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2巻
2-2
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二、最推しとタンデムピクニック
そして兄様と約束した休日が訪れた。
とてもピクニック日和の天気と気温に、上機嫌で兄様と共に厩に向かう。
我が家の厩には、かなりの数の馬が飼育されていた。流石公爵家、と言わざるを得ない。美しい白馬や可愛らしい栗毛、凛々しい黒馬まで、バリエーションに富んでいる。
ついてきたルーナも、義父の腕の中で馬を見て「うわぁぁぁぁ……」と歓声を上げている。目がキラキラしているのがとても可愛い。
「おうまたん! かわいい! おっきーい!」
「そうだねルーナ、お馬さん大きいね」
はしゃぐルーナとデレデレの義父。
そして、兄様と俺と、ブルーノ君。
ちょうど義父とブルーノ君で何かを話していたところ、俺たちが乗馬で出かけるのを聞きつけたルーナが大騒ぎし、なんだかんだとブルーノ君まで乗馬に付き合わされることとなった。
研究一筋でインドア派に見えるブルーノ君。しかし彼はなんでもパーフェクトだった。馬ですら乗りこなせるらしい。ブルーノ君に出来ないことはないんじゃなかろうか。思わず呟くと、頭をこつんとされて、「出来ないことの方が多すぎてまた自分を嫌いになりそうだ」と苦笑していた。
こ、向上心が高すぎる……
「ルーナは父様と乗ろうね」
「や! ブルーノにーたまとのる!」
ブルーノ君を尊敬のまなざしで見つめていると、ルーナが義父の腕の中で暴れ始め、近くにいたブルーノ君の服をがっしと掴んで離さなくなった。
義父がすごい目でブルーノ君を見下ろしていたけれど、ブルーノ君は慣れたものなのか、困ったように笑いながらルーナをたしなめている。
「我が儘はダメだろ、ルーナ。公爵様はルーナのことが大好きだから、一緒に馬に乗りたいんだ。それに、この中で一番上手に乗馬が出来るのは、公爵様だぞ」
「や! ルーナ、ブルーノにーたまちゅき! にーたまとのる!」
目をウルウルさせてルーナは必死でブルーノ君に手を伸ばしている。
そんな様子に、義父はギリィと奥歯を嚙みながら、「ブルーノ君……」といつもよりも一段も二段も低い声を絞り出した。
「ルーナは君がいいらしい。お、お、落としたら承知しないぞ。末代まで呪うぞ。しっかりとうちの天使を守り切ると、守り切れなかったら責任を負うと約束してくれ……」
「父上……見苦しいです」
冷静な兄様に突っ込まれつつ、義父は娘は嫁にやらんスタイルでブルーノ君にルーナを差し出した。きっと義父は内心血涙を流しているのだろう。
そんな義父に溜息をついたブルーノ君は、兄様を見てちょっとだけ顔をほころばせながらルーナをその腕に抱き寄せた。
「ルーナ、じゃあ、ひとつ約束だ」
「あい!」
「絶対に暴れるなよ。いきなり暴れると、馬だって怖いんだ。一緒に楽しく走りたいだろ」
「あい!」
義父がものすごく恐ろしい笑顔で、ルーナの頭を「いいお返事だな、えらいえらい」と撫でる。
その表情があまりに面白かったので、つい義父に近付いて「父様も我慢出来てえらいです」と撫でたら抱き上げられてしまった。
「アルバ! 私の癒し……! アルバは父様と一緒に乗るよな?」
「僕は兄様と乗るとすでに約束してます。約束を破るのはよくないことですよ」
「じゃあ、その約束をなかったことにして、父様と」
義父が全てを言い終わる前に、俺の身体は兄様の腕の中に収まった。辺りにはキラキラとダイヤモンドダストが浮いている。
兄様、こんな魔法まで使えるようになっていたのか。滅茶苦茶綺麗。
そんな兄様は、先程の義父もかくやという壮絶な笑みを浮かべていた。神々しいその笑顔に、視線が釘付けになる。眼福だ……拝みたい。
「父上。約束は安易に破るとその後の信用を失うと教えてくださったのは貴方でしょう」
「オルシスが冷たい……」
物理的にね。
義父の周りにはたくさんの氷のつぶてが浮いている。
義父だったらこれくらいすぐに打ち消すことは出来るんだろうけれど、魔法を打ち消してないということは、多分兄様の反応を見て遊んでいるんだと思う。顔が少しだけ楽しそうだ。
この分だといつ馬に乗れるかわからないから俺は兄様にしがみ付いて、義父を見上げた。
「父様、僕は全ての初めてを兄様と共に体験したいと思っているのです。なので、ごめんなさい」
「「「アルバ、言い方!」」」
兄様とブルーノ君、そして義父に一斉にツッコまれ、俺何か余計なこと言っちゃったかな、と首を捻る。そんな俺を見た三人は、盛大に溜息を吐いたのだった。なんでだ。
兄様の馬は、黒毛の凛々しい牡馬だった。胸の筋肉が強そう。そして眼つきが鋭い。でも、気性が荒いわけではないらしい。知性がある目をしていて、なんだか俺を品定めしているようにじろじろ見ていた。兄様にはちゃんと信頼の眼差しを向けているのに。
背中に二人乗り用の鞍を置いた兄様は軽々と俺をその牡馬に乗せて、自分もひらりと背に乗った。
その動きがとても洗練されていて、優雅で、バッチリ上から間近で見てしまった俺は、少しの間「兄様カッコよすぎて辛い……」と悶えた。俺を抱え込むように座った兄様は、ちょっと苦笑しているみたいだった。身体が密着して安定感がすごい。
「立ち上がらないようにね。僕が支えるから、楽にしていていいよ」
「はいぃぃ、うううどの角度の兄様も素敵すぎてご褒美頂いちゃいました……!」
「アルバの後頭部も可愛いよ」
ちゅ、と後頭部に唇が落ちてきて、俺はいつもながら声にならない悲鳴を上げた。
え、え、待って。乗馬ってこんなにご褒美満載のものだったの? 最高に天国なんだけど天国。大事なことなので二回言いました。天国です。あ、三回言っちゃった。
あの唇が俺の頭にぶち当たったんだと思うと、顔に血が上る。天国ってこんなにも暑かったんだね。今夏かな。いや、暦ではもう秋?
アワアワしている間に、やっぱり颯爽と馬に跨ったブルーノ君の腕にルーナが託された。ルーナはまだ小さいから大変かもな、と思ったら、ブルーノ君がポケットからひとつの小さな種を出した。
「芽吹け」
一言呟いた瞬間、種から蔓のようなものがシュルシュルと伸び始め、あっという間にブルーノ君とルーナの身体に巻き付いた。そして、薄い紫の小さな花が幾つもルーナの周りに咲き始める。
「これでルーナは落ちないからな」
「にーたま! おはなきれーい」
「ルーナはこういう可愛らしい花が好きだろ。気に入ったか?」
「あい!」
二歳児の可愛らしい笑い声が響く中、ちょっとだけ寂しそうな顔の義父と執事のスウェンも静かに自分の馬に乗った。
スウェンは俺たちの行動を予測して、皆用にランチを頼んでくれていたようで、ランチボックス片手に先程合流した。主に義父のお目付け役として一緒に行くらしい。スウェンも見た目の割に、ひらりと簡単に馬に乗ってしまった。姿勢がよくてかっこいい。
今日行くのは、サリエンテ公爵領の中にある、とある森だ。森を少し進んだ湖のほとりに乗馬で向かって、皆でピクニックをしようと言うわけだ。
なお、母はたまには自らの手でお菓子を作りたいと言っていたので、今日は厨房に籠っている。
母のお菓子は滅茶苦茶美味しいから、とても楽しみ。男爵家にいた時は母も自分で料理とかしていたから。本当は好きらしいんだよ。料理とかお菓子作り。
でも今は義父が心配性すぎて、ほぼやっていない。義父曰く、厨房は危ないし母の手が傷つくのが見たくないからだそうだ。母も義父を悲しませるくらいなら、と我慢しているようだ。
いつの間にやら母も義父にメロメロなのだ。あの顔じゃ仕方ない。だって兄様にそっくりの美麗なご尊顔だもんね。
ぽくぽくと、ゆっくりと馬が進む。
馬上からの景色はいつもの視点とは違って高く、今まではなんてことない景色だと思っていたものが全て違って見える。
隣では、ブルーノ君が一つ一つ植物の解説をしており、前に座ったルーナは目を輝かせてうんうん聞いていた。そして、その説明全てを覚えたようだ。
説明を受けた木の実を見つけたら、「おなかいたいいたいなおるやちゅ」とか「あのおはなはさわるの、め!」と繰り返している。
うん、本当に全て覚えたみたいだ。うちの子天才か?
