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2巻

2-3

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   ◇◆◇


 そうして少しでも兄様の役に立つべく訓練をするようになったある日、『その時』はやってきた。
 夜に珍しく真剣な顔をした義父が、兄様と俺を執務室に呼んだのだ。

「兄様が、王宮に……?」
「ブルーノもだ。来期に高等学園に上がる者たちが全員王宮に呼ばれた」

 義父の言葉に、ドキッとした。
 とうとうそんな時期が来たんだ、と夜のとばりが下りた窓の外に目を向けた。
 今は、ピクニックからふた月ほどが経ち、もうすぐ雪もチラつこうかという冬だ。兄様が高等学園に入学するまで、あと三カ月半しかない。
 魔核は義父の領地だけじゃなく、王都を含むこの国の各地で次々現れるようになったらしい。
 あれか。それで国王が地の力の衰えに気が付いて、守護宝石の力を復活させられる程の魔力持ちを調べ始めたのか。
 この時期の招集なのは、多分主人公が兄様と同じく来期に学園に入るからだろうし、それだけ主人公の魔力が大きかったということだろう。一緒に学ぶ生徒の中から主人公にサポート役をあてがうつもりで、兄様の学年の人達を王宮に呼び出したに違いない。
 思わずソファの隣に座っていた兄様の手を掴むと、ギュッと握り返してくれた。

「大丈夫だよ、アルバ」

 俺を安心させるためか、優しく微笑んだ兄様を見上げる。
 大丈夫じゃないんだよ、兄様。兄様は陛下に合法的に主人公のお見合い相手として選ばれちゃうんだから。
 そしてもし主人公が仲良くなったら、ラブラブになっちゃうんだから。
 無理。兄様が誰かに愛を囁くのとか想像できない。
 前は「うわ――――! 告白! 最推しの告白とかヤバい興奮する……!」とか思っていたけれども、でも、ここにいる最推しとは違う道を歩いている兄様には、どうしても誰かに愛を囁いてほしくない。本当だったら、滅茶苦茶興奮して喜んでるはずなのに。ただただ胸がモヤモヤする。
 なんだかものすごく我儘になった気分だった。
 そもそも兄様の恋路を邪魔する血のつながらない義弟とか、ない。ドン引き案件だよ。
 そうは思うのに、何故かとても胸がモヤモヤする。発作の苦しさとは全然違う苦しさが、胸の奥にわだかまっている気がする。
 でもなんで俺がそんな気分になるんだろう。
 兄様の義理の弟として、ちゃんと家族として愛されているのに。
『光デス』は、当て馬とかそういうキャラも出てこない、とことんまで自分たちをレベルアップさせていくゲームだから、だらける以外に相手の好感度を下げる要素がない。
 たとえデートが別の予定とバッティングしても、「鍛錬頑張っていたんだな。俺も頑張る」と言って、約束した人が応援して帰っていくほどだ。
 アクションパートはかなり作り込まれているけれど、乙女ゲームパートは本気でヌルゲーだった。
 基本無料ゲーム内課金ありアプリだから仕方ないのかもしれないけど。ああ、兄様に課金したい……って違う、そうじゃない。
 つまりそのシステムがこの世界でも採用されていたとしたら、主人公が兄様を選んでルートに入った場合、怠け者でない限り好感度は下がらないんだ。
 それは嫌だな、って思うのはやっぱり俺の我儘だろうか。
 ここまで無事生きてきて、兄様が大きくなっていく所を見ることができるだけでも幸せなはずなのに。


 そんなこんなで、兄様と義父とブルーノ君が王宮に向かう日、俺はハラハラしながら玄関で馬車を見送った。
 義父が付いているから、変なことにはならないよね。不利な条件で何か契約を持ちかけられるとか、そんなことないよね。
 落ち着きなくうろうろする俺の後ろには、楽しそうに笑顔で俺の格好を真似して歩くルーナがいて、館中に癒しを振りまいていたらしいけれど、俺はルーナがついてきていることにしばらくの間気付いていなかった。鈍いにも程があるよ、俺。
 夜になり、三人で食事をとり、ルーナの寝る時間になっても兄様たちは帰ってこなかった。
 昨日は色々考えすぎてよく眠れなかったからか瞼が落ちてきてしまう。

