これは報われない恋だ。

朝陽天満

文字の大きさ
上 下
306 / 830

303、人生は難しい

しおりを挟む
 ログアウトして目を開けると、硬質な光が目についた。

 今日はヴィルさんの会社でログインしてたから。

 起き上がると、佐久間さんが「お疲れ」と労ってくれた。俺は何もしてないんだけどね。

 ヴィルさんはまだ隣の研究棟らしくて姿が見えなかった。佐久間さんによると、少しメンテナンスをしてからこっちに戻って来るらしい。



「それにしてもすげえなあ、あの人たちは。一升瓶を一気飲みとか狂気の沙汰としか思えねえ」

「でも凄く平気そうでしたよ。すごく美味しいって言ってたけど」

「厳選したからなあ。安酒なんか送れねえって」

「気合入ってたんですね」

「俺もそれを口実に美味い酒を飲みまくった」



 サムズアップする佐久間さんに苦笑する。

 簡易ベッドを片付けていると、佐久間さんが不意に声をかけて来た。



「なあ健吾。さっきの狼との会話、お前全く躊躇いなく答えてたな」

「え」



 じっと見られて、動きを止める。会話って、あっちの世界に行くかどうかってことか。

 俺は佐久間さんを同じようにじっと見つめた。

 さっき、わんさか酒が送られてくる間、ちょっと考えてた。

 こっちの人たちのこと。多分ジャル・ガーさんにまだ来るなと言われなかったら、もっと気軽に考えちゃってたと思う。

 でも、ケインさんが言っていた通り、片道なわけで。

 向こうに行ったら二度と戻ってこれないってことだろ。ゲームにログインすれば、なんて考えてたけど、それはアリッサさんがADOという形でサービスを行ってくれている間だけだから永久的なモノじゃない。それに、何かの拍子につながりが切れてしまったら、ゲームとしてもあの世界には行けなくなるってことだ。

 この世界の違う国に行くのとはわけが違うから。

 親にちゃんとそのことを説明して納得なんてしてもらえる気がしないのは確か。すっごくすっごく覚悟を決めていたはずなのに、ほんの小さな小石に躓いた程度で揺らぐ覚悟だったことに、俺は少しだけ落ち込んだ。



「今はちょっと躊躇ってます」



 目を伏せてそう言うと、佐久間さんが何かを言おうと口を開いた。

 瞬間。

 会社のドアがバン! と開いた。



「健吾! やったな健吾! 成功した! あの狐の獣人さんに最大級のお礼を言いたい!」



 騒がしくヴィルさんがやってきた。

 絶好調のハイテンションだった。無精ひげ生えてるけどね。昨日夜通し調整してたんだって。せっかくジャル・ガーさんと協力できるようになったんだからビシッと決めたいよな! とか言ってずっと調整をしていたらしい。

 転移装置っていうのはギアのいつでもログインできるよっていうのとは違ってかなり繊細らしい。こっちはしっかりと周波数? 波長? を合わせないと絶対に失敗するのはわかってるんだって。それをひたすら繋いだコンピューターで解析しつつ、機械の方を合わせてとかなんとか説明してもらったけど、はっきり言って俺はちんぷんかんぷんだった。

 転移装置の中に物を入れてボタンを押せば向こうに送られるかもと思っていた俺は、その説明を聞いたときちょっと反省した。そう簡単じゃないよね。わかってたはずなのに、本当は全く分かっていなかったことに気付いた。

 だからこそ、お酒と手紙が届いたときに獣人さんと一緒に歓声を上げちゃったんだし。感動したし。



「ケインさんにお礼なら、ユイルが喜ぶような果物を送るとすごく喜ぶと思いますよ」

「あの子狐君のお父さんなのか。よし、それで行こう。どんな果物がいいかな」



 鼻歌を歌いだしそうな雰囲気のまま、ヴィルさんは近くにあった椅子に腰を下ろした。

 そしてふと思い出したように、俺を見た。



「これで、俺の研究は、第一歩を踏み出したわけだ」

「第一歩?」

「そう。ようやくスタートラインだ。これから、どんなものを送れるのか、どんな大きさまでなら送れるのか、無機質、有機質、生物、鉱物、色々と試していかないといけない。人の身体なんてものは、そこら辺の鉱物なんか目じゃないくらい複雑な構造をしている。細胞の一つ一つをとっても、奇跡的な組み合わせで成り立っているんだ。何億とある小さな小さなパーツの一つが欠けただけでも人体としての形を保っていられないんだ。だから、健吾」



 椅子から、ヴィルさんはじっとヴィデロさんと同じ色の瞳で俺を見上げた。髪の色も、顔つきも、似ているようでほんの少しずつヴィデロさんと違うその顔は、でも、その瞳だけはとても似ていた。



