これは報われない恋だ。

朝陽天満

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512、弱音を吐いてしまった

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 せっかく早く帰れたんだし、と少しだけでもログインしようとギアを被る。

 ログインの操作をすると、目の前に『体温の異常を検知したためログインすることができません』という文字が出てきた。

 え、待って。



「ギアって熱あるとログインできないんだっけ。っていうか俺、ギア買ってから熱出したことなかった……」



 ギアを机に置いた瞬間、携帯端末に母さんからメッセージが届いた。



『さっさと病院に行くように』



 誤魔化そうと思ったのに。

 ログインも出来ないんじゃ、病院に行って薬貰ってさっさと熱を下げた方がいいってことかな。

 ってことは、熱があるときはヴィデロさんに会えないってことか。

 これから先も。

 そして、もし、何らかの原因でこっちとあっちの世界が繋がらなくなったら、ヴィデロさんに会えないってことなんだ。

 コートを羽織ってマフラーをグルグル巻きにしながら、頭の中でログインできませんの文字が回る。

 それにしても寒いな。

 そういえば今日はバイトの日だったんじゃん。ヴィルさんに連絡入れないとな。

 そんなことをグルグルと考えながら、俺は階段を下りて靴を履いた。





 近所の小さな病院に着いたときにはますます寒気が増していた。

 受付で渡された体温計で熱を測ると、学校で測った時よりもさらに上がっていた。びっくりだ。

 病院の待合室はなかなかに混んでいて、呼ばれるのは先になりそうだったので、俺は携帯端末を取り出してヴィルさんに「今日のバイトお休みさせてもらってもいいですか」とメッセージを送った。

