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533、レシピのお値段
しおりを挟む俺は、ウル老師に、二つのレシピを見せた。
『脚力上昇薬』と『耐久値上昇薬』だ。この二つなら、そこまで苦労しないで素材を手に入れられるから。
でもちゃんと上級レシピで、あの例のブツを使ったやつなんかよりはかなり予算が軽減されるはず。
「これは……」
ウル老師はそう声を上げると、食い入るようにレシピを見始めた。
俺は宰相さんに向き直って、口を開いた。
「この二つを買い取ってください。もちろん、作れるのであれば国中の薬師たちに広めてもいいと思います。悪い薬じゃないので」
「先に老師にレシピを見せてしまって、もう覚えたから買取はしないと言われるとは思わなかったのですか?」
「思いません」
きっぱりと宰相さんの意地悪い質問に答えた俺に、宰相さんはハハハと声をあげて笑った。
「いいでしょう。その二つが世に広まれば、更に騎士たちの生還率が上がりますから。それで、お値段はおいくらくらいがよろしいか。出せるのは、1千万ガルまででしょうか」
お金限定されてしまった。しかも上限がすごい。侯爵とはレベルが違った。でも、残念。
俺が欲しいのはお金じゃないんだ。
「お金は特にいりません。俺が欲しいのは、権利です」
「権利。王宮をほぼ好きに出入りでき、教会も顔パスのマック殿が、どのような権利を。そろそろ国政に参加したくなりましたか? よろしいですよ。最低条件は定めさせてもらいますが、こちらに住む家もご用意しましょう」
「違います。俺はもう自分に権利はいらないです。政治もチンプンカンプンなんで、勝手に参加させないでください。そうじゃなくて、欲しいのは、彼女を連れ出せる権利です」
「彼女を」
俺の提案に、宰相さんはスッと真顔になった。
主導権を宰相さんに渡すわけにはいかない。だって、これが上手くいけば、今まで絶対に出来なかった家族団らんとかもありうるんだもん。それに、実験のたびにこそこそ抜け出すわけにもいかないだろうし。
「……マック殿。失礼ですが、マック殿は転移の魔法が使えるとか。ユキヒラ君に聞きました」
「はい。使えます」
「では、例の部屋に、私を連れていってはくれませんか?」
「いいですけど」
いきなりそんなことを言い出した宰相さんは、椅子から立ち上がって皆に退出の旨を伝えて頭を下げると、「どうすればいいのですか」と俺を見下ろしてきた。
「え、いきなりですか」
「はい。このことはやはりふさわしい場所で話をしないと」
さあ、と促されて、俺もつられるように席を立った。
ニコロさんに後で行くことを約束して、宰相さんの手を取る。
跳ぶ先をアリッサさんの部屋の前に指定して魔法陣魔法を描くと、一瞬で視界が変わった。
宰相さんは驚くでもなく、なぜか頷いて、部屋をノックした。いきなり来たけど、今日はアリッサさんログインしてるのかな。
一応フレンドリストを開くと、アリッサさんの名前は白くなっていた。
「失礼します。少し、お時間をいただけませんか?」
「あら、約束のない日に訪問なんて珍しいわね、アンドルース」
「はい。大事なお話がありまして」
「散らかっているけど、どうぞ」
アリッサさんの声が聞こえて、部屋に入ることを了承してくれる。
宰相さんは躊躇いなくドアを開けて、失礼します、と中に入った。
俺が後ろから続くと、アリッサさんは驚いたように俺をガン見した。
「マック君? お久しぶりね。いらっしゃい」
その後、破顔して応接スペースに案内してくれたので、お礼にお茶は俺が出すことにした。
「ここへ来たのは、レシピ買い取りに対するマック殿への報酬の話をするためです」
「そうなの。もしかして、ここでじゃないと話せないくらい、極秘の内容なの? だったら、私、ログアウトしていた方がいいかしら」
アリッサさんが気を利かせたようにそう言うと、宰相さんはいいえと首を振った。
「マック殿が要求した報酬は、権利です」
「権利?」
訝しそうな表情をするアリッサさんに、宰相さんが大きく頷く。
「彼は、私が1千万ガル支払おうというのを断り、あなたがこの部屋を出る権利が欲しい、とおっしゃいました」
「え……?」
わけが分からない、とでも言うような顔つきで、アリッサさんは俺を見た。何でそんなことを言い出したの、って思ってるんじゃないかなあ。いきなりだし。
でも、前みたいにそっと宰相さんの目を盗んでここを出ていくのなんて、きっとすぐにバレると思うんだ。
だから、堂々と連れ出したい。
「なので、マック殿の転移魔法陣がどんなものなのか、試しに使ってもらいました。一瞬でここまで跳べることに感心しました。でも、これならいいかもしれませんね」