後ろからぎりぎりと二人を見つめていた義父も溜息と共に感嘆の声を漏らす。
「流石だルーナ、美と才を兼ね備えている……」
「ルーナの天才ぶりはアルバと同じだね」
「ルーナは本当に素晴らしいですね。流石は兄様の妹です」
「ルーナお嬢様は類稀なる才能をお持ちでございます……」
それぞれがルーナを褒め称えるのを、ブルーノ君がまたか、という顔で見ていた。だって義父、子煩悩だもん。俺も兄様もルーナを愛してるしね。スウェンに至っては、ブルーノ君含む全員を孫でも見るような目で見ているし。
でも実はブルーノ君がまずすごく優しい目でルーナを見て、「そうだ偉いぞ」「当たりだ。ルーナはすごいな」と褒めまくっているんだけどね。もうすっかりうちの一員になっている。
そんなのんびりした時間を経て、俺たちは目的地の湖についた。
水は澄み渡り、ほとりには幻想的な花が咲いている。
周りの木々は葉を赤やオレンジに染め、目を楽しませてくれる。そよそよと風が吹き、時折ふわりと花の仄かに甘い香りを運んできた。
「綺麗……」
思わずそんな声が口から出る程に、その光景に見惚れてしまった。
特に、湖畔に立つ兄様の神憑り的に幻想的な光景に。
少し伸びて肩にかかるくらいになった髪を風になびかせ、湖からの光の反射に目を細めて、馬に寄り添う兄様の姿はそれはそれは神々しく……
なんで兄様はあんなにも幻想的な風景が似合うんだろう。どうしてここにカメラがないんだろう。激写して激写して永久保存版にするのに。それでもこの目で実際に兄様を見てしまうと写真の方が霞んでしまうんだけれども。
ほう、と溜息を吐いていると、兄様が俺の方を振り返った。目を細めて、まるでその視線の先に愛しい者がいるかのような柔らかくも美しい表情で。
「アルバ」
そんな顔で、そんな声で名前を呼ばれたら。
無意識に心臓の部分をギュッと握ってしまう。
兄様がどんどんと俺の知っているアプリの最推しの姿に近づいていく。けれど最推しはそんな表情をすることはない。兄様が今の兄様だからこその、柔らかい表情だ。
もう、俺は何度兄様に心臓を鷲掴まれたら気が済むんだろう。きっと一生このドキドキは続く気がする。だって、見るたびに兄様が最高に見えるから。
「なにうっとりオルシスを眺めてるんだよ。湖を見ろ、湖を」
ブルーノ君に苦笑され、ハッと我に返った俺は、目的を思い出して兄様に駆け寄った。
一緒に景色を堪能するんだった。俺一人で堪能してどうする。切り取って持ち帰りたいくらいの眼福景色だったけれども。兄様にお見せできないのが残念でならない。
「アルバにーたま! きらきらね!」
ルーナも大はしゃぎで、俺の方に駆けてきた。俺の手をガシッと握って、反対側を兄様に伸ばして、三人で並んで満足そうだ。
「ブルーノにーたまも!」
おてて! と騒いで、冷静なブルーノ君に「ルーナの手は三本あるのか?」とツッコまれている。
膨れたルーナを兄様が抱き上げると、ルーナは嬉しそうにえへへと笑った。
しばらくは、ルーナと共にお花を愛で、湖を覗き、木陰で座って紅葉の景色を愛でた。
とても平和な光景だった。
いつも忙しそうな俺とルーナ以外の面々も、なんだかんだでゆったりできているようだった。
木陰にレジャーシート代わりの布を敷いて、スウェンが昼食の用意をしてくれる。
ルーナの手にはすでに果物が握られており、義父がようやく膝の上に来てくれたルーナを甘やかすだけ甘やかしている。
兄様とブルーノ君は腕慣らしと言って腰に下げていた剣でやり合い始め、戯れとは思えない剣技を披露している。
そんな時、湖面が波立った気がしてふと目を凝らした。
なんとなく胸が騒めいて、俺は立ち上がった。
焦燥感に自然と足を速めて兄様のほうへ向かう。
「兄様!」
そして俺が叫んだ瞬間、凪いでいたはずの湖面が揺れ、大きな魚が何匹もまるで銛のように兄様たちの方にすごい勢いで飛び出した。
「アルバ! こっちに来ちゃだめだ! 父上の後ろに!」
剣で対応する兄様とブルーノ君は、その数の多さに捌ききれず、次々と身体に傷がついていく。
義父が兄様たちの前まで包むように氷のドームを作ったことで、ようやく魚の猛攻が止まった。そのドームをさらに包むようにブルーノ君が魔法で蔦の網を作っていく。
兄様の横に辿りついた俺は、まだ剣を構える兄様に必死で光の治癒魔法を掛けていく。
「アルバ、これくらいの傷なら平気だから、あまり魔力を使っちゃだめだ」
「嫌です! 僕に出来ることなんてこれくらいしかないから……!」
兄様の服を握り締めて必死に治癒魔法で癒していると、氷のドームにビシッと亀裂が入り、魚が俺めがけて氷を突き破って突っ込んできた。
兄様の腕が咄嗟に俺の身体を引き寄せ事なきを得たけれど、その魚は地面に突き刺さっていて、勢いのすごさがわかる。
「氷床!」
兄様は俺を抱き寄せたまま、地面に手をついて魔法を使った。
兄様の前から氷の道が湖まで一瞬でできあがり、そのまま広い湖を氷で覆っていく。
兄様に触れている俺には、兄様がどれだけの魔力を使って湖を凍らせたのかがわかった。
「兄様、魔力が……!」
「大丈夫……っ」
そう答えた兄様だけれど、湖が凍ったのを見届けると、地面に膝をついた。
「魔力切れだ。少し休んでろ!」
「ブルーノ君ごめんなさい、傷はあとで治します……!」
「俺はいい。オルシスに付いていてやれ!」
ブルーノ君は俺たちにそう叫ぶと、まだもがいている魚に止めを刺すために走り出した。
俺は兄様の横に膝をつき、肩で息をして辛そうな兄様の手を取った。
「アルバ、いい、少し休めば大丈夫だから……」
「全然大丈夫に見えません! こればっかりは兄様の頼みでもダメです! 僕の魔力なんてすべてあげますから、早く元気になってください!」
兄様のお願いはいつでも聞くつもりだけれど、俺の手を振り払う力もない兄様の言うことは聞けません。
繋いだ手から、いつも兄様にしてもらっているように魔力を送り込む。
「アルバが、倒れるから……」
「兄様が元気なのと僕が元気なのでは、皆が生き残れる率が高いのはどう考えても兄様です」
それでも力ない手で抵抗してくる兄様をそう言って説得すると、兄様は諦めたように俺の手を握り返してくれた。
全ての魔力を兄様に渡して、早く元気になってほしい。
繋がれた手から、魔力が流れていく。
俺の魔力で足りるだろうか。
もっとたくさん魔力を渡したい。
じりじりしながら手を握りしめていると、ルーナを抱いたままの義父が俺たちの前に立った。
「頑張ったね、オルシス」
とても優しい響きの声を掛けてから、義父は凍り付いた湖面に手をかざした。
「氷属性は探索には向かないんだけれども。ブルーノ、君は湖の底の水草で探索出来るかい」
「出来ます」
「私が防衛をしよう。オルシスが全てを止めてくれている今のうちに、大本を探せ」
「はい」
「とーたま、ルーナも」
ルーナが義父を真似して、手をかざす。そしてえいえいと手を動かすと、湖に少しずつ氷の棘が出来上がっていった。まるで剣山のようになってしまった湖に、改めてルーナのすごさを知る。
義父も厳しい表情を和らげて、ルーナに向かって微笑んだ。
「ルーナ、すごいぞ。ルーナは本当に天才だな」
「ルーナ、てんちゃいない! にちゃい! にちゃいでちゅ、とーたま!」
「あはは、うん、二歳だね」
緊迫した雰囲気の中、ルーナの可愛らしい発言のお陰でホッと息を吐く。
兄様も目を開けて、ルーナの言葉に顔をほころばせているから、少しは回復したらしい。