 すぐに『何かあったのか』という返事が来たので、熱があることを伝えると、ヴィルさんは『こっちは大丈夫だからゆっくり休め』という優しい言葉をくれた。



 しばらくして診察室に呼ばれた俺の病名は、かの有名なインフルエンザだということが判明した。

 学校はあと一週間ほどで冬休みに突入するから、もしかして、図らずも雄太の言った言葉が現実になるってことなのではないだろうか。

 出席停止からの冬休み決定。

 時間を追うごとに怠くなる身体を引き摺って会計を済ませた俺は、亀の歩みで家への道を辿った。

 ヤバいログインどころじゃなかった。

 怠い、身体痛い。何で一気にこんなに症状が来るんだよ。

 出された薬を飲んで、冷蔵庫にあったスポーツドリンクを手にした俺は、帰ってきた時とは雲泥の差の足取りで何とか部屋にたどり着いた。





 夢を見た気がする。

 ログインして門に走っていく夢。でも、門にたどり着いても逢いたい人はいなくて、目の前が真っ暗になる夢。

 探して探して、色んなところを探して、でも、いない。

 皆が「さっきまでそこにいたんだけどな」って口をそろえて言っていて、でも本人には全然たどり着けなくて。

 仲のいい人たちが、「もう諦めろよ」って。

 いやだよ。諦めたくないよ。

 逢いたいんだ。逢って「好き」って伝えて、それから……。



『健吾をむこうに送ることは出来ない』







 ハッと目を開けると、すっかり部屋の中は真っ暗になっていた。

 階下から音が聞こえてくる。もう母さんたちが帰ってる時間なんだ。

 俺、何時間寝たんだろう。

 おでこには知らぬ間に熱さまし用シートが貼られていた。

 身体中が汗で気持ち悪いのに、未だに身体は震えるほどに寒い。

 さっき見た夢は、目を開けると同時に霧散して、どんなものを見たのかすらわからなくなってしまったけれど、胸に渦巻く不安だけは残っていて、絶望感が胸で渦巻いている。



 逢いたい。

 そんな言葉が口をついて出そうになった時、ガチャッと部屋のドアが開いた。



「健吾調子はどう?」



 母さんが顔を出して、母さんの声を聴いたことで、さっきの絶望感が薄れていく。

 部屋の電気が点けられて、眩しさに目を閉じると、母さんが驚いたような声をあげた。



「何泣いてるの。熱出て不安だった? 母さんが帰ってきた時あんた寝てたからそのままにしてたけど、病院行ってきたんでしょ」

「泣いてないよ。インフルエンザだってさ」



 返事をした自分の声がかすれていて、自分でびっくりする。喉がカラカラだ。



「学校に連絡しないとね。あと、バイト先にも。薬は飲んだの? 何か食べられるなら作って来るけど、まずは飲み物ね。明日は母さん家にいるから。寝てなさい」

「仕事は……?」

「休んだわよ。食べたい物があったら言ってね。アイスとか食べられそう?」



 何気ない母さんの一言に、ああ、と溜め息が洩れる。

 母親がいる生活ってこれなんだ、と体温計を渡してくる母さんを見ながら思う。

 ヴィデロさんが一人になった歳って、今の俺と変わりない歳なんだよな。こんな歳で一人になるって、どんな気分だったんだろう。

 もうそんな寂しい気分を味わわせたくないと思っても、熱が出ただけでヴィデロさんに会いに行くこともできない俺って、どうなんだろ。

 かといって、向こうに行くことが出来るのかわからないって。

 ヴィデロさんはあの世界でちゃんとずっと一緒にいてくれる人の方がいいんじゃないのかな。

 俺を待ってて、なんて。言ったらヴィデロさんはずっと一人で待つことになっちゃうんだよな。

 ピピ、と体温計が鳴ると、母さんが体温計を取り上げて数値を見る。



「あらら、熱高いわね。身体中痛いでしょ。食欲ある? 何か食べないと薬飲めないのよね」

「母さん」

「何? おじやでも食べれそう? アイス買ってきたけどそっちがいい?」

「今は、食べたくない。あのさ」

「何よ」



 普段通りの顔で覗き込んでくる母さんを見上げて、その安心感に罪悪感を感じる。



「俺の好きな人さ、両親がすぐ近くにいなくて一人でさ」

「ああ、前に言ってた人ね。筋肉が凄いんだっけ」

「うん。でも、住んでるのはここじゃなくて、ADOの世界で」

「ゲーム内恋人ってやつ? 遠くに住んでるの?」

「違うんだ。その世界に住んでる人でさ、俺がバイトしてるところのヴィルさんの弟で」

「ええと、ごめんよくわからないけど、ラウロさんの弟さんと付き合ってるの?」

「うん。もう向こうの世界で婚姻の儀を受けて来たんだ。けど」



 ただただ不安を吐露して少しでも楽になりたかっただけだったのかもしれない。

 俺が今まで胸の内に押し込んでいたことが、次々口から漏れ出した。

 きっと俺が熱に浮かされてて、夢でも見たんじゃないかって思うんだろうな母さん。

 何言ってんの、って笑い飛ばしてくれてもいいから、ただ聞いて欲しかった。



「俺がここで生きてる限り、ずっと一緒にいれるわけじゃなくて、ヴィデロさんはずっと一人のままだから、別れた方がいいのかなって。でも好きで諦められなくて」



 転移装置でいつか世界を移動しようと思ってたんだけど、それも無理らしくてどうしていいかわからない。



 どうしよう、俺、どうしたらいいかな。俺はむこうの世界に生身で行けるようになるまで待っていたいけど、ヴィデロさんまで待たせたら、それまではずっとヴィデロさんは一人ってことだから。

 幸せになって欲しいんだ。ヴィデロさんにはすごく幸せになって欲しい。俺が幸せにしたかったけど、もしかしたらできないかもしれないから。

 ずっと俺を愛してるって言ってくれてるけど、でも。もっと違う幸せがヴィデロさんにはあるんじゃないかなってふと思うんだ。

 でも、同じ世界で生きていける希望はまだほんとに難しくても少しだけは残ってるから、それに縋りたいし、諦めたくない。これって俺のわがままなのかな。



 



 俺の独白に近い言葉を黙って聞いていてくれた母さんは、ふう、と大きく息を吐いてから俺の頬に温くなったスポーツドリンクを押し当てた。それでも冷たい。



「健吾がそのヴィデロさん? って人を滅茶苦茶好きなのはわかったわ。その世界間転移とかなんとかよくわからないけど、でも、そのヴィデロさんって人もあんたを好きだって思ってくれてるんでしょ。諦めるのは簡単だけど、そうね、諦めた瞬間にあんたの大事な物が全部なくなる覚悟をして諦めなさい。母さんはあんたがその違う世界に行くのは寂しいけど、どうせ男の子はいつか親元を出て行っちゃうんですものね。とっくに覚悟はできてるわよ。母さんはどっちでもいいわよ。あんたが選んだんなら。でもまずは、熱を下げることね。すぐ何か作って来るから、まずはこれを飲みなさい」



 いい、ちゃんと飲むのよ、と俺の顔の横にスポーツドリンクを置いて、母さんは部屋を出ていった。

 トントントンと階段を降りる足音が聞こえて、酷く安心する。

 この安心感を、俺はヴィデロさんに感じて欲しいんだよな。

 諦めたら大事な物が全部なくなる。ほんとにそうだ。



 怠い身体を起こして、俺はスポーツドリンクを一口飲んだ。

 身体中に水分が染み渡る感覚が、さっきまでの後ろ向きな気分を浮上させてくれた気がした。



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