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166、「お兄ちゃん」
しおりを挟む「はい」
『やあ健吾。いきなり連絡してすまない』
通話に出ると、ヴィルさんはそう切り出した後、今日は暇か訊いてきた。
「大丈夫ですけど」
『じゃあ今日もバイトを頼まれてくれないか』
まさかのバイト依頼だった。
ADOしかしない予定だったから、二つ返事で了承すると、一時間後に会社に来るように言われた。
「大丈夫です、買い物したらちょうどいいかな。で、今日は何を作ればいいですか?」
『わあ、そっちも魅力的だ。何か家庭的な物がいいな。じゃなくて、ADOの方なんだ。半日だけ調整に付き合ってくれないか。来る予定だった奴が一人これなくなってちょっとピンチなんだ』
「はい」
ご飯も出来れば頼むよ、4人分。と言われて了承して通話を切る。
それにしても、あんな重要なことをやっている会社に、こんな一般の高校生をバイトで雇い入れていいのか? とちょっとだけ心配になる。
でもご指名でこんな風に呼ばれるのが少しだけ嬉しかった。
家庭的な物って何がいいかな、なんて考えながら用意をして、上着を羽織る。最近めっきり寒くなってきたから。
買い物をしてから向かったらちょうどいいかな、と思いながら、俺は家の鍵を閉めて自転車に跨った。
買い物袋を手に下げた俺は、ビルのエントランスを通り抜け、奥のエレベーターに向かった。人の気配はない。
こういうオフィスビルって慣れないせいか少し緊張する。
ヴィルさんの会社のある階までエレベーターで昇り、廊下に出ると、ようやく見たことのある景色が現れてほっとした。
オフィスのインターフォンを鳴らすと、すぐにこの間カレーをバクバク食べた人が出てきてくれた。
「おう、この間のチビじゃねえか。お前が助っ人か。まあ入れよ」
「お邪魔します」
チビという言葉に若干むっとしながら中に入る。でもヴィルさんもその人も見上げるような大きさだから言い返せない。
「今日も飯作ってくれんの? やった。ヴィルのやつもなかなか気が利くじゃねえか。楽しみにしてるぜ」
「家庭的な物を後で作りますね。そして俺はチビじゃなくて郷野健吾です」
「おお、予想外に強そうな名前だった。俺は佐久間晃さくまあきらだ。あきちゃんって呼んでくれ。って自己紹介しても誰も呼んでくれないんだけどな」
冗談めかして自己紹介をする目の前の大男さんは、さっそく俺の手から袋を受け取り、奥のキッチンに持って行ってくれた。
ヴィルさんはまだ作業途中らしく、衝立で仕切られた向こうに足だけが見える。
佐久間さんも行ってしまって、所在なげに立っていると、ガタッと椅子を引く音がして、衝立からヴィルさんが顔を覗かせた。
「やあ健吾。いきなり呼び出してすまない。早速だけど、健吾はレベル幾つくらいだ?」
「パーソナルレベルは68です」
ギアを被ったままのヴィルさんは、俺の答えに軽く口笛を吹いた。
「予想外に高かった。よかった、じゃあ行けるな。すぐにログインして、行って欲しいところがあるんだ。こっちじゃなくて向こうの方でちょっと調べたいところがあってな」
「いいですけど、すぐに行けるところですか?」
「健吾はトレの街にいるんだろう? 馬を使えばそこまではかからない。向こうですでにログインして向かっているやつと、現地で合流して欲しいんだ」
「わかりました」
早速、と前にも借りた簡易ベッドを出してもらって、ギアにIDを入れる。
「あ、そうだ。街の外に出るなら、ヴィデロさんも一緒になると思うんですけど、それでもいいですか?」
「彼が一緒? どうしてだ?」
俺の言葉に、ヴィルさんが首を傾げた。
「ちょっと重要なクエストに関わっていて、俺の専属護衛をしてくれているんです。だから門から出る時は一緒に行くようになると思います」
「重要なクエスト……いや、彼が一緒でも大丈夫だ。そうか。健吾はそんなに彼と仲良くなったのか。工房に招き入れるくらいだもんな」
しみじみと呟くヴィルさんに、この間の一連の会話は全く聞かれていなかったということがわかった。キスとかも、見られてなかったみたいだ。
「仲良いっていうか、ええと、お兄さんにこういうことを言うのはちょっと照れるんですけど、ヴィデロさんは恋人なんです」
「……んん? 健吾、今なんて?」
「だから、恋人で……」
もう一度繰り返すと、ヴィルさんは首を傾げた状態のまま、視線を巡らせた。
「それは、いつから?」
「結構前です……けど」
「お互い、こっちと向こうの世界の住人だってわかっていて恋人になったのか?」
「はい」
はっきりと頷くと、ヴィルさんはちょっと考える風に目を瞑った。
しばらく無言が続く。
その表情は、少しだけ眉間にシワが寄っていて、何か厳しい事でも言われるのかな、と俺も少しだけ構える。
ヴィルさんはゆっくりと目を開くと、ヴィデロさんの目の色と同じ色の瞳を、俺に向けた。
「そうか……健吾、ひとつだけいいか」
「はい……?」
何か言われるのかなと身を固くしていると、ヴィルさんが俺の前に立った。
ラフな格好をしたヴィルさんは、筋肉はヴィデロさんに劣るものの、すごくスタイルがよくて、足なんか俺の倍くらいあるんじゃないか、っていうスタイルを惜しげもなくさらしている。
そんなヴィルさんをごくりと唾を飲み込んで見上げると。
「俺のことを、「お兄ちゃん」って呼んでみてくれないか?」
ヴィルさんは、真顔で俺を見下ろして、言った。座ってるからか、ヴィルさんがすごく大きく見える。
それにしても。彼は、今なんて?