「今日はもうお休みして明日頭のスッキリした状態で詳細をお聞きしたらいかがですか」

 そうスウェンに言われてしまったけれど、起きて待っていようと思っていたから、俺は首を横に振って談話室のソファに陣取った。部屋に戻ったら即寝ちゃいそうだったし。
 でも、そうやって頑張っていたのに、気付いたら夢の世界にいた。


 夢の中で、兄様は黒いシルエットの状態で、王様から言葉をもらっていた。
 ……オープニングのシーンだこれ。

『選ばれた若者たちよ。この国は今、危機に陥っている。学園に入ったら今の能力をさらに伸ばし、この国の力になってほしい。この、光の神子みこと共に』

 皆が一斉にハッとキレッキレの返事をして頭を下げる。
 主人公もシルエットだけで、顔は見えなかった。けれど、本来スカートの制服を身に着けているはずの主人公は、何故かズボンを穿いていた。


 目が覚めると、いつもとは違う風景だった。
 俺の部屋よりもシンプルな家具の置かれた部屋は、まさか。
 カッと目を開けて、起き上がると、隣には……

「もうーー! 朝からなんてご褒美……! 兄様の寝顔とか、レア中のレアすぎて無理……! 好き……!」

 広いふかふかのベッドの隣では、うるわしの兄様が、あどけない寝顔をさらしていた。
 は、鼻血出そうです。ティッシュをください。ってこの世界には便利グッズたるティッシュはなかった。
 ななな、なんで俺、兄様のベッドで寝てるの? 
 これは夢の続き? 
 いや、どう考えても夢だろ。
 じりじりとあとずさりしていた俺は、いつの間にやらベッドの縁に来ていたことに気付かずに、お尻から床に落下した。

「いた……っ、夢じゃない、お尻痛い……」

 痛むお尻をさすりながら立ち上がり、俺はもう一度ベッドに身を乗り出す。

「夢じゃない……」

 するとそこにはやっぱり兄様のうるわしい寝顔があった。普段きりっとしている目元は穏やかに緩んでいて、どこか幼く見える。
 兄様の! 寝顔が! 
 なんなんだよこれ! もう、もう耐えられない。
 一緒のベッド、一緒に寝ていた。なんで! 

「なんでこんなことになってるの……! 萌え殺す気……っ!?」

 思わず叫んでしまうと、兄様がハッと目を開けた。
 そして、顔を覗き込んでいた俺に向かって、手を伸ばしてきた。

「どうしたの、そんなに叫んで。おはようアルバ。昨日は待っていてくれたんだね。朝からアルバの顔を見ることが出来て、嬉しいよ」
「兄様は本日も朝から大変うるわしく、寝起き顔は女神の如く神々こうごうしく輝き、あどけなき寝顔は神かとあがめるほどにお可愛らしい……朝起きた瞬間に目に入った夢のような光景に、お隣で眠る兄様の寝顔を拝めるという素晴らしいご褒美に、もう僕の心臓は瀕死です……お尻も痛いし」

 兄様の部屋の絨毯は毛足が短いので、思いっきり落ちた俺のお尻は致命傷です。
 いたた、とお尻をさすっていると、俺の顔に伸びかけた兄様の腕がベッドにぱたりと落ちた。

「……お尻が痛いって……? っえ、と、アルバは起こしに来てくれたわけじゃなく……僕の寝顔……?」

 同時に何やら兄様の混乱した声が聞こえてくる。
 寝ぼけてるのかなんなのか。いつもキリッとカッコいい兄様の新たなる一面が垣間見られたことに、朝から幸福を噛み締める。
 しかし兄様は枕に突っ伏したままぶつぶつと呟き続けている。

「ああでも、昨日はとても疲れていて……アルバが僕を待っていてくれたっていう話を聞いたあと、談話室で寝ているアルバが可愛すぎて、せめてベッドに寝てもらおうと運んで……ああ、もしかして寝ぼけてアルバを自分の部屋に運んでしまったのか……? え、待って……っ、お尻が、痛い……?」