ブルーノ君も、地面に手を付けて目を瞑りながらも、口元は微笑んでいる。
「湖の底に魔核を発見しました。今目印を」
ブルーノ君がそう言うと、義父が少しだけ伸びをして、湖面を見つめた。
「魔核が出来ていたのか。駆除しないといけないな。あー……仕事が増える……ルーナとの憩いの時間が減る……」
「ですが旦那様。旦那様が頑張れば、このようにお子様たちに危険が及ぶことも減りますよ」
項垂れる義父に後ろからスウェンがそっと言うと、義父はよし、と気合を入れた。
「頑張ろう」
「それでこそ旦那様でございます」
にっこりと笑うスウェンに、ドキドキしながら視線を向ける。義父ですらスウェンの手のひらでコロコロと転がされている気がする。俺なんかひとたまりもないの当たり前だよね。
「ときにスウェン。ブルーノの目印はわかったか」
「視認しております」
「魔核を潰せ」
「御意に」
義父の言葉にスウェンが頷くと、湖の一角にドオンと水柱が上がった。
兄様と義父とルーナが張った氷が砕け散り、氷の中に閉じ込められていた魚が宙を舞う。
落ちてきた時の硬質な音で、魚の内部まですっかり凍っていたことがわかる。地面に落ちてきた魚は砕け散っていた。
「終わりました」
「魔核は消滅しました」
スウェン、ブルーノ君の声を聞いて義父が頷く。そして皆を労った後、義父は兄様の横に膝をついた。兄様の頬に手を置いて、ああ、まだ動けないな、と優しく撫でる。
その姿に、じわりと嫌な汗がにじんだ。
……もしかして、俺は全然兄様に魔力を渡せていないのではなかろうか。
だってずっと手を握っているのに、兄様はまだ立ち上がれるほども回復していない。
皆頑張ってるのに、俺だけ何も出来ていない。
今まではラオネン病があるからそれも仕方ない、と思っていたけれど、今はもう病なんて消え去ったはずなのに。
「兄様……」
ルーナですら、湖を凍らせる手伝いをしていたというのに。
悔しくて、鼻の奥がツンとする。
せめて俺の魔力で兄様を元気にさせるくらいなら出来ると思ったのに。
「僕は役立たずだ……」
「そんなことはない」
義父が俺を慰めてくれるのが、さらに辛い。
せめて殿下からもらった回復魔法だけでも使えればと思ったけれど、それもうまくいっていない。
もしかして魔力を出すのが怖くて、兄様に渡す魔力に制御をしちゃってるんじゃなかろうか。
俺はなんて弱い。
ポタリ、と繋いだ手に、涙が一粒落ちる。
泣いている場合じゃないのに、泣いてしまう俺が嫌だ。
「アルバ」
兄様の繋がれていない方の手が、俺の頬を撫でる。
零れる雫が兄様の手をつたって落ちていく。
そして次の兄様の行動に、俺は固まってしまった。
――兄様は、あろうことか、自分の手についた俺の涙を舐めたのだ。
「…………」
兄様が。
俺の涙を。
え、ど、どういうこと。
なんでそんなセクシーに自分の手を舐める。
目を見開いて兄様の行動を見ていると、兄様はよし、と一言つぶやいて、身体を起こした。
今まで倒れていたことを感じさせない、スムーズな動きだった。
「アルバの魔力は、僕と相性抜群なのかも」
そう言うと、俺を抱き込んで、濡れた俺の頬を手で拭った。
そして、それも舐めた。
「ああ……染み込む」
「オルシス……アルバが固まっている。確かに直接吸収の方がはるかに魔力の回復は早いが……」
義父が呆れたように盛大に溜息を吐いているけれど、俺には何が何やらわけがわからなかった。
「本来なら直接舐めたいところですが……」
「今度はアルバが倒れるから、絶対にやめろ」
義父に強く言われ、兄様が「残念」と呟いた。
直接舐めるって、ドコを舐めるんでしょうか教えてください。
そしてなんで兄様が舐めるとか舐めるとか言ってるんでしょうか。誰か教えてください。
散々なピクニックになったけれど、俺たちは無事家に帰ってきた。
今日行った森は王都の真横にある義父の領地に組み込まれている森。
今日発見した魔核というものは、強い魔物を生み出すと言われる魔力の塊だ。
それが発見されたということは、普段よりも空気中に漂う魔力が濃くなっているということらしい。
一つ魔核を見つけると、周りも大々的に探索しないと、より強い魔物が現れてしまうという。これは中等学園に上がる前に家庭教師のホルン先生に習ったことだ。
義父は近隣の領地にも連絡を取り、同時に探索を開始すると言っていた。しばらくはルーナと遊べない、という泣き言と共に。
そもそも、空気中の魔力が濃くなるということは今まできちんと循環していた魔力の流れが滞っているということだ。流れないから、留まる。留まると、濃くなる。聞けばとても単純なことに思えるんだけれど、でも実際にはそこまで単純ではないそうだ。
どうして魔力が流れなくなるのか。それは、この地の力が衰えたからということ、らしい。
ああ、と俺は溜息を吐いた。
確かゲーム内のオープニングで王様は、国を守っている守護宝石の力が衰えているから国を救ってほしいと言う。
そこから影の状態で攻略対象者が並び、メインヒーローの第二王子がまず顔を見せて、二番目にバーンと最推しの麗しいご尊顔がお目見えに……何度思い出しても、指は最推しを選んで……
って今はそういうのじゃなくて。
ゲームの開始時――つまり来年にはもう守護宝石の力が衰えているっていうことだ。でも、王都に程近いサリエンテ公爵領に今既に魔核が出来ているというのは、守護宝石の力の衰えが来年を待たずに始まっている証拠ってことじゃないだろうか。
どうやらゲームと今の状態はほぼ同じなようだ。
魔力を循環させ、王国の地の力を復活させるためには守護宝石に魔力を込めないといけない。
ただ、今は王宮の地下でその宝石は眠っており、その存在は極々一部にしか知られていない。なんせすごく力のある宝石だから、盗まれて悪用なんてされたら一発で国は沈んでしまうのだ。怖いね。
だからこそ、王家は責任をもってその宝石を護っている、という説明をゲーム内では王様がしてくれていた。
そっとうちの図書室を覗いたけれど、そういう文献は見つからなかったし、学園の図書室にもなかったから、きっと王宮の特定の人しか出入りできない場所か、魔法とかで隠された部屋にしかその説明はないんだろう。
だからこそ、そのことを俺が知ってるっていうのは、周りにバレてはいけない。義父には言った方がいいのかな、とちょっと悩むけれど。
でもまあ俺はまったく守護宝石には関係ないからいいとして。
このまま行くと、兄様がまるっと関係してきちゃうはずなんだよ……!
そもそも宝石を復活させるための魔力は普通ではありえない程の膨大な量が必要だ。そもそもゲームの目的がその魔力を補える主人公と選ばれた攻略対象者が力を合わせて復活させるっていう話だしね。
兄様もブルーノ君も、魔力は滅茶苦茶多いし、既に主人公は王家で保護されているらしいし。既に状況は揃ってしまっている。
どうせなら二人とかじゃなくて、攻略対象者全員で力を合わせて復活させたらいいのにと思うんだけど、それは詳しい内容を知らない素人の浅知恵なのかな。意味があるから主人公と選ばれた攻略対象者の二人が力を合わせて魔力を、ってなるんだろうか。
あ、それともそれをよしとするとハーレムエンドが出来上がっちゃうかもしれないってやつか……
ダメだ。兄様が誰かのその他一人になるなんて許せない。兄様には兄様だけを愛してくれるような一途な人がお似合いなんだよ……! そういう人じゃないと絶対に託せないんだよ! 全員に色目を使うような主人公はお呼びじゃないんだよ!
