが、これから国が崩壊していくという事を表していたじゃないか。表面だけなぞって、そういうことをすっかり見落としていたのが悔やまれる。
自分で魔法を自在に操れるなら、もっともっとたくさん魔法を使って過去や未来を視て、魔法が見せる内容を熟考して、吟味して、かみ砕いて、しっかりと予習してくるのに。
きっと今魔法が発動なんてしちゃったら、またしばらく起き上がれなくなるんだろうな。しかも自分で視たいと思って簡単に出来るものじゃないし、視たいシーンを好きに視れるわけじゃないのが辛い。視たいところだけをサッと視て消せば魔力だってそうそう枯渇しないと思うのに。
それでも、これだけは覚えている。主人公たちが手に手を取って宝石に魔力を満たした時期は、本当にギリギリだったということ。
ゲーム内では最推しが第二王子殿下の側近で、アドリアン君は護衛騎士。ブルーノ君も側近で、ひたすら殿下を立てていた。リコル先生はあくまで高等学園の保健医だった。そして皆それぞれが鬱屈した感情を持っていたせいか、攻略対象者同士でワイワイ行動するようなことはまったくなかった。皆、個人個人で動いていたように思える。
今ほど横のつながりはなかったし、そこまで親しくもなかった気がする。第二王子の側近として最推しが選ばれたのはあくまで家柄と成績のおかげだったはずだから。それは宰相子息であるブルーノ君も同じで。まあそれは一人一人のルートがあるゲームだから仕方なかったんだろうけれど。
ということは、主人公との情以外は、攻略対象者同士の横のつながり、もしくは絆はそれほど育ってなかったってことだ。
それに比べると、今は皆、大分仲良くなっている気がする。
兄様とブルーノ君なんて無二の親友だ。殿下も気軽に遊びに来ては、ブルーノ君に実験台にされている。アドリアン君なんて愛称を呼ばれるほどだ。タンデムもしているし。
そう考えると、もしかして。
攻略対象者同士でもワンチャン宝石に魔力を満たすことが出来るんじゃなかろうか。絆なんて、恋愛じゃなくても育つし。何より友人ルートがあったくらいだから。
難しい顔をしながら朝ご飯を食べて、新学期の学校へと向かう馬車に乗り込む。兄様と一緒の時に眉間にしわを寄せているととても心配されるので、必死で普通の顔をしているけれど、気付くとまた険しい顔をしてしまう。時々兄様の指が俺のしわを伸ばそうとする動きが可愛すぎて悩みを忘れるけれども。
あれからずっとアドリアン君は馬で馬車の護衛をし、兄様と共に俺を中等学園の教室まで送ってくれている。
俺は馬車から降り、ピシッと制服をかっこよく着こなした兄様の横に立った。
俺もひとまわりだけ大きな制服に袖を通し、ちょっと長い袖は詰めてもらって、新三年生のクラス編成のわかる場所に向かった。
「今回もジュール君が一緒のクラスです」
嬉しいな、と顔を綻ばせると、兄様が「よかったね」と一緒に喜んでくれた。
セドリック君は隣のクラスに名前が載っていた。
新しい教室まで送ってもらって、兄様たちに別れを告げる。
誰かの配慮か、新しい教室は保健室からほど近い教室だった。去年はこんなところが三学年の教室ではなかったはず。
首をかしげていると、保健室のドアが開いて、リコル先生が顔を出した。俺の姿を見つけて、おはようと挨拶をしてくれる。
「いつもながら早いですね、アルバ君。時間まで保健室で温まっていきませんか? 教室は寒いでしょう」
「ありがとうございます」
通い慣れた保健室に入り込むと、別世界かと思うほどに部屋が暖まっていた。
まだまだ外は寒く、時折強い風が吹く。
冬用コートを着るのを躊躇ったせいで後悔していた俺には、この暖かさは天国だった。
もしかしてリコル先生は俺を迎え入れてくれるためにこんなに暖かくしてくれていたんだろうか。
温もりに感動していると、リコル先生が頭を下げた。
「まずは、進級おめでとうございます。アルバ君が無事三年生になれたこと、とても嬉しく思います」
そう言いながら手渡してくれたのは、淹れたばかりの薬草茶。身体が温まる成分が入っている物だ。
「そのお茶はブルーノ君自ら育て、乾燥し、私に渡してくださった物です。アルバ君が飲みなれているから、と」
「ブルーノ君が」
「ええ。淹れ方を教えていただいたので、アルバ君好みの味になっていると思います」
「いつも飲む大好きな美味しいお茶の味です。ここでも飲めるの、嬉しいです。ありがとうございます」
嬉しい贈り物に、俺も頭を下げ返す。
そう、実は新学期から、兄様たち四人と約束したことがあるんだ。
サリエンテ公爵家の者たちの作ったものじゃない限り、口にしないこと。
それが新たな約束だった。
セドリック君の家からの差し入れが、思わぬ波紋を広げていたようだ。
俺は、あの時のことを特に家族には言わなかったんだけれど、セドリック君からわざわざ義父宛に、母親が迷惑をかけたという手紙が届いたんだ。