 何事かを言い終えて、兄様はガバリと一気に起き上がった。そして、自分の身体を見下ろして、そして俺の方を見て、うろたえる。

「兄様、何かあったんですか? 怪我されたなら、僕が微量ながら治癒させてもらいますが」
「微量って……治癒に微量ってつくんだっけ……? そんなことを言ったら、アルバの、お、お尻に治癒を……ま、待て。僕が、確認したほうが。何も、何もしてないよな、僕……」

 兄様が赤面して動揺しながら、なおもブツブツ呟く。
 お尻に治癒。なるほど。こんな打ち身にも効くのかな。むしろ打ち身程度の傷にしか効かないっていう説もある。
 お尻に手を当てて、魔力を身体の中で感じる。治癒、と口にすると、フワッと魔力が減った気がして、お尻の痛いのは消えた。
 さすが兄様。朝から冴えてる。

「治りました! さすが兄様です。でもこんな、ベッドから落ちた程度の打ち身で治癒魔法なんて使っていいんでしょうか」
「ベッドから落ちた!? ……そっか。そっかあ……よかった」

 兄様はようやく顔をほころばせると、ベッドから降りてきて俺を抱き上げた。寝間着用の薄いシャツの下から兄様の引き締まった身体つきが感じられて身もだえる。
 俺こそ待って、待ってだよ。
 こんな薄着で抱き上げたらダメ、絶対。俺の心臓が過剰作動で死ぬ……。発作が起きないのが不思議なくらいだ。
 心臓をバクバクさせながら兄様の顔を間近で見つめると、兄様は抱き上げたまま俺のお尻をそっといたわってくれた。

「よかった、アルバのお尻が無事で。改めて、おはようアルバ。ごめんね。昨日は疲れていて、余裕がなかったんだ」
「お疲れ様です。よく寝れましたか? お尻、心配してくれてありがとうございます。僕がドジ過ぎて朝から兄様に心配をかけてしまいました」
「うん……ちょっと違う心配をしちゃったかな。もし僕の懸念が事実だったら、僕は自分を許せないところだったよ」
「ええと?」
「アルバはわからなくていいよ。部屋まで送っていくから、僕が着替え終えるまで待っていてくれる?」

 そっと床に降ろされて、兄様がクローゼットの部屋に消えていくと、俺はそのまま床に突っ伏した。
 着替え、兄様の着替え……今日はボーナスステージですかそうですか。
 ……もう、死にそう。
 ……あれ、そういえば昨日の話は? 
 なんだか聞くべき話を聞けなかった気がしたのだけれど、結局王宮での話は、朝ご飯時も一切出てこなかった。
 それは、学園に向かう馬車の中でもだ。兄様も義父もいつもと同じように振舞っているから、俺も突っ込んで聞くことはできなかった。それはブルーノ君も同じ。
 モヤモヤしながらも何事もなく時は過ぎ、外に積もった雪が解け始め――
 ついに兄様が、中等学園を卒業した。
  