主人公ちゃん、願わくば、兄様に目を付けないで。他の誰かと恋に落ちて。
っていうかそもそもそんな切羽詰まった状態で森デートとか普通しないよ。あのゲームはいつでも主人公からデートの声掛けをして、好感度が高くなったらオッケーをもらえるやつだった。相手からの誘いは鍛錬しようとか魔法の研鑽をしようとかいう色気とは無縁の誘いだった。
ああ、考えれば考える程、主人公ってちょっとアレだよな。天真爛漫とか言われてたけれど、天真爛漫って、すごく使い勝手がいい言葉だよなあ。いい意味に取られるっていうか。うん、主人公のことを考えるのはやめよう。最推しに怪我させたことを思い出してふつふつと怒りが……
全てが憶測でしかなかったけれど、湧き上がる憤りはなかなか鎮火しなかった。
◇◆◇
さて、そんな事件の後、兄様と久し振りに温室に行くと、温室がさらに増えていた。
ブルーノ君はそこであらゆる薬草を大量に育てていた。知らなかった。
「地属性魔法でようやく種を作れるようになったから、新しく温室を作ってもらったんだ。他の草花と育つ条件が異なるものもあるし」
どうも、薬学に手を付けたら、素材を集めるより自分で育てた方が効率がよかったんだって。
義父に申請して、欲しい薬草の苗や種を集めてもらって温室で育てはじめたらしい。温室に立つブルーノ君はとても生き生きして見えた。
その姿を見て兄様が呆れたように微笑む。
「ブルーノの要求は留まるところを知らないからな。もしかしたら一番父上に無茶を言っているのはブルーノじゃないか? アルバもちゃんと欲しい物は教えてね」
「欲しい物なんて」
兄様が横にいるからそれ自体が最高に贅沢です。
ギュッと兄様の袖を握ると、兄様が嬉しそうに笑った。その笑顔、プライスレス。史上最高の贅沢。お金を積んででも見たい笑顔です。
「兄様に貢ぎたい……」
ついつい吐露したら、二人に「言い方……!」とツッコまれた。ヤバい駄々洩れちゃった。最推しのためなら即課金マンなんだよ。最推しのために働いていたんだよ……! ああ、今からでもいい、兄様に貢ぐために働きたい。働くような体力と知力と魔力がないのが本気で悔やまれる。
「だってあげられるのが愛とかこの身体くらいだから……!」
「だからアルバ、言い方!」
本当のことだもん、と口を尖らすと、兄様が苦笑して俺の頭を撫でた。
「愛ならもうたくさんもらってるよ。それにね、僕もアルバに色々あげたいんだよ。アルバの喜ぶ顔が見たいんだよ。わかる?」
「アルバはオルシスにハグされたらそれだけで喜びそうだけどな」
兄様の言葉にブルーノ君がツッコむ。
正しい。ハグだけで天にも昇る気持ちになります。
うんうん頷くと、兄様は呆れたように「そんなことで……」と言って俺にギュッとハグをした。
ああ……兄様の腕の中、好き……
うっとりと抱き締められていると、後ろから「ほらな」という冷静な声が聞こえてきた。
「うう、アルバは甘やかし甲斐がない……ハグだったらいつでもするからね。他にしてほしいことは?」
「うーん……笑顔でいてほしいです」
「ほら、甘やかし甲斐がない。アルバが隣にいれば僕だっていつでも笑顔だよ」
「だったら……幸せに、なってほしい……?」
「アルバがいれば幸せだって」
っていうことは、今兄様は幸せってことか。じゃあ俺も幸せ。
向き合ってニコニコしていると、ブルーノ君に「そういうのは部屋で二人っきりでやってくれ」と呆れた声を上げられてしまった。
どうして二人きりで部屋でやる必要があるんだ。部屋だけじゃなくてここでも笑っていてほしい。
口を尖らすと、ブルーノ君に「アルバはおこちゃまだから……」と本日一のでっかい溜息を吐かれてしまった。
「オルシス、先は長いぞ」
「それ以上言ったら物理的に黙らせるぞ」
兄様の肩をポンポン叩くブルーノ君に、兄様は本日一の低い声で答えていた。その声もまたかっこいい。
ところでブルーノ君は、魔核を植物でどうにかできないかと思っているらしい。
レガーレが持つ魔力を吸って留める性質を応用できないかって考えたんだって。でもまだまだ構想段階だから、研究はこれから本格的に始めるそうだ。
でも来年から高等学園に行くはずなのに、そんなことをしている余裕はあるんだろうか。
オープニングと今の状況を照らし合わせると、そろそろ攻略対象者は主人公のサポートと王家の秘密である守護宝石のことを頼むと王様直々に申し渡されるはず。
その後の主人公の馴れ初め部分はほとんど覚えていない。記憶にあるのは主人公である市井にいた光属性の高魔力の子が高位貴族の養子になったってことだけ。
ライバルとかそういうお邪魔キャラは出てこなかったし、攻略対象者は全部で六人……兄様、ブルーノ君、殿下、アドリアン君、リコル先生。
隠しキャラである最後の一人は、未だに思い出せないけど、前に兄様のスチルを思い出した時みたいにハッと思い出したりするのかな。
それとももうラオネン病の発作は起こらないはずだから、思い出すことはないのか。それすらわからない。きちんと全員の話はクリアしたはずだし、一巡しないと出てこなかったことは記憶しているんだけど……
でも、思い出せないのは仕方ない。きっと最推しがまったく絡まなかったから覚えてないんだよね。隠しキャラが出てきても出てこなくても、クリアしたらとりあえず世界は平和に戻るから、あんまり関係ないのかも。
そう結論付けた俺は、兄様たちがすっかり話を始めてしまったので、一人物思いにふけっていた。
目の前にはレガーレを乾燥させて紅茶葉にブレンドしたフルーツティーが淹れられているけれど、まだ熱いので手を付けていない。
しばらくは魔力を体内に溜めていく方針で行こうってことになったから、レガーレを普段から口にできるようにと飴以外の加工も考えたんだ。発案は俺だけれど、製作したのはほぼブルーノ君。一人で紅茶葉作りなんて無理。頼んだら快く手伝ってくれた。
まだまだ俺の身体は未知数だから、ラオネン病は完治したはずとはいえ経過観察は必要だし、油断出来ないんだそうだ。美味しいレガーレが食べれるから否やはないけれど、すっかりモルモットだよなあ。
ああでも、殿下から光属性を分けてもらえたってことは、鑑定も使えるようになるのかもしれない。それなら、レガーレを口にしない方がいいのかな? ところで鑑定ってどう使うんだろう。物に魔法をぶっ放すわけじゃないから、鑑定とか探索系ってまずやり方からわからない。
ブルーノ君に聞いたら教えてくれるんだろうか。それとも殿下かな。
俺も鑑定とかバンバン使えるようになって、兄様の役に立ちたいんだけれども……
思い立ったが吉日と、そのあと、俺は殿下に頼み込んで鑑定のやり方を習うことにした。甘いレガーレの味は惜しいけれど、兄様の役に立てるのが優先だ。
殿下直伝の鑑定は攻撃魔法と違ってなんとか出来るようになり、俺はそれからブルーノ君の温室に入り込んでは鑑定を使って必死で熟練度を上げた。
ゲームでは当たり前にあったステータス確認画面も、ここでは見ることも開くこともできない。
辛うじて調べられるのは魔力の属性と大きさだけだ。魔力の大きさ、というか、その人の容量を大雑把に調べられるだけで数値が細かく出てくるわけじゃない。
属性はルーナの時に使ったあの石で調べられるけれど、容量の方は王宮や教会の信頼のおける上層部で取り扱っている外部秘の魔術陣でしか調べられないそうだ。そもそもルーナみたいに小さい頃にあれだけすごい魔法を発動した人以外は、魔力容量をいちいち調べたりはしないらしい。
そして兄様と約束した休日が訪れた。
とてもピクニック日和の天気と気温に、上機嫌で兄様と共に厩に向かう。
我が家の厩には、かなりの数の馬が飼育されていた。流石公爵家、と言わざるを得ない。美しい白馬や可愛らしい栗毛、凛々しい黒馬まで、バリエーションに富んでいる。
