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16、主人の居ぬ間に
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そんなこんなで、領事館につめっつめで仕事をし、まだ雪の残る『花の季節』の頭に、アラン様は王宮に向かっていった。
王宮に留まるのはほんの一日。書類を出して、納税をする。そして、王宮の新花の宴という年明けの祝いに出ることなく、帰ってくる。
いつもはその時も王宮に留まって税を下げてもらうための嘆願書を作るらしいけれど、今年はもうその書類は出さないとアラン様は決めたらしい。どうせ出しても絶対に捨てられるから、紙の無駄が省けてとてもいい。それに、嘆願はしなくてもいい状況になったというのが大きい。
それくらい、ノームたちの頑張りは凄かった。
ノームたちが掘り起こす鉱石類は、今の所ひと欠片も王都に流れてはいないけれど、うちの領地経由で流れる隣国ではとても重宝しているらしく、それの売り上げがとてもいい収入になるんだ。
もう一年したら、きっともっとこの地は更に潤うんじゃないか。
隣国との調整の書類をまとめながら、俺はにこやかにうんうん頷いた。
そして、ちらりと主不在の机を見て、早く帰ってこないかなとソワソワする。
雪のない季節の移動もずっと一緒だったからか、往復二十日プラス数日もの長い間離れるのは実は俺がここに来てから初めてだったりする。
前は手紙のやり取りだけで満足していたのにな、と少しだけ寂しくなって、慌てて手を動かした。
アラン様不在の間は、サウスさんが代理で色々と仕事を差配する。その差配の仕方を、何故か俺も横で習っている。
指示と見回りがメインになり、どの仕事をどう回せばこうなる、みたいな全体像を教えて貰えるのはありがたいけれど、何で俺? と首をかしげると、子フェンたちが「マーレサマニブーイ」「ニブーイ」と騒ぎ始めた。
意味が分からずサウスさんを見れば、慈愛の笑みを浮かべていた。
「今年は領都の建物を大々的に直したいなあ」
トントンと書類をまとめながら呟くと、サウスさんが「そうですな」と頷いた。
「なかなか細部の修繕が進みませんからな。でも今年中に過疎の村を放棄して領都に移住する者たちが五十名。領都の周りの農地をお任せしたいですからな。農地に程近い場所にも居住区を作らないといけません」
「それもあるけど、ここを直したいんだ」
「ここ、とは、領事館のことでしょうか」
「そうそう。いまだに旧式の厨房と風呂だし、燃料問題はだいぶ解決したから、もう少しだけアラン様に贅沢して欲しい。領主として」
「領主として……」
俺の言葉に、サウスさんはクッと肩を揺らした。
周りで働いている人たちも、和やかな笑顔を浮かべて、頷いている。
皆はこの建物の近くに持ち家を持っていて、けれどやっぱり建物はだいぶ老朽化している。
領都ですら建物の修繕は追い付いていない。
「でもさ、やっぱり皆領事館がそのままだから遠慮してるんだよなあ」
まだお館が直っていないからうちを直してもらうわけにはいかない、と、領都の人たちは修繕を躊躇っているんだ。ここから少しでも離れた場所の人たちはありがたいって普通に直させてくれるのに。
だから、今年は大々的にこの建物を修繕したい。
「予算ください」
キリッとした顔でサウスさんに頭を下げると、サウスさんは肩を揺らしたまま、頷いた。
アラン様に相談するとここは一番最後でいいなんていうので、予算から材料の確保まですべて終えてからハンコを貰おうと、アラン様が王都に行っている間に皆で話を詰めることにして、俺も伝手を使って材料の確保に走ることにした。
書類片手に階段を下りていると、何やら入り口の方で騒ぎ声が聞こえてきた。
「申し訳ありません。領主さまがただいまご不在ですので、奥にお通しするわけにはまいりません。応接室にお願いします」