「やりうるだけのことをやり切らないと、あの転移装置に人体を入れるわけにはいかない。しかも、それは何年かかるか全くわからない。納得いく結果が出ない限りは、少なくとも、俺はしない。だから健吾。その間はしっかりと俺たちのサポートをしつつ、一生分の親孝行をしないといけない。だからすぐに向こうに行けるとだけは思わないでくれ」

「はい」



 とても重いヴィルさんの言葉に、俺は神妙に返事をした。







 いつもより少しだけ遅く家に帰り着く。すると珍しく母さんがキッチンのダイニングテーブルの椅子に座って寛いでいた。母さんがいつも「いちばん落ち着く場所」と言ってはばからないその椅子は、暗黙の了解でいつでも母さんのために空けていた。



「ただいまー」

「おかえり。バイト頑張ってるわね」

「母さんこそ仕事しすぎだろ」

「母さんはいいのよ。仕事好きだから。好きなことには時間を割きたいじゃない。健吾だってゲームに夢中だったじゃない。今はなかなかできないみたいだけど」



 確かに今までは学校の時間以外はほぼログインしてたけどね。

 でもある意味、好きなことを仕事に出来るっていうのは俺も一緒なのかな。

 ふわっと母さんが飲んでいる紅茶の香りが漂ってくる。

 俺も飲もう、と思い立って、俺は父さんの椅子にカバンを置いた。ガスコンロの前に立ってお湯を沸かしつつ、紅茶の用意をする。母さんの使った茶葉を捨て、新しい茶葉を入れようとしたとき、母さんに「母さんのおかわり分もよろしくね」と言われたので茶葉を増やす。

 沸騰したところで茶葉の入ったポットにお湯を入れて、少し蒸らす。いい香り。



 自分の分を注いで、ポットごと母さんの前に置くと、母さんはありがとうと温くなった紅茶を一気に飲んだ。



「手際がよくなったわね。かぎっ子だからって一人でなんでもできるようには育ててきたつもりだけど。健吾ってホント今すぐにでも一人暮らしとか出来そうね。もしそんなことになったらお父さんが凄く寂しがるけどね」



 ポットから紅茶を注ぎながら母さんがフフフと笑う。



「でも就職する会社も近いし、独り暮らしとかはないか。もし健吾がお嫁さんを連れてきたらこの家を改築して二世帯住宅にするのもいいわねってお父さんと話したりもしたのよ。でも」



 母さんはにこやかなまま、俺に視線を向けた。



「健吾が連れて来るのは、可愛いお嫁さんじゃなくて、ガタイのいいお婿さんな気がしてならないわ」

「ごめんなさい」



 つい瞬時に謝ってしまった。

 俺、自分が可愛い彼女を連れ歩く姿なんて想像つかないよ。ヴィデロさんの腕にくっついて一緒に魔物退治しながら素材を集めるほうがしっくりくるんだ。

 俺が謝ったことに、母さんは声を出して笑った。



「そういうジェンダーの問題が取り上げられて色々緩和されたの、どれだけ前だと思ってるの。健吾がお婿さんを連れて来たって大丈夫よ。お父さんはもちろんショックを受けると思うけど。でも母さんは健吾がお父さんに筋肉を求めた時点で半分は諦めてたから。小さいころから胸板の厚い人とかを目で追ってたの、自覚なかったの?」

「え、俺、そこまでだった?」



 どうだったっけと考えてると、「本当に自覚なかったんだ」と母さんが笑い始めた。



「いるんでしょ、いい人。健吾が紹介してくれるの、待ってるから」



 そう言って熱い紅茶を飲み干した母さんが立ち上がるのを、俺はただ無言で見ていた。「お風呂先に入るわね」という母さんの言葉に頷きながら、こんなに居心地のいい場所なのにそれでもヴィデロさんの所に跳んでいきたくなる俺がとんでもなく親不孝者なんじゃないか、なんていう想いが浮かんでくる。

 どんなに状況が変わっても次々沸いてくるさまざまな問題に、人生って難しいなあ、なんて柄にもないことを考えながら口を付けた紅茶は、すっかり温くなってしまっていた。



しおりを挟む
感想 508

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結】実はチートの転生者、無能と言われるのに飽きて実力を解放する

エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング1位獲得作品!!】  最強スキル『適応』を与えられた転生者ジャック・ストロングは16歳。  戦士になり、王国に潜む悪を倒すためのユピテル英才学園に入学して3ヶ月がたっていた。  目立たないために実力を隠していたジャックだが、学園長から次のテストで成績がよくないと退学だと脅され、ついに実力を解放していく。  ジャックのライバルとなる個性豊かな生徒たち、実力ある先生たちにも注目!!  彼らのハチャメチャ学園生活から目が離せない!! ※小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも投稿中