ついてきたルーナも、義父の腕の中で馬を見て「うわぁぁぁぁ……」と歓声を上げている。目がキラキラしているのがとても可愛い。
「おうまたん! かわいい! おっきーい!」
「そうだねルーナ、お馬さん大きいね」
はしゃぐルーナとデレデレの義父。
そして、兄様と俺と、ブルーノ君。
ちょうど義父とブルーノ君で何かを話していたところ、俺たちが乗馬で出かけるのを聞きつけたルーナが大騒ぎし、なんだかんだとブルーノ君まで乗馬に付き合わされることとなった。
研究一筋でインドア派に見えるブルーノ君。しかし彼はなんでもパーフェクトだった。馬ですら乗りこなせるらしい。ブルーノ君に出来ないことはないんじゃなかろうか。思わず呟くと、頭をこつんとされて、「出来ないことの方が多すぎてまた自分を嫌いになりそうだ」と苦笑していた。
こ、向上心が高すぎる……
「ルーナは父様と乗ろうね」
「や! ブルーノにーたまとのる!」
ブルーノ君を尊敬のまなざしで見つめていると、ルーナが義父の腕の中で暴れ始め、近くにいたブルーノ君の服をがっしと掴んで離さなくなった。
義父がすごい目でブルーノ君を見下ろしていたけれど、ブルーノ君は慣れたものなのか、困ったように笑いながらルーナをたしなめている。
「我が儘はダメだろ、ルーナ。公爵様はルーナのことが大好きだから、一緒に馬に乗りたいんだ。それに、この中で一番上手に乗馬が出来るのは、公爵様だぞ」
「や! ルーナ、ブルーノにーたまちゅき! にーたまとのる!」
目をウルウルさせてルーナは必死でブルーノ君に手を伸ばしている。
そんな様子に、義父はギリィと奥歯を嚙みながら、「ブルーノ君……」といつもよりも一段も二段も低い声を絞り出した。
「ルーナは君がいいらしい。お、お、落としたら承知しないぞ。末代まで呪うぞ。しっかりとうちの天使を守り切ると、守り切れなかったら責任を負うと約束してくれ……」
「父上……見苦しいです」
冷静な兄様に突っ込まれつつ、義父は娘は嫁にやらんスタイルでブルーノ君にルーナを差し出した。きっと義父は内心血涙を流しているのだろう。
そんな義父に溜息をついたブルーノ君は、兄様を見てちょっとだけ顔をほころばせながらルーナをその腕に抱き寄せた。
「ルーナ、じゃあ、ひとつ約束だ」
「あい!」
「絶対に暴れるなよ。いきなり暴れると、馬だって怖いんだ。一緒に楽しく走りたいだろ」
「あい!」
義父がものすごく恐ろしい笑顔で、ルーナの頭を「いいお返事だな、えらいえらい」と撫でる。
その表情があまりに面白かったので、つい義父に近付いて「父様も我慢出来てえらいです」と撫でたら抱き上げられてしまった。
「アルバ! 私の癒し……! アルバは父様と一緒に乗るよな?」
「僕は兄様と乗るとすでに約束してます。約束を破るのはよくないことですよ」
「じゃあ、その約束をなかったことにして、父様と」
義父が全てを言い終わる前に、俺の身体は兄様の腕の中に収まった。辺りにはキラキラとダイヤモンドダストが浮いている。
兄様、こんな魔法まで使えるようになっていたのか。滅茶苦茶綺麗。
そんな兄様は、先程の義父もかくやという壮絶な笑みを浮かべていた。神々しいその笑顔に、視線が釘付けになる。眼福だ……拝みたい。
「父上。約束は安易に破るとその後の信用を失うと教えてくださったのは貴方でしょう」
「オルシスが冷たい……」
物理的にね。
義父の周りにはたくさんの氷のつぶてが浮いている。
義父だったらこれくらいすぐに打ち消すことは出来るんだろうけれど、魔法を打ち消してないということは、多分兄様の反応を見て遊んでいるんだと思う。顔が少しだけ楽しそうだ。
この分だといつ馬に乗れるかわからないから俺は兄様にしがみ付いて、義父を見上げた。
「父様、僕は全ての初めてを兄様と共に体験したいと思っているのです。なので、ごめんなさい」
「「「アルバ、言い方!」」」
兄様とブルーノ君、そして義父に一斉にツッコまれ、俺何か余計なこと言っちゃったかな、と首を捻る。そんな俺を見た三人は、盛大に溜息を吐いたのだった。なんでだ。
兄様の馬は、黒毛の凛々しい牡馬だった。胸の筋肉が強そう。そして眼つきが鋭い。でも、気性が荒いわけではないらしい。知性がある目をしていて、なんだか俺を品定めしているようにじろじろ見ていた。兄様にはちゃんと信頼の眼差しを向けているのに。
背中に二人乗り用の鞍を置いた兄様は軽々と俺をその牡馬に乗せて、自分もひらりと背に乗った。
その動きがとても洗練されていて、優雅で、バッチリ上から間近で見てしまった俺は、少しの間「兄様カッコよすぎて辛い……」と悶えた。俺を抱え込むように座った兄様は、ちょっと苦笑しているみたいだった。身体が密着して安定感がすごい。
「立ち上がらないようにね。僕が支えるから、楽にしていていいよ」
「はいぃぃ、うううどの角度の兄様も素敵すぎてご褒美頂いちゃいました……!」
「アルバの後頭部も可愛いよ」
ちゅ、と後頭部に唇が落ちてきて、俺はいつもながら声にならない悲鳴を上げた。
え、え、待って。乗馬ってこんなにご褒美満載のものだったの? 最高に天国なんだけど天国。大事なことなので二回言いました。天国です。あ、三回言っちゃった。
あの唇が俺の頭にぶち当たったんだと思うと、顔に血が上る。天国ってこんなにも暑かったんだね。今夏かな。いや、暦ではもう秋?
アワアワしている間に、やっぱり颯爽と馬に跨ったブルーノ君の腕にルーナが託された。ルーナはまだ小さいから大変かもな、と思ったら、ブルーノ君がポケットからひとつの小さな種を出した。
「芽吹け」
一言呟いた瞬間、種から蔓のようなものがシュルシュルと伸び始め、あっという間にブルーノ君とルーナの身体に巻き付いた。そして、薄い紫の小さな花が幾つもルーナの周りに咲き始める。
「これでルーナは落ちないからな」
「にーたま! おはなきれーい」
「ルーナはこういう可愛らしい花が好きだろ。気に入ったか?」
「あい!」
二歳児の可愛らしい笑い声が響く中、ちょっとだけ寂しそうな顔の義父と執事のスウェンも静かに自分の馬に乗った。
スウェンは俺たちの行動を予測して、皆用にランチを頼んでくれていたようで、ランチボックス片手に先程合流した。主に義父のお目付け役として一緒に行くらしい。スウェンも見た目の割に、ひらりと簡単に馬に乗ってしまった。姿勢がよくてかっこいい。
今日行くのは、サリエンテ公爵領の中にある、とある森だ。森を少し進んだ湖のほとりに乗馬で向かって、皆でピクニックをしようと言うわけだ。
なお、母はたまには自らの手でお菓子を作りたいと言っていたので、今日は厨房に籠っている。
母のお菓子は滅茶苦茶美味しいから、とても楽しみ。男爵家にいた時は母も自分で料理とかしていたから。本当は好きらしいんだよ。料理とかお菓子作り。
でも今は義父が心配性すぎて、ほぼやっていない。義父曰く、厨房は危ないし母の手が傷つくのが見たくないからだそうだ。母も義父を悲しませるくらいなら、と我慢しているようだ。
いつの間にやら母も義父にメロメロなのだ。あの顔じゃ仕方ない。だって兄様にそっくりの美麗なご尊顔だもんね。
ぽくぽくと、ゆっくりと馬が進む。
馬上からの景色はいつもの視点とは違って高く、今まではなんてことない景色だと思っていたものが全て違って見える。
隣では、ブルーノ君が一つ一つ植物の解説をしており、前に座ったルーナは目を輝かせてうんうん聞いていた。そして、その説明全てを覚えたようだ。
説明を受けた木の実を見つけたら、「おなかいたいいたいなおるやちゅ」とか「あのおはなはさわるの、め!」と繰り返している。
うん、本当に全て覚えたみたいだ。うちの子天才か?