「お、お兄ちゃん……?」
「よし、お兄ちゃんが許す」
「お前は変態か!」
サムズアップしたヴィルさんに、すかさず佐久間さんが突っ込む。
何か言われると思っていた俺は、ヴィルさんのおかしな提案に少しだけ呆けてしまった。
「変態じゃない! 弟の恋人は弟だって古今東西決まってるだろ!」
「そんなおかしなこと誰が決めたんだよ」
「俺だ。それに、健吾みたいな小さい子にお兄ちゃんって呼ばれてみたいじゃないか! 弟がいるんだって言われていざ会ってみたら、俺くらい身長があって、俺より筋肉がある滅茶苦茶強そうな弟だった時のあの衝撃。しかも俺にそっくりだし」
「そりゃご愁傷様。いいじゃねえかよ。弟を可愛がってやれよ」
「だから健吾を可愛がるんだって言ってるだろ。お前も呼ばれてみろよ、健吾にお兄ちゃんって。高校生だぞ?」
「出たよおっさんかよ。俺はまだ若いんだ」
二人とも何おかしな言い合いしてるんだよ。
最初は呆然と聞いていたけど、段々と可笑しくなってくる。
ヴィルさん、実はヴィデロさんに会えて嬉しかったのかな。だって裏リストにヴィデロさんの名前が登録されたからってアバターを消してないんだし。
なんかそういうの。
「いいなあ、兄弟」
一人っ子だからちょっと憧れる。
それに、ヴィルさんはヴィデロさんのお兄さんで。血が繋がってて。
「っていうか、ヴィルさんがヴィデロさんのお兄さんでよかった。ヴィデロさん、独りだってすごく寂しそうに言ってたから。だから、お兄さんがいてくれて、よかった」
心からの呟きは、しっかりとヴィルさんの耳に届いていたらしい。
座ったままの俺の頭に、ヴィルさんの手がポンと置かれた。
「健吾に会えてよかったと、また実感してしまった。健吾に会わなかったら彼にもまだ会えなかったってことだからな」
くしゃっと俺の髪を撫でるその仕草がちょっとだけヴィデロさんにされるのと似ていて、俺はこれがレガロさんの言う運命ってやつなのかなってそっと考えていた。
話をしていて遅くなってしまったけれど、無事ログインした俺は、寝ているヴィルさんの抜け殻を横目で見ながら、遠出をする用意をした。
倉庫のインベントリからカバンのインベントリに必要な物を移していく。
そして外に出ると、今日も鳥が飛んできた。
肩に止まってピヨと鳴く。
『向かう先は、トレの街を南門から出て山の方に向かった先だ。そこにある呪いの洞窟に入っていって欲しい。石像が奥にあるんだが、くれぐれも触るなよ。呪われるから』
届いたメッセージの先は、なんとジャル・ガーさんの洞窟だった。あそこに他に何かあるのかな。ってことはドイリーを腕に結んでいた方がいいかな。
なんて思いながら門に向かう。
あそこに行くからにはお酒は必須だよなあ。ブロッサムさんから融通してもらったお酒は調薬に使うからさすがにジャル・ガーさんにあげるのはためらうからどうしようか。美味しくないって言ってたし。
「とりあえずお酒を買いたいので、買ってから向かってもいいですか?」
『どうしてお酒を?』
「だって、呪いの洞窟に入るんですよね」
『ああ、最奥まで行ってもらう』
じゃあやっぱりお酒は必要だ。仕方ない、ヴィデロさんに付いてきてもらって、クラッシュの店でお酒を買おう。
早速門に向かう。肩の鳥がしきりに首を傾げているけど、それがなんかさっきのヴィルさんそっくりでちょっと笑えた。
門に向かって外に出ることをロイさんに伝えると、中から軽装のヴィデロさんが出てきてくれた。
今日もヴィデロさんかっこいい。
「今日は遠出?」
「ええと、ジャル・ガーさんの洞窟に行ってくれってヴィルさんに頼まれて」
「わかった。行こうか」
「ちなみにこの鳥がヴィルさん」
肩の鳥を指さすと、ヴィデロさんが鳥を覗き込んで、スッと指を差し出した。
ヴィルさんの挨拶のメッセージと共に鳥がピヨと鳴いて、その指に移動する。
ヴィデロさんはその鳥を自分の肩に乗せた。
うわ、鳥とヴィデロさん、眼福だ……!
スクショ撮りましたありがとうございます。好き!
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