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昔の話 (※はR-18)
どこにもない物語 #2
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そうして何年も経った。出会った時からあまり若くなかった男性は、目が悪くなり、腰が痛くなり、あまり歩けなくなって......寝たきりになった。
「喉、渇いてない?」
「......うん。大丈夫さ」
シアンはほとんど一日中、男性のそばにいた。朝にはカーテンを開けて外の景色が見えるようにして、たまに食料を買いに行って、夜には部屋を温めるために暖炉を焚いた。そして寝るときには、自分の毛布を持ってきて、ゆり椅子で丸くなる。
「君は......ずっと小さいねえ」
男性は聞こえるか聞こえないかくらいの微かな声で、そう呟いた。独り言なのかもしれない。うとうとしていたシアンはぱちりと目を開け、男性のいる方に身体を向ける。
「少しは大きくなったよ」
「そうかなぁ......はは、は......ごほっ」
笑っているうちむせてしまった男性に駆け寄り、背中をさする。一際激しく咳き込むと、口を押さえた男性の手は真っ赤に染まっていた。初めてではない、ここ最近、数日に一回はこうなるようになった。
「あっ......ほらやっぱり、水持ってくるよ」
「......待って」
「え?でも......」
「いいよ。こっちおいで」
「......」
シアンの目には、何かを悟ったような表情の男性が映っていた。男性にはもう時間がないことをありありと表していた。
枕元に身を寄せると、男性は寝たまま手を伸ばした。翼が触りたいのかな、そう思ってシアンは、ベッドにほとんど乗り上げるようにして、身を寄せた。
「やっぱり、初めて会ったときから何も、変わっていないよ」
「......そんなこと、ないよぅ」
「初めから、ずっと。綺麗なままの翼だ」
「......!」
翼を撫でられるのが好きだった。シアンが夜、悪い夢にうなされて起きると、決まって翼を撫でてくれるのだ。でも、翼について感想を言われたのは初めてだった。今まで誰にも、綺麗だなんて言われたことはなかった。兄には汚されてしまったし、自分でも良いものだなんて思っていなかった。
「......嬉しい」
「ずっと寄り添ってくれて、ありがとうね。何か僕に、......お返しできることがあったら」
「......魔力が、ほしい」
シアンが男性の手を握る。血がついてしまっても、気にせずに強く握る。男性は黙って頷き、顔を向ける。
「ありがとう」
ひび割れた色のない唇に、みずみずしく潤う幼い唇が重なる。唾液に少し鉄の味が混じる。それでも、魔力は男性からシアンへと、ちゃんと流れ込んでくる。シアンの閉じたまぶたが震え、雫が溢れる。
唇を離し、目を開けると、男性は静かに微笑んだ顔のまま、動かなくなっていた。本当に、眠っているのと変わらない。
*
静かに......誰かが入ってくる気配がした。座って、動かずにいなければ聞き逃してしまうくらい、静かな音だった。その誰かは、広い家の中を一部屋一部屋、何かを探して歩いているようだった。泥棒か強盗かもしれないな......でもなぜだか怖いという気持ちは湧かなかった。誘拐されたあの日から、そういうものに親近感さえおぼえているみたいだ。誘拐......それももう遠い日のことか。何十年前かな。もうこんなに年月が経って、あの人は死んでしまったよ。シアンは自分の、あの頃から成長していない小さな手を見つめ、そしてまたうずくまった。もう何が来ても驚かないよ。
ミシ......また静かに床を軋ませる音がして、部屋を探し回るだれかが、シアンのいる部屋へ入ってきたのだとわかった。かすかに息を飲む音も聞こえた。その誰かは、しずかにシアンの方へと近づいてきて......目の前にしゃがんだ。探しているのはオレのことだったのか......やっぱり怖さは感じられず、シアンはゆっくり顔を、上げた。
神様みたいな美しい人が、そこにはいた。
銀色のような、白色のような不思議な色の髪。引き込まれる切長の目の中の、緑色の瞳。背が高いようで、だいぶ背中を丸めてしゃがんでいる。
聞き覚えはないはずなのに、すんなりと耳に入る、心地よい声がぼそりと言った。
「家主が死んで取り残された異種族の子供がいると聞いた。うちで保護するから......着いてきてくれる?」
ちょっと冷たい手も、なんだか懐かしいような気がする。気のせいだろうけど。誘拐犯たちに引き渡されたときと同じく手を引かれて、シアンは立ち上がった。
*
*
*
一瞬の間にかなりの時が経ったような、重厚な思い出がシアンの頭を通って、パッと消えた。起こるはずのない出来事、どこにもない物語が浮かんだような気がした。しかし、錆びたドアを開いて現れたのは、ごくごく小さな、2人暮らしの部屋だ。
「ここに、あの人たちは住んでたんだね」
......パタン。ドアを閉めて、シアンは部屋の奥へと向かった。
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