「アンドルース?」
アリッサさんの視線を受けて、宰相さんは「条件を整えましょう」とにっこりと微笑んだ。
宰相さんが示した条件は、王宮内とセィ城下街には絶対に顔を出さないこと。そして、アリッサさんの外出は、必ず転移で行うこと。俺が連れ出すことが最も望ましい、だそうだ。ここに入る権利がすでにあるからね。
あとは、極力街の人に姿を見られないようにすること。外出時は冒険者風の姿だと異邦人に紛れるから、常に目立たないよう心がけること。魔道具は持ち出し禁止。どうしても必要なときは許可を得ること。そして、スキル『幸運ラック』を極力使わないこと。
確かに、アリッサさんのマークはプレイヤーのマークだから、冒険者風の装備をしていたらプレイヤーに紛れるとは思う。でも、セィの街では、まだまだ『幸運』の話は生きているんだそうで、外の街を歩くなら、絶対に他の街にしてくれと条件づけられてしまった。
次々並べられる条件を前に、アリッサさんは口元を押さえて神妙に頷いていた。
「ここから出て、街を歩いてもいいのね」
「その権利で、私は利を買い取りました。条件さえしっかりと守っていただければ、大丈夫です。ただ、あなたの暮らしたこの街だけは、見せることが出来ないのが残念です」
そうね、仕方ないわ。出れるだけで、幸せよね。
ほとんど聞き取れないような言葉で呟くアリッサさんに、俺は「あの」と手を上げた。
「アバターを全然別の顔に変えて城下街を歩くのはダメなんですか? ごっつい男アバターにするとか、小さい女の子風にするとか」
そうすればアリッサさんだってバレずにこの街も楽しめるんじゃないかな。こういう時、プレイヤーって外見を変えられるから便利だよね。
そう思って提案すると、2人とも俺をガン見した。
考えても見なかったって言う顔だ。
「それは、どういう……」
少しだけ戸惑っている宰相さんに、アリッサさんはすぐに「ちょっと待ってて」と声をかけて、頭をガクっと落とした。ログアウトしたみたいだ。
その後、アリッサさんの身体がキラキラと光になって宙に消えていき、それを見た宰相さんが絶句している間に、またキラキラが集まってきた。こうやってアバターが変わるんだ。初めて見た。
光が集まって段々と人型になっていく。そして、そこから現れたのは、全身が毛におおわれた、大きな熊の獣人だった。
「こんな感じよ。これだったら、街を歩いてもいい? 私とはバレないと思うのよ。その都度アバターの外見を変更しないといけないのはちょっと手間だけど」
いまだ目を見開いている宰相さんに、少し低い声の熊アリッサさんが声をかける。
初期装備の熊獣人は、ピンクがかった茶色の体毛を自分でわさわさと撫でながら、頭二つほど低い宰相さんを見下ろす。
宰相さんは、惚けたように熊アリッサさんを見上げた。
「これは……さすがに……あなただとはわかりませんね」
「でしょ。でも、流石にこんな風に抜け出すのは、アンドルースとの約束を反故にするのと同じだからって今までやらなかったけど」
ふふ、と笑って熊アリッサさんが俺にウインクする。可愛い。前にこっそりここを抜け出したことは絶対に言えないことだからね。
「そう……ですね。これだったら、何とか……でも、やはり王宮を抜け出すときは転移でお願いしたいですが」
「わかったわ。その時はマック君に頼みます。と言ってもマック君が忙しい時は無視してね」
初期装備の熊アリッサさんは、楽しそうに顔の前で手を合わせた。
なんだかすっごく嬉しそうなアリッサさんは、「ねえ、アンドルース、早速セィの街を見てきてもいいかしら」と立ち上がった。
そっか。向こうに帰ってから、街を全然見てないんだ。自分がずっと暮らしていた場所なのに。
「……マック殿、お願いできますか……?」
眉間を揉むようにしながら、宰相さんが俺に声をかける。
ああ、展開に付いていけないのかな。細身のアリッサさんがいきなり熊になっちゃうし。いつになくアリッサさんがはしゃいでるし。何より、アリッサさんをこの部屋から出すことになっちゃったし。
俺はそっと宰相さんにスタミナポーションを差し出すと、アリッサさんの大きなモフモフの手を取った。
いつも以上に上を見て、アリッサさんを確認する。あ、ダメだ。これ、身長差確実に50センチくらいありそう。真上を見てるような感じがする。首が疲れてそこはかとなく悔しいやつだ。
そのちょっとだけ感じた悔しさを振り切る様に、宰相さんに「行ってきます」と声をかけて、俺と熊アリッサさんは、セィの農園に跳んだ。
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