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昔の話 (※はR-18)

どこにもない物語 #1

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「じゃあね。おじさん。元気で」

 シアンは手を振っていた。片方の腕をいっぱいに振り回して。もう片方の手は、大きな暖かい手に繋がれて。手を振る先、ちょっと離れて立つ2人の大人は、シアンに優しい視線を投げかけている。1人は照れるようにナハハと笑いつつ、返した。

「私たちのことは忘れて、強くなるんだよ」

「兄貴ィ、泣いてないっすか?」

「......そういうのは言わないもんだよ」

 シアンはもう一度手を振ると、背を向けて歩き出した。2人が見守る小さな背中には、隠すことなく綺麗な翼が揺れている。2人にとっては彼の誘拐を決めたきっかけ。街でこっそり見かけてから、ずっと2人の頭の中で、眩い宝玉の原石のように輝いていた白。悪人は、綺麗な宝石に惹かれるものだ。今しがた、手放してしまったけれど。
 大きな手に引かれる後ろ姿は、誘拐してきたときよりずっと嬉しそうだ。新しい家で幸せになってくれたら。そう願って、2人の誘拐犯たちも背を向けて歩き出した。




「君の部屋は、ここ。ちょっと狭いだろうけど、良いかな」

 2人の誘拐犯が案内し、引き合わせたこの初老の男性は、シアンを買い、育ててくれる人だと伝えられた。手を引かれるままついて行ったそこは、見晴らしのいい丘の上に立つ大きな家だった。
 ここまで何も話さなかったシアンはそこで目を丸くして、初めて声を漏らした。

「こっ......ここに住めるんですか?」

 男性の言うとおり、その部屋は決して広くはなかった。おそらく元いた屋敷のシアンの部屋の半分もないだろう。けれど......
 広い窓からは陽の光がふんだんに差し込み、外の様子がよく見えた。カラフルな花が咲く花畑と、その間を流れる小川。走り回る子供の姿もある。

「あぁ。......近くに学校があって、うるさいかもしれないな」

 男性はすまなそうにしているが、シアンは真反対の感慨を覚えていた。子供のはしゃぐ声。喧騒。賑やかさ。シアンの周りにはこれまで存在しなかったものだ。楽しそう。

「あの......ありがとうございます。とても嬉しいです。これからどうぞ......」

 よろしくお願いします、と言いながら、シアンは胸の高鳴りが止まず、ちらちらと窓の外に視線が泳ぐ。尖った耳がちょっと動いている。男性はそんなシアンの様子に気づいて、くしゃっとした笑みを浮かべる。

「はは、遊びたいのかい」

「んっ、いや............はい」

「無駄に広い土地だけがあるんだ。好きに駆け回ってもらって構わないよ。老後の独身男との付き合いは退屈だろうけど、よろしくね」




 数日の間、シアンは自分の体質のことを忘れていた。新しい居場所にすっかり楽しくなって、頭から吹き飛んでいたのだ。けれど......ある日の早朝、苦しくて目が覚め、思い出した。

「どうしよう......」

 新しい主人の男性に、このことを伝えなければ。自分は魔力が枯渇してしまう、誰かから貰わねばならないのだと。でもどうすればいい?あの人は男性だ、ならば兄たちと同じように......

「むりだ......」

 そんなこと、言えない。言ったら絶対に、この楽しい生活は壊れてしまう。だって......
 シアンはこの頃うっすらと、気づき始めていた。父や兄を狂わせた原因は、自分にもあるんじゃないか。自分がこんな体質だから、自分がいるから、兄たちはシアンを平気で襲うんじゃないか。

「やっぱりダメかも、オレ......」

 暖かい布団の中で、シアンの意識は遠のいていく。
 だんだん何の感覚も無くなって、時間さえもわからなくなったとき......柔らかい感覚があって、目が、覚めた。

「......?」

「起きたかい」

 ベッド脇には、心配そうな、しかしちょっと驚いたような男性の姿があった。半分腰を浮かせているが、つい今までシアンのすぐそばに座っていたようだ。

「............??」

 苦しくないことに、シアンは驚いた。
 胸がすっきりと晴れている。身体の疲れはなく、ただよく眠ったという感覚。ぱちぱちと瞬きをして、驚いて男性を二度見する。

「あなたは......天使?」

 シアンは今まで、兄たちの精液か、天使のハグでしか魔力を回復できなかった。それしか方法はないと思っていた。だから......目の前の男性もひょっとして天使なのではないかと、そう思った。

「ハハハ、違うよ」

 男性は眉を下げて笑い、小声で言った。

「なんだか全然起きなくて......息もしていないようで、心配したんだ。それで......」

 目が覚めるかと思って、キスをしたのだという。

「物語のお姫様でもないし、僕はただのおじさんなのにね」

 本当に起きるとは思わなかった、そう言う男性をよそに、シアンは別の驚きを隠せなかった。こんなに簡単な、優しい方法があったなんて。これで魔力を回復できるのなら、シアンは。

「ごめんね、僕は天使じゃない。ただの人間さ」

 言ってから男性は、遠い目をして窓の外を見た。

「人間は愚かだ。つまらないことで喧嘩をして、戦争なんか起こして......同じ種族の命を奪ったって平気な顔だ」

「あなたも、戦争に行ったの?」

「僕は負傷して帰ってきたけどね。父も兄も死んでしまってなぁ」

 今は広い家に一人ぼっちだ、と少し悲しそうにきゅっと目を細めて言った。男性は笑うとき、ちょっと困ったような、悲しそうな、そんな顔をするようだ。

「僕も愚かだ。それでも......一緒に暮らしてくれるかい?」

「うん。もちろん」
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