「私は第一王子だ。叔父上の許可は出ているんだ。通してもらおう」
「でしたら、領主さまの書状をお見せいただけますでしょうか。領主さまの書状がない場合はいかなる方でも通すなときつく言いつかっております」
「いいかい、私は第一王子だ。いわば、叔父上……グランシェール公爵よりも地位は上なんだ。私を疑うということは、すなわち王国に仇なす者ということになる。その場合、お前がどうなるか」
「……」
傲岸不遜な声はとても聞き覚えがあり、思わず顔を顰める。
おおよそ他の者たちの前で話す優しげな言葉と声。けれど内容は酷いものだ。
人当たりがよく、勉学も腕も立つ素晴らしい素晴らしい第一王子。俺の前でだけは強引で傲慢で何を考えているかわからない笑顔を貼り付けて、俺の言葉など一言も聞く耳持たず自我を通そうとする我が身第一の最低の第一王子。
ここに来ることがあるなんて、聞いたことがなかった。
ギリギリ向こうからは俺のことは見えないはず。俺からも第一王子の姿は見えない。けれどこのまま下まで降りていけば確実に会ってしまう。
足を止めたけれど、でもあのまま不敬だなんだと喚いている王子を放置するのもはばかられる。だって掴まってる人、めっちゃいい人なんだよ。連れていかれてしまったら仕事も私生活も滞る。
「殿下がここに来るなど、初めてのことにございますな。ということは、とうとうマーレ様の居場所が王宮に知られてしまいましたかな」
足を止めたままの俺のすぐ近くで、サウスさんの小さな声が聞こえて来た。
「けれど、このまま顔を合わせなければごまかしも利きましょう。私が出ますので、どうぞマーレ様はお下がりください」
「まあ、確かに。よく一年持ったよな……」
第一王子がここに来たっていうのは、十中八九俺が北に居を移したことが王族にバレたってことだ。そうでもないと王子なんてそんなに長く王宮を離れることは出来ないだろうし。
はあ、と溜め息を吐く。
確かにここで隠れてアラン様が帰ってくるまで逃げ続ければ、決定的証拠を掴まれてないからとある程度は誤魔化せるかもしれない。けれど、王子がいつ帰るのかもわからない、いつ執務室に踏み込んでくるかもわからない状態じゃ、隠れた俺は仕事も出来ないじゃないか。
最近の北の流通はうちの親戚とか父さんを頼った俺が主のものばっかりなのに。何日も空けたら支障が出まくりだ。
眉を寄せていると、サウスさんの腕の中からオニキスが飛び出していった。
「うわ、なんだこの獣は!」
飛び出していったオニキスが王子の足に絡まっていったんだろう。ガルルルルという呻り声と王子の悲鳴が聞こえてくる。噛みついてはいないようなので、しっかり手加減はしているらしい。いい子だ。
「どっちみち殿下がここに来たってことは逃げ隠れしたところでもうバレてるのは決定ってことだからさ。仕事に支障が出るよりは撃退したほうがいいんじゃないですかね?」
「撃退、でございますか」
「だってアラン様まだ帰ってきてないじゃないですか。ハッキリ言って殿下にここで大きい顔されたら邪魔以外の何物でもないですよサウスさん」
俺の言葉に、サウスさんは口元をそっと手で隠した。目じりに皺が見えるから、笑うのをこらえたのかもしれない。
「そうじゃなくても村統合とか物資移送手配とかで忙しい時期にさ。意味もなく邪魔する方がどうかしてる。しかも領主不在の時に」
「狙ってきたんでしょうな」
「でしょうね」
もう一度盛大に溜息を吐くと、俺は止めていた足を前に動かした。
下に着く前に、俺の周りにはノームたちが十人、そしてラズリとシトリンがまるで隊列を組むかのように侍る。階段を降りきり、廊下を曲がったところで、王子がこっちに気付いたようだった。
「ノーム、ということは……おお! マーレ! 会いたかった! 私に会いたいと言うマーレのためにわざわざこんな凍てついた地まで来たのだよ。さあ、私と共に王都へ帰ろう。もう叔父上に縛られることはないんだよ」