   三、最推しが高等学園生になりました


「……新入生代表、オルシス・ソル・サリエンテ」

 講堂の壇上で、ピシッと制服を着た兄様が、落ち着いた声で素晴らしい挨拶をする。
 俺はそれを保護者席で見て、感動の涙を流していた。
 ううう、兄様が代表挨拶。生きててよかった。
 隣では義父がとても穏やかに微笑んでいる。
 今日は兄様の入学式。
 本当であれば俺も中等学園の始業式があるんだけれど、義父に「兄様の入学式に出席したい! 兄様の晴れ姿を見たい!」と必死でお伝えしたんだ。ダメだったら地面に転がって泣き喚く気満々だったんだけれど、義父はすんなりとOKを出してくれた。よかった。
 だって、進級試験でとうとう兄様がブルーノ君を抜いて首位に立ったっていうから……
 進級試験ってあれだよ。首位だと新入生代表になるやつだよ。絶対に兄様の素晴らしい挨拶を聞かないとダメだよね。
 それにしても、ゲームで見ていたとはいえ、本物の高等学園の制服の破壊力半端ない。
 兄様は挨拶の関係で俺たちより大分早く家を出たので、実際に俺が兄様の制服姿を見たのは会場でだ。
 見た瞬間義父にすがりついて「素晴らしいが過ぎる‼」と叫ぶのを我慢した。でも涙は出た。
 本物を見ることができたこの感動、どう言い表せばいいかわからない。
 俺、生きててよかった。それにこれで、「ゲーム開始時に義弟が死んでいる」ことがなくなったわけだから、完璧に死亡フラグはなくなった、と思う。
 義父の膝にはルーナもちょこんと座っていて、俺の反対隣には母もいる。
 高位貴族が、高等学園の入学式を家族皆で見に来るのは当たり前らしく、保護者席は貴賓席と名付けられ、大分広く場所がとられている。並んでいる椅子も立派な物だ。そして、義父は公爵家なので一番前だ。
 なんなら、すぐ近くには王族の人もいる。王様と王妃様は貴賓席にいないけれど王弟殿下は義父の三つ隣に座っていた。初めて見たけれど、すごく立派な身体つきをしている。近衛騎士団長として兄王を護っているらしい。
 さてお待ちかねの新入生挨拶、兄様は最初とても無表情で壇上に上がったけれど、俺たちを見た瞬間フワッと表情を和ませた。緊張していたのかな。それか俺の滂沱ぼうだのヤバい顔を見て和んだんだと思う。汚い顔しててごめんなさい。晴れ舞台なのに。でも涙は止まらない。
 ゲームの流れでは第二王子殿下が新入生挨拶をするはずだった。ブルーノ君も殿下に遠慮して手抜きをしていたし、最推しも多分同じようなことをしていたみたいだから。
 でも、実際には中等学園生の時はブルーノ君と兄様がトップでしのぎを削っており、その下に、殿下、アドリアン君が並んでいる。この順位は、中等学園内ではついぞ変わることがなかった。
 兄様は進級試験の結果を聞いたとき、本気でブルーノ君が挨拶したくなくて手抜きをしたと疑っていたぐらいだ。実は俺もそう思う。
 そのせいで、兄様が勝ったのに「この借りはいつか返してやるからな!」とブルーノ君に負け惜しみみたいなことを言っていて、すごく面白かった。ブルーノ君も面白がっていたし、ルーナは意味も分からず兄様の真似をしていてとても可愛かった。

「あああ、兄様の素晴らしいお姿が拝見出来て、僕は幸せすぎます……」
「アルバ、そろそろ落ち着こうか。その気持ちは痛い程わかるけれど」
「わかってもらえますか父様……! 生きていて、本当によかった……!」

 まだハンカチを手放せない俺の背中を、母がポンポンしてくれている。
 新入生は皆クラスに移動してしまったけれど、まだまだ貴賓席には保護者達がわんさかいる。
 そんな中で感極まる俺は、かなり注目を浴びていたと思う。
 色んな意味で。
 どうして中等学生の子がここにいるのか、とか、公爵家の次男はまだ生きていたのか、とか色々。そんなことを気にもせずに俺を大事にしてくれる義父はホント素晴らしいと思う。流石さすが兄様の父親。

「僕は父様の息子になれて、本当に幸せ者です」
「私もアルバがいてくれて本当に嬉しいよ。ほらそろそろ泣き止んで。ルーナも心配しているよ」
「うう、はい……」

 ぐじぐじと鼻を鳴らしながら、俺は顔を上げた。とんでもなく情けない顔をしていると思うけれど仕方ない。
 夜は兄様のお祝いをするから、それまでには顔をなんとかしよう。もしかしたら治癒で治るかもしれないから、後でそっと魔法を使ってみよう。
 そんなことを考えながら椅子を立つと、ブルーノ父が挨拶に来てくれた。
 この国の宰相という立場なのに、義父には腰が低い。

「この度はご入学おめでとうございます」
「同じ言葉を返しますよ」
「本当にいつもブルーノがお世話になっております。ところで、後ほど、邸宅のほうにお伺いしてもよろしいですか」
「おや。今日は家でブルーノ君のお祝いをするのではないですか?」