後ろからぎりぎりと二人を見つめていた義父も溜息と共に感嘆の声を漏らす。
「流石だルーナ、美と才を兼ね備えている……」
「ルーナの天才ぶりはアルバと同じだね」
「ルーナは本当に素晴らしいですね。流石は兄様の妹です」
「ルーナお嬢様は類稀なる才能をお持ちでございます……」
それぞれがルーナを褒め称えるのを、ブルーノ君がまたか、という顔で見ていた。だって義父、子煩悩だもん。俺も兄様もルーナを愛してるしね。スウェンに至っては、ブルーノ君含む全員を孫でも見るような目で見ているし。
でも実はブルーノ君がまずすごく優しい目でルーナを見て、「そうだ偉いぞ」「当たりだ。ルーナはすごいな」と褒めまくっているんだけどね。もうすっかりうちの一員になっている。
そんなのんびりした時間を経て、俺たちは目的地の湖についた。
水は澄み渡り、ほとりには幻想的な花が咲いている。
周りの木々は葉を赤やオレンジに染め、目を楽しませてくれる。そよそよと風が吹き、時折ふわりと花の仄かに甘い香りを運んできた。
「綺麗……」
思わずそんな声が口から出る程に、その光景に見惚れてしまった。
特に、湖畔に立つ兄様の神憑り的に幻想的な光景に。
少し伸びて肩にかかるくらいになった髪を風になびかせ、湖からの光の反射に目を細めて、馬に寄り添う兄様の姿はそれはそれは神々しく……
なんで兄様はあんなにも幻想的な風景が似合うんだろう。どうしてここにカメラがないんだろう。激写して激写して永久保存版にするのに。それでもこの目で実際に兄様を見てしまうと写真の方が霞んでしまうんだけれども。
ほう、と溜息を吐いていると、兄様が俺の方を振り返った。目を細めて、まるでその視線の先に愛しい者がいるかのような柔らかくも美しい表情で。
「アルバ」
そんな顔で、そんな声で名前を呼ばれたら。
無意識に心臓の部分をギュッと握ってしまう。
兄様がどんどんと俺の知っているアプリの最推しの姿に近づいていく。けれど最推しはそんな表情をすることはない。兄様が今の兄様だからこその、柔らかい表情だ。
もう、俺は何度兄様に心臓を鷲掴まれたら気が済むんだろう。きっと一生このドキドキは続く気がする。だって、見るたびに兄様が最高に見えるから。
「なにうっとりオルシスを眺めてるんだよ。湖を見ろ、湖を」
ブルーノ君に苦笑され、ハッと我に返った俺は、目的を思い出して兄様に駆け寄った。
一緒に景色を堪能するんだった。俺一人で堪能してどうする。切り取って持ち帰りたいくらいの眼福景色だったけれども。兄様にお見せできないのが残念でならない。
「アルバにーたま! きらきらね!」
ルーナも大はしゃぎで、俺の方に駆けてきた。俺の手をガシッと握って、反対側を兄様に伸ばして、三人で並んで満足そうだ。
「ブルーノにーたまも!」
おてて! と騒いで、冷静なブルーノ君に「ルーナの手は三本あるのか?」とツッコまれている。
膨れたルーナを兄様が抱き上げると、ルーナは嬉しそうにえへへと笑った。
しばらくは、ルーナと共にお花を愛で、湖を覗き、木陰で座って紅葉の景色を愛でた。
とても平和な光景だった。
いつも忙しそうな俺とルーナ以外の面々も、なんだかんだでゆったりできているようだった。
木陰にレジャーシート代わりの布を敷いて、スウェンが昼食の用意をしてくれる。
ルーナの手にはすでに果物が握られており、義父がようやく膝の上に来てくれたルーナを甘やかすだけ甘やかしている。
兄様とブルーノ君は腕慣らしと言って腰に下げていた剣でやり合い始め、戯れとは思えない剣技を披露している。
そんな時、湖面が波立った気がしてふと目を凝らした。
なんとなく胸が騒めいて、俺は立ち上がった。
焦燥感に自然と足を速めて兄様のほうへ向かう。
「兄様!」
そして俺が叫んだ瞬間、凪いでいたはずの湖面が揺れ、大きな魚が何匹もまるで銛のように兄様たちの方にすごい勢いで飛び出した。
「アルバ! こっちに来ちゃだめだ! 父上の後ろに!」
剣で対応する兄様とブルーノ君は、その数の多さに捌ききれず、次々と身体に傷がついていく。
義父が兄様たちの前まで包むように氷のドームを作ったことで、ようやく魚の猛攻が止まった。そのドームをさらに包むようにブルーノ君が魔法で蔦の網を作っていく。
兄様の横に辿りついた俺は、まだ剣を構える兄様に必死で光の治癒魔法を掛けていく。
「アルバ、これくらいの傷なら平気だから、あまり魔力を使っちゃだめだ」
「嫌です! 僕に出来ることなんてこれくらいしかないから……!」
兄様の服を握り締めて必死に治癒魔法で癒していると、氷のドームにビシッと亀裂が入り、魚が俺めがけて氷を突き破って突っ込んできた。
兄様の腕が咄嗟に俺の身体を引き寄せ事なきを得たけれど、その魚は地面に突き刺さっていて、勢いのすごさがわかる。
「氷床!」
兄様は俺を抱き寄せたまま、地面に手をついて魔法を使った。
兄様の前から氷の道が湖まで一瞬でできあがり、そのまま広い湖を氷で覆っていく。
兄様に触れている俺には、兄様がどれだけの魔力を使って湖を凍らせたのかがわかった。
「兄様、魔力が……!」
「大丈夫……っ」
そう答えた兄様だけれど、湖が凍ったのを見届けると、地面に膝をついた。
「魔力切れだ。少し休んでろ!」
「ブルーノ君ごめんなさい、傷はあとで治します……!」
「俺はいい。オルシスに付いていてやれ!」
ブルーノ君は俺たちにそう叫ぶと、まだもがいている魚に止めを刺すために走り出した。
俺は兄様の横に膝をつき、肩で息をして辛そうな兄様の手を取った。
「アルバ、いい、少し休めば大丈夫だから……」
「全然大丈夫に見えません! こればっかりは兄様の頼みでもダメです! 僕の魔力なんてすべてあげますから、早く元気になってください!」
兄様のお願いはいつでも聞くつもりだけれど、俺の手を振り払う力もない兄様の言うことは聞けません。
繋いだ手から、いつも兄様にしてもらっているように魔力を送り込む。
「アルバが、倒れるから……」
「兄様が元気なのと僕が元気なのでは、皆が生き残れる率が高いのはどう考えても兄様です」
それでも力ない手で抵抗してくる兄様をそう言って説得すると、兄様は諦めたように俺の手を握り返してくれた。
全ての魔力を兄様に渡して、早く元気になってほしい。
繋がれた手から、魔力が流れていく。
俺の魔力で足りるだろうか。
もっとたくさん魔力を渡したい。
じりじりしながら手を握りしめていると、ルーナを抱いたままの義父が俺たちの前に立った。
「頑張ったね、オルシス」
とても優しい響きの声を掛けてから、義父は凍り付いた湖面に手をかざした。
「氷属性は探索には向かないんだけれども。ブルーノ、君は湖の底の水草で探索出来るかい」
「出来ます」
「私が防衛をしよう。オルシスが全てを止めてくれている今のうちに、大本を探せ」
「はい」
「とーたま、ルーナも」
ルーナが義父を真似して、手をかざす。そしてえいえいと手を動かすと、湖に少しずつ氷の棘が出来上がっていった。まるで剣山のようになってしまった湖に、改めてルーナのすごさを知る。
義父も厳しい表情を和らげて、ルーナに向かって微笑んだ。
「ルーナ、すごいぞ。ルーナは本当に天才だな」
「ルーナ、てんちゃいない! にちゃい! にちゃいでちゅ、とーたま!」
「あはは、うん、二歳だね」
緊迫した雰囲気の中、ルーナの可愛らしい発言のお陰でホッと息を吐く。
兄様も目を開けて、ルーナの言葉に顔をほころばせているから、少しは回復したらしい。