二学年の時、セドリック君の家で開催されたお茶会で兄様がセドリック君のお母さんに目をつけられてしまって、ミラ嬢との婚約を打診されたんだ。
それはしっかり兄様がお断りしたんだけれど、セドリック君のお母さんは陛下を巻き込んで何かを画策していたらしく、第二王子殿下に気をつけてと注意を促された。
ついでにアドリアン君を護衛につけられた後に、中等学園にセドリック君のお母さんからいきなり差し入れがあったんだ。
それはセドリック君が機転を利かせてくれて口に入れることはなかったんだけど。
その手紙を読んだ義父が兄様たちを集めて緊急会議をし、改めてアドリアン君の護衛の継続と、セネット公爵家や王家の動向を見守ることを決定した。そしてその中で出て来た案により、先程の約束が成立してしまったということだ。だいぶ大事になってしまった。
もちろんリコル先生は信頼できるので、先生のお茶や薬は問題ない。
幸いにも俺はまだ今年十三歳。夜会とかに出ることはないし、お断りも体調がすぐれないというだけで納得してもらえるので、気楽と言えば気楽だ。
兄様は高等学園に入ったからある程度の付き合いは必要だと、軽いパーティーなどには公爵家当主代理としてたまに参加させられているらしい。俺は夜会に向かう正装の兄様を見掛けたことがないので本当に行っているのかはわからないけれど。見たい。見たすぎる。兄様の正装姿。
そんなわけでお茶をゆっくりと飲んでいると始業の時間になったので、リコル先生にお礼を言って、俺は教室に向かった。
既に生徒の多い教室に入っていくと、ジュール君が俺の顔を見るなり急いで近寄って来た。
「アルバ様、おはようございます。今日は体調がすぐれないのかと心配しておりました」
いつもは俺が一番くらいに教室に来てたからね。ジュール君に心配させてしまった。
申し訳なく思いながら挨拶を返す。
「理事長先生のご配慮か、保健室が近くになったので、そちらで温まっていました。まだまだ寒いですよね。ジュール君は体調大丈夫ですか」
「いつでも元気です。それより、体調不良などではなくよかったです」
「心配してくださりありがとうございます」
嬉しくなって顔が緩む。
こんな風に心配してくれる友達っていいよね。
「ジュール君とまた同じクラスで嬉しいです」
「僕もです」
一年の時よりも大分角の取れたジュール君は、ブルーノ君に似た聡明な雰囲気を醸し出している。本当に聡明という言葉がしっくり来ると言うと、ジュール君は「聡明はアルバ様の方でしょ」と苦笑していた。
俺は自分で言うのもなんだけれど、自分のことをアホだと思ってる。なんていうか、俺ってアホだよね、なんて毎回思う。声に出して言ったら、セドリック君とブルーノ君辺りは滅茶苦茶同意を示してくれそうだ。
そんな話をしている間に、担任の教師がやってきた。ザッと皆で自己紹介をして、三年の年間予定を説明してもらう。
その中に、とても気になるワードがあった。
『高等学園との合同キャンプ……五月、一泊』
五月というと、来月。そんなイベント、ゲームにはなかったが?
◇◆◇
「合同キャンプは、メノウの森の一画で、中等学園三学年と高等学園二学年の生徒たちが野外泊を体験する行事です」
「そんなものがあったんですか」
授業の後、まったく記憶にないその行事について、俺は慌てて保健室に行って、リコル先生に聞いていた。
リコル先生はすぐに俺の質問に答えてくれた。
「オルシス君たちも三年生の時に野外泊を体験しているはずですよ」
「そうだっけ……全然覚えていません……」
「私は高等学園側の保健医としてついていたので、間違いないと思います。初めて赴任した時だったのでよく覚えているんですよ。あの時のオルシス君は中等学園生とは思えないほどに大人びていて、下手すると高等学園生たちよりも手際よく作業をしていました」
「兄様が野外泊で作業……! 一体、どんな作業をしていたんですか!」
少し前のめりに兄様のキャンプの様子を訊くと、リコル先生はまたにこやかに兄様の様子を教えてくれた。
曰く、本当は手を貸す立場の高等学園生に逆に手を貸して、ブルーノ君と共に指導していたとか、二人で薬草を見分け、食中毒の危機を回避したとか、魔物が出た際一番早く動き出して殲滅したとか。兄様武勇伝……!
「流石兄様です……! 中等学園生の時ですらその活躍……! そして成績もよく性格もお優しいなんて……本当に欠点なしですよね!」
「あはは……そうですね。お優しいかについては少しだけ意見が分かれそうですが」
「兄様はお優しいです!」
「そうですね、彼は懐に入った者にはとても優しいですね」
苦笑するリコル先生に兄様の優しさを強調すると、リコル先生はなんとも微妙な答えを返してくれた。なんでも、兄様は学園ではブルーノ君の前以外ではチラッとも笑わないらしい。それなんてクールビューティー……!