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

もふもふと始めるゴミ拾いの旅〜何故か最強もふもふ達がお世話されに来ちゃいます〜

双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
「ゴミしか拾えん役立たずなど我が家にはふさわしくない! 勘当だ!」 授かったスキルがゴミ拾いだったがために、実家から勘当されてしまったルーク。 途方に暮れた時、声をかけてくれたのはひと足先に冒険者になって実家に仕送りしていた長兄アスターだった。 ルークはアスターのパーティで世話になりながら自分のスキルに何ができるか少しづつ理解していく。 駆け出し冒険者として少しづつ認められていくルーク。 しかしクエストの帰り、討伐対象のハンターラビットとボアが縄張り争いをしてる場面に遭遇。 毛色の違うハンターラビットに自分を重ねるルークだったが、兄アスターから引き止められてギルドに報告しに行くのだった。 翌朝死体が運び込まれ、素材が剥ぎ取られるハンターラビット。 使われなくなった肉片をかき集めてお墓を作ると、ルークはハンターラビットの魂を拾ってしまい……変身できるようになってしまった! 一方で死んだハンターラビットの帰りを待つもう一匹のハンターラビットの助けを求める声を聞いてしまったルークは、その子を助け出す為兄の言いつけを破って街から抜け出した。 その先で助け出したはいいものの、すっかり懐かれてしまう。 この日よりルークは人間とモンスターの二足の草鞋を履く生活を送ることになった。 次から次に集まるモンスターは最強種ばかり。 悪の研究所から逃げ出してきたツインヘッドベヒーモスや、捕らえられてきたところを逃げ出してきたシルバーフォックス(のちの九尾の狐)、フェニックスやら可愛い猫ちゃんまで。 ルークは新しい仲間を募り、一緒にお世話するブリーダーズのリーダーとしてお世話道を極める旅に出るのだった! <第一部:疫病編> 一章【完結】ゴミ拾いと冒険者生活:5/20〜5/24 二章【完結】ゴミ拾いともふもふ生活:5/25〜5/29 三章【完結】ゴミ拾いともふもふ融合:5/29〜5/31 四章【完結】ゴミ拾いと流行り病:6/1〜6/4 五章【完結】ゴミ拾いともふもふファミリー:6/4〜6/8 六章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(道中):6/8〜6/11 七章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(本編):6/12〜6/18

国を救った英雄と一つ屋根の下とか聞いてない!

古森きり
BL
第8回BL小説大賞、奨励賞ありがとうございます! 7/15よりレンタル切り替えとなります。 紙書籍版もよろしくお願いします! 妾の子であり、『Ω型』として生まれてきて風当たりが強く、居心地の悪い思いをして生きてきた第五王子のシオン。 成人年齢である十八歳の誕生日に王位継承権を破棄して、王都で念願の冒険者酒場宿を開店させた! これからはお城に呼び出されていびられる事もない、幸せな生活が待っている……はずだった。 「なんで国の英雄と一緒に酒場宿をやらなきゃいけないの!」 「それはもちろん『Ω型』のシオン様お一人で生活出来るはずもない、と国王陛下よりお世話を仰せつかったからです」 「んもおおおっ!」 どうなる、俺の一人暮らし! いや、従業員もいるから元々一人暮らしじゃないけど! ※読み直しナッシング書き溜め。 ※飛び飛びで書いてるから矛盾点とか出ても見逃して欲しい。  

【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」  洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。 子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。  人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。 「僕ね、セティのこと大好きだよ」   【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印) 【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ 【完結】2021/9/13 ※2020/11/01  エブリスタ BLカテゴリー6位 ※2021/09/09  エブリスタ、BLカテゴリー2位

平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます

ふくやまぴーす
BL
旧題:平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます〜利害一致の契約結婚じゃなかったの?〜 名前も見た目もザ・平凡な19歳佐藤翔はある日突然初対面の美形双子御曹司に「自分たちを助けると思って結婚して欲しい」と頼まれる。 愛のない形だけの結婚だと高を括ってOKしたら思ってたのと違う展開に… 「二人は別に俺のこと好きじゃないですよねっ?なんでいきなりこんなこと……!」 美形双子御曹司×健気、お人好し、ちょっぴり貧乏な愛され主人公のラブコメBLです。 🐶2024.2.15 アンダルシュノベルズ様より書籍発売🐶 応援していただいたみなさまのおかげです。 本当にありがとうございました!

【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する

SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので) ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

処理中です...