俺の顔を見るなり両手を広げた第一王子は、感極まったような声でわけのわからないことを言い出した。
王宮に留まるのはほんの一日。書類を出して、納税をする。そして、王宮の新花の宴という年明けの祝いに出ることなく、帰ってくる。
いつもはその時も王宮に留まって税を下げてもらうための嘆願書を作るらしいけれど、今年はもうその書類は出さないとアラン様は決めたらしい。どうせ出しても絶対に捨てられるから、紙の無駄が省けてとてもいい。それに、嘆願はしなくてもいい状況になったというのが大きい。
それくらい、ノームたちの頑張りは凄かった。
ノームたちが掘り起こす鉱石類は、今の所ひと欠片も王都に流れてはいないけれど、うちの領地経由で流れる隣国ではとても重宝しているらしく、それの売り上げがとてもいい収入になるんだ。
もう一年したら、きっともっとこの地は更に潤うんじゃないか。
隣国との調整の書類をまとめながら、俺はにこやかにうんうん頷いた。
そして、ちらりと主不在の机を見て、早く帰ってこないかなとソワソワする。
雪のない季節の移動もずっと一緒だったからか、往復二十日プラス数日もの長い間離れるのは実は俺がここに来てから初めてだったりする。
前は手紙のやり取りだけで満足していたのにな、と少しだけ寂しくなって、慌てて手を動かした。
アラン様不在の間は、サウスさんが代理で色々と仕事を差配する。その差配の仕方を、何故か俺も横で習っている。
指示と見回りがメインになり、どの仕事をどう回せばこうなる、みたいな全体像を教えて貰えるのはありがたいけれど、何で俺? と首をかしげると、子フェンたちが「マーレサマニブーイ」「ニブーイ」と騒ぎ始めた。
意味が分からずサウスさんを見れば、慈愛の笑みを浮かべていた。
「今年は領都の建物を大々的に直したいなあ」
トントンと書類をまとめながら呟くと、サウスさんが「そうですな」と頷いた。
「なかなか細部の修繕が進みませんからな。でも今年中に過疎の村を放棄して領都に移住する者たちが五十名。領都の周りの農地をお任せしたいですからな。農地に程近い場所にも居住区を作らないといけません」
「それもあるけど、ここを直したいんだ」
「ここ、とは、領事館のことでしょうか」
「そうそう。いまだに旧式の厨房と風呂だし、燃料問題はだいぶ解決したから、もう少しだけアラン様に贅沢して欲しい。領主として」
「領主として……」
俺の言葉に、サウスさんはクッと肩を揺らした。
周りで働いている人たちも、和やかな笑顔を浮かべて、頷いている。
皆はこの建物の近くに持ち家を持っていて、けれどやっぱり建物はだいぶ老朽化している。
領都ですら建物の修繕は追い付いていない。
「でもさ、やっぱり皆領事館がそのままだから遠慮してるんだよなあ」
まだお館が直っていないからうちを直してもらうわけにはいかない、と、領都の人たちは修繕を躊躇っているんだ。ここから少しでも離れた場所の人たちはありがたいって普通に直させてくれるのに。
だから、今年は大々的にこの建物を修繕したい。
「予算ください」
キリッとした顔でサウスさんに頭を下げると、サウスさんは肩を揺らしたまま、頷いた。
アラン様に相談するとここは一番最後でいいなんていうので、予算から材料の確保まですべて終えてからハンコを貰おうと、アラン様が王都に行っている間に皆で話を詰めることにして、俺も伝手を使って材料の確保に走ることにした。
書類片手に階段を下りていると、何やら入り口の方で騒ぎ声が聞こえてきた。
「申し訳ありません。領主さまがただいまご不在ですので、奥にお通しするわけにはまいりません。応接室にお願いします」
「私は第一王子だ。叔父上の許可は出ているんだ。通してもらおう」
「でしたら、領主さまの書状をお見せいただけますでしょうか。領主さまの書状がない場合はいかなる方でも通すなときつく言いつかっております」