 思わぬブルーノ父の言葉に俺は目を瞬かせる。義父もそうみたいで、いつも冷静な顔つきが少しだけ崩れる。それを見たブルーノ父はわずかに苦笑を頬に刻んで首を振った。

「その予定ではおりますが、ブルーノはきっと喜びますまい」
「……今日はうちもオルシスのことを祝います。全力で祝わないとアルバとルーナに嫌われてしまうので、手短になってしまいますがそれでもよろしければ」
「ありがとうございます」

 義父は迷いながらも頼みを受け入れたようだ。するとサッと頭を下げて、ブルーノ父は行ってしまった。
 どうせだったらブルーノ父も一緒に家でブルーノ君の分もお祝いしたらいいのに。気合いを入れてルーナと一緒に花を飾る予定だから。すっごく素敵な花を飾るんだから。
 でも、やっぱりブルーノ君はヴァルト侯爵家の子息だから仕方ないのかもしれない。
 ちょっぴりおろおろしながら義父を見上げると、大丈夫だというように頭を撫でられた。

「フローロ、アルバ、ルーナ。出ようか。オルシスとは馬車で落ち合う予定だから、サロンでお茶をいただいてから馬車まで行こう」

 義父はルーナを抱っこすると、俺たちを促した。
 サロンと言えば、ゲームでは自主学習をするとき図書室とサロンと選べたんだよなあ。どっちを選ぶかによって出てくるキャラが違って、その時の好感度で一緒に勉強できるか変わってくるんだ。
 でもサロンって本来お茶を飲んでお喋りする場所でしょ。情報交換とか交流を深めるために。そこで教科書とか開いていたら悪目立ちするんじゃないかな。今でこそわかるサロン事情。ゲームをプレイしている時はなんとも思わなかったけれど。
 ゲーム内で主人公の顔は描かれていなかったし、名前は自分の好きに付けることができたから、この世界でどの生徒が主人公なのかは俺にはわからない。
 見つかるわけはないけれど、ただなんとなく、退場する際に周囲を見回してしまった。


