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本編

この可愛い悪魔には囚われ癖がある #1

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「えっ、その右腕もう治ったの?」

 ある日、夕飯の準備中。袖をまくったシルフの傷一つない腕。適度に筋肉がついた健康的な右腕だが、昨日帰ってきたときには骨折して赤黒く腫れていたはずだ。すごく痛そうだったのを覚えている。

「......俺治っちゃうから」

「こともなげにそう言うなよ。てかオレの血が直してんだろぉ」

「いつも美味しい。ありがとシアン」

 えっ。そう真っ直ぐに美味しいなんて言われると......。シルフは吸血鬼だから不死だし、怪我は血を吸えば治ってしまうのだ。今はもっぱらオレの血液で治癒している。
 オレは恥ずかしさをごまかすように、こいつの胸をぽかぽか小突いた。ばかみたいになって直ぐにやめた。

「そうだ、卵がないよ」

「必要だよな。俺買ってくるか?」

 今日のメニューはハンバーグだ。

「や、一緒に行くよ」

 いまいち計画性がない。料理を一旦置いて外へ。日も暮れかけで、ちょうどセールをしている店もあるはずだ。シルフは夕方の弱い日差しでなら眩しがらず歩ける。歩きつつも、先ほどの会話を続ける。

「......オレの血以外は飲んだことねぇの?」

「前は死体から。お前の以外は......ないな。でも、今後は......」

 今後?あまり構えて聞いたわけではなかったが、そこでシルフは一瞬鋭い目をした。

「いざと、なったら」

「いざとなるってどんな時だよ。腕ほぼ千切れる怪我でもしたら?それでも死ぬなんてことないだろ」

「......そうだな。命の危機は経験した事がない」

 記憶を辿るよう、遠くを見る視線に、一緒に歩きながらオレまで空を見上げてしまう。いやでもお前は、吸血鬼になるために一度命を落としたはず......。

「それに、俺は死んだ時のことを覚えていないんだ」

 シルフはオレとほぼ同じことを考えていた。死んだ時のこと。こいつには死んだ時の記憶がない......?

「それ今まで聞いたことないんだけど」

 こんな道端でいいのか?明らかに重い話題。あ、覚えていないのか。

「どうやら俺は毒で死んだらしいんだが......」

 そこまできて不意に、空気がどんよりと濁った気がした。いやこれは確かに何者かの気配。一足先に何かに感づいたシルフが立ち止まって耳を澄ます。動物的にピクリと耳が跳ね、何らかの音を捉えた。

「後ろとあっちの角から何人か来る。なんだ?」

「今日は特別な依頼は来ていないはず......」

 生暖かい風が吹いている。すると風に乗って香りが漂ってきた。香水。この花の香りはまさか......

「......シルフ。オレだ」

「え?」

「オレを追ってきてる。きっとオレを捕まえる気だ」

「は......いや落ち着けだいじょう」

「大丈夫じゃない。シルフ、この香りはオレの......兄だ」

 オレの兄は......。オレには何年も帰っていない実家がある。もう思い出したくもなかったのに。こいつにはまだ話したことはないが、顔色から察してくれたのだろう。優しいシルフはオレの手を引いた。

「シアン。急いで逃げよう」

 足音とは逆方向に引っ張ってくれる。でも何故だか、足が動かなかった。

「どうした、早く」

 あれは絶対に、オレ目当てだ。でも......もう逃げられない。だめなんだ、オレは対抗できない......連れて行かれるのは避けられない......。そんな考えに頭が支配される。

「そうだ。シルフ、......これを持ってて」

 その瞳の静かな緑色を見つめると、心が落ち着く。彼は彼で不安を湛えているけれど。
 万が一。これが、いざというときのオレの形見。あるものをシルフの手のひらに預けて、近づいてくる足音を待った。
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