ブルーノ君も、地面に手を付けて目を瞑りながらも、口元は微笑んでいる。
「湖の底に魔核を発見しました。今目印を」
ブルーノ君がそう言うと、義父が少しだけ伸びをして、湖面を見つめた。
「魔核が出来ていたのか。駆除しないといけないな。あー……仕事が増える……ルーナとの憩いの時間が減る……」
「ですが旦那様。旦那様が頑張れば、このようにお子様たちに危険が及ぶことも減りますよ」
項垂れる義父に後ろからスウェンがそっと言うと、義父はよし、と気合を入れた。
「頑張ろう」
「それでこそ旦那様でございます」
にっこりと笑うスウェンに、ドキドキしながら視線を向ける。義父ですらスウェンの手のひらでコロコロと転がされている気がする。俺なんかひとたまりもないの当たり前だよね。
「ときにスウェン。ブルーノの目印はわかったか」
「視認しております」
「魔核を潰せ」
「御意に」
義父の言葉にスウェンが頷くと、湖の一角にドオンと水柱が上がった。
兄様と義父とルーナが張った氷が砕け散り、氷の中に閉じ込められていた魚が宙を舞う。
落ちてきた時の硬質な音で、魚の内部まですっかり凍っていたことがわかる。地面に落ちてきた魚は砕け散っていた。
「終わりました」
「魔核は消滅しました」
スウェン、ブルーノ君の声を聞いて義父が頷く。そして皆を労った後、義父は兄様の横に膝をついた。兄様の頬に手を置いて、ああ、まだ動けないな、と優しく撫でる。
その姿に、じわりと嫌な汗がにじんだ。
……もしかして、俺は全然兄様に魔力を渡せていないのではなかろうか。
だってずっと手を握っているのに、兄様はまだ立ち上がれるほども回復していない。
皆頑張ってるのに、俺だけ何も出来ていない。
今まではラオネン病があるからそれも仕方ない、と思っていたけれど、今はもう病なんて消え去ったはずなのに。
「兄様……」
ルーナですら、湖を凍らせる手伝いをしていたというのに。
悔しくて、鼻の奥がツンとする。
せめて俺の魔力で兄様を元気にさせるくらいなら出来ると思ったのに。
「僕は役立たずだ……」
「そんなことはない」
義父が俺を慰めてくれるのが、さらに辛い。
せめて殿下からもらった回復魔法だけでも使えればと思ったけれど、それもうまくいっていない。
もしかして魔力を出すのが怖くて、兄様に渡す魔力に制御をしちゃってるんじゃなかろうか。
俺はなんて弱い。
ポタリ、と繋いだ手に、涙が一粒落ちる。
泣いている場合じゃないのに、泣いてしまう俺が嫌だ。
「アルバ」
兄様の繋がれていない方の手が、俺の頬を撫でる。
零れる雫が兄様の手をつたって落ちていく。
そして次の兄様の行動に、俺は固まってしまった。
――兄様は、あろうことか、自分の手についた俺の涙を舐めたのだ。
「…………」
兄様が。
俺の涙を。
え、ど、どういうこと。
なんでそんなセクシーに自分の手を舐める。
目を見開いて兄様の行動を見ていると、兄様はよし、と一言つぶやいて、身体を起こした。
今まで倒れていたことを感じさせない、スムーズな動きだった。
「アルバの魔力は、僕と相性抜群なのかも」
そう言うと、俺を抱き込んで、濡れた俺の頬を手で拭った。
そして、それも舐めた。
「ああ……染み込む」
「オルシス……アルバが固まっている。確かに直接吸収の方がはるかに魔力の回復は早いが……」
義父が呆れたように盛大に溜息を吐いているけれど、俺には何が何やらわけがわからなかった。
「本来なら直接舐めたいところですが……」
「今度はアルバが倒れるから、絶対にやめろ」
義父に強く言われ、兄様が「残念」と呟いた。
直接舐めるって、ドコを舐めるんでしょうか教えてください。
そしてなんで兄様が舐めるとか舐めるとか言ってるんでしょうか。誰か教えてください。
散々なピクニックになったけれど、俺たちは無事家に帰ってきた。
今日行った森は王都の真横にある義父の領地に組み込まれている森。
今日発見した魔核というものは、強い魔物を生み出すと言われる魔力の塊だ。
それが発見されたということは、普段よりも空気中に漂う魔力が濃くなっているということらしい。
一つ魔核を見つけると、周りも大々的に探索しないと、より強い魔物が現れてしまうという。これは中等学園に上がる前に家庭教師のホルン先生に習ったことだ。
義父は近隣の領地にも連絡を取り、同時に探索を開始すると言っていた。しばらくはルーナと遊べない、という泣き言と共に。
そもそも、空気中の魔力が濃くなるということは今まできちんと循環していた魔力の流れが滞っているということだ。流れないから、留まる。留まると、濃くなる。聞けばとても単純なことに思えるんだけれど、でも実際にはそこまで単純ではないそうだ。
どうして魔力が流れなくなるのか。それは、この地の力が衰えたからということ、らしい。
ああ、と俺は溜息を吐いた。
確かゲーム内のオープニングで王様は、国を守っている守護宝石の力が衰えているから国を救ってほしいと言う。
そこから影の状態で攻略対象者が並び、メインヒーローの第二王子がまず顔を見せて、二番目にバーンと最推しの麗しいご尊顔がお目見えに……何度思い出しても、指は最推しを選んで……
って今はそういうのじゃなくて。
ゲームの開始時――つまり来年にはもう守護宝石の力が衰えているっていうことだ。でも、王都に程近いサリエンテ公爵領に今既に魔核が出来ているというのは、守護宝石の力の衰えが来年を待たずに始まっている証拠ってことじゃないだろうか。
どうやらゲームと今の状態はほぼ同じなようだ。
魔力を循環させ、王国の地の力を復活させるためには守護宝石に魔力を込めないといけない。
ただ、今は王宮の地下でその宝石は眠っており、その存在は極々一部にしか知られていない。なんせすごく力のある宝石だから、盗まれて悪用なんてされたら一発で国は沈んでしまうのだ。怖いね。
だからこそ、王家は責任をもってその宝石を護っている、という説明をゲーム内では王様がしてくれていた。
そっとうちの図書室を覗いたけれど、そういう文献は見つからなかったし、学園の図書室にもなかったから、きっと王宮の特定の人しか出入りできない場所か、魔法とかで隠された部屋にしかその説明はないんだろう。
だからこそ、そのことを俺が知ってるっていうのは、周りにバレてはいけない。義父には言った方がいいのかな、とちょっと悩むけれど。
でもまあ俺はまったく守護宝石には関係ないからいいとして。
このまま行くと、兄様がまるっと関係してきちゃうはずなんだよ……!
そもそも宝石を復活させるための魔力は普通ではありえない程の膨大な量が必要だ。そもそもゲームの目的がその魔力を補える主人公と選ばれた攻略対象者が力を合わせて復活させるっていう話だしね。
兄様もブルーノ君も、魔力は滅茶苦茶多いし、既に主人公は王家で保護されているらしいし。既に状況は揃ってしまっている。
どうせなら二人とかじゃなくて、攻略対象者全員で力を合わせて復活させたらいいのにと思うんだけど、それは詳しい内容を知らない素人の浅知恵なのかな。意味があるから主人公と選ばれた攻略対象者の二人が力を合わせて魔力を、ってなるんだろうか。
あ、それともそれをよしとするとハーレムエンドが出来上がっちゃうかもしれないってやつか……
ダメだ。兄様が誰かのその他一人になるなんて許せない。兄様には兄様だけを愛してくれるような一途な人がお似合いなんだよ……! そういう人じゃないと絶対に託せないんだよ! 全員に色目を使うような主人公はお呼びじゃないんだよ!