 実際に王宮に呼ばれたのは、兄様たちの学年全員らしい。その中でも魔力の大きな人たち、つまり攻略対象者たちが主人公のサポートに選ばれるはず。
 もしストーリーの通りであれば、高等学園に入る前には、主人公が陛下経由で攻略対象者に顔見せをすることになっている。主人公が養子に入るのは高位貴族の誰かの家だから、そこに縁ある攻略対象者と既に顔見知りでもおかしくないのに、ちゃんと皆と学園での出会いイベントがあるんだ。
 まあ、オープニングでは、皆の姿は影だけではっきりと顔が見られないから、もしかしたら主人公自体はそこにいなくて学園で出会う必要があるのかも。推測の域を出ないけれど。
 ちなみに前世のネット上では、主人公がマナーとか色々覚えるのが大変で、世に出せなかったのでは、という考察がよく飛び交っていたけれど、もしかしたらそれが正解に近いのかもしれない。
 確かに主人公は天真爛漫って言われていたし、今考えると確かにマナーはなっていないと言わざるを得ない。
 そんな風に考えだすと、いろいろとゲームの中と現実との齟齬が気になって仕方ない。
 一つは、ゲームではリコル先生が養護教諭だったのに、今年も中等学園の保健医をやってくれていること。だから、たとえリコル先生イベントのあれこれが発生するとしても、先生自身はその場にいないことになる。
 実は進級を機に義父を説得して、リコル先生にはラオネン病が治ったことを伝えたんだ。
 高等学園に戻りがてら兄様に魔の手が伸びるのを少しでも阻止してほしい、という下心がなかったとは言えない。一人でも攻略対象者を増やして兄様が選ばれる確率を低くしたかったっていうのもある。
 けれど、本来高等学園の先生として給料とか待遇とかが段違いのはずなのに、俺のためだけに中等学園にいてくれるのが心苦しかったというのが一番だ。
 俺は、この一年ずっと学園内で俺のことを見守ってくれていたリコル先生をすごく頼りにしていた。兄様とブルーノ君が同じ学園にいたのはとても心強かったけれど、それでも授業中なんかは呼ぶわけにいかない時もあった。けれど、そこを埋めるようにリコル先生が付いていてくれたので、心配事もなく学園に通うことが出来た。だからこそ、秘密を話して、そのうえで納得ずくで高等学園に戻ってほしかった。
 そんな気持ちで俺のやまいが完治したことを義父と共にうちの執務室で報告したら、最初リコル先生は目玉が落ちるかというくらい目を見開いて驚いていた。
 次いで、「失礼します」と顔をハンカチで覆って、泣いた。
 先生にとっては、『ラオネン病』の完治という事柄は、泣くほど嬉しいことだったんだって。その場で、やまいが完治する薬を作りだしたサリエンテ公爵家に忠誠を誓ったくらいだ。義父は気持ちだけもらうと言って慈愛の微笑みを浮かべていた。
 でも、そこまでして高等学園に戻るように説得しても、リコル先生は結局中等学園にいる。
 俺が魔法を使えるようになったことは、殿下が一人立ちするまでは公表しないことになっているから、今離れるのはむしろ怪しまれるのではないか、と言って。
 それに、まだこれから俺の身体がどうなるのか見当もつかないから、近くで出来る限りサポートしたい、と言ってくれた。
 だから結局魔法の授業の時はリコル先生の所に行って、こっそり魔法の基礎を教えてもらうことになった。俺が魔法を使えることがバレないように、ちゃんと魔法結界を張って、周りを気にしつつ、魔法を教えてくれるそうだ。先生が一人味方に付くのは、利点がいっぱいだったけど、大きくゲームの設定は変わってしまったと言えるだろう。
 そしてもう一つ気になるのは、ゲーム開始時の攻略対象者たちの魔法熟練度と、今の兄様たちの魔法熟練度のレベルの違いだ。
 ゲーム開始時の攻略対象者のレベルはもちろん低かったし、まだまだって感じの攻撃しかできなかった。けれど、今の兄様たちは、ゲーム内で言うところのレベルカンストでもいいんじゃないかっていうくらいにはすごい。特にブルーノ君と兄様はもう上級魔法を難なく使いこなしている。
 それにゲーム内では、高等学園の一年の夏に魔法を披露するシーンで、攻略対象者の誰かが魔法を暴走させるというシナリオイベントがどのルートでもあるんだけれど、今の兄様たちの状態でこれはありえない。断言できる。
 兄様とブルーノ君は言わずもがな、殿下だって魔法の腕は素晴らしく、暴走なんてありえない。アドリアン君の魔法は見たことがないし、もう一人の攻略対象者は誰かすらわからないからその二人に関しては何も言えないけれど。
 そして、ゲームで描かれていた闇が、少なくとも兄様とブルーノ君に関しては既にない。
 何より俺がまだ思い出となっていないから、兄様の闇となりえない。
 これらの違いがこれからどう関係してくるのかはわからない。けれど、陛下に兄様たちが呼ばれたということは、大まかな国の状態――守護宝石の力が減衰して、国に危機が訪れるのはゲームと同じだということ。
 だとすれば、今回サポートに選ばれたであろう兄様たちの誰かが、高等学園で切磋琢磨して、主人公と手に手を取って国を救って告白をキメるのだろうか。それとも友人ルートみたいなエンドもあるんだろうか。
 兄様は無表情なんかじゃないし、主人公に告白するということがまったくイメージできない。あれだけ周回して、最推しに萌えていたのにもかかわらず。イメージしたいとすら思わない。
 どうしたらいいんだろう。
 兄様たちのお陰で俺はまんまと生き延びることが出来たけれど、どうやら兄様と主人公の恋路は応援出来ないみたいだ。あああ、自分が狭量で嫌になる。
 この狭量をどうにかして修正できないかな……はい無理。俺は兄様の横で、兄様の花がほころんだような素晴らしい笑顔をずっと見ていたい。それだけは誰にも譲れない。
 ……兄様が義父の後を継いで可愛い令嬢と結婚して跡継ぎを作らないといけないのは俺だってちゃんとわかっているから、それまでの期間限定なんだろうけれど。せめてそれまでの間だけは、その笑顔を俺に向けていてほしい……なんて、我儘だろうか。
 兄様の一番近くの温かい場所は、たとえ将来の奥さんにでも、誰にも譲りたくないなんて。