「いいかい、私は第一王子だ。いわば、叔父上……グランシェール公爵よりも地位は上なんだ。私を疑うということは、すなわち王国に仇なす者ということになる。その場合、お前がどうなるか」
「……」
傲岸不遜な声はとても聞き覚えがあり、思わず顔を顰める。
おおよそ他の者たちの前で話す優しげな言葉と声。けれど内容は酷いものだ。
人当たりがよく、勉学も腕も立つ素晴らしい素晴らしい第一王子。俺の前でだけは強引で傲慢で何を考えているかわからない笑顔を貼り付けて、俺の言葉など一言も聞く耳持たず自我を通そうとする我が身第一の最低の第一王子。
ここに来ることがあるなんて、聞いたことがなかった。
ギリギリ向こうからは俺のことは見えないはず。俺からも第一王子の姿は見えない。けれどこのまま下まで降りていけば確実に会ってしまう。
足を止めたけれど、でもあのまま不敬だなんだと喚いている王子を放置するのもはばかられる。だって掴まってる人、めっちゃいい人なんだよ。連れていかれてしまったら仕事も私生活も滞る。
「殿下がここに来るなど、初めてのことにございますな。ということは、とうとうマーレ様の居場所が王宮に知られてしまいましたかな」
足を止めたままの俺のすぐ近くで、サウスさんの小さな声が聞こえて来た。
「けれど、このまま顔を合わせなければごまかしも利きましょう。私が出ますので、どうぞマーレ様はお下がりください」
「まあ、確かに。よく一年持ったよな……」
第一王子がここに来たっていうのは、十中八九俺が北に居を移したことが王族にバレたってことだ。そうでもないと王子なんてそんなに長く王宮を離れることは出来ないだろうし。
はあ、と溜め息を吐く。
確かにここで隠れてアラン様が帰ってくるまで逃げ続ければ、決定的証拠を掴まれてないからとある程度は誤魔化せるかもしれない。けれど、王子がいつ帰るのかもわからない、いつ執務室に踏み込んでくるかもわからない状態じゃ、隠れた俺は仕事も出来ないじゃないか。
最近の北の流通はうちの親戚とか父さんを頼った俺が主のものばっかりなのに。何日も空けたら支障が出まくりだ。
眉を寄せていると、サウスさんの腕の中からオニキスが飛び出していった。
「うわ、なんだこの獣は!」
飛び出していったオニキスが王子の足に絡まっていったんだろう。ガルルルルという呻り声と王子の悲鳴が聞こえてくる。噛みついてはいないようなので、しっかり手加減はしているらしい。いい子だ。
「どっちみち殿下がここに来たってことは逃げ隠れしたところでもうバレてるのは決定ってことだからさ。仕事に支障が出るよりは撃退したほうがいいんじゃないですかね?」
「撃退、でございますか」
「だってアラン様まだ帰ってきてないじゃないですか。ハッキリ言って殿下にここで大きい顔されたら邪魔以外の何物でもないですよサウスさん」
俺の言葉に、サウスさんは口元をそっと手で隠した。目じりに皺が見えるから、笑うのをこらえたのかもしれない。
「そうじゃなくても村統合とか物資移送手配とかで忙しい時期にさ。意味もなく邪魔する方がどうかしてる。しかも領主不在の時に」
「狙ってきたんでしょうな」
「でしょうね」
もう一度盛大に溜息を吐くと、俺は止めていた足を前に動かした。
下に着く前に、俺の周りにはノームたちが十人、そしてラズリとシトリンがまるで隊列を組むかのように侍る。階段を降りきり、廊下を曲がったところで、王子がこっちに気付いたようだった。
「ノーム、ということは……おお! マーレ! 会いたかった! 私に会いたいと言うマーレのためにわざわざこんな凍てついた地まで来たのだよ。さあ、私と共に王都へ帰ろう。もう叔父上に縛られることはないんだよ」
俺の顔を見るなり両手を広げた第一王子は、感極まったような声でわけのわからないことを言い出した。
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