主人公ちゃん、願わくば、兄様に目を付けないで。他の誰かと恋に落ちて。
っていうかそもそもそんな切羽詰まった状態で森デートとか普通しないよ。あのゲームはいつでも主人公からデートの声掛けをして、好感度が高くなったらオッケーをもらえるやつだった。相手からの誘いは鍛錬しようとか魔法の研鑽をしようとかいう色気とは無縁の誘いだった。
ああ、考えれば考える程、主人公ってちょっとアレだよな。天真爛漫とか言われてたけれど、天真爛漫って、すごく使い勝手がいい言葉だよなあ。いい意味に取られるっていうか。うん、主人公のことを考えるのはやめよう。最推しに怪我させたことを思い出してふつふつと怒りが……
全てが憶測でしかなかったけれど、湧き上がる憤りはなかなか鎮火しなかった。
◇◆◇
さて、そんな事件の後、兄様と久し振りに温室に行くと、温室がさらに増えていた。
ブルーノ君はそこであらゆる薬草を大量に育てていた。知らなかった。
「地属性魔法でようやく種を作れるようになったから、新しく温室を作ってもらったんだ。他の草花と育つ条件が異なるものもあるし」
どうも、薬学に手を付けたら、素材を集めるより自分で育てた方が効率がよかったんだって。
義父に申請して、欲しい薬草の苗や種を集めてもらって温室で育てはじめたらしい。温室に立つブルーノ君はとても生き生きして見えた。
その姿を見て兄様が呆れたように微笑む。
「ブルーノの要求は留まるところを知らないからな。もしかしたら一番父上に無茶を言っているのはブルーノじゃないか? アルバもちゃんと欲しい物は教えてね」
「欲しい物なんて」
兄様が横にいるからそれ自体が最高に贅沢です。
ギュッと兄様の袖を握ると、兄様が嬉しそうに笑った。その笑顔、プライスレス。史上最高の贅沢。お金を積んででも見たい笑顔です。
「兄様に貢ぎたい……」
ついつい吐露したら、二人に「言い方……!」とツッコまれた。ヤバい駄々洩れちゃった。最推しのためなら即課金マンなんだよ。最推しのために働いていたんだよ……! ああ、今からでもいい、兄様に貢ぐために働きたい。働くような体力と知力と魔力がないのが本気で悔やまれる。
「だってあげられるのが愛とかこの身体くらいだから……!」
「だからアルバ、言い方!」
本当のことだもん、と口を尖らすと、兄様が苦笑して俺の頭を撫でた。
「愛ならもうたくさんもらってるよ。それにね、僕もアルバに色々あげたいんだよ。アルバの喜ぶ顔が見たいんだよ。わかる?」
「アルバはオルシスにハグされたらそれだけで喜びそうだけどな」
兄様の言葉にブルーノ君がツッコむ。
正しい。ハグだけで天にも昇る気持ちになります。
うんうん頷くと、兄様は呆れたように「そんなことで……」と言って俺にギュッとハグをした。
ああ……兄様の腕の中、好き……
うっとりと抱き締められていると、後ろから「ほらな」という冷静な声が聞こえてきた。
「うう、アルバは甘やかし甲斐がない……ハグだったらいつでもするからね。他にしてほしいことは?」
「うーん……笑顔でいてほしいです」
「ほら、甘やかし甲斐がない。アルバが隣にいれば僕だっていつでも笑顔だよ」
「だったら……幸せに、なってほしい……?」
「アルバがいれば幸せだって」
っていうことは、今兄様は幸せってことか。じゃあ俺も幸せ。
向き合ってニコニコしていると、ブルーノ君に「そういうのは部屋で二人っきりでやってくれ」と呆れた声を上げられてしまった。
どうして二人きりで部屋でやる必要があるんだ。部屋だけじゃなくてここでも笑っていてほしい。
口を尖らすと、ブルーノ君に「アルバはおこちゃまだから……」と本日一のでっかい溜息を吐かれてしまった。
「オルシス、先は長いぞ」
「それ以上言ったら物理的に黙らせるぞ」
兄様の肩をポンポン叩くブルーノ君に、兄様は本日一の低い声で答えていた。その声もまたかっこいい。
ところでブルーノ君は、魔核を植物でどうにかできないかと思っているらしい。
レガーレが持つ魔力を吸って留める性質を応用できないかって考えたんだって。でもまだまだ構想段階だから、研究はこれから本格的に始めるそうだ。
でも来年から高等学園に行くはずなのに、そんなことをしている余裕はあるんだろうか。
オープニングと今の状況を照らし合わせると、そろそろ攻略対象者は主人公のサポートと王家の秘密である守護宝石のことを頼むと王様直々に申し渡されるはず。
その後の主人公の馴れ初め部分はほとんど覚えていない。記憶にあるのは主人公である市井にいた光属性の高魔力の子が高位貴族の養子になったってことだけ。
ライバルとかそういうお邪魔キャラは出てこなかったし、攻略対象者は全部で六人……兄様、ブルーノ君、殿下、アドリアン君、リコル先生。
隠しキャラである最後の一人は、未だに思い出せないけど、前に兄様のスチルを思い出した時みたいにハッと思い出したりするのかな。
それとももうラオネン病の発作は起こらないはずだから、思い出すことはないのか。それすらわからない。きちんと全員の話はクリアしたはずだし、一巡しないと出てこなかったことは記憶しているんだけど……
でも、思い出せないのは仕方ない。きっと最推しがまったく絡まなかったから覚えてないんだよね。隠しキャラが出てきても出てこなくても、クリアしたらとりあえず世界は平和に戻るから、あんまり関係ないのかも。
そう結論付けた俺は、兄様たちがすっかり話を始めてしまったので、一人物思いにふけっていた。
目の前にはレガーレを乾燥させて紅茶葉にブレンドしたフルーツティーが淹れられているけれど、まだ熱いので手を付けていない。
しばらくは魔力を体内に溜めていく方針で行こうってことになったから、レガーレを普段から口にできるようにと飴以外の加工も考えたんだ。発案は俺だけれど、製作したのはほぼブルーノ君。一人で紅茶葉作りなんて無理。頼んだら快く手伝ってくれた。
まだまだ俺の身体は未知数だから、ラオネン病は完治したはずとはいえ経過観察は必要だし、油断出来ないんだそうだ。美味しいレガーレが食べれるから否やはないけれど、すっかりモルモットだよなあ。
ああでも、殿下から光属性を分けてもらえたってことは、鑑定も使えるようになるのかもしれない。それなら、レガーレを口にしない方がいいのかな? ところで鑑定ってどう使うんだろう。物に魔法をぶっ放すわけじゃないから、鑑定とか探索系ってまずやり方からわからない。
ブルーノ君に聞いたら教えてくれるんだろうか。それとも殿下かな。
俺も鑑定とかバンバン使えるようになって、兄様の役に立ちたいんだけれども……
思い立ったが吉日と、そのあと、俺は殿下に頼み込んで鑑定のやり方を習うことにした。甘いレガーレの味は惜しいけれど、兄様の役に立てるのが優先だ。
殿下直伝の鑑定は攻撃魔法と違ってなんとか出来るようになり、俺はそれからブルーノ君の温室に入り込んでは鑑定を使って必死で熟練度を上げた。
ゲームでは当たり前にあったステータス確認画面も、ここでは見ることも開くこともできない。
辛うじて調べられるのは魔力の属性と大きさだけだ。魔力の大きさ、というか、その人の容量を大雑把に調べられるだけで数値が細かく出てくるわけじゃない。
属性はルーナの時に使ったあの石で調べられるけれど、容量の方は王宮や教会の信頼のおける上層部で取り扱っている外部秘の魔術陣でしか調べられないそうだ。そもそもルーナみたいに小さい頃にあれだけすごい魔法を発動した人以外は、魔力容量をいちいち調べたりはしないらしい。
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