 サロンで時間を潰し、兄様を外で待ちたいからと義父たちに先に乗って貰って馬車付近で待つこと少し。
 学園玄関から制服を着た生徒がちらほらと現れた。
 男子生徒は装飾過多なブレザーという感じだけれど、女子生徒の制服は、裾の長いワンピースに、丈の短い上着を着て、首元をリボンで飾っているという可愛らしいものだ。色も深いワインレッドで、上着の裾には黒いレースがあしらわれていて、中等学園の時とはまた違った大人っぽさが醸し出されている。
 その中でも見覚えのある数人が、俺のところに足を運んでくれた。

「あら、アルバ君。やっぱり貴方もオルシス様の雄姿をご覧になっていたのですね」
「はい! 見逃せません! メイリアお姉様のお姿とても素敵です。とてもよくお似合いですね。そのアップにされた髪型も制服によく似合っていて、大人の女性の雰囲気を纏っていてなんだかどぎまぎします」
「まあ。アルバ君たら、口がうまいこと。見ましたわよ、オルシス様のお姿を見て、涙したところを」
「恥ずかしいところを見られてしまいましたか」
「ほとんどの方が拝見したと思いますよ。私も、あのお姿を見て涙をもらってしまいそうになりましたもの。感動しました」

 そうですか。皆、俺が泣いたのを知ってたのですか。
 なんてこった。
 少しだけショックを受けていたら、次々と生徒たちが俺の周りに集まり始めた。

「アルバ君、どうだった? オルシス様の姿を見て」
「見られるとは思っていなかったので、とても感動しました」
「俺たちもさ、正直アルバ君がここまで大きくなるとは思ってなかったから違う意味で感動したよな、ヨシュア」
「ああ。本当に。よかったな、大好きなオルシス様のあんな立派な姿を見られて」
「はい。いつもお心を砕いていただき、ありがとうございます」
「なんつうか、アルバ君は俺たち皆の弟みたいな感覚があったからな」
「そうですわね。私も、アルバ君がオルシス様の制服姿を見られるように毎晩祈っていましたわ」
「私も。昨年大きな発作が起きた時は、他人事だとは思えませんでした。無事アルバ君とお話しできて、とても嬉しく思います」

 周りに集まってきたお姉様方が目もとをハンカチで拭い、お兄様方がまるで本当の弟を見るような目で俺を見る。
 俺、兄様の学年の方たちにこれだけ可愛がられていたんだな。
 そういえば殿下も、俺が発作から目覚めた後、殿下を呼ぶために兄様が学園に顔を出した時、皆にもみくちゃにされたって言っていた。
 素直に嬉しいと胸を温めていると、ふと目の前の男子生徒が顔をくもらせた。

「ああ。でもオルシス様がいなくなった中等学園は、雰囲気が悪くなりそうでちょっと心配」
「あの噂の……。私もそれは思っておりました。幸い妹が三学年におります。もし何かあれば、妹の所にお知らせくださいませね。なんでも力になりますわ」
「俺も。弟が最上級にいるからもし何かあったらなんとかしてもらえよ。声は掛けておくから」
「あらでも確かブルーノ様の弟様もアルバ君と同じ学年では」
「あそこが仲悪いのはかなり有名だから……」

 周りが中等学園での俺の心配をし始めてしまった。
 うーん、やっぱり兄様たちの所まで俺のわけのわからない噂は流れていたのか。皆全否定してくれててほっとするけど。
 何やら大量にお兄さんお姉さんがいる気分になってしまう。そして、皆、絶対俺が中等学園を休んでこっちに来て、兄様を見て号泣することになると予期していたようだ。
 中には、兄様の姿を見て俺が発作を起こすんじゃないかとハラハラしていた人もいたらしい。
 うん、治ってなかったら多分危なかったと思う。それくらい兄様の姿は素敵だったから。
 そんな素敵な兄様は、ブルーノ君と共にようやく登場した。
 目ざとく人混みの間から兄様の輝くような美しい銀髪を見つけた俺は、破顔して「兄様!」と叫んでしまった。
 すると、目の前の生徒がザッと避けて兄様と俺の間に道を作る。一瞬の出来事だった。とても洗練された動きだった。すごい。さすが高等学園生。
 その洗練された動きに、兄様の少し後ろでブルーノ君は笑いを堪えていたけれど、俺は兄様の驚いた顔がとても尊くて思わず胸を押さえて変な声を出していた。兄様の可愛らしいびっくり顔、いただきました……