家でも馬車の中でもとても優しい笑顔でいるから、そんな兄様想像もしていなかった。
いや、待て待て、確か兄様は学校では「俺」と言っていたはず。
ということは、兄様は「俺」の時はクールビューティーで「僕」の時は甘々笑顔ってことでファイナルアンサー?
何それギャップに心臓止まりそうです……!
その二面性がとても愛おしい。でも俺はその裏の顔を見ることができない訳で。でもそれを見ることがないということは、兄様の懐に入っているということだから、とても素晴らしいことで。
そっか、学園の皆は兄様のあの笑顔が見れないのか。なんていうか人生半分損しているね。俺は……クールビューティーが見れないのはやっぱり人生半分損している気がする。
「……その人生半分の損を補填するため、高等学園にこっそり行ってみようかな……」
そんな邪な考えは口から漏れていたようで、呆れたような笑顔のリコル先生が視界に入った。
「また何か無茶なことを考えていませんか」
「いえいえそんな事全然考えていませんよ」
「視線が泳いでいますよ」
クスクス笑いながら、リコル先生は机からブルーノ君飴を取り出して、俺に握らせた。
「それよりも、これをちゃんと舐めていますか。口に含んでいる間はアルバ君の魔力が逃げないうえに、魔力の回復が少しだけ向上するんですから、休み時間などに必ず口に含んでくださいね」
「え、魔力回復ができるんですか?」
普通の人は魔法さえ使わなければ魔力が回復していくけれど、俺の身体はポンコツだからずっと微量の魔力が減っている状態なのだ。まさかそれが飴を舐めるだけで改善するなんて。
思わぬことに驚くと、先生が頷いた。
「します。前にも言いましたが、アルバ君の身体は、今とても疲弊しています。魔力もあまり留まることがないですし、まだまだ満タンには程遠い状態です。しかし少しずつ零れていく魔力をその飴の成分で堰き止めれば、少しずつではありますが魔力が回復するんです。病はなくなろうと、飴を手放してはいけませんよ」
「はい。でもこの飴で太らないといいのですが」
「アルバ君はあと十キロは太っても問題ありません。肉が付けばおのずと身体も上に伸びていきますから、しっかりと肉をつけてください。料理長の美味しいご飯をたくさん食べてね」
「はい」
あと十キロ。気が遠くなる数字だ。そうじゃなくてもあまり身体が成長していないのに。リコル先生が言うには、栄養が体調を整える方に持って行かれているんだって。ということは、魔力が満タンになったら、そこからはぐんぐん伸びるってことか。
「頑張って魔力回復します」
「そうしてください」
「はい! あ、そういえばもう一つ聞きたいことがあったんでした」
「何でしょう」
肝心のことを聞き忘れていた俺は、もう一度前のめりで質問を口にした。
「高等学園生と合同キャンプってことは、兄様と森でお泊りできるってことですよね!」
ワクワクソワソワしながらリコル先生の答えを待っていると、リコル先生はとても申し訳なさそうな顔をした。
「……アルバ君の参加は……とても難しいです」
急浮上していた俺のテンションは、一気に地中に埋まるほど下降した。
低いままのテンションで帰宅するための馬車に乗る。こんな顔でいたら兄様たちに心配させてしまうのはわかっているけれど、俺は顔を取り繕うことも出来ないほどに落ち込んでいた。こんなに落ち込んでいるのは久し振りだ。
だって、だってだよ。
よろよろと段差を上がり、座席につくと案の定心配そうな兄様とブルーノ君が俺の顔を覗き込んだ。
「アルバ、具合が悪いのかい?」
「ほら、オルシスの膝の上に頭を乗せて横になっておけ」
「……」
いつもなら一度遠慮する膝枕をおとなしく受けてみる。
でも気分が浮上しない。重症だ、とどこか現実逃避している俺が冷静に考える。
膝は借りたままだけど。
至福……だけれど、気を抜くと溜め息が口から出そうになる。
そんな俺を見て、兄様がさらに顔を青くする。
「アルバ、どうしたの。原因を教えて。教えてくれないと何も出来ない」
「十中八九オルシスのことだと思うけどな」
「僕!? 僕がアルバのことを傷つけた!? ねえ、アルバ、ごめんね、原因を教えて」
違います。兄様のせいじゃありません。
首を横に振ると、兄様の太腿に頭がグリグリされてしまう。
「僕が……僕が不甲斐ないばかりに……」
あああ、どうして俺は病気になんかなっていたんだ。治ったとはいえ、完治には程遠い魔力、どうにか気合で何とかならないか。なんともならないポンコツな身体に嫌気がさしてくる。
「アルバ……」
兄様の辛そうな声に、追い打ちをかけられる。
俺が顔を取り繕えないせいで、兄様を悲しませてしまっている。さらに不甲斐なくて落ち込みが深くなる。
すん、と鼻を鳴らして、俺は顔を手で覆った。
「……兄様との、合法お泊り会が……!」
「アルバ、言い方。――しかし、なるほどそういうことか」
俺が参加不可なんて、もう泣きそうです。
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義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
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