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昔の話 (※はR-18)

命の薬

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*読まなくてもいいですが、【カップケーキと魔女の記録】が一応繋ぎとなっています。
*悪魔くんの過去編です
*行為はありませんが閲覧には注意です。嘔吐あり





では
↓↓↓







 __こんなところには居られない。居られないから、逃げなくちゃ。

 昼間なのにどこか暗くて冷たい廊下。その真ん中に、小さな影がぽつんといた。壁も天井も彩度のない石造りなおかげで、立派ではあるけれど殺伐としている。廊下は彼の小さな身体と比較すれば長大な線路のように長くて長くて、天井も高いのでどこまでも続いているように見える。突き当たりに行き着く前に、誰かに見つかってしまいはしないか、不安になりながらも足音を殺して進んでいる。やっと入り口ホールに着いたかと思えば、やけに分厚くて重い両開きの扉が待ち構える。今まで彼が一度も自分の手で開けたことのない扉。__だって今までは、勝手に出ることなんてなかったから。彼の小さな手ではいくら押しても駄目だったので、少ない全体重をかけてやっと開ける。すると乾燥した冷たい風がぴゅうと吹き込んでくる。重い雲の垂れ込めたグレーの空だったけれど、久しぶりの空に彼はちょっと眩しそうな顔をする。
 鮮やかな赤の髪が透けて、金色の瞳がきらきらと輝いた。

「うわっ」

 かさかさという音に驚いて、小さく悲鳴を上げてしまう。目であたりを見渡すと、広い庭中の樹が全ての葉を落とし、生気のない枯葉が地面を埋め尽くしている。さっきの不気味な音はただの落ち葉だったのだと気づいてほっと胸を撫で下ろした。__いいや、ここで止まってる訳にはいかない。この屋敷から出ないと。生まれてからずっと育ってきた、悪魔の屋敷から。
 
 __今日オレは、6歳のシアンは、生まれて初めて父の言いつけを破った。




 数刻前。

「......お父様、もう魔力がなくなりそうです。薬をください......」

 父様の書斎。勝手に入ってくるなとは言われていたけど、あまり我慢ができそうになかったので、今は非常時と叱られるのを覚悟で入る。
 床から天井まで壁全部を覆い尽くす書棚。どの棚にもぎっしりと分厚い背表紙が並んでいる。それでも入りきらなかった分はそのまま床に積まれて、オレの腰の高さくらいまでの山もある。
 父様は最近外の仕事が忙しくて、屋敷にいるときまで書斎にこもりきりで書類を作っているみたいだ。それまではオレが苦しくなる前に薬をくれていたのに、この頃遅くなりがちだ。

 オレは父様や、一緒に住んでいる兄上たちとは身体がちょっと違うらしい。......病気ってやつなのかな。だから身体の中の魔力が何日かしかもたなくて、1週間くらいするとすごく苦しくなってしまう。そんなに経たなくても、頑張りすぎても同じように苦しくなる。
 でもそんな時は、父様がオレに薬をくれる。瓶に入った飲み薬。苦くて全然おいしくないけど、我慢して飲めば苦しくなくなる。「良薬は口に苦し」って、父様が貸してくれた本にも書いてあったからさ。

「お父様......いないんですか......?」

 遠慮がちに呼びかける。言いつけを破って部屋に入ってしまったのだから、今更気をつけても遅いと思うけど。奥に入ると、書棚のある手前の部屋とは扉で区切られて、さらに部屋があった。その扉が少し開いていて、中から光と、父様の声が漏れてきていた。

「......!」

 よかった、中にいた。オレは本の山をかき分けて進み、扉の前に立った。既に少し肺が苦しくなってきて、胸を押さえながらじっと耳を澄ませた。

「......?」

 父様の声だけど、くぐもったうめき声のように聞こえる。何をしているのだろう?
 オレはなぜか声を掛けるのがはばかられて、息を殺して隙間から中を覗いた。身体が小さいので、僅かに開いた扉の角度にうまく入り込むことができた。
 そして、見てしまった。

 壁に貼られた何十枚ものポートレイト。それらは全てオレが映っている。もっと小さな頃から今までの、さまざまな場面、角度の。どれも中央に1人で大写しになっている。はっきりいつのと分かるものもあれば、全く覚えのないものもある。カメラ目線でポーズと表情を決めているものも、明らかにカメラの方を向いていない隠し撮りも。中には寝ているものや、服を着ていないものまで......。全部がオレを映した写真だった。
 父様はその中心で椅子に座って、こっちに背中を向けて息を荒げていた。

「......シアン......っ」

 低い声で自分の名前を呟かれ、びくっとしてしまう。気づかれてはいないようだ。オレは恐怖のあまり固まってしまい、動こうにも動けない。
 すると、父様が身じろぎしたので角度が変わった。よく見ると、手に見覚えのある瓶を握っていた。オレに1週間に1回、渡してくれる瓶。中には薬を入れて、オレの魔力が回復するように大事そうに握らせてくれて。今はまだ、空の瓶。
 __じゃあ、いつもくれるあれは......?
 ますます息を荒げていく。シアン、シアンと呟く声もだんだん大きくなっていく。

「あぁ、私の可愛いシアン......!」

 瞬間、思わず顔を背けてしまった。びしゃびしゃびしゃっ...とよく分からない音がした。どのくらい経ったのか分からないけど、しばらくして、静かになった。おそるおそる目を開けた。
 父様は、液体が溜まってかさの増えた瓶を握りしめていた。そのとき、初めて気がついた。父様は下を履いていなかった。

 ......あとちょっと足がもつれていたら、本の山を崩してガタンと派手な音を立ててしまっていた。オレは信じられないくらいすばやく父様の書斎を抜け、廊下に躍り出た。
 ものすごく吐きそうだ。自分が今見たもの。写真もそうだし、それより父様の......。あんまり理解はできないけど、今腹から込み上げるこれが、生理的によくない真相にたどり着いてしまったことを知らせていた。

「ぅ......うっ、おぇ......っ」

 我慢ができなくてついに廊下の端に吐いてしまう。つんと酸っぱい臭いが広がり、立派な絨毯に染みが広がっていく。屋敷のお手伝いさんが怒るだろうけど、そんなこと気にしていられない。
 魔力がなくて苦しいのなんて忘れてしまうくらいに、今知ったことは衝撃的だった。今まで飲んでいた薬は、薬じゃなかった。それを知っちゃったオレは、これからどうすれば良いのかな?

 とにかく、こんなところには居られない。居られないから、逃げなくちゃ。
 オレはもつれる足をいなして、父様の書斎から、屋敷の奥から遠ざかるように背を向け走り出した。
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