 その後、ブルーノ君とは乗る馬車だけ分かれて、一緒にうちに向かうことになった。さっき義父が話していたように、ブルーノ君の馬車にはブルーノ父も乗っている。
 改めて馬車の席に腰を落ち着けて制服姿の兄様を見ると、くらくらするほどにかっこいい。
 ゲームでは肩まで伸ばして垂らしていただけの髪を細いリボンでひとまとめにした姿は、えもいわれぬ色気を醸し出している。そして、極めつけに、高等学園の制服と笑顔のコラボレーションが心を貫く。
 あまりの神々こうごうしさとその距離感に俺は兄様を直視できなかった。

「アルバ、どうして僕を見ないの」

 顔を覗き込まれて頬が熱くなって、目を逸らす。
 心臓の動きが激しすぎて、口から飛び出していきそうだ。

「アルバ」

 優しい呼びかけに、俺の頭が沸騰しそうになり、口をはくはくとさせてしまう。
 だって! 制服姿の兄様が! とても近い! 無理! 尊すぎて無理! 

「アルバがこっちを見てくれないと、僕は悲しい」
「ごめんなさいあまりにもカッコよすぎて直視できなかったのです兄様今日はとんでもなくかっこいいから僕もうどうしていいかわからなくて」

 兄様を悲しませてしまったという焦りに、俺は謝罪を口にしながら兄様に顔を向けた。
 そして目に入る嬉しそうな兄様の顔。
 尊い……! 
 思わず顔を覆って馬車の座席に突っ伏すと、義父が「オルシス、とりあえずやめなさい」と兄様をたしなめる声が聞こえた。

「ああほら、アルバが丸まってしまったじゃないか。懐かしいな、最近では丸くなることはなかったのに。よほどオルシスの制服姿が気に入ったんだろうな……」
「気に入ってもらえたなら嬉しいですが、やはりこっちを見てもらえないのは少し悲しかったので。申し訳ありません、父上」
「仲がいいのはいいことだけれども……本当にアルバはやまいを克服したんだな……」

 義父がしみじみと呟く。
 ホントにね。まだ治ってなかったら、多分制服兄様を見た瞬間発作を起こしていたと思う。
 それほどに兄様のかっこよさと神々こうごうしさは規格外だった。
 三次元より二次元よね、なんていう推し仲間がいたけれど、今ならはっきりと言える。違う。歩いて笑って目の前で生きている最推しこそ至高だ。
 あの頃は俺もそう思う、なんて同意していた気がするけれど、それはまだ兄様に会ってなかったからだ。皆目の前に最推しが出てきたら二次元より三次元って絶対に言うと思う。アニメ化実写化と本物は全然違う。
 でも本当に、兄様の制服姿を生で見れるとは思わなかった。
 実際俺は今まで生きるのがとても大変で、たった十一年と数か月生きるのにも命がけで。
 正直何もしなくてすくすくと育っていく人たちを見ると、羨ましいと思わないこともなかったけれど、でも、隣にはいつも兄様がいてくれた。そんな兄様を苦しめるのが自分だと思うと、さっさと死んだ方がいいんじゃないかと思ったこともなくはない。
 でも、生きててよかった。
 俺はきっとこの姿を見るために生き永らえたんだ。
 そして兄様が義理の弟を失うことなく学園に入れたってことは、完全に俺はもう無敵ということで。
 ってことはこんなところで目を逸らしていたら勿体ない気がしてきた。兄様が制服を着るのはたった三年。今までは長いと思っていた三年が、兄様換算するととてつもなく一瞬に思えてくるから不思議だ。
 そう、うつぶせてる時間が勿体ない。兄様をでよう。何せ俺は無敵だから。
 意気込んで顔をあげると目に入る、最推しの制服姿の破壊力。あああああ、やっぱり俺は無敵じゃなかった。心臓破裂